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約束の空に君を乗せて  作者: 御堂寺 祐司
第三章 『Imagination means nothing without doing.』
19/33

郷愁

 エレナからの拒絶に打ちひしがれたリュートは、力無い足取りで廊下を進んでいた。

 不意に聞こえてきた男女の話し声に眉を顰める。


(……なんだ? 誰か来てるのか?)


 話し声の発生源がリビングであることを突き止め、歩みを進めると、ご機嫌なサクミが勢いよく中から飛び出してきた。


「おお、リュート! 上客だヨ、上客! これからちょっと機体を取りにいってくるワ」


 ――客? 今日は仕事の予定は一件も無かったはずだが?――


 玄関の扉を開け放ち出ていくサクミを見送ってから、リビングへと足を踏み入れる。


 テーブルにはジルと一人の男性が向きあうように座っていた。男の手前に来客用のカップが置かれているのを見て、この男がサクミの言っていた客なのだと察する。


「あ、末弟君、急患ですよお」


 急患とは姉弟間で使われる隠語のひとつで、飛込みでの整備の仕事のことを指す。ジルの言葉に吊られるように男の視線がリュートの方を向き、互いに軽い会釈を交わす。


(あれ? この人、どこかで……)


 不意に感じた既視感に、記憶の中を必死に探る。そしてすぐに思い至る。


 ――セランの店へと買出しに赴いた時、セランと話しをしていた男だ。


 身体の線の細い、どこか幸薄そうな男だった。端正な顔立ちが纏っている雰囲気のせいで台無しになってしまっているような。正直、身なりも立派には見えず、サクミが言っていたような上客という印象も受けない。


「こんにちは。僕はアイオンといいます。お休みのところ突然すいません」


「いえ、それは別に……」


 客らしからぬ礼儀正しさにリュートの方が恐縮してしまう。実際、休日だったわけでもなく、ただ仕事が無かっただけなので突然の訪問もむしろありがたいぐらいだ。


「セランさんに腕の良い整備屋を伺ったところ、ここを教えて貰ったんです」


「へえ、アイツも意外と見る目があるじゃ――」


「腕の立つ美しい姉妹と、その他オマケのミジンコが一人、整備屋をやっていると」


「――前言撤回」


「それに…………非常に愛らしい少女がいるとか」


 そう言った瞬間、アイオンの瞳が冷やかに光を湛えたような気がした。リュートは若干の警戒とともに、エレナの不在を告げる。


「そうですか。噂の少女は不在ですか……」


「……あいつに何か用があるんですか?」


「あ、いえ、この店を教えて貰う際にセランさんから件の少女について何度も聞かされまして。そんなに美しい方なら、僕も話の種に一度見ておきたかったものですから」


「……そうですか」


「それで、その少女は今どこに?」


 アイオンからの問いにリュートは答えられない。そもそもその答えを持ち合わせていない。林の方へ泣きながら消えていきました、と答える訳にいかず、黙ったまま俯く。


 ひとことも発しないリュートの有様を見て、ジルが盛大な溜息を吐き出した。


「末弟君は部屋に戻って休んでていいですよ」


「え? でも仕事が入ったんじゃ?」


「サク姉のあのハリキリよう見たですよね? あの様子じゃあほとんど一人で片づけちゃいますよ。私もフォローしますし、暫く人手は必要ないです」


「いや、でも――」


 確かにジルの言う通り、サクミがその気になればほとんどの仕事は一人で出来てしまう。それでも人手が多い方が効率は良いに決まっているし、自分だけがのんびりするのも悪い気がした。

 なおも食い下がろうとするリュートへ、ジルがしっしっと手を払った。


「いいから。すぐ横でそんな陰気な顔されてても迷惑なんですよ」


 半眼で睨まれ、ようやく気付く。


 ジルなりに事情を察し、リュートに頭を冷やすための時間を与えようとしてくれているのだ。

 考えればすぐに分かりそうなものなのに、そんな気遣いにも気付けないほどに余裕を失くしているのだと打ちのめされる。


「……悪い」


 それだけを伝えると、リュートはリビングを出て自室へと向かった。



     ■  ■  ■



「――ふう」


 日課であるリジェリンの注射を打ち終わり、リュートはゆっくりと息を吐き出した。


 室内は相変わらずガランとしていて寒々しい。それでも、いまやすっかりと見慣れてしまった光景でもある。

 唯一存在するソファでいつものように仰向けになって、天井をぼんやりと眺める。


――なんであんなことを言ってしまったのか。


 十歳の子供に対してあまりにも大人気ない発言であったと後悔する。そして、そんな態度を取ってしまった理由について、なんとなく分かってもいた。


 エレナがリュー君のことばかりを褒めるのが気に入らなかったから。


(――って、これじゃ俺の方がやきもちを焼いているみたいじゃねえかっ)


