5皿目 牛肉のワイン煮 鴉色の魔術乙女
「今日はお嬢様のご友人がいらっしゃるらしいね?」
館の中庭でメイド達が洗濯をしている。紫色の髪のメイドは肩まで伸びる髪をゆらし、しゃがみ込んで桶に溜めた水で衣類を洗っている。
「レンゲに炎の魔法……教えに来る人……」
茜色の髪を後ろで一本の太い三つ編みにした背の低いメイドが紫髪のメイドから受け取った洗い物を水桶でゆすいで絞り、水気をきる。
「あれからあいつ、毎日料理当番をすることになったもんなぁ」
栗色の髪を頭の後ろで馬の尻尾のようにまとめた背の高いメイドが、洗濯物を物干しにかけてゆく。
「毎日うまいものが食べれるからあたしは嬉しいけど」
洗濯物と栗色の髪がパタパタと風になびく。レンゲは主人の命令で毎日料理を担当することになったのだ。
「ところで二人とも、今日のお昼だったら何が食べたい?」
尋ねる紫髪に、メイド一同、己の好きな料理が頭を廻る。
「マーボーナス」
「エビチリ」
「スブタ」
カランカラン!
ドアベルが鳴る。玄関先から続く紐が館の入り口広間のベルへと繋がっているのだ。
玄関扉の取っ手に付いた紐を引くと室内のこれが鳴り、執事やメイドが来客の対応をする。
「ようこそ、お待ちしておりましたアンネッタ様。こちらへどうぞ。」
黒髪の端正な貌の執事が扉を開け、来客をもてなす。
「……うん……」
フレアーのたっぷりはいった黒のスカートに、美しく長い黒髪のこの客人はアンネッタ=アントニエッタ。王都の外れで物書きをしている魔術師である。そして館の主リィリエの魔法学院時代の級友でもあった。
執事に案内され、広間を抜けて主の待つ客室に通される。
「よく来たわね。アンネッタ」
「……来た……」
館の主が旧友の手をにぎり歓迎する。
「わたしが炎の魔法が苦手なばかりに、弟子への教授を頼んでしまって悪いわね」
「……いい……わたしも……好きで来てる……」
少し俯き、そして少し嬉しそうに言うアンネッタ。
炎魔法の教示を弟子に乞われたが、あまり得意ではなかったリィリエは、旧知の間柄で炎魔法に長けたアンネッタに弟子への指導を頼んだのである。
「そろそろ昼食のお時間です。アンネッタ様、なにかお召し上がりになりたい料理はございますか?」
整った風貌に整った言葉で執事は客人の希望を伺う。
「……牛肉のワイン煮……牛肉のワイン煮を所望する……」
両面を軽く焼いた牛のすね肉を、トマトと蜂蜜、ワインとショーユで煮込んだこの煮込み料理は、レンゲに魔法を教授する為に館を訪れたアンネッタが初めて食し、以来味の虜となった料理である。
館の者はアンネッタの狙いの一つがこの料理であることが周知であり、今日もすでに料理は煮込まれ用意されていたのだ。
「かしこまりました。少々お待ちください」
白い手袋をはめた手を胸に当て一礼する執事に、満足そうに頷くアンネッタ。
「……うん……」
「毎度毎度、よく飽きないわね。まぁ、美味しいけど……」
呆れたような顔で言うリィリエだが旧友の嬉しそうな様子に悪い気はしていない。
「……牛肉のワイン煮は……至高……それは……私の中では揺るがない真実……」
廊下をカラカラとキッチンワゴンを転がす音が聞こえると、待っていたとばかりにアンネッタの腹の虫がきゅうと鳴り、恥ずかしそうに黒い前髪を指でくるくると弄った。
「おまたせ致しました。牛肉のワイン煮です」
客人から主と執事は給仕の皿を配膳してゆく。
「……いただく……」
行儀良く膝の上に乗せていた手でナイフとフォークを握ると、アンネッタは料理を一口に切り分け口へと運ぶ。
(――~~っっ!)
(やはり、何度食べても美味しい)
とろけるほど煮込まれた牛のすねは、ワインとトマトの風味と相まって天使のように味惑の彼方へとアンネッタを誘う。
「……ふぅ……ふぅ……」
何度も息を吹きかけ、まだ熱い料理の熱を冷まして食す。
「……熱ぃ……でも、美味し……」
愛おしそうに口の中で熱いそれを転がし、ほぐほぐと幸せそうに噛みしめるのだった。
「あふいへど、ほれがいいはね」
主リィリエもまた、熱い煮込み料理を愉しんでいた。
「なかなか……ね。毎日こんな美味しいものばっか食べさせて、わたしを太らせようとでもいうのかしら? 最悪な執事だわ……女の敵ね」
毎日作るように命じたのはリィリエなのではあるが、最近つまめるようになった脇腹の肉をいまいましく思うのであった。
しかしそれでも、もぎゅもぎゅとした咀嚼は止められない。これは魔性の美味なのである。
口角の端についたソースをペロリと舐めると、アンネッタは両手を行儀良く膝の上に乗せ、気恥ずかしそうに執事を呼ぶ。
「……おかわりを……所望する……」
食べ過ぎると午後の魔法の教授に差し支えるのだが、少しくらいならば良いだろう。普段は食せないこの味にアンネッタもまた抗えないのである。
食後にお茶を淹れた休憩の後、アンネッタによる魔術の教授が中庭で行われた。
「……落とした火力を……今度は……維持……」
「はい。アンネッタ様」
ボボボと突き出した手のひらから噴き出す炎。しかし、レンゲが火力を下げると炎は消えてしまう。
「……大丈夫……筋はいい……もう一回……」
そう言って嬉しそうに、少し恥ずかしそうに執事を指導するアンネッタの目線は、師というよりも恋をする乙女のそれであった。
レンゲが炎を燃やすその横で、アンネッタは密かに恋の炎を燃やしていたのである。
傍から見ると非常に分かりやすく、館の使用人も主も気づいている所ではあるのだが、そんな乙女の情念にも、この仕事一辺倒の執事はあまりに鈍く、気づく気配はなかった。
しかしアンネッタはけして本人に打ち明けることはないだろう。
本人はそれで満足しているし、なにより、恋も魔力も秘めるものなのだから。