45皿目 番外 フレンチトースト 魔族の娘が偽善を貫いた果てに救世の天使として祀られるお話し ―恥ずかしいので、影ちゅっちゅは止めてください!―
個人的な事情で更新が遅れてしまいました。
書いてて楽しい愉快な番外シリーズ。
「天使様! 石のお姿となられて尚、我々人間の為に奇跡を起こしてくださるのですか!」
「己が身を挺して人を救う! これぞ我らの信仰の証! なんと慈悲深きお姿!」
「天使様! いや、女神様だ! そうでなければこの奇跡は説明がつかない!」
美貌の神官青年達は神官帽を脱ぎ捨て、涙と鼻水でレタスのようにくしゃくしゃになった顔で跪き、私の影に何度も口づけをした。
や、止めなさい! 私の影にキスをするのを止めて!
凄く恥ずかしいわよ!
列の方を見ると、国王が王冠とローブを脱ぎ捨て、影ちゅっちゅに加わろうとしているのを臣下達が必死に取り押さえている。
人が石化したっていうのに、なんなのよそのテンション。
不機嫌そうにしつつも満更ではない私なのであった。
∽
私の名前はオフィーリア。
勇者暗殺に失敗して返り討ちに遭った魔王軍幹部の有翼魔族だ。
ぴし ぴし
ぴし ぴし
歩く度に引きずる片足がぴしぴしと不快な音を奏でる。
魔王軍の中で魔術は一番優れていた私であったが、勇者の魔法は別格だった。
逃走時に勇者にかけられた石化の魔法で片足が徐々に石化を始め、もはや満足には歩けない。
魔力抵抗が途切れる度に徐々に石化の進む身体。
どうやら、そろそろ覚悟を決めた方がよさそうである。
森の中を彷徨い歩き、辿り着いたのは天井の崩れた廃神殿。
かつて人間共が救いを求めて集った場所。
これ以上歩くのは石化した足の指先が砕けてしまいそうで危険だ。
ここなら壁があるし、いくらか雨風を凌ぐことも出来るだろう。
崩れた天井から射す月明かりの絨毯を進むと、朽ちた神殿の奥には少し開けた場所があった。かつて祭壇か何かを置いた場所だろう。
立ったまま石化が進むと倒れて粉砕する可能性がある。ここに腰を下ろすとしよう。
私は両腿を開いて安定感の増した正座をすると何処にでもいそうな女神官の姿に変身する。
陽だまりの匂いのするような明るい髪、魔族特有の透けた白い肌と神秘的な真紅の瞳、肌にぴたりと張り付いた清楚な神官服がどうしても強調してしまうスタイルの良いボディライン。
私が美しいのは仕方が無い。だが、これで廃神殿にいてもいくらかおかしくはない格好だろう。
香油の匂いもつけて清潔そうな雰囲気も出しておくか。
ふぅ これでいい
勇者との戦闘と逃亡の疲労感がどっと襲い掛かる。
まずは、眠ろう……それからだ。
z
z
z
「女の人がいるよ!」
「きれーい。きっと神官様だよ」
「わっ! 足が石になってる!」
何だか周囲が煩い。
次の日、私は子供達の声で眼を覚ました。
貌を上げると三人の子供達に囲まれている。
時刻は昼前くらいか……随分と寝むれた所為か、身体が軽い。
……いや、重い!
……!?
