3皿目 紅茶のアイスクリーム 琥珀色の聖女
「は、蜂蜜を譲って欲しいんですの!?」
青い瞳を見開き、白を基調とした高位の神官である礼装を着た女が驚きの声をあげる。
透けるような白い肌にふわりとした蜂蜜色の髪をしたセルシア=ミエールは年若く23の歳より光の神の神官長を務める優秀な信徒である。
館から東、王城にしばらく向かった所に光の神を祀る神殿があった。
この世界の神殿では、儀式に使う蝋燭の原料たる蜜蝋のために養蜂をしている。
蜂蜜は副産物ではあるが、養蜂を行うのが神殿くらいであり、生産者の間でしか出回らない。
偶然蜂の巣を見つけでもしない限り手に入れることは出来ず、貴族の家庭ですら特別な日にしか口にすることが難しい貴重品なのである。
「貴方、リィリエの所の執事さんですのね」
主である宮廷魔術師のリィリエとセルシアは、お互いが宮廷魔術師の弟子と神官長候補であった頃から宮廷で良く顔を合わせている旧知の間柄なのだ。
レンゲ自身も宮廷の主に届け物をした際、何度か挨拶をしたことがある。
「はい。神官長様に覚えていただけたなんて光栄です」
黒髪の執事は整った貌に爽やかな笑みを浮かべ答える。
「それで、新しい養蜂のアイデアと異国の蜂蜜料理のレシピを引き換えに当殿の蜂蜜を譲って欲しいということですのね」
神官長室に通されることとなったレンゲは茶をもてなされここで話を聞いてもらえることとなったのだ。
元々、国王に献上する以外で神殿から蜂蜜が出ることはないのだ。
当然話を聞くだけで、いつものようにお帰りいただくことになるだろう。
「はい。ですが、先に養蜂アイデアをお話し、レシピは厨房をお借りしてこの場で作らせて戴きます」
「それをお召し上がりなられた上でお考えになっていただければと思います」
もてなされた熱いお茶をくいと飲み、にこやかに執事は答える。執事は誠実であれ。美学ではないが、とても重要なことなのである。
「これが新しいアイデアの養蜂道具ですの?」
執事が馬車から出して神殿の中庭に並べてゆく見たことも無い養蜂の道具をセルシアは珍しそうに眺める。
白い手袋の人差し指を口元に当てて好奇心旺盛にあれこれと尋ねる様はまるで幼児である。
レンゲが用意したのは重箱式の養蜂箱であった。
1辺30cmの正方形で、厚さ4cm程の木枠を2つ木箱を1つ。
木枠の間にスノコを引いて重ね、一番下にはミツバチの天敵である大きなハチが入れないぎりぎりのサイズで入り口を設ける。箱の天井には空気穴が無数に開いており、その上に屋根がつく。
「このように箱の中に出来た巣を回収します。箱に断熱と天敵から身を守る効果があり、敷地内スポットで自然に巣ができるより効率的に育成回収ができるのです。」
箱の一番上をぱかりと開け、レンゲは箱の機能を説明する。
「後はこの箱を巣作りのポイントに設置したら完了です」
ふむむと首をかしげるセルシアがこの奇怪な箱の威力に驚くことになるのは数ヶ月先のことであった。
「では、続いて異国の菓子を作らせていただきます」
燕尾服の上に持参したエプロンをしゅるりとまとい。館から用意してきた材料を厨房に運び込んでゆく。
「それで、どのような菓子を作ってくださるんですの?」
発育の良い身体とは裏腹に、レンゲの後をついて歩き質問を繰り返すセルシアの姿は、まるで好奇心旺盛な童女であった。
「アイスクリームという冷たい料理で、今日は紅茶味のものです」
てきぱきと準備を整えながら質問に応じるレンゲの答えに、セルシアは首をひねる。
この世界の菓子は出来たてで暖かいか常温のものが普通であり、冷たい菓子などセルシアの想像を超えるものであった。
「それは、とても楽しみですの」
どうやっても、冷たい紅茶の菓子というイメージが湧かなかったが、好奇心はくすぐられるのである。
アイスクリーム作りには、放置しておきクリーム状と乳に分離させた生乳を使用する。
火をおこした鍋で乳を温め、紅茶を入れる。紅茶は少し良いものを持ってきたのだ。
乳を冷ましながら蜂蜜を加え、そこに撹拌して空気を混ぜ、ふわふわにしたクリームを少しづつ加えて混ぜる。
最後に臼で挽いた紅茶の粉を加え、氷の魔法で冷やしながらかき混ぜて完成である。
「あ、貴方! 魔法を使えるんですの!?」
ごく当たり前のように片手で氷の魔法を操り、ボウルを撹拌する執事にセルシアは驚きの声を上げる。
この世界で魔法を使うには、類まれなる才能が必要なのだ。
「はい。主にご教示いただき、最近使えるようになりました。」
「魔法も料理もできる執事…貴方はすばらしい人材ですのね。」
女所帯であるこの神殿には、喉から手が出るほど欲しい人材である。
「お待たせいたしました。紅茶のアイスクリームです」
口の広いガラスの器に丸く盛り付けられてそれはセルシアの前に出された。
紅茶の葉の香りが辺りにふんわりと漂う。
「…では、いただきますの」
初めて食す異国の菓子に少し緊張しつつも、匙で一口すくって口に運ぶ。
(――冷たい!)
「な、なんですの! これは!」
一口食して冷たい紅茶味の意味を理解する。
この菓子は冷たくて、それでいて芳醇な紅茶の香りがし、舌の上で蜂蜜の風味が甘く蕩けて儚く消えるのだ。
「口の中で……甘くやさしく溶けてゆきますの……」
夢中ですくって口に運ぶ。頬に手を当て、すでに蕩けてしまいそうな顔のセルシアに執事は尋ねる。
「お味はお口に合いましたでしょうか」
「これはまるで、神様の食べ物ですの……このようなもの私が口にしてよろしいんですの?」
心の琴線に触れたのか、感極まってぽろぽろと涙を零すも、それでも微笑んでみせるセルシア。
職業柄の世界観で形容してしまうが、セルシアなりのユニークを込めた賛辞であった。
「私がセルシア様のために作った菓子です。どうぞお召