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約束の空に君を乗せて  作者: 御堂寺 祐司
第一章 『TRASH & TRASH』
2/33

エースパイロットという皮肉

 ここには何もない。


 安らぎも温もりも無い代わりに、他人との交わりによる煩わしさも存在しない。


 時に残酷にすら思えるほど無情でありながら、同時に全てを許容する寛容さも内包している。

 言ってしまえば無関心なのだ。ここでは人も羽虫も等しくちっぽけで無価値でしかない。

 故にその在否すら関知しない。


 ――だが、それがいい。


 リュート・ヒラエスは紺碧の空を翔けながら、ぼんやりとそんなことを独り言ちる。


 高度計の表示は三千メートル。目視による雲量は僅かに一程度。

 周囲に浮かぶのは絹糸のような薄雲だけで、愛機とそれを駆るリュート以外ここには何者も存在しない。


 操縦席を覆っている分厚いキャノピーの外へと顔を向ければ、視界のほぼ全てが蒼のグラデーションで埋め尽くされる。


 天蓋に広がるのはソラまでが透けているような鮮やかな濃紺、そこから下がるにつれゆるやかに色彩は褪せていき、水平線を境にしてひときわ濃いブルーへと変わる。眼下に広がる大海原では穏やかな波頭に陽光が反射して星屑のように煌いていた。


 安寧。そんな言葉が自然とリュートに頭に浮かぶ。


 機体後方からジェット噴流を吐き出しながら亜音速で飛行。ラムジェット特有の高音の咆哮が天を震わせる。

 パイロットシートを通して伝わってくるエンジンの振動が心地良く、揺り籠にゆられているようにさえ思えてくる。


 リュートは脱力するように背もたれに体重を預け、ゆっくりと息を吐き出した。


(やっぱり、空はいいな……)


 比較対象とするのは雑多な地上。


(あそこは人間が多すぎるんだ)


 吐き捨てるように想い、リュートは操縦桿を握る自分の右腕をじっと見つめた。


 体型にフィットする飛行服、短く切られた袖からは、ほどよく引き締まった前腕部が剥き出しになっている。

 今年で齢は十七。成人こそまだ迎えてはいないものの、身体つきはもう立派な大人のそれだ。

 周囲からまだまだ若造扱いされるものの、リュート自身の感覚ではそれなりに長い時間を生きてきたつもりである。


 良いことばかりでは無かった。

 むしろ思い出したくないことのどれだけ多いことか。

 唯一この場所だけが過去と自分とを切り離してくれる。リュートにはそう思えた。


 全てを包み込むような蒼穹の世界――この空を思うままに飛んでいけたら。


 いつか描いた想いと同じものが胸に満ち、自らの言葉にいざなわれるように、リュートは機速を上げようとする。


 と、その時だった。


 視界の端で何かが光った、ような気がした。


 レーダースクリーンに視線を這わせるも、特に異常を示す表示はなく。

 気のせい――冷静にそう判断を下す思考とは裏腹に、第六感とも呼ぶべき()()()が視認できない「何者かの存在」を訴え続けている。


 つまりは――ただの勘。

 だがそれこそが、パルス波を用いる電子レーダーよりも信頼に足る情報源なのだと、

 リュートはDANSのスイッチを即座にONへと切り替えた。


 DANS――Direct access neural system。


 神経を流れる電気信号をシステムへ直結することで、自らの五感を機体へと同期・上乗せさせ、本来備えているスペック以上の情報処理を可能とする。


 眩暈にも似た一瞬の不快感の後、自らの知覚が際限なく広がっていくのを感じる。

 機体を取り巻く気流、空気摩擦により生じる熱、電気信号――

 本来は数値でしか測れないそれらの情報を、リュートは()()として理解する。

 

 そして人体の限界を超えて拡張された超感覚は、通常のレーダー波では届くはずのない彼方へまでも到達し、


 そして、見つける。


 一定方向に流れ続けている薄雲の一部に生じる異質な気流。

 十一時の方角、視認など出来ないはずの無い遥か遠方に黒く豆粒のようなシルエットが浮かんでいた。


 瞬きをする度に鮮明になっていくシルエットに、リュートは対象が高速で接近してきていることを悟る。


 ――すでに補足されている!


 脳が事実を把握するのと握った操縦桿を横へ倒すのはほぼ同時だった。

 接近してくる機体が光ったと感じた瞬間には、リュートの機体は大きく姿勢を傾け斜めに降下している。


 リュートが一瞬先まで存在していた空間に曳光弾の赤い軌跡が刻まれた。僅かでも反応が遅れていれば海の藻屑と化していことを悟り、全身からぶわりと汗が噴き出す。


 直後、ようやく目標から反射されたパルス波を受信したレーダーが、悲鳴のようなアラーム音をコクピット内に響かせた。


(くそっ! 遅えってのっ!)