腰が硬くて動かない……下半身まで石化は進んでしまったようだ。
「あ、起きた!」
「神官様。おはよう!」
「おはようございます!」
……ちっ
なんて忌々しい。
動けぬ上に子供とはいえ人間に囲まれるなんて、うざったいにも程がある。
しかし、下手に刺激しない為にも、ここは旅の神官として振舞うしかない。
「……おはようございます……こんな廃神殿で何をしているのですか?」
小鳥の囀るような美しい声に、子供達は少し驚いたようだった。
「ここ、僕達の遊び場なんだ!」
「うん!」
生意気そうな茶髪の少年に、お下げの少女が相槌を打つ。
「神官様は何してるの? 何で足が石になってるの?」
黒髪の少年が質問を重ねる。
あぁ、うざったい。早く子供を追い払いたい。
「……なんでもありません……それよりも子供がこんな危ないところで遊んではいけませんよ」
「大丈夫だよ! 慣れっこだもん」
茶髪が崩れた天井の瓦礫に駆け上り片足でバランスを取ってみせる。
「夕方にはちゃんと帰るもん」という黒髪に「うん」と頷くおさげ。
……ちっ
心の中で舌打ちをする。
その時、ぐらりと身を崩した茶髪が瓦礫の上から転げ落ちた。
がらがら ごんっ! どさっ
「……ぅぅ……痛い、痛いよぉ……」
見ると茶髪の額から血が流れ出ている。
瓦礫に頭を打った際に大きく切ったのか、出血が夥しい。
「おぃ! 大丈夫か!?」
「……すごい血だよぅ!」
「……ぅぅ……」
まるで木の上の巣から落ちた雛達のようにぴぃぴぃと騒ぐ。
煩いったらありゃあしない。
やれやれ……仕方が無い。治療してやるか……
私に起きたほんの気まぐれ。たまたま起こった偶然の心変わり。
仮初の善意……戯れるような偽善。
かつての私であれば、子供達の悲鳴に合わせて歌でも唄っていたところであろう。
「……怪我をした子を、こっちに連れて来なさい」
私は落ち着いた声で子供達に向かって言った。
キョトンと顔を見合わせるも、子供達は怪我をした茶髪を私の元に運んできた。
「……うんしょ…うんしょ……」
「……よいしょ……これでいいの?」
「えぇ、そのまま動かさないで……《 再生魔法 》」
茶髪の少年に掲げた左手が緑色の光を放ち、少年の身体がキラキラと白い光の粒子に包まれる。
すると少年の額の傷がたちまち塞がり、乾いた血がぱらぱらと落ちた。
「……ぅぅん……あれ!? もう痛くない!?」
「わぁ! 怪我が治ってる!」
「すごい! ありがとう! 神官様!」
怪我が治ったことを嬉しそうに喜ぶ子供達。
「……さぁ、此処が危ないのはよく分かったでしょう? 家に帰りなさい。決して今日のことを人に話してはなりませんよ?」
「えっ! 帰るなんて嫌だよ! なんで話しちゃいけないの!?」
「今の魔法? 魔法なの!?」
「なんで足が石になってるの!?」
先程の怪我など嘘であったかったように私を囲み口々に質問を始める子供達。
……あぁ、助けてなどやるんじゃなかった。
これで大人まで連れて来られたら最悪だ。
あぁ煩い……柄にも無く治療なんてするんじゃなかった。
私はそこはかとない後悔に下唇を薄く噛んだ。
∽
「聖女様。次は目玉焼きです。口をお開けになってください」
白磁の美しい貌がやたらと近い。
長い金髪の神官の青年が、私の口に食事を供しているのだ。
あれから一週間。寡婦のようだった私に花が咲いた。
青年の手には片面のみを焼いた目玉焼きと燻製肉の乗った白い皿。
もう片方の手に持ったフォークで一口に切り分け、燻製肉と合わせて口元に差し出す。
あーーん
私は恥じらいのある乙女の様に小さく口を開けて目玉焼きを迎え入れる。
もぐ もぐ もぐ
フォークで切り分けられた片面目玉焼きは、とろりとした黄身に濡れ口の中に半熟の味わいと熱を伝える。
廃神殿で奇跡を起こし怪我を治療する聖女。
怪我をした子供の治療をして一週間。
そんな噂が瞬く間に広まって怪我人や信徒が日中私のいる廃神殿に人が訪れ、時には列を成すようになった。
子供達の口は水鳥の羽の様に軽かったのだ。
聖女……魔族なのだけれど。この際どうでもいい。
殆どの人間は魔法も奇跡もつかえないこの世界で、旅の神官とはいえ、回復魔法が使えることは相当に貴重なのだ。
噂を聞きつけて王都の方から若い神官達が私の視察を名目に派遣され、こうして私の世話を焼くようになったのだ。
