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約束の空に君を乗せて  作者: 御堂寺 祐司
第三章 『Imagination means nothing without doing.』
21/33

月灯かりに浮かぶ笑み

 姉達を呼びつけ、すぐに濡れた服を着替えさせベッドに寝かせた。

 しかし、熱は既に40度に届きそうなほどで、呼吸することすらも苦しそうだった。


 ベッド横の椅子に座り、幼い少女の姿を心配そうに身下ろしながらジルが言う。


「――じゃあ、発見した時、エレナは正気じゃなかったと?」


「ああ。良くは分からないけど、少なくともまともには見えなかった。呼びかけても反応は無いし、なんかぶつぶつ呟いてたんだ。……助けて、とか」


「助けて? どういうことだヨ?」


「いや、だからわかんねえって」


「ひょっとしたら、何かがきっかけになって過去の記憶が蘇ったのかもしれませんね。それで現在の記憶と混ざり合い、意識が混濁したのかも」


「じゃあ、何か思い出したのか?」


「それはエレナが目を覚まさないことには――」


 分からない、とジルが首を振る。


 リュートは苦しそうに荒い呼吸を繰り返すエレナを見つめた。いつも笑っていた少女の顔も今は苦痛にあえぎ、額には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。


 脳裏に蘇るのは暗闇の中で発した――助けて――という呟き。胸の奥から絞り出すかのような切実な嘆願。それはただのうわごとだと切って捨てるにはあまりにも痛々しい。


 あれが過去の記憶によるものだとしたら、何が少女をそこまで苦しめたのか。

 闇に沈むエレナの瞳。あの時頬を濡らしていたのは、本当に雨の雫だけだったのだろうか。


 リュートが少女の額に乗せられた濡れタオルを交換しようと手を伸ばしたその時、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「私に、診せてもらえませんか?」


 一同が一斉に振り返った先。部屋の戸口に立っていたのは、アイオンだった。


「オイ、母屋で待ってロって、伝えたはずじゃ――」


「勝手にすいません。緊急事態だったようなので扉の外で話を聞かせてもらいました」


「いえ、それは別に構わねえですけど……それよりも今、診せてもらえますかって――」


「はい。こう見えて私、医者なんです」


「……それは本当かイ?」


 さすがに信じられないと眉間に皺を寄せるリュート達に、アイオンは強く頷いた。


「今は訳あって休業中なので医師免許は持っていないのですが、診させていただけるなら何か力になれるかもしれません」


 三人は顔を見合わせ、頷き合う。どうせこのまま傍に居ても何もしてやれない。少しでもエレナの病状を改善できる可能性があるのなら、それに賭けてみるのもありかもしれない。もし何か不審な動きがあればすぐに止めに入れば良い。


「……お願いします」


 リュートの言葉を受け、アイオンはこけた頬を穏やかに緩めた。


 ベッドに近寄り、エレナの顔色を確認する。口を開けて喉を確かめ、脈を取り、首回りに触れる。

 アイオンはエレナの身体をひとつひとつ念入りに調べていき、そして最後に足を持ち上げた。半ズボン型のパジャマから突き出しているひざ下の部分が裏返される。


「なっ――!」


 リュートは思わず声を上げた。


 エレナの脛の後ろ。そこにあった痣。


 その痣が明らかに大きくなっていた。


 いや、大きくなっているだけではない。色合いも濃紺からドス黒い暗色へと変貌しており、一見して何か巨大な生き物が張り付いているようにも見える。


「……そういうことか」


 アイオンが呟く。アイオンは持参していた鞄を開くと中から注射器を取り出した。それを迷うこと無くエレナの足に刺し、ゆっくりと薬剤を注入していく。


「どうなんだイ?」


「恐らくですが、これで大丈夫でしょう」


 アイオンが答えるのと、エレナが脱力するように息を吐き出したのはほとんど同時だった。

 三人が心配そうに覗き込む前でエレナの顔色はみるみるうちに正常な色を取り戻していき、やがて呼吸も落ち着き、汗も引いていく。


 穏やかになったエレナの表情を見て、一同はほっと胸を撫で下ろした。


「いま打った注射のおかげ……なのか。あの注射は?」


「解熱剤の一種です。とりあえずこのまま様子をみましょう」


 礼を告げて頭を下げるリュート達に、アイオンは照れくさそうに手を振った。


「いえいえ。それでこの少女なんですが……えっと、エレナさんでしたっけ? エレナさんは、この辺りの出身じゃないですね?」


 突然エレナの出自を言い当てたアイオンに三人は顔を見合わせる。


「やはりそうですか。この痣模様を見てください。これはとある風土病特有の症状なのですが、この辺りには存在しない病気なんです。たまたま良く効く薬を持っていて良かったですよ」


