6皿目 炒 飯 我慢する公爵令嬢
「私の家は公爵家よ。賃金も今とは格別で待遇するわ」
公爵令嬢はそういうと手袋をはめた右の手のひらをぺたりを黒髪執事の胸に当て撫でる。
ボディタッチ。 軽い色仕掛けである。
王城での勧誘は最近少なくない。しかし、正しい執事であるならば、主への忠心が金銭や色仕掛けなどに揺らぐことなどはなく、当然返事はNOなのだ。
「申し訳ありません。そういったお話をお受けすることは出来かねます」
胸に当てられた手を外し、端正な貌を横に振る。
「へ、へぇー? そう? 執事のくせにっ!」
使用人風情が公爵家の誘いを断るなど生意気なのである。
「申し訳ありません」
「あまり女性に恥をかかせるものじゃなくてよ?」
公爵令嬢はぷりぷりと頬を膨らませ、誘いに乗らない執事への苛立ちを伝える。
「お戯れを。私目はバランシュタインの執事にございます。どうかご容赦くださいますようお願い申し上げます」
明確な己の立場の認識を伝え、許しを請う。
「それなら、宮廷で噂のお料理、私に作ってくださるかしら? 前々から興味がありましたの。私、戯れていたらお腹が少し空きましてよ!」
∽ ∽ ∽
それから何度目かの登城をしたその日
「や、やっと見つけましたわ!」
ふんだんにレースのあしらわれたすその長いドレスを引き摺り、ととと、と駆ける公爵令嬢。
「ご機嫌よう! いつお会いできるか分からないから、ずっと待ちわびておりましてよ! もう、何週間もあれを我慢していますわ!」
金色の巻き髪ををふりふりと、甘い香水の香りを振りまいて挨拶をする公爵令嬢。
「クロエ様もご機嫌うるわしく。ご無沙汰しており真に申し訳ありません。では、よろしければ今からご用意させていただきます」
「よ、よろしくてよっ!」
両手を腰に当て、公爵令嬢を久々にありつける好物の味を思い浮かべ、心の中で舌なめずりをするのである。
「お待たせいたしました。炒飯です」
宮廷の一室に運び込まれたワゴンから取り出された料理が給仕される。
「ま、待っていましたわ。ちょっと時間がかかったのではなくて?」
そわそわと扇いでいた扇子をぱちりと閉じる。一体この瞬間をどれだけ待ちわびたことか。
目の前に置かれた炒飯からふわりと漂う香りに、公爵令嬢は両の手を合わせ期待に胸を膨らませた。
「……いただきます!」
求めて止まなかった料理が今、眼の前にある……もう我慢出来ないとばかりに、スプーンにしゅばりと手を伸ばすと一口にすくい口に運ぶ。
「お、美味しすぎますわっ!」
もにもにと噛みしめていた炒飯を飲み込むと、公爵令嬢の顔がぱぁと輝く。
塩と胡椒で味つけされた、刻まれたスプリング・オニーオと煮込んだ豚の肉。強火で炒められ、溶いた卵の黄色の衣を纏ったぱらぱらのライス。シンプルではあるが、そのどれもが互いの味を引き出しあい、筆舌に尽くし難い美味に昇華しているのだ。
かすかではあるが感じ取れる。知らない調味料の香りも食欲を刺激する。
レシピを執事から教わり邸で作らせても、似た料理は出て来てもまるで別物なのである。やはりこの執事はおかしい。恐らく尋常の料理の腕前ではないのだ。父が目の色を変ええてこの執事を抱え込もうとするのも頷ける。
こんな使用人風情が、普段己が食している馳走よりも段違いに美味な食事を饗するのである。
自分は公爵家の令嬢ではなかったのか。そんな疑念すら浮かんでしまうほどの魔性の味わいなのだ。
「もうっ、使用人のくせにっ! 使用人のくせにぃっ!」
一度火の点いてしまった食欲という名の列車は止まらない。ぐぬぬとばかりに、公爵令嬢はかつかつとかき込むようにスプーンを口に運ばせ皿の中が空いていく。
「ご馳走様。とっても美味しかったですわ!」
口の端についたライスの粒を取ると、ふうと香ばしい息を吐き、満足そうに目を閉じて腕を組む。
「相も変わらず、恐ろしいまでの料理の腕前……」
「まったく、私がメイドだったら抱かれているところですわ」
最近、公爵令嬢の中で流行っている冗談を内包した賛辞である。
「ありがとうございます。クロエ様」
執事もまた、公爵令嬢が満足したことに喜びと幸せを感じるのであった。