私はと言うと肩まで石化が進み、私の手は祈るように組まれたまま動かない。
食事を供されたり、髪を洗われたりと派遣された神官に世話を焼かれ放題な状況だ。
人から食事を供される気恥ずかしさにはいつのまにか慣れてしまった。
「……次は……パンをください」
「はい。聖女様」
小鳥の囀るような私の美しい声に若い神官が返事をする。
青年はパンを小さな一口のサイズに切り、バターを塗った。
親鳥に餌を強請る雛の様に、私は小さな口を開き、パンを待つのだ。
神殿にはわらわらと怪我人や信者などが賑やか訪れるが、石化する前の暇つぶしにはいいだろう。
石化に抵抗するある程度の魔力さえ残せば魔法も使えるのだから。
こうして廃神殿での私の聖女ごっこは始まったのだ。
∽
「おぉ……国王様だ! なんと光栄な! 初めてお眼にかかった!」
「お前達、決して頭を上げるんじゃないよ?」
「国王様までもが聖女様を……あの信仰が試されるという噂は本当だったんだ!?」
がやがやといつにも増して煩い廃神殿。
今日は列に並ぶ怪我人、信者、その殆どの者が跪き、顔を伏せている。
私の前には幅の広い白いカイゼル髭に長く白い髪に豪奢な王冠を頂き、仕立てのとてもよさそうな赤いマントを羽織った恰幅の良い中年が跪いている。
国王である。
この国の国王ハインリヒⅣ世が肩まで石と化し、跪いて祈る石像の私の目の前に膝をついているのだ。
『廃神殿で治癒の奇跡を起こす聖女』の噂は尾鰭をつけて、ついに国王の耳にも入ってしまったのである。
曰く『天使が聖女の姿を取って軌跡を起こしている』
曰く『真の信徒のみがその奇跡に身を纏うことが許される』
曰く『天使である聖女が赦せばどんな呪いも怪我もたちどころに癒されてしまう』
すべて勝手に一人歩きした噂である。
こうしてついに、この国の王までが私の前に並ぶこととなったのだ。
説明終わり。
国王は足に古傷を負っていた。
昔落馬でもした際にでも捻ってしまったのだろう。右足を引きずり杖を突いて歩いて来た。
それは別に問題ではない《 再生魔法 》ですぐに治るだろう。
問題は、国王は呪われていたのだ。
それも複数の呪いを絡ませて、恰幅の良い身体とは裏腹に幽鬼のように青白い顔で私に向かって祈りの言葉を唱えていた。
生命を蝕む呪いに、寿命を半分にする呪い、そして不運が不運を呼ぶ呪い。
この絡み合った呪いは非常にやっかいだった。
一度の魔法で消えさる確立は低く、魔力の消費も多い。
私の全魔力と引き換えにして何度も魔法をかけても解けるかどうか。
しかし、魔力を使い切れば進行する石化に抵抗できなくなり、私は完全に石と化す。
私の魔力は後どれだけもつだろうか……
人間共の長がこうしてはるばる廃神殿までやって来て私に頭を下げているのだ。
やるだけやってみよう。
《 再生魔法 》!
《 解呪解毒魔法 》!
えぇぇぇぇい!
「足が……! わしの足が治った!!」
捻れた足が治り喜ぶ国王。しかし駄目だ、呪いは一つしか消えなかった……
もう一度《 解呪解毒魔法 》!
魔力をふり絞りながら放つ解呪魔法。
解呪魔法の魔力消費は大きく、ごっそりと私の残り魔力を奪った。
駄目か、一つも消えない。
あ、もう最後だ……後一回は唱えられるけど、もう既に石化に抵抗出来ない……
石になる……これで私の魔物の一生は終わりか……
己の最後を自覚したからなのか、走馬灯のように頭を廻る廃神殿での思い出。
生意気な茶髪のくそガキ。
やたらとお供えを並べる旅の商隊の中年。
怪我も無いのに毎日来ては花を捧げる少女。
私に食事を供す白磁の顔の金髪神官。
まったく魔族を捕まえて、誰が聖女よ? ばっかじゃないの?
勝手に人に祈ったり感謝したり……
何がありがとうございますなの?
ぴしっ ぴしぴし ぴしっ
あぁ……魔力が底を尽き……。
もうこれ無理……石化が首から上に登って来る。
………
きっとこれが最後の魔法……
列の後ろまで届くような広範囲で……
魔力で足りないなら、私の全部を……
『天使とは、美しい花を振り撒く者ではない。苦しみあえぐ者のために戦う者のことだ』
突然浮かぶ言葉……誰の言葉だっけ?
こんな最後でもいいか……私は最後に、こいつらにとっての天使となって終えよう。
……全力……全開…………
ぅぉぉぉぉ
《 解呪解毒魔法 》!
おまけだ《 再生魔法 》!
