35皿目 ブラッドマカロン 廃棄されたルル
「あなたは ごはんをくれる おにいちゃん ですか? それとも、ごはん ですか?」
所々破けた浅葱色のワンピースを纏う黒髪の少女が、燕尾服をきっと見据える。
少女は十代の頭くらいだろうか、しかしその両の手は獅子の前足であり、両脚は、青く輝く鱗を生やした蜥蜴の後ろ肢だった。
その腰の後ろには、蝙蝠の羽が生えている。
【お兄ちゃん】ならご飯をくれる。【逃げる奴】と、【ご飯をくれない奴】は【お兄ちゃん】じゃないから食べても良い。彼女の理論であった。
【お兄ちゃん】という言葉の意味は、いまいち理解に届いていないが。
しかしながら、この幼い理論で彼女は今日まで生きながらえて来たのだ。
対面した執事は困惑していた。
魔王城にいる上司、夢魔のフルムへの謁見で登城した執事であったが、城の近くで奇妙な魔物に出会ってしまったのである。
後ろを振り返り、退路を確認する執事に少女は口を開く。
「ひさしぶりの ごはん。ぜったい にがさない」
執事を前に、異形の少女の腹が、きゅうと鳴った。
両手を猫科動物のように構え。鋭い爪を剥き出しにする少女。
この爪にかかれば、大型の獣すらあっという間に哀れな肉隗となるだろう。
異形の少女の名前はルル。
魔王城の錬金術師によって生み出された合成魔獣だ。
合成魔獣は、一つの身体に色々な生物の細胞パーツをあわせ持つ混合生物だ。その産物として、手のつけられない程の凶暴な性質を持つのが特徴である。
恋する乙女と獅子、蜥蜴と蝙蝠を材料に作られたルルは、扱い易い合成魔獣というコンセプトで作られた。
人に懐くことを前提に、少女の頭をベースにした例外の固体だ。
錬金術師はルルに、自分を兄と呼ばせ、何処までの絆が築けるかを実験していたが、実験の途中で他の合成魔獣に襲われ死んでしまった。
手のつけられない獰猛な実験成果は、錬金術師の死と共に城の外に廃棄されたのである。
残念なことに、人と意思の疎通の図れるルルも、一緒に棄てられてしまったのだ。
それは、少女として服や食事を与えられて、それなりの愛情に触れて生活していたルルにとって地獄の始まりであった。
棄てられた実験生物達は早々に共食いを始めて全滅し、生き残ったルルは帰りたくとも戻れない城の傍で一人生活していたのだ。
獅子の力と蜥蜴の防御力、人の頭脳を持ったことが不幸中に幸いし、ルルは今日まで生存できたと言える。
執事は、夢魔の力で少女から読み取れた凄惨な記憶に一瞬哀しげな顔をすると、ほぅと短いため息を吐いた。
「私は貴女のお兄ちゃんではありませんが、食事でもありません」
執事は敵意がないことを示すべく、白磁の様な白く美しい貌にやさしく微笑みを浮かべた。
「おにいちゃん じゃない? では ごはんになってもらいます」
獅子の手が鎌首を上げ、にじり寄る少女は今にも飛び掛りそうだ。
「ですが、こちらにブラッドマカロンがあります。これをお召し上がりください」
左手に下げていたバスケットにかかる黒い布をめくり、白い手のひらに乗る黒い焼き菓子のような物を差し出す。
菓子から漂う、えもいわれぬ甘く香ばしい香りに少女は鼻をひくりと動かした。
「ごはんを くれるの?」
一瞬戸惑うも、差し出された料理から、かつて城で与えられていた美味しい食事の味を思い出し、少女はごくりと唾を飲み込む。
また、美味しいご飯を貰える。
狩の緊張感など何処かに吹き飛び、少女はとてとてと、執事の傍に歩み寄る。
その目線は執事の手のひらの料理に釘付けだ。
「バスケットごと、どうぞ」
「ありがとう ございます」
肉球のついた手で、バスケットと料理を受け取る。