 アイオンが何気なく口にした一言。だがそれはリュート達にとっては大きな意味を持っていた。

 この辺りには存在しないはずの病気。逆に考えれば、その病気が存在する地域を特定出来れば、エレナの素性を知るための手掛かりになるかもしれない。


「そ、その風土病がある場所を教えてくれませんか?」


「それはかまいませんけど、結構広い範囲に存在する病気ですので、知りたいことのお役に立てるかは――」


「それでもかいません!」


 思わぬところから出てきた情報に色めき立つリュート達。その光景を見ながら、アイオンは暫し考え込むように顎に手を添えると、どこか申し訳無さそうに口を開いた。


「あの、もし良かったらなんですが……しばらく泊めていただけないでしょうか?」


「え?」


「この少女の容体が気になりますし。もし何かあった時には傍に居た方が処置し易いかと……あ、もちろん宿泊費はお支払いしますから」


「それはまあ、確かに……。そうしてもらえるとこちらも助かりますけど―――」


「良かった。まあ、本当のことを言うと、空戦機の整備をお願いしていることもありますし、私としても遠い街中の宿まで戻るよりはここに泊めて貰った方が色々と助かるんですよ。空戦機の整備が済むまでで構いませんので」


 そう言って自嘲気味に笑うアイオンに、リュートも「お願いします」と笑みを返す。


「とりあえず今夜は交替で看病だナ」


「ああ」


 皆が部屋を出ていこうとする中、最後まで残っていたリュートはエレナの寝顔をじっと見つめた。先程とは打って変わった安らかな表情。

 容体が改善した――とはいえ何かがスッキリとしない。


 ほっそりとした足に浮かんでいる漆黒の痣、そのどす黒さが不吉な何かを暗示しているような気がして、リュートは表情を曇らせた。



     ■  ■  ■



 明かりの消された室内に、寒々しい月光が差し込んでいる。


 ただの通り雨だったのか、あれほど強く降り続いていた雨はすっかりと上がり、窓の外に広がる澄んだ夜空には鮮やかな満月が浮かぶ。


 青く白く染め抜かれたベッドの上。安らかな寝息を立てていた少女が、その瞳をゆっくりと開いていく。そして、静まり返った室内に僅かな衣擦れの音だけをたてて上半身を起こした。


 大量の汗をかいたせいか、身体がひどく重い。着ているパジャマがじっとりと湿っていてなんともいえず気持ち悪かった。


 身体の感覚を確かめていたエレナは、室内に自分以外の寝息が存在していることに気付いた。


 そっと視線をずらすと、ベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰かけたままリュートが寝ていた。

 こくりこくりと船をこいでいる姿を見て、エレナの瞳が笑みの形に曲がる。

 ずっと看病してくれたのだと察して、起こさないように気を付けながら「ありがと」と呟く。


 エレナは再び自分の手を見つめた。


 小さくてぷにぷにとした普段と変わらない手。それを何度か握ったり開いたりしてから、


「そっか……もう駄目なんだ……」


 と呟く。


 どこか達観したような笑みを浮かべ、ベッド脇のテーブルに置かれた巾着袋を取り上げた。

 袋はぐっしょりと重かったが、中身はそれほど濡れておらず、ほっと息を吐き出す。


 中から取り出した日記をそっと開くと、ビリッ、という音が小さく響いた。


 日記にはテープで封をするように印がつけてあり、知らずに開くとテープが破れるようになっている。そのテープが破れていないということは、エレナが床に伏せっている間も誰も中を見ていないということだ。


 エレナは満足そうに頷くと、パラリとページをめくった。


 窓から差し込んでくる月明かりだけを頼りに、エレナの視線が紙面をなぞる。


 パラリ、パラリ、パラリ、パラリ――。


 暫くの間、室内にはページをめくる音だけが響いていた。


 だが、暫くするとその音に、しゅ、しゅ、という何かが掠れるような音が混じり始める。

 その不可解な音は、僅かに開かれたエレナの口元から漏れ出ていた。


 浮かべていた笑みを一層深め、肩を小刻みに揺らしながら、必死に堪えている笑い声が、吐息となって口の隙間から僅かに漏れている。

 無理して堪えているせいか、月光の中で浮かび上がるその表情はどこか歪に歪んでいた。


 やがて我慢すること自体を諦めたのか、エレナの口から、クスクスという笑いが漏れ始めた。


 そしてひとしきり笑った後で、ようやく満足したように肩の力を抜いた。



「……でも良かった………まだ、残ってたんだね……」


 パラリ。ページをめくる。 


「分かってるよ。ちゃんとお片付けしなきゃね」


 パラリ。ページをめくる。


「……うん、私ちゃんと出来るよ」


 パタン。日記を閉じた。



 再び日記を袋の中にしまい込んでから、窓の外に浮かぶ月へと視線を合わせる。


 見事なまでの満月。大きくて眩くて、いっそ恐れを抱く程に美しい。


 しかし―――。



「リュー君……早く会いたいな」



 呟きは室内の空気に溶けて消えていく。


 窓へと向けられる瞳には仄暗い光だけが満ちていて、その表面になにものも映してはいない。

 闇夜に照り映える満月も、見上げているはずのその氷輪さえも、何も映ってはいなかった。


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