ばさっ ばさぁ
神官服の背を突き破って背中の魔族の翼が姿を現す。
昔は鴉の濡れ羽のように黒く美しかった私の翼は魔力を失い、雪の様に真っ白になっていた。
ぱらぱらと、枯葉のように羽が舞い落ちてゆく。
「聖女様から白い翼がっ!」
「違う! 天使様だ……やはり天使様だったんだよ!」
「聖経典にも載っていないお姿の天使様!?」
「きっと我らを見かねて降臨された、誰よりも優しい天使様だったんだ!」
「あぁ……なんと神々しいお姿! 我々を試されていたのですね!」
ぴしぃ ぴしぃ ぴしぃっ
頭の中が真っ白……
そうして私は翼を携え、天に祈る乙女のような姿で完全な石の像と化してしまった。
……眼の前が煩い
石になっても意識はあるのか……
これが石化というものなのか。
「おぉぉぉっ! なんということだ! 天使様が石にっ!」
「力を使い果たしてしまわれたのか!」
「天使様ぁ! 天使様ぁ!」
人間共が口々に叫ぶ。中には泣き叫ぶ者や、印を切り始める者もいる。
あぁもう、煩いわね。
仕方ないでしょ。魔力が尽きちゃったんだから。
しかし、不思議なことに魔法を唱えていないのに、列成し並ぶ人間達の傷が癒えてゆく。
勇者の石化魔法恐るべし……私が石になる瞬間に発動した魔法効果すらも石化停滞させたのか。
私の周囲に停滞する《 再生魔法 》と《 解呪解毒魔法 》は、恐らく私の石化が解けるまで、この魔法は発動したままになるのだろう。
私が石像と化しても途切れぬ回復の奇跡に、美貌の神官達は愕然とした貌で膝を落とす。
「石のお姿となられて尚、我々人間の為に奇跡を起こしてくださるのですか!」
「己が身を挺して隣人の為に尽くす! これぞ我が信仰の証! なんと慈悲深きお姿!」
「なんという奇跡! これ以上の奇跡は恐らく人類史上有り得ないでしょう!」
「天使様! いや、女神様だ! そうであればこの奇跡にも頷ける!」
美しい神官の青年達は神官帽を脱ぎ捨て、涙と鼻水でレタスのようにくしゃくしゃになった顔で跪き、私の影に何度も口づけをした。
や、止めなさい! 私の影にキスをするのを止めて!
凄く恥ずかしいわよ!
列の方を見ると、国王が王冠とローブを脱ぎ捨て、影ちゅっちゅに加わろうとしているのを臣下達が必死に止めている。
あ、国王の呪い全部解けてる……
人が石化したっていうのに、なんなのよそのテンション。
不機嫌そうにしつつも満更ではない私なのであった。
∽
それから数ヶ月が経った。
今日も神殿の中には陽の光が射して明るい。そう、明るいのだ。
昼間だというのに高価な大きい蝋燭が刺さった燭台が何本も置かれ煌々と照らし、これまた高価な分厚い硝子の天井からは明るい陽の光が差し込み神殿内を照らす。
石作りの神殿も大きく床には赤い絨毯が敷き詰められ、私を囲む四隅には聖経典に記される四体の天使を彫った柱が配置されている。
国王によって廃神殿は、立派で豪奢なデラックス神殿に建て替えられてしまったのだ。
私の前には信者達から捧げられた果物や高価な香料、葡萄酒などが並ぶ。
《 吸収魔法 》でそれらの味を愉しむことは出来るのだが、お供え物がキラキラと賑やか過ぎてなんだか落ち着かない。
「天使様、王都聖堂神殿でこの地を我らが信仰の聖地と定めることに決まりました」
長い金髪の神官が私の前で跪き、何か言っているけど、どうせろくでもないことに違いない。
「それでは、今日のお供え物を並べさせていただきます」
毎日神殿のお供え物はこの金髪が運んでくる。
もしかしたら神殿の料理担当だったりするのだろうか。
橙色の柑橘っぽい果物を搾ったジュース。大きな腸詰のスライスに、果実の乗ったヨーグルト。
そして、卵の黄身とミルクを浸して焼いたパンが乗った白い皿がことりと私の前に置かれる。
懐かしい朝ごはんのような朝のお供え。
フレンチトースト♪ 分かってるじゃない!
