ユリディッシュクランにて
夏を感じさせる強い日差しが翳り始め、街中を流れる風にも涼やかさが混じり出した頃。
いくつかの商店を回って買出しの大半を終えたリュートとエレナは、エルサージでもっとも人通りの多いエリアを並んで歩いていた。
「フンフンフーン♪、フンフンフーン♪」
上機嫌な鼻歌を鳴らし、軽やかな足取りでタイル敷きの歩道を進んでいくエレナ。その胸に大事そうに抱えているのは、先程立ち寄った菓子店で購入したケーキの箱だ。
もともと頼まれていたのはジルの分だけだったのだが、宝石のように煌びやかなケーキを前に瞳を輝かせるエレナを見て、リュートは結局全員分のケーキを買うことにした。
想定外の出費ではあったが、「えへへー」と表情を綻ばせるエレナを横目に眺めながら、姉達も多めにみてくれるだろうと目を細める。
「リュート、ありがと! とっても嬉しいっ!」
何度かになるか分からない感謝の言葉に「はいはい」とだけ答え、街並みを進む。
やがて次の目的地が視界の先に見えてくる。
「うはあ、大きいねえ」
カラフルな懸垂幕がいくつも踊る派手派手しい外観と、まるでどこぞの王宮のような豪奢な威容。周囲の商店を威圧するかのように聳える建造物は遠方からでも容易く目に留まる。その店でサクミに頼まれた酒類を買うことが本日最後のミッションだ。
酒類専門店『ユリディッシュクラン』―――サラウム地方に数々のチェーン店を持つ老舗の巨大酒店。
エルサージにあるのはその支店に過ぎないが、それでも他の酒店とは一線を画す品ぞろえを誇っている。
入り口の扉を開けると、絢爛豪華なエントランスが二人を出迎えた。その先に広がる仕切りがない広大な陳列スペースには、多様な銘柄の酒瓶が置かれた商品棚が所狭しと並んでいる。
店内を彩る調度類を物珍し気に見回していたエレナに、リュートは言い聞かせる。
「エレナ、先に言っておくが、この店の酒は高いものばかりなんだ」
「うん、それで?」
「くれぐれも走りまわったり、ぶつかったりして、酒瓶を割ったりしないでくれよ?」
「もう、そんなことしないよう。ちゃんと分かってるから安心して!」
そんなことを話しながら陳列スペースへと足を踏み入れた瞬間。
「うわああああああああい☆ (ダダダダダダダダダ――!)」
「全然分かってねえじゃねえか!」
広い店内と高い天井に感激したのか、ケーキ箱を置いて全力疾走していくエレナ。
――何故に子供という生物は意味もなく広い店内を走り回ろうとするのか。
「ったく、頼むぞほんとに……」
割と本気で心配をしながら、さっさと買い物を済ませて帰ろうと決める。
以前にも長女の依頼で何度か買出しに来たことがあったため、探していた銘柄はすんなりと見つかった。会計を手早く済ませ、いなくなったエレナを探そうと店内を見回す。
「――おや? 貧乏人がこんなところになんの用かな?」
不意に横合いから聞こえてきたのは、どこか癇にさわる響きをした甲高い声だった。頭に浮かんでしまう心当たりにうんざりしながら、声のした方へと顔を向け、
「……お客様に向かって貧乏人とはずいぶんな言い草じゃねえか――セラン?」
と、せいいっぱいの皮肉を込めて言い返す。
目の前に立っていたのはヒョロリとした印象の長身の青年だった。年齢はリュートよりもわずかに上、神経質そうな細面に、たっぷりの油で後ろへと撫でつけられた髪。底意地の悪そうな笑みをリュートへと向けている。
セラン・ユリディッシュ。父親が『ユリディッシュクラン』の総取締役であることもあり、若くしてこのエルサージ支店の支店長を任されている若手実業家だ。
リュート達姉弟がこの街に住み着いて以来、数年来のつきあいとなっている。だが、それが友好的なつきあいかと問われれば……リュートは迷うことなくNOと答えるだろう。
「君が客だって? ……ふん、まあ確かに今日はうちの商品を買ってくれてはいるようだね。それよりもジルくんは一緒じゃないのかい?」