ブラッドマカロンは、アモンドの粉をホイップクリームと獣の血液と調味料で混ぜ合わせて焼いた焼き菓子に、スライスした獣の血液の腸詰を挟み込んだ現代風の狩猟料理だ。
血を材料にしているだけあって、栄養価はとても高い。
手の中の丸い塊を、おずおずと半分口に頬張る。
「お、おいしい!」
さくさくふわりと歯ざわりの良い焼き菓子が崩れ、間に挿まれた赤黒い血の腸詰が滑らかに舌に触れる。
鮮烈な血の風味を残しながらも、塩水と香辛料で固められた血の腸詰は柔らかくクリーミーで、それでいて濃厚な味わいを口に広めた。
腸詰に入れられたみじん切りの心臓も良いアクセントとして歯ざわりを楽しませてくれる。
「これ、すきです!」
城で供されていた。野菜くずや肉の切れ端のスープがご馳走であったルルにとって、これは人生で初めての美味しい料理であった。
渡したバスケットから次々と血色のマカロンが少女の口に消えてゆき、そして中身のなくなったバスケットがふにゃりと横たわる。
「おなか いっぱいで しあわせです。おしろに いたときみたい」
「それは、何よりです」
空のバスケットを拾いあげ、微笑む執事。
――お城に居た時ですか……
記憶から読み取れた城にいた頃の彼女は、かつての兄に鞭を振るわれ、這いつくばって食事を摂るような生活だった。
妹とは名ばかりに獣のように扱われ、食事を摂らされていたのだ。
そして今は食事に飢えながらも一人で健気に生きている。
少しでも助けてやりたいところだ。
「あなたをお助けしても、宜しいですか?」
「るるを たすけてくれるの?」
ワンピースの袖で口元を拭っていた少女が驚きの声を上げる。
「はい」と短く、しかし少女を勇気付けるかのように力強く執事は言った。
「また おしろにすんだり、おいしいごはんたべられる?」
「上司に交渉してみます」
少女の瞳がだんだんと明るさを帯びてゆく。
「ずっと いっしょにいてくれる?」
「まずはお友達からで、お願いします」
話を逸らされた少女が赤い唇を尖らせる。
「おにいちゃん が いいです」
「では、お兄ちゃんです。色々と教えてあげましょう」
黒い髪を撫でられて、少女は身を捩って喜んだ。
まずは、歪んだ常識を少しでも一般的なものに近づけなければならない。
その為に、彼女の慕う 兄 という立ち位置で物を教えるのはある意味で良いかもしれない。
――上司になんと言って交渉しましょうか。
自分でも気づかぬうちに、執事の眉が曇る。
気がつくと、少女の琥珀色の瞳が心配そうに執事を見つめていた。
「かなしいの? るるの めすあな つかう?」
少女がワンピースの裾をするりと捲り上げ、未熟な膨らみが露になる。
かつてルルが兄を名乗る錬金術師に求められ、慰めていた方法だ。
再び手に入れた兄に、全力で良い妹たろうとする少女の努力でもあった。
「兄妹で、交尾をしてはいけません」
鞭で躾けられた哀れな少女に、今度は口で根気良く教えなければならないのだ。
「おにいちゃん に おれいしたい。るるの めすあな で しごくと、げんきがでるよ?」
自分の知る限りのベストを行おうとする少女。かつて教わった。【お兄ちゃん】に嫌われない為の爛れた処世術。
少女は上体をすり寄せ、ゆるやかに執事のズボンに手をかけ、その手を下ろそうとする。
このままではいけない。
しかし、口で諭すのが間に合わない。
「……待て! ルル Stay!」
右手の平を突き出し強い口調で言い放つ。動物を扱うようで不本意だが、緊急事態である。
「――~~っっ!?」
一瞬びくりと身を震わせ、少女は一歩後ずさった。
どうやら意味は通じたらしい。
獣の躾で【待て】はおおよそ最初に教えるものだ。