こういうのでいいのよ。こういうので。
しかし、喜ぶのもつかの間……
「それでは、天使様……失礼致します」
金髪神官は甘い香りを漂わせる陶器の入れ物を取り出し……
だばあぁぁぁぁぁぁぁぁ
黄色い卵色のフレンチトーストの上に有り得ない量の茶色い蜜がぶっ掛けられる。
「天使様。これは北の大陸で取れる貴重な樹液の蜜です」
ば、ばっかじゃないの!
蜜かけ過ぎ! 蜜漬けになってるわよ。
それでも、まぁ、フレトー好きだし? 食べるけどね。
《 吸収魔法 》
あっま! 何これ! 蜜の味以外分からない。
適量って知らないの? 本当、喋れたらいいのにっ!
口直しに橙色の飲み物を《 吸収魔法 》で吸う。
ふぅ やっぱり果物のジュースは絞りたてが一番ね。
おや? 神官見習いの少年達が足早に入り口の大扉に……。
ぎいぃぃ
神殿の入り口の大扉が開かれる音が聞こえる。
外で列成し並ぶ、怪我人や信者達がずらずらと私の前に進んでくる。
もうこんな時間? 仕方ないわね。
列の一人目は、腕に添え木をした少年。
木から落ちたのかしら……えい、《 再生魔法 》!
「凄い! う、腕が治った! 天使様! ありがとうございます!」
少年は腕をぶんぶんと振りながら嬉しそうに帰って行った。
お供え物の《 吸収魔法 》で私の魔力は少し回復している。
本当は私に近づくだけで怪我は治るのだけど、魔力が尽きるまではちゃんと魔法をかけてあげるのだ。
こうして私の天使のお仕事は始まるのである。
∽
月明かりが煌々と私を照らすある日の晩。片目が髪で隠れた神官の青年が私の前に跪き、懺悔を始めた。
「天使様、どうか懺悔をさせてください……」
石像の私は物を言わない。青年は手を組み、私に懺悔を続けた。
「私は石に変わりゆく天使様を見た時、不謹慎にもそのお姿を美しいと感じてしまったのです。そして不敬にも、人の身でありながら天使様に恋心を抱いてしまったのです」
愛の告白染みた懺悔。石に変わる私が美しいなんて、変わった感性ね。
ん? 私魔物だよ?
駄目よ? 聖職者が魔物に恋なんてしちゃ。
これが普通の神殿の懺悔であれば、隣の部屋、敷居の向こうから「許します」などと声が聞こえてくるのだが、喋れぬ私の場合そうもいかない。
恐らくそれは青年もよく分かっているだろう。
青年は無言で懐から尻尾の分かれた細い皮の鞭を取り出し、衣類を脱いで白磁の滑らかな上半身を露にした。
細くはあるが、慎ましい生活の中で引き締った良い肉体だ。
ぱしーん ぱしーん ぱしーん
青年は細い皮の鞭を己の背に何度も勢い良く打ち据える。
懺悔を許されぬものとし、己を鞭打つことで、その苦痛と信仰に身を捧げ、己の乱れた心を律しているのだ。
自分に厳しい子なのね。
「――……っ」
ぱしーん ぱしーん ぱしーん
青年の雪の様に真白い背が鞭打たれ、皮が破れ、血を流す。
ぴっ、と飛んだ血が私の頬にかかったが、青年は気がつかず一心不乱に鞭で己を叱りつけた。
飛んだ血の飛沫が私の肌に吸い込まれる。
あ、魔力が少し回復した♪ 神官の血でも回復するんだ?
しかしいくら青年が鞭打つも、私の垂れ流しの《 再生魔法 》の所為で瞬く間に傷ついた部分がが再生、回復してしまう。
私の前ではたとえ手足が飛ぶような大怪我でもたちどころに治ってしまうだろう。鞭打ち程度ではかすり傷にも等しい。
「お、おぉぉぉぉぉっ!? 天使様はこんな私をもお赦しになるというのですかっ!」
ぼたぼたと大粒の涙を落とし、片眼の隠れた青年が膝から崩れ落ちる。
「なんという慈悲っ! 血も痛みすらも無くっ! 全てをお赦しになられるのですかっ!」
見た目はクールそうなのになかなか暑苦しい奴ね。
物言わず手を組み、天を仰ぎ見る石像の私はやはり何も言わない。
「い、祈りをっ! 私の全ての信仰をっ!」
青年は手早く服を着込んで立ち上がると、両手を広げて勢い良く床に倒れこんだ。
ばあぁぁぁぁん!