「ああ。今日は俺だけだよ」
「はあ。それは本当に、ほんっとーに残念だ! 麗しの君に会えるかと思ったのに、よりにもよって居るのが……君みたいな貧乏人だけとはね」
「相変わらず姉貴と俺とじゃ、あからさまに扱いを変えやがるな」
セランは鼻を鳴らすと、何を当たりまえのことを、とばかりにせせら笑う。
「サクミくんはうちのお得意様だし、ジルくんは遠くから愛でるだけでも僕のこころを満たしてくれる。酒を飲むわけでもなく金を持ってるわけでもない君みたいな貧乏人は、僕にとってなんの価値も無いからね。手に持っているその酒だってサクミくんのものだろう?」
「そこまでハッキリ言われるといっそ清々しいぜ……。まあ安心しろよ。ちょうど用事も終わったことだし、人探しが終わったらさっさと出て行ってやるよ」
投げ捨てるようにそう告げながら――、不意にリュートは、セランの背後に見知らぬ男が立っていることに気が付いた。人探しという言葉を聞いて怪訝そうな表情を浮かべるセランに隠れるように、所在無さげに佇んでいる。
(通りすがりの客……いや、セランの知り合いか? でも、それにしては格好が……)
男が身に着けているカーキ色のトレンチコートはひどく薄汚れていてみすぼらしく、高そうなスーツをカッチリと着こなすセランとの2ショットはどこか違和感を感じさせる。
顔立ちは整っているのだが、無精ひげや顔色の悪さのせいでいまいち年齢がハッキリとしない。恐らくはサクミと同い年ぐらいか、とリュートは推測する。
男は苦笑するような笑みを浮かべると、セランへと顔を寄せた。
「……あの、セランさん。僕はそろそろ……また何か分かったらお願いしますね……」
「ああ分かったよ。きちんと代価をもらえるなら協力はするさ。いやあ悪かったね、どこかの貧乏人のせいで、話が途切れてしまった」
声をかけて来たのはお前だろうが――と内心で毒づきながら、リュートもこの場から立ち去ろうと歩み出す。入口へと向かう男と、エレナを探す為に店の奥へ進むリュート。お互いに軽い会釈だけを交わし合い、そのまますれ違う――と、その時。
「とおりゃあああああああああああ!」
「おわあ!?」
絶叫と共に背後から突撃を受け、リュートは手にしていたケーキ箱と酒瓶を取り落としそうになった。
なんとか持ち堪えて振り返ると、腰に喜々としてしがみついているのはエレナだ。
広い店内を思うままに駆け巡って満足したのか、瞳をらんらんと輝かせ、鼻をふんふんと鳴らし、さらにはお尻までをふりふりと揺らしている。
「……ったく、見つけたぞ。もう買い物は終わりだ。帰るぞ」
「はーいっ!」
手を上げて元気よく返事を返すエレナに苦笑を浮かべ……不意にリュートは気付く。
すれ違い、そのまま去っていくはずだった男。その男が足を止め振り返り、リュートとエレナのことを見ていた。
その瞳がまるで驚愕するかのように大きく見開かれている。
「あの、なにか――?」
不審に思ったリュートがそう言葉を続けようとした瞬間――
「びびびびびび貧乏人っ! そ、その少女は誰なんだい!?」
「な、なんだよいきなり!」
唐突に詰め寄ってきたセランに視界を塞がれ、リュートは目を白黒させる。
「ほえ? わたし? ――わたし、エレナだよ。よろしくね!」
満面の笑みで自己紹介をするエレナ。
セランのあげる声が一段と大きくなった。
「くはあああああああああああああああああああああっ!」
「お、おい、どうしたセラン!? 大丈夫か!?」
「……て……、だ……」
「はあ?」
「天使だあああああああああああああああああああああああああああああ!」
いきなりの大声にエレナがびくりと身体を震わせた。セランは興奮したように頬を上気させ、まるで謳いあげるかように言葉を紡ぎ出す。
「どんな宝石よりも美しく澄んだ瞳。神話における禁断の果実を思わせる瑞々しい唇。眩く輝く御髪はまるで後光を背負っているかのようだ。そして何より、少女特有の柔らかそうなマシュマロほっぺええええ! まさに理想! まさに天使様だあああああ!」