獰猛な獣であれば、なおの事躾けられていることだろう。
器用に外されかけたベルトと、曲がったタイを締めなおす。
「ルル、それは軽々しくしてはいけないことです。せめて大人になるまで雌穴は禁止します」
「わかりました。るるは よいいもうとなので、いうことをききます」
機嫌を損ねたら、棄てられるかもしれない。
大事にされたい一心で少女は必死に執事の言葉を繰り返し、理解しようと努めた。
「お利口さんですね。偉いですよ。」
少女の小さな頭を白い手袋がなでる。
頭を撫でられた小さな獣は、頬に手を当て、てれてれと身を捩った。
∽ ∽ ∽
「その娘を、城の衛兵にですか?」
双眸の閉じられた少年がさも可笑しそうに薄い唇に指をかけ笑った。
魔王城、四天王【夢魘抱擁】フルムの間。執事の上司たる夢魔の部屋だ。
赤い絨毯のひかれた闇のように暗い部屋で、玉座に腰をかけた少年の前に執事と獅子の手をした少女が傅いている。
少年は半裸であり、その上体には外套のみを纏う。
「はい。務めるには十分な力があると考えます」
傅いた執事が目線を伏せて少年に進言する。
「るるは つよいです」
傍らに傅く少女も執事の真似をして主張した。
外套の少年は「ふうむ」と少女を見据える。
たしかに、戦闘を前提に創造された生物ではある。
「貴方の何にでも優しくするところ……私の好むところではあります」
頂点に立つ魔物とは、何よりも強く。何よりも美しく。何よりも懐深くあるべきだ。
この城の主たる魔王の考えでもある。
四天王の選考にもその基準はあり、執事の上司であるフルムも強く美しい魔物である。
「良いでしょう。私的に雇います」
何も無い空間から、少年が仕立てのよさそうな黒いワンピースを取り出す。
《 物体創造 》の魔法だ。
「選別です。これに着替えなさい」
少年が貴族風のデザインのワンピースを少女に差し出す。
こうして、少女は兵舎に住み込み、魔王城の衛兵を務めることとなった。
魔王城、城門前。
土色の荒地に乾いた風が吹く。
魔王の好みで演出上、庭園はそういう雰囲気に作られているのだ。
「良かったですね。今日から、ご飯付きでお城に住むことが出来ますよ」
「ありがとう おにいちゃん」
手をつないだ黒いワンピースの少女と執事は、仲の良い兄妹にも見える。
少女の手は獅子であるけれど。
「私はこれからお邸に戻らなければなりません」
「うん、るるも いっしょだね」
「当然」とばかりに少女の握る手にぎゅっと力が篭る。
「残念ですが、それはまだ出来ません」
「えっ」
黒髪の少女が目を丸くして驚きの顔を見せる。
「る、るるを おいていっちゃうの!?」
がばりと執事に抱きつく少女。
今にも泣き出してしまいそうの顔の目じりに、涙がどんどん溜まってゆく。
「……るるは また すてられちゃうんですか?」
少女の琥珀色の瞳が絶望の色に彩られてゆく。
涙が頬をつたい、小さな赤い花びらのような唇が微かに震えている。
「安心してください。明日また、美味しい物を持って来ますから」
少女の頭を白い手袋が撫でる。
今の魔物全とした彼女を人間の街にに連れて行く訳にはいかない。
まずは、人間や街の情報を学んでからにするべきである。
それに、上司に教わった《 移送 》の魔法でいつでも此処に来ることができるのだ。
「あした? ぜったいに やくそくだよ」
離れようとするとぐずる少女を何時間にも渡り宥め、その日執事は遅い時間に邸に戻り、翌朝、今度は甘い焼き菓子を持って再び訪れるのであった。
後日、少女が城門で新らしい勇者を撃退し、その報酬として執事に会いに人間の町に訪れるのは、また別の話となる。