頂礼だ。
己が五体、頭を地につけ私の足元を拝する最上級の拝礼。
私に全てを捧げるという信仰の姿勢。五体投地。
ばあぁぁぁぁん!
繰り返される頂礼。
容姿端麗で色白な青年が私に全てを捧げるというのだ。悪い気はしない。頂礼で倒れついた傷は魔法で癒える。
しかし、倒れる瞬間にはしっかりと傷みはあるのだ。
こんなに熱心に身を捧げられては仕方がない……私は範囲内の味方認識の対象を護る防御魔法を発動した。
《 障壁魔法 》
不可視の障壁が青年の身体を包んだ。
ばあぁぁぁぁぁん!
しかし、頂礼しながら必死に祈りを捧げる青年は気がつかない。
あ、やっぱり《 障壁魔法 》も勇者の石化魔法で固まり、空間に張り付いてる。
なんだかファムファタルな気分になるわね。
まぁ、何でもいいわ。頂礼は程ほどにね。
それからというもの。この片目が髪で隠れた青年は毎晩私の前で懺悔や祈りを捧げ、己を鞭打っては頂礼をするようになった。
懺悔と言っても、隣の神官のおやつのケーキが自分のより大きく見えて羨ましいと思ったとか、そんな感じの可愛いものなのだけれど懺悔の内容は人それぞれ自由だ。
この青年のお陰で、割と夜のこの時間は退屈しなくなった。
∽
ある雨の日の夜。
月光を浴びて硝子の天窓を打つ雨が、硝子絵に水が伝うかのごとくに綺麗で見蕩れていた。
ざあぁぁぁぁ ざあぁぁぁぁ
いつ止むとも言えぬ地雨が、まるで根気強い掃除屋のように神殿を洗う。
そんな深い雨の音に紛れて神殿の入り口の扉が開いた。
ぎぃぃぃぃ
二枚の樫の大扉の片側を両手で押し開き、闇に口を開けた入り口から見慣れた神官が入ってきた。
王都から派遣され、この神殿の切り盛りをしている四人の神官青年の一人、茶髪のゆるふわだ。
雨に濡れたフード付きの黒い外套を入り口で脱ぎ捨て、ゆるふわの髪と白磁の貌に雨水を滴らせながら、私の前に歩み寄った。
神殿の燭台に照らされたその顔には、いつものような柔らかな笑顔は無く。まるで感情の無い白い面が貼り付いたかのようだった。
この子に限っては、青年と言うよりも少年なのだが、他の神官達と違い今日のように朝早く出かけて夜遅くに帰ってくることがある。
多分、このゆるふわだけに与えられている業務か何かなのだろう。
やがて私の前に跪いて祈り始めるゆるふわ。
少年の小さな唇が、小さな音で聞き慣れた祈りの言葉を紡ぐ。
そんなたまにある夜の一場面ではあったのだが、今夜は少し違っていた。
祈り終えた少年が懺悔を始めたのだ。
「……天使様、私は間違っているのでしょうか……」
懺悔の内容はこういうものだった。
今日の暗殺の対象が、いつもの敵対教団の関係者では無く、同じ教団の幼い子を含めた四人家族であったこと。
そして任務とはいえ、自分と同じ神に祈りを捧げる幼子を手にかけ任務を果たしたはいいが、己の正しさ、正当性を見失いそうになっているというのだ。
このゆるふわ少年は教団の暗部だったのだ。
そういえば、たまに神殿の外で異教徒の叫ぶような祈りや悲鳴が聞こえた後は、決まってこのゆるふわ神官が神殿に戻ってくる。
もしかしたらこのゆるふわは、天使像を破壊せんとする異教徒と人知れず戦っていたのかもしれない。
私も魔王軍の暗殺者だったから、少し分かるところはある。
任務とはいえ、幼い同族を手にかける時は、最初は躊躇いがあったものだ。
そうか、ゆるふわは信じた道に戸惑いを感じてしまったのか、あるいは信仰が揺るぎそうになったのかもしれない。
先輩暗殺者として、教えてあげられる心構えは色々とあるが、正直どれもただ慣れるしかないのも事実だ。
懺悔が終わってもただ項垂れたまま動かないゆるふわからは、それでも信仰を続け、自分に起きた迷いを断ち切り進みたい気概が感じられる。
心労と肉体疲労に白磁の顔を一層白く透けさせ、桜色の頬が雨に熱を奪われるゆるふわ神官の様はまるで雨に濡れて主人を待つ仔犬を連想させた。
そう。
信仰と道徳の狭間で揺れる小さな承認欲求を、満たしたいのね?