完全にマイワールドへのトリップをキメながら、セランは恍惚の表情すら浮かべる。
「り、理想だあ? おい本当にどうしたんだよ?」
「この子は一体、君のなんなんだい!?」
「ああ、えーと……その…………俺の親戚だよ」
「嘘をつくなっ! 君みたいな貧乏人に天使の親戚がいるわけがないだろう!」
「いや、お前言ってることが滅茶苦茶――」
「ちっくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「悔しいだけかよ!」
思わず突っ込みながらも、胸中に湧きあがるひとつの疑惑。拭いようのない不安と戦慄を感じながら、思い切って聞いてみる。
「お、お前ひょっとして……え? そうなの? そういった趣味の人なの?」
「何がだい?」
「だから小さい女の子が好きとか…………つーか、ぶっちゃけロリコンなの?」
「何を馬鹿なことを! まったく貧乏人は礼儀というもの知らないな!」
「そ、そうか、悪い。いや、違うならいい――」
「大好きに決まってるだろう!」
「そうなのかよ!」
何故か胸を張って宣言するセラン。
いや、実を言えば前々から怪しいなとは思っていたのだ。女性全般に対して好意的な態度を取るセランだが、中でもジルに対してだけ異様な執着を見せたりするのだ。スタイル抜群で派手な容姿を持つサクミではなく、小柄で幼児体形のジルに対して、だ。
「エレナくんか……なんて愛らしく甘美な響きの名前なんだ。これほどまでに美しい名前がこの世に存在するなんて……世界はいまだ驚きに満ち満ちているね」
「いや、わりと普通にある名前だと思うが」
セランの感動ポイントが分からず首を捻る。と、その時になってようやく先程のトレンチコートの男がいつのまにか姿を消していることに気が付いた。
エレナを見て驚いていたようにも一瞬見えたが、そのまま姿を消したということは、ただの気のせいだったのかもしれない。
それよりも――とリュートは目の前で鼻息を荒くする変態を半眼で睨む。
「こうして僕らが出会えたのはまさに僥倖! 天啓ともいうべき奇跡! ……いいや違う! そんな曖昧な言葉じゃ相応しくない。二人の出会いは必然であり運命だったに違いない! ああ、そうだ、そうだとも! そう思うよね? うんうんその通りだ!」
「ねえ、リュート。わたし、このお兄ちゃんが何を言ってるのか分からない」
「安心しろ。俺もだ」
「そうだ! この神に祝福された出会いを記念して、何か贈り物をさせてもらえないだろうか! しかし、あいにくうちには未成年禁止のものしか置いていないし………あ!」
セランは何か閃いたかのように手を打つと、懐からひとつの封筒を取り出した。
「今週末に僕の屋敷でダンスパーティを開くんだよ。その場へ君を招待しよう! これは招待状だ。ぜひ遊びに来てくれないかな!」
にこやかに笑い封筒をエレナへと指す出すセラン。
「お、おいセラン、何を勝手に話を進めて――」
完全に置いてきぼりを食っているリュートをさらに無視し、セランは言葉を重ねる。
「どうかなエレナくん?」
「えー、やだ」
「ケーキもいっぱいあるよ」
「いく!」
「チョロ過ぎるだろ!」
リュートが持つケーキ箱を目ざとく見つけたセランの一言に、エレナは瞳を輝かせる。
封筒を渡しながらも、隙を見てエレナの身体に触れようとするセランに危険なものを感じ、リュートは早くこの場を去った方が良いと判断した。
「おおっともうこんな時間か! じゃ、じゃあなセラン。俺達急いでるから!」
「え? リュート。急にどうしたの――」
エレナの言葉を遮り、その白く華奢な腕を掴んで強引に引っ張る。
「エレナくん、待ってるからねええええええええ――!」
そう声をはり上げるセランだけを残し、二人は足早にその場から立ち去った。