 スクリーン上に出現したマーカーは、対象がアゼイル共和国軍に属していることを示している。

 カラーは赤。つまり敵だ。


 DANSにより360度全方位を知覚するリュートは、敵機が先程までこちらが居たポイントを通り過ぎ、大きく旋回して戻ってくるのを()()


 そのまま敵機の形状を確認し、膨大に蓄積された知識の中からその性能を弾き出す。


 相手は、共和国軍の最新鋭可変翼戦闘機『スカーハ』。


 現存している空戦機の中でも特に加速性と最高速度に秀でた生粋の戦闘機。

 主翼の後退角が異様に大きく、細く流れるような流線形のボディは、まるで一本の巨大な槍が大気を貫きながら飛んでいるかのようだ。


 対して、リュートが搭乗しているのは、高機動マルチロール小型空戦機『アルスヴィース』。


 胴体部の中央側面から生え出した巨大な主翼は揚力を得やすく、小型で軽量な分、長時間・長距離の飛行に長けている。

 運動性が高く小回りが利くという利点はあるが、それ以外に目立った長所は無く、その長所すらも現代の主流となっている高々速度戦闘とはやや方向性を違える。

 ――要は、時代遅れの旧型ということだ。


 彼我の戦力差に打ちのめされそうになりながらも、リュートは操縦桿を握る手に力を込め、自らを鼓舞するように胸中で呟く。


(今更だろ。機体性能で劣っているなんて毎度のことじゃないか)


 戦場ではより優れた機体を相手どることなど珍しくもない。

 スペックは戦場での勝敗を決する重要な要素ではあるものの、それが全てではない。

 最終的にものを言うのはパイロットの技量。少なくともリュートはそう信じているし、それを証明してきた。


 リュートはスカーハの旋回軌道を予測すると操縦桿を引き倒して上昇を始める。


 右手を操縦桿に、左手をスロットルレバーにかけるスタンダードポジションから、左手だけを強く引いて機速を一段階引き上げる。


 目標と対向。スナップアップ攻撃態勢。まっすぐに下降してくるスカーハの鼻先目掛けて、先程のお返しとばかりにトリガーを引く。一瞬にも満たない刹那、アルスヴィースの機首に取り付けられた20mm対空機関砲が火を噴いた。


 もともと牽制のつもりではあった。スカーハが大きく軌道を逸れたところを追従するつもりでいた。

 しかし、スカーハは弾道を見切っているかのように主翼を小さく揺らしただけで全て避けて見せる。


 完全に気流の流れを読んだ動き。相手もDANSを起動していることを悟る。


 そのまま速度を上げて突っ込んでくるスカーハに、リュートは慌てて機体をスライドさせてコースを離脱した。顔を突き合わせて撃ち合うのはさすがに分が悪い。


(上手いっ――)


 大G旋回で下降から上昇へと素早く切り替えたスカーハがアルスヴィースを追いかけるように後方にピタリと身を寄せてきた。

 奇しくもリュートがやろうとしたことを、そのまま返された格好だ。


 小刻みに機体を横に滑らせ、旋回を繰り返し、敵機を引き剥がしにかかる。

 しかし相手はピタリと後方に張り付いて離れようとはしない。


 空戦機の特性上、火力は前方に集中し易く、後方は狙いを定めにくい。空中戦闘において背後に肉迫されるということは死に直結する。

 DANSを用いて後方を自動照準する武装も存在はするが、あいにくアルスヴィースにそんな立派な装備は備わっていない。


 断続的に繰り出される銃撃がアルスヴィースに向けて掃射される。リュートは機体を素早く横滑りさせそれを躱す。正確無比な照準に背筋が冷える。

 リュートの的確な回避行動が無ければ既に撃墜されていてもおかしくはなかった。

 だが、それすらも――


(こちらの動きを制限するための牽制……恐らく本命は――)


 瞬間、リュートの直観を肯定するかのように、けたたましいほどのビープ音がコクピット内に鳴り響いた。RWRが検知した被レーダー情報を機内ディスプレイが赤い明滅と共に表示させる。リュートは戦慄と共に自機がロックオンされたことを悟った。


(――っ! AAM!)