仕方、ないわね。私が承認してあげるわ。
てっとり早く魔法で癒してあげようかしら?
《 沈静魔法 》
多幸感とすこしづつ眠くなるという副作用はあるのだが、気持ちの落ち着く《 沈静魔法 》は、今日のゆるふわには良い結果をもたらすだろう。
胸の前で組まれた私の手が光ると、それに気づいたゆるふわ神官が顔を上げるもその瞳は闇夜の湖のように虚ろだ。
しかし次の瞬間には非常に強い幸福感や超越的満足感がゆるふわ茶髪神官の心を満たしていった。
「……ぁぁ……」
ゆるふわ神官の小さな唇から、思わず幸福な呻吟が漏れる。
おそらく通常の生活では手に入れることのできない魔法的幸福感が任務で疲弊した少年の心を癒したのだろう。
「……そうなのですね天使様……私は間違っていないのですね……」
嬉しそうにぽろぽろと涙を流すゆるふわ。
頭でも撫でてやりたいところだが、私の腕は石の様に硬く動けない。
沈静魔法が心地よいのだろう。ゆるふわもまた、動けなくなっていた。
「……ぅぅ……すぅ…すぅ……」
しかしそれも束の間、疲弊しきった少年神の身体は既に限界を迎えていたのか、いつの間にかすよすよと寝息を立て始めていた。
ちょっと……ここで寝ちゃうの!?
まぁ、一晩くらいなら別にいいんだけど……
今夜だけ特別だよ?
《 低反発化魔法 》
くにゃぁぁぁ
赤い絨毯の引かれたフローリングが、真綿でこしらえた柔らかな寝床のように変わり、ゆるふわ茶髪の少年の身体を柔らかにすっぽりと包みんだ。
これで多少なりとも寝心地は良いだろう。
「……ぅぅ……ママ……帰ってきてくれたんだね……ママ……」
少年暗殺者はもはや夢の彼方……
柔らかな足元から聞こえる幸せそうな寝言に、わたしも満足そうに心の中で頷いた。
ママですよ~~
だから、明日からもママの為に一杯戦うんですよ?
祈るように手を組んだ石像の乙女と、その前で横たわり眠る少年暗殺者。
燭台に揺らめく二つの影は、母親に抱かれる子供の影の様にゆらゆらと揺れていた。
∽
ある日の夜、嵐の様にそれはやって来た。
月夜に照らされた祈りを捧げる天使のような石像。
そんな私の前に黒い霧が立ち込め、やがて黒い皮の翼を生やした黒獅子頭の大男の姿となった。
私と同じ魔王軍の幹部。イブリス=クルトゥーニ。
粗暴で野蛮。何でも力技で解決しようとする私と全く気が合わないいけ好かない男。それは向こうも思っていることかもしれない。
私から僅かに漏れている魔力を感知して、私を見つけたのだろう。
「勇者に退治されたと聞いていたが、ここで石にされていたか……魔王軍一の魔術使いも、こうなってはお終いだな」
軽口の一つでも吐きたいところだが、石像の私は喋れない。
ぐにゃりといやらしく可虐的な笑みを浮かべて黒翼の魔物は近づいてきた。
「石のまま生きながらえるのは辛かろう。慈悲深いこの俺が砕いてやる」
イブリスの獅子の腕は太く大きな爪が生えている。
こいつはこの爪で、数多の人間供を屠り、いくつもの王国を滅ぼしてきたのだ。
一撃でも喰らえばひとたまりも無く。私は無残な残骸と化すだろう。
私もいよいよ年貢の納め時が来たのかもしれない。
「その首は調度品として部屋に飾ってやる。では、さらばだ……!」
イブリスの大きな腕が振り上げられる。
ばあぁぁぁぁん!
