追憶と決闘
ホールの壁に寄りかかりながら、リュートは眼前に広がる華やかな光景を眺めていた。
――こんな世界もあるんだな。
煌びやかな照明も、気軽に振舞われる高価な葡萄酒も、招待客が身につけている眩いばかりの装飾品の数々も、どこか自分とは別世界のものに思える。
今この瞬間に限って言えば、紛れも無く自分もその世界の住人であるというのに、自分が着飾ってこの場に居ること自体がいっそ夢か幻のように感じられた。
素直に楽しめればどれだけ良いだろう、と思う。
だが、こんな時心に浮かび上がってくるのは、決まってあの記憶。
一切の光りさえ無く湿っていて鼻が曲がるような臭気に満ちた―――狭いコンテナの中。
それは遠い過去のことであるのに、あの時抱いた恐怖はまるで今自分がそこに居るかのように鮮明に思い出せてしまう。もしかしたら今見ている光景も全て虚構に過ぎず、本当の自分はまだあの中に閉じ込められているのではないか、そんな気さえしてくる。
『お前はこの場に相応しくない』
そう囁いてくるのは自分自身の声だ。
ゆっくりと衰退していくだけのみすぼらしい貧村。そして、そんな故郷からも捨てられた存在。
不意に去来する寂寥感。連想ゲームのように幼馴染と見上げた夕焼けの空までを思い出してしまい、随分と久方ぶりに故郷という存在が懐かしく感じられた。
……決して、戻りたいとは、思わなかったけれど。
「なあ、お前はどうなんだ?」
小さく呟くと、それに反応するかのようにくぐもった声があがった。
「うむう?」
リュートのすぐ横では、ケーキの乗った皿を何枚も並べたエレナが座っていた。頬を膨らませるほどにケーキを詰め込み、ご満悦な表情でリュートを見上げる。まるでリスかハムスターみたいだなと苦笑しつつ、口の周りについたクリームをナプキンで拭ってやる。
「何か言った?」
「……いいや、なんでもねえよ」
目の前の少女は自分が知っているエレナではない――。
この幼馴染と同じ名を持つ少女に出会ってから、幾度となく繰り返し自分に言い聞かせてきた言葉。いくら似ていたとしても、それはありえない。
しかし、最近ではその確信が揺らいできている。時折、目の前のエレナを幼馴染の少女と混同して見ている自分がいることに、リュートは気付いていた。
実はあの謎の機体はタイムマシンで、過去の世界からエレナが会いに来てくれたんじゃないか――なんて。抱く妄想のあまりの馬鹿馬鹿しさに自分で自分を殴りたくなる。
「――なあ、故郷に帰りたくはないのか?」
「え?」
口に運ぼうとしていたフォークをゆっくりと下ろし、エレナは言った。
「……そりゃ帰りたいよ、もちろん。帰ってパパとママに会いたいよ」
「そっか」
「でも一番会いたいのは……リュー君かな」
エレナの口から漏れ出たその名前にリュートは小さく息を飲んだ。出来る限りの平静を装いながら、以前から聞いてみたかった問いを口にする。
「その、リュー君ってのは、どんな男の子なんだ?」
「うーん? そうだなあ……」
顎を指先で押し上げるようにしてエレナは考え込む。
エレナの言うリュー君がもし自分なのだとしたら。
もしそうなのだとしたら―――
………だとしたら?