 スカーハの主翼下に懸吊されていた空対空ミサイルが切り離され、長い噴出煙を吐き出しながら空を切り裂いた。


 リュートは迷うことなく機速をMAXまで引き上げ、最大まで開放されたテールノズルから長く太い炎の帯が吐き出された。


 キャンセラーで相殺しきれないほどの暴力的なGがリュートの身体へとのしかかり、そのまま押しつぶさんとする。

 シートに身体が深く沈み込み、肺の中の空気が押し出される。リュートは歯を喰いしばって耐えながら、暴れようとする機体を抑え込んだ。


 アルスヴェースはオーバーブーストをも駆使してミサイルを引き離しにかかるが、赤外線誘導を備えたミサイルシーカーはアルスヴィースのエンジンを捕らえて離さない。


 振り切れないとみるやリュートはディスペンサートリガーを引いた。


(食いつけぇっ!)


 紅い光彩を纏った金属塊が機体後部の射出口より複数排出される。

 フレアと呼ばれる熱源を持ったデコイが機体後方へと扇状に広がっていく。


 新たな熱源を感知したミサイルはフレアに引き寄せられるように軌道を逸らし、

 そのひとつに命中。

 爆散した。


 爆風の余波に煽られ、アルスヴィースの機体が大きく揺れる。失速しないように全身の感覚を使って機体姿勢を微調整させ、なんとか水平に保つ。


 リュートは全身がじっとりと塗れているのを感じていた。なんとか撃墜は免れたが、このままではジリ貧だ。

 今のがもし拡張知覚による遠隔コントロールであったら恐らく――いや、確実に撃墜されていた。

 DANSによるミサイルの遠隔操作は非常に困難を極めるが、これほどの技量を持つ相手であれば、出来ても不思議ではない。


 リュートは後方から近づいてくるスカーハの姿を意識下に置くと、一旦落とした機速を再度上げる。


 機体性能の差からすぐに縮まっていく相対距離、

 それはそのまま、撃墜までのカウントダウンとイコールだ。


(このままじゃやられる――――それなら!)


 覚悟を決めたリュートは迫り来る曳光弾を避けると同時に操縦桿を引き倒した。

 機首を上向きにアルスヴィースが急上昇を開始する。

 逃がすまいとスカーハもそれに追従する。


 高度計の数値が加速度的に跳ね上がっていく中、肉迫したスカーハからばらかまれる銃弾のいくつかがアルスヴィースの胴体部を揺らす。

 それでも上昇を止めはしない。


 そして、数値が五千メートルを示した瞬間―――



 リュートは機体を大きく回転させた。



 旋回ではない。文字通りその場で後方へ向けての回転。

 空戦機で後方宙返りを決めてみせた。


 およそ航空常識では考えられない空中軌道。

 当然の帰結として機体は揚力を失い、失墜しようとする。



 だが――


「ここだああああああああああああああああああああああああ!」


 絶叫と共に両手両足を駆使し、全身を使って機体を制御する。ラダーを、エルロンを、スポイラーまでをも同時に忙しなく動かし、DANSによって機体を取り巻く気流の全てを自らの手に掴み取ろうとする。

 およそ飛行しているとはいえないような軌道で空中をくるくると舞いながら、アルスヴィースは水平を取り戻していく。


 スカーハからすればアルスヴィースの姿が掻き消えたように感じられたはずだ。

 そんな相手の動揺を表すかのように、スカーハは目標を見失ってなお上昇を続けている。


 アルスヴィースとの位置が入れ替わっていることを一瞬遅れて認識し、相手は軌道を急旋回に切り替える。


 ――だがもう遅かった。


 機体姿勢を安定させたアルスヴィースは既にピタリとスカーハの背後につけている。


 外しようのない超至近距離。リュートは機関砲のトリガーを引いた。


 次の瞬間、目の前を飛んでいたスカーハの片翼が吹き飛んだ。

 紙屑のように千切れたジェットノズル周辺から炎を吹き出し、破片を周囲にまき散らしてスカーハはきりもみしながら墜落していく。そして、海面に激突する直前で空中爆散した。


 空中をゆっくりと旋回しながら、リュートはその光景を見下ろす。


 風に吹かれた爆煙が完全に消え去ってからようやく緊張を解き、飛行服の首元を緩めながら大きく息を吐き出した。汗に塗れている左の手の平を何度か開閉してみせる。


 ――生きている。なんとか生き残った。


 今回の相手は、今迄戦った相手の中でも最高レベルの技量の持ち主だった。こちらが撃墜されていてもおかしくは無かった。


 ――だけど、今生きているのは俺だ。


 強者を相手に勝利したという事実が、興奮を衣のように纏って足先から這い上ってくる。


 ――勝った……そうだ! 俺は勝ったんだ!


 右手を突き上げ、勝利の雄叫びを上げようとした―――


 その時だった。



 『テレレテッテレー、テレレレーン――』



 次の瞬間リュートが耳にしたのは、人を小馬鹿にしたような安っぽい電子音。


 作業用アンドロイドでさえ生身の人間と変わらない流暢さで話すというこのご時世に、ひどくアナクロで間抜けなピコピコ音がコクピット内に響き渡る。


 右手を上げたポーズのまま、リュートは頭の中が急速に冷めていくのを感じた。


 呆然としているリュートの視界の中、

 キャノピー前面の風防硝子に『クリアタイム』『スコア』などの文字が表示されていく。

 続いて『ボーナスポイント』『残弾数、残燃料数』と続き、

 最終的に現れたのは評価としては最高ランクの―――『SSS』。


 それらが消え去ると、続いてポップアップされたのは『コングラッチュレーション!』『アナタは全空の覇者!』『いよ! このエースパイロット!』――などなど。


 次々と表示されていく称賛の言葉をリュートは表情をピクリとも変えずに眺める。


 そして――脱力。


 はああああああああああああああああああああああああああ。


 長い長い溜息と共に、リュートはコクピット端にあるスイッチへと手を伸ばし――OFFへと切り替えた。


 電源を切ると視界は一瞬で暗闇に閉ざされる。

 身体にかかる重力は変わっていないはずなのに、身体がやけに重たく感じる。


 後頭部全体から目元までを覆う武骨なヘッドマウントディスプレイ(HMD)をゆっくりと取り外し、肩の凝りをほぐすように首を数回時計回りにまわす。


 今、リュートの視界に映っているのは恒久な空の世界とは似ても似つかない空間。

 コンクリート打ち放しの壁に四方を囲まれた閉鎖的な室内だった。


 窓が無いせいか、やけに薄暗く、よくよく見てみれば天井の照明がひとつ切れ、チカチカと目障りにまたたいていた。ゴウンゴウンと鳴り響く耳障りな空調の音を聞きながら、リュートはもう一度大きく息を吐き出した。



 ――リュートは、空を飛んでなどいなかった。



 リュートが飛んでいたのは訓練用フライトターミナルシミュレーター、通称FTSが作り出した仮想の空間だ。


 慣れ親しんだ愛機も、激闘を繰り広げたスカーハも、身体を押しつぶさんとした強烈なGですらも、全て作り物でありデータ上の疑似感覚でしかない。


 リュートの身体はずっとこの室内にあって空を飛んでなどいない。

 いくら周囲を見回そうが、鮮やかな蒼のグラデーションも、流れていく絹糸のような雲も、

 そこには存在しない。


 あるのはリュートが腰を下ろしている巨大なFTSだけだ。


 軍の飛空訓練にも利用されている装置の同型。

 本来は利用者の安全面などを考慮して個室のような形状になっているはずなのだが、このFTSは周囲のパネル類が全て取り外されており、メインシステムといった機器類が外部へと剥き出しになっている。


 ――分かっていたけど。分かってはいたんだけど。


 現実に引き戻されるこの瞬間は、毎回立ち直るまでに少々時間を必要とする。

 見たくもないリアルを突き付けられ、またすぐに仮想の空へ逃げ込みたい衝動に駆られる。

 だが、それを許してくれないからこそ、現実なのだ。


 視界の隅で小さなランプが点滅を繰り返しているのが分かった。外部からの着信を知らせるアラームランプ。シュミレーション中は邪魔されたくなくて静音モードにしているので気が付かなかった。

 なんとなく嫌な予感を感じながらもスイッチを押下すると、


 次の瞬間、耳をつんざくほどの絶叫が部屋中に響き渡った。


『ゴルアアアあああああァ! てめえ、リュート! 何を無視してくれてんだヨ!』


「い、いや、あの、シュミレーション中で……」


『ああん!?』


「……いや、なんでもない。何か用かよ?」


『バカ野郎っ! 仕事だよ仕事! いいか、三十秒でコッチこい! もし遅れたら夕飯のデザート没収だからナ!』


 言い終わりと同時に一方的に切られる通話。

 再び空調音だけとなった室内でリュートは力無く項垂れるしかなかった。


 今リュートが居る訓練ルームから、通話相手の居る『工房』までは、どんなに急いだって2分はかかる。

 つまり、さっきの会話の時点でもう遅刻は確定しているし、デザートが没収されることも確定している。

 そのことは相手だって知っているはずなのだが。


(ああ……空は良かった。やっぱりここは、嫌なことが多すぎる)


 溜息混じりにそんなことを独り言ちて、リュートは肩を落としながら部屋をあとにした。


 脳裏に浮かぶのは、先ほど風防に一瞬だけ表示されていた、


 ―――『エースパイロット』の文字。


 自嘲気味に口端を吊り上げる。


 リュートからすればその二つ名は、これ以上ないほどの、皮肉でしかなかった。


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