「そこまでだ! 悪魔よ!!」
その刹那、神殿の奥の扉が勢い良く開かれ、神官服を身に纏った青年達が私の前に駆け寄り、イブリスとの間に割って入る。
「なんだぁ? お前達は?」
「「「「我ら! 王都聖堂神殿、近衛神官!」」」」
長い金髪の青年、黒髪を馬の尻尾のように結った青年、そして片目が髪で隠れた青年、そして栗色のゆるふわ。
見覚えのある面々。いつもこの神殿を切り盛りしている四人の若い神官達だ。
「行くぞ! 天使様に近づけさせるな!」
「「「応!」」」
《 棍棒 》を構えた四人の神官が私を護るようにイブリスの前に並ぶ。
「天使? こいつがか? 笑わせるわ!」
「冒涜の極み! 天使様への侮辱! ド許さん!」
言うが早いか、片目隠れの青年が《 棍棒 》を振り上げイブリスに踊りかかる。
ガン! ドガッ! ドバシィ!
《 棍棒 》を空中で肩口に一撃、そのまま軽やかに身を捩り、イブリスの頭部に左右から交互に空中廻し蹴り。
「ほう、中々重いな」
それでも首を回し、まるで今の攻撃が効いていないかのように笑うイブリス。
しかし、神官達は身じろぎもせずに応対する。
「打撃効果は薄い! 神聖魔法に切り替えるぞ!」
「「応!!」」
「いいですとも!」
片目隠れ神官の掛け声に、素早い動きで三人の神官達が獅子頭の魔物を囲み込む。
「目障りだ! 血袋共っ!!」
イブリスが眼の前の片目隠れ神官に腕を振り下ろした。
近衛神官……きっと厳しい訓練を積んだ特別な神官達に違いない。
それでもイブリスの爪にかかれば、神官達はあっという間に引き裂かれ、肉の塊と化すだろう。
ガイン!
《 棍棒 》で防ぐも、大きく弾かれる。
「ボディが甘いわ!」
ガードが大きく開いた腹部に、イブリスの爪が貫かんと迫った。
カッ
鉄の盾で矢じりを弾くような音。
イブリスの爪が片目隠れ神官の腹を貫くことはなかった。
私の魔法は停滞する。
毎晩頂礼の度に私が片目隠れ神官にかけた《 障壁魔法 》凡そ三十回。
それは人間界で最も硬い壁となって今も彼を護っている。
魔法の効果も切れない以上。もはや物理攻撃でこの神官は傷つかない。
「!?」
当の片目隠れ神官も驚いたようで眼を見開いている。
そんなに驚かないの。あなた達の大好きな奇跡でしょ?
ほら、チャンスよ。攻めなさい。
「「「《 審判乃聖光 》」」」
刹那、天から射した三条の真白い光にイブリスが包まれる。
片目隠れ神官の攻防中に、神官三人が神聖魔法を完成させたのだ。
じゅううぅぅぅぅぅ
窯で焼くピザの上の乾酪のように、みるみるとイブリスの黒い姿が溶けてゆく。
「ぐおぉぉぉぉぉぉっ! 大司教クラスの魔力だと! 貴様ら神官ではなかったのか!」
なんという魔力。体力、防御力が自慢のイブリスが蒸発しかけている。
私だったら、すでに消滅しているに違いない。
この神殿に派遣されてきた四人の神官は、司教クラスの魔力を持つ護衛と戦闘のスペシャリテ。特別な神官だったのだ。
「神聖魔法効果有り! このまま押し切るぞ!」
「「「「応!」」」
場慣れしているのか、まるで訓練された部隊のように四人の息はぴったりだ。
「「「「《 審判乃聖光 》」」」」
四人の神官の声がハモり、天から射した四条の光がイブリスを穿つ。
「……お゛お゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛……」
消し炭となり、塵と化したイブリスが光の柱に吸い込まれ登ってゆく。
ついてなかったわね。イブリス。
よくわからない懺悔をしたり、フレトーに蜜ぶっ掛けて台無しにしたりするけど、《 私の神官 》は凄いんだから。
心の中でふんすと鼻息を一つ。
イブリスの立った場所に聖水を撒き、浄化を行う神官達を尻目に、私はお供え物の葡萄酒を《 吸収魔法 》で吸い、勝利の美酒を愉しむのだった。
当面は魔王サイドも、私を討ち漏らした勇者も私を探すことはないだろう。
明日もまた、私の前に並ぶ迷える子羊共の為に奇跡を行わなくてはならない。
今日は早く寝て魔力を回復させるとしよう。
勇者の石化魔法が解けるのはまだまだ遠い先の話。
豪奢な神殿に奉られた私の物語はまだまだ続くのだから。
いつも読んでくださりありがとうございます。