だとしたら、なんだというのだろうか。
単純に再会を喜ぶ、なんてことが果たして今更出来るのだろうか。離れて過ごして時間があまりにも長すぎて、リュートは再会を果たす二人の姿を思い描くことが出来ない。それにあの時を約束を守ることは、もう……
やがてエレナは指を顎から離すと、リュートを見上げて言った。
「リュー君はね、すっごく泣き虫なの」
「……は?」
意外なひとことに目を丸くする。てっきり「リュー君」とやらを褒め讃えるものと思っていた。
「転んで怪我して泣いて、先生に怒られると泣いて、大きな虫が怖くて泣いて、それでね――」
じっと見上げてくる翡翠の双眸にリュートの姿が映り込む。
「――あたしが悲しんでいると泣いちゃうの」
その口元はうっすらと微笑んでいた。
「いつも私の心配をしてくれてね、私がちょっと悲しい顔をすると何故かリュー君が泣いちゃうの。おかしいよね? 悲しいのは私なのにリュ―君の方が泣いちゃうんだよ? だから私はね、リュー君が泣かないように笑ってなくちゃいけないの」
たとえ寂しくても、大切な記憶を失くしても―――笑う。
リュートは目の前の少女がいつも笑顔でいる理由を始めて知った気がした。
自分のためではなく、想い人のために笑う。それが幸せなことなのか、リュートには判断がつかない。
しかし、僅か十歳の少女が見せる気丈さに対して驚きと尊敬を持って見つめる。
「……優しいんだな」
「うん、そうなの。リュー君は優しいんだよ」
「いや、お前がだよ」
「え? わたし? そうかなあ――」
驚いたように目を見張る。しばし考えこむように眉を顰め、やがて零れたのは、
「……私は、……優しくなんてないよ」
注意深く聞いていなければ聞き逃していたであろう細く弱弱しい声。
普段とは違う沈んだ表情、それはたった今エレナ自身が発した言葉ともどこか矛盾していて。
少女が見せる大人びた憂いの表情に、リュートは言い様のない不安を抱いた。
根拠の無い違和感に首を傾げそうになりながらも、リュートはそれらを吹き飛ばすかのようにわざと明るい声をあげた。
「で、お前はその泣き虫リュー君のどこが好きなんだよ?」
「もうっ、泣き虫リュー君って言わないで。そんな風に言って良いのは私だけなんだからっ」
「へいへい」
「……でも、どこが好き、かあ。そうだなあ――」
少年の姿を思い返すことがそれほどまでに嬉しいのか、うっすらと頬を染める。
「いっぱいあるよ? 優しいところももちろんそうだけど、面白くていっぱい笑わせてくれるところとか、さらさらの髪だとか、ハンサムなところとか、私より背が高いところとか、声が綺麗なところとか、駆けっこが早いところとか、お勉強も出来るところとか――」
「おいおい。そりゃ盛り過ぎじゃねえか?」
「そんなことないよう」
エレナの言葉を信じるならば、泣き虫な所意外、完璧超人みたいな人間が出来上がってしまうのだが。どこの物語に出てくる王子様だよ、と突っ込みたくなる。
「はいはい、もう分かったよ」
「えー、まだまだいっぱいあるんだよ?」
「もういいって。俺とは別人だってことが分かってほっとした」
「……へ? なにそれ? あははは、リュートとは全然似てないよお!」
「へ―へーそーですかー」
リュートが半眼になり、エレナがクスクスと笑う。
エレナはそのまま眉尻を下げると、泣き笑いのような顔を天井に向け、呟いた。
「……ああ、リュー君に会いたいなあ」
ポロリと零れた、恐らくは心からの願い。
「会えるさ。記憶が戻ればな」
「…………そうだね」
エレナはリュートから視線を逸らすと、ホールの中央で踊っている人々へと顔を向ける。しかし、その視線の先は、もっとずっと遠い場所へと向けられていて。
「……でも、今の生活もけっこう楽しい、かな」
「あ? 何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
エレナは首を振ると、何かに気付いたように前方を指差した。
「あ、あそこサクミ姉ちゃんだよ。凄い! 男の人いっぱい!」
エレナが示す方向を見ると、ホールのちょうど反対側にワイングラスを手にしたサクミが立っていた。
周囲を取り囲むように男達が群がっている。大きく開いた胸元をチラチラと覗き見られ、向けられている下心にサクミも当然気付いているのか、うんざりしたように、しっしっ、と手を振っている。そんな光景を驚き半分、呆れ半分でリュートは眺める。
「まあ、ああ見えて見てくれは良いからな。胸でけーし。中身は最悪だけどな」
「……ねえ、リュートもおっぱいが大きい人が好きなの?」
見ると、エレナが自分の平坦なむねを必死に押し上げようとしていた。
「は? いや、好きか嫌いかと言われたら……そりゃまあ……好きかな」
「ふーん、へーえ、そお」
何故か不機嫌そうに答える。再びフォークを握りケーキへと突き刺したエレナだが、そのまま口に持っていくのかと思いきや、フォークを抜いて、刺して、抜いて、刺して――を繰り返している。瞬く間にボロボロになっていくケーキの姿に戦慄を覚えながら、これは話題を変えた方が良さそうだ、とリュートはわざとらしく咳払いをする。
「ほ、ほら見ろよ、ジルもいるぞ」
ジルもサクミ程ではないにしろ、周囲に男達を侍らせていた。だがジルの対応はもっと露骨で、いくら話しかけられていても完全に無視を決め込んでいる。ただマイペースにケーキを口に運び続ける姿を見て、不憫な――、と男達の方に同情してしまう。
その光景を見て多少は気が紛れたのか、エレナがたった今思い出したかのように言った。
「そういえばね、わたし、リュー君との約束があるの」
「約束?」
頷き、嬉しそうに笑うエレナ―――そして、その薄く開いた唇から漏れたのは。
「リュー君がパイロットになったらね、後ろに乗せてもらうんだ」
「…………え?」
その言葉の示す意味が一瞬理解出来ず、リュートは大きく目を見開いた。
――その時だった。突然ホールの照明が落とされ、周囲が闇に閉ざされた。
「な、なんだ!?」
リュートがあげた戸惑いの声と混じるように、会場の至る所でも騒めきが起きる。一瞬の間を空けて、ホールの一角に設営されていたステージ上にスポットライトが下りた。
『紳士淑女の皆様、ようこそお越しくださいました――』
光の中、ひとり立っているのはセランだ。
先程まで戸惑いの声を上げていた招待客達も消灯が演出のためであることを察し、これから何が始まるのかと、どこか期待のこもった視線でセランを見上げる。
セランは当たり障りのない挨拶と謝辞を口にしたあと、口端を薄く吊り上げた。
『――本日は楽しんで頂けているようでなによりです。しかしここに居る皆様は雅な日々を送られている方々ばかり。恐らくは形式ばった舞踏会の趣向にも、そろそろ飽いてきた頃合いかと存じます。そこで今宵は一風変わった趣向をご用意させていただきました』
その言葉通り実際に飽きていた者も少なくなかったのだろう。会場のあちこちで大きな拍手と歓声が上がった。一瞬遅れてリュートも気付く。
(さっき言っていた「余興」ってのは、このことか――)
招待客の反応に気を良くしたセランは、大仰な仕草で手を打ち鳴らした。
『まずはコチラをご覧ください!』
セランが力強く宣言すると同時に、薄暗いホール内にもう一本の光の帯が出現する。
暗闇の中、スポットライトで照らし出されたのはリュートのすぐ隣―――エレナだった。
「へ? え? わたし?」
状況についていけず、きょとんとした表情を浮かべたままキョロキョロと周囲を見回す。
「おお、これは愛らしい」「お人形さんみたいねえ」「あの子ならこの前、街で見かけましたわ」
頭上から注がれる光の帯の中、エレナの愛くるしい容姿が一層魅力的に照り映え、会場の至る所で感嘆の溜息と称賛の声が上がった。翡翠の双眸は他の招待客が身に着けるどんな宝石類よりも澄んだ光を湛え、艶やかな金髪がライトを反射して煌いている。
『ご紹介しましょう! この麗しい少女はエレナ。わたくしの良き友人でございます』
エレナは自分が注目を浴びていることが恥ずかしいのか、頬を真っ赤に上気させたまま緊張した面持ちでお辞儀をした。
「エ、エレナです! よろしくお願いします!」
会場のあちこちから朗らかな笑い声と喝采の拍手があがる。
『はああああああ! 可愛いいいいいいいいいいいいぃぃぃぃ!』
マイクに声が拾われていることも忘れてのセランの絶叫。すぐに我に返り『し、失礼しました』と誤魔化すが、口元がにやついてしまっているのが遠目からでも良く分かる。
『――み、皆さま! 落ち着いてください!』
(いや、お前がな)
『実は……この少女はいま、大変危機的な状況におかれているのです!』
ゆっくりと間を持って放たれた言葉に、会場内がザワリと波打った。
――危機的な状況? 突然なにを言い出したのか。と、リュートは眉を顰める。
『実はエレナくんは、とある男の手によってその純潔を奪われようとしているのです!』
続いて告げられたのは、およそ社交の場には相応しくないであろう不穏な言葉。
『卑劣で陰険なとある男によって誑かされ、その身を汚されようとしている薄幸の美少女。そんな惨過ぎる行いが許されるのでしょうか! いや許されるはずがないっ!』
そうだそうだ――明らかなサクラによる合いの手に、会場の空気は意図的に操られる。
『そのエレナ嬢を歯牙にかけようとしてる悪漢とは――この男です!』
追加されるスポットライト。今度照らし出されたのは。
本人が薄々予想していた通り――リュートだった。
次の瞬間、まるで待ち構えていたかのように会場内を怒号と罵声が満たす。異様な空気感の中、セランは告げる。
『皆様、どうか落ち着いてください。――今宵、わたしくしはエレナ嬢をかけてこの男と勝負致します。そして見事、エレナ嬢を悪魔の手から救い出して見せましょう!』
気合の籠もった決意表明を受け、広大なホール内を歓声と拍手が満たしていった。先程まではサクラ達による演出だったとしても、今度は違う。セランの言葉を疑う様子もなく、この場に居る誰もが賛同の声を上げていた。
リュートは目の前で繰り広げられる光景を驚きとともに眺めていた。
セランはこのパーティの主催者であり、同時にエルサージでも有数の資産家でもある。莫大な資産は権力へと直結し、時として相当の発言力をもたらす。そんな人間の言う事なのだから無下にすることも出来ない。それは理解出来る。しかし、だとしても。
――これはあまりにもアッサリと信じ過ぎじゃないだろうか。
「こ、こいつら馬鹿なのか?」
リュートが思わず零した言葉。それを横合いから拾う者がいた。
「誰も本気になんてしてないサ。皆分かってて乗っかってるんだヨ。全てイベントの演出だと思っているからこそ、無責任に楽しめるのサ」
「二人共……」
声のした方に顔を向けると、すぐ横にはいつのまにかサクミとジルの二人が立っていた。
「……でも、やられましたねえ」
「やられたって、何がだよ?」
「演出の一環だとしても、この勝負で勝った方がエレナを手に入れる、という事実は皆の知るところとなりました。ここに居る全員が証人です。エレナに手を出す素振りがあれば適当に誤魔化して逃げれば良いと思ってましたが、これはちょっと面倒くせえですねえ」
両手に持ったケーキ皿が落ちないように気を付けながら、ジルが大きく肩を落とす。
「仮に勝負に負けたとして、エレナを渡さなかったりしたら大ブーイングですよう。これは最低でも一回は……いや一週間ぐらいはエレナを渡すことを覚悟しないといけないかも」
「はあ!? ブーイングなんて気にすることねえだろ!?」
リュートの反論に、ヤレヤレと言った様子で首を振る。
「末弟君は本当にお馬鹿ですねえ。ただの一般人ならまだしも、ここにいるのは誰もがそれなりに金と権力を持っている人間ですよ? 貴族様ってのは、何かと手前勝手な正義を振りかざしたがりますからね。決闘の約束を反故にしたら、筋違いな報復や嫌がらせはもちろん、強引にエレナを奪おうとする輩も現れないとは限らねえですよ?」
「そんな……」
あまりの理不尽さに思わず周囲を見回すが、向けられる視線は一様に熱気と狂気を孕んでいて。想っていたよりも状況が切迫していることを悟り、リュートは絶句する。
「リュート……」
エレナも幼い頭なりに理解したのか、どこか不安げな表情を浮かべてリュートの服の裾を掴んでくる。
『では、肝心の勝負の方法ですが――』
セランが指を鳴らすと同時にホールの扉が勢いよく開き、運搬用カートに乗せられた巨大な装置が運ばれてきた。
スーツ姿のスタッフが数人掛かりで運んでいるそれをひとことで言い表すなら、鋼鉄製の巨大な棺桶。それが二台。
一見して医療用カプセルのようにも思えるその外観に、リュートは息を飲んだ。
「あれは、まさか……」
装置は招待客達の好奇の視線を受けながら壇上まで運ばれ、舞台の上手と下手にそれぞれ分けて設置された。セランが装置を誇るかのように手を掲げる。
『これは仮想空間フライトシミュレーター! REM-I型029R! 現時点で世代最高と称される、最新型のFTSです!』
予想した通りの言葉に、リュートは憎々し気に壇上を見やる。
『わたくしとそこの悪漢、それぞれがこの中に入り――』
わざともったいぶるような間をあけ、セランの口端が歪に吊り上がった。
『仮想の空で一騎打ちをします!』
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――!
会場を揺るがす程の歓声。一騎打ちという響きに興奮したのか、誰もが手を叩き、頬を上気させている。リュート達四人だけが会場の雰囲気から取り残されていた。
「ふらいとしみゅれーたー……って、リュートがいつも遊んでいるやつだよね? やった! それならリュート得意じゃん!」
エレナが笑顔を向ける先で、リュートは顔色を蒼白に染めていた。
「……リュート?」
立会人を気取る客達の視線が、期待すらを込めリュートと舞台の間を何度も行き交う。
『さあ、この勝負――受けてくれるね?』
壇上から投げかけられた言葉に、リュートは引きつった笑みを浮かべた。
「……断るって選択肢は元々ねーんだろーが!」
セランは満足そうに頷くと、うやうやしく舞台上を指し示した。
『では、こちらへ』
見物人の壁がリュートの行く道筋を示すように左右に割れていく。突き刺さるような視線を身体中に浴びながらその中を進み、リュートは舞台上へと上がった。
「設定をいじったりはしてないから安心したまえ。イカサマは僕の主義に反するからね」
にやにやと語りかけてくるセランに、しかしリュートからの返事は無い。
無視されたと受け取ったのか、セランは機嫌を損ねたように鼻を鳴らし、片方のシュミレーターへと去っていく。この時、リュートにセランを無視する意図は無かった。ただ、その言葉そのものを聞いていなかった。リュートの意識は目の前に鎮座するFTSに注がれていて、その瞳は細かく震え、額には夥しい程の汗の粒が浮かび上がっていた。
遠目で弟の表情を眺め、サクミは手にしていたグラスを不安げに揺らした。
「――まずいナ、こりゃ」
「ですねえ」
黒髪をかくサクミと天を仰ぐジル。エレナは「なにがまずい」のかを理解出来ず、首を捻るばかりだ。
「なんで? リュートはあのゲーム上手なんでしょ? もしかして、あのセランって人もすっごく上手なの?」
エレナの問いかけを受けて、サクミがゆっくりと首を振る。
「いいや。リュートは強い。本気を出せばリュートに勝てる奴なんてそういないだろうナ」
「じゃあ、なんで……?」
その問いに複雑な表情で応え、サクミはFTSの前で立ち尽くしているリュートを見つめた。
「本気を出せれば、な……」
招待客達からの無遠慮な視線と罵倒をその身に受けながら、リュートはゆっくりとFTSのドアを開け、内部のシートに身体を横たわらせた。
四方を特殊な電子スクリーンが取り囲む、全方位映像照射型VRシミュレーター。
最新型と言っても操作パネル周辺の構造は既存のものとそれ程の差がなく、FTSに慣れているリュートであれば、マニュアルなどを見なくても操縦に必要な操作はほぼ把握することが出来るぐらいだ。
しかし―――
リュートは震えている右手を憎々し気に見つめた。
「――くそっ」
リュートとセラン。それぞれが入ったFTSのドアが外から閉じられ、舞台天井から下りてきた巨大なスクリーンには、鮮やかな青空が映し出された。
無限に広がる蒼穹の世界の只中に、二機の空戦機が忽然と姿を現す。
『アキレス』の名で呼称される純高速戦闘用空戦機。ナスル皇国軍に実戦配備されている最新鋭戦闘機だ。
ふたつの機体は大きさ、形状、武装までが全く同じで、異なっているのは本体のカラーリングだけ。
リュートの機体が暗く陰鬱なブラックであるのに対して、サランの方は清廉さを体現したようなピュアホワイトだ。
これから繰り広げられるであろう激戦の予感に震えているのか、それとも下劣な悪漢相手に全く平等の条件で勝負をしようというセランの公明正大さを讃えるためか、ホール内には歓声がこだまし続けている。
その歓声に混じって、スクリーンに表示されたカウントが減少を始めた。
途端に静まりかえっていく会場。
そして―――カウントがゼロを刻む。
「リュート! いっけえええええええー!」
エレナの声援をゴングの代わりにして、勝負の火蓋は切って落とされた。