 頭に浮かんだ言葉を振り払うかのように、背もたれの方へと身体を倒す。


 瞳を閉じると、自然と浮かんでくるのはエレナの顔だ。


 歓声を上げて走るエレナ。幸せそうにケーキを頬張るエレナ。一緒にパイロットシートに腰掛け「飛べるよ」と微笑んだエレナ。そして、「大嫌い」と涙を流していたエレナ。


 記憶の奥深くに居座っていたのはいつだって故郷の幼馴染であったはずなのに。その面影は徐々に傍に居る少女のものへと塗り替えられていく。


 リュートには、それがとても恐ろしいことに思えた。


 自分が大切にしていた宝物が、実はメッキで誤魔化していただけのガラクタだと知ってしまったような。ただ似た容姿をしているというだけで、容易に気を逸らしてしまう自らの軽薄さにも嫌気が差す。


 自分は幼馴染の外見だけを好きになったのか。


 そんなことはない。……ない、はずだ。


「……会いたい」


 幼馴染の声が聴きたかった。


 今すぐにでも会いに行って、自分の本当の心を確かめたかった。


 しかし空戦機に乗れないリュートにはそれは不可能で。そもそも今さら故郷の地を踏みしめる勇気なんて無いことも嫌という程に自覚していた。

 完全に手詰まりとなった中、リュートは現実から目を背けるように思考の底へと潜っていった。浮かんでくるエレナの面影を打ち消しながら、自らの真意を探るかのように。



 やがて……どこからかリュートの名を呼ぶ声が聞こえて来た。


 鈴の音のように耳に心地よく、少し大人びた声音。初めて聞く声でありながら、リュートにはその声の持ち主が誰なのか分かっていた。


「……エレナ」


 開いた視界の先に幼馴染の少女が立っていた。


 記憶にある姿とは違う、リュートと同じ年齢になっているであろう少女。美しく成長を遂げた姿は、眩しいまでに輝いていて。穏やかな微笑みの中に懐かしい面影が残っている。


「会いたかった」


 リュートがそう告げると、エレナははにかむように翡翠の瞳を細めた。

 吹き流れる風が、腰まで伸びた金色の髪をサラサラと軽やかに揺らす。


「見て」


 エレナが伸ばした手の先に、故郷の風景が広がっていた。

 建ち並ぶ家屋のみすぼらしさも、エレナといつも一緒に遊んでいたオークの巨木も、最後に見た時とほとんど変わっていない。昏い記憶で満ちていたはずの故郷の景色は意外なほど凡庸に感じられ、僅かな抵抗すらも無くすんなりと視界に収まった。


 そう思えたことが―――そう感じられるようになっていることが、嬉しかった。


 風に弄ばれる髪を片手で押さえながらエレナが口を開く。


「ねえ、あの約束、覚えてる?」


 ある意味で一番聞かれたくなかった問いにリュートの身体がビクリと震えた。


「当たり前だろ」


 それは本当だ。忘れたことなど無い。


 しかし、その約束を守れるかどうかは別の問題で、きっと一生果たせることはないだろうという負い目が、リュートの視線をエレナから逸らさせた。

 足元に広がる短い雑草を見つめながらリュートは必死に続く言葉を探す。

 しかし、頭に浮かんでくるのは謝罪と言い訳ばかりで、どうしても頭を上げることが出来ない。


 長い時間をかけて覚悟を決め、「ごめん」と告げようとした、その時、



「いいよ」



 聞こえて来た言葉にリュートは自分の耳を疑った。


「もう、いいよ」


 まるでリュートの言わんとしていることが分かっているかのように。

 そっと重ねられた言葉は、胸の奥底へと深く染み込んでいく。


 ――俺は……許されたのだろうか。


 思わず顔を上げた瞬間、突風のような風が吹いて砂と土を高く巻き上げた。


 エレナの顔が見たかった。今の言葉をエレナがどんな表情で口にしたのか、それがどうしても知りたかった。


 許容なのか、納得なのか、同情か、諦観か、それとも―――軽蔑なのか?


 しかし、引きすさぶ風に邪魔され、エレナの表情だけが何故か認識出来なかった。

 風はどんどんと強くなっていき、やがて足元の土や草のほとんどが巻き上げられていく。


「エレナ!」


 千切れ飛ぶ草花に隠れ、姿さえも見えなくなったエレナへ必死に手を伸ばす。しかし、その手が何かを掴むことは無く。激しい風音に自分の声さえも聴きとれなくなっていき、



 ―――やがて世界は、風の中に消えていった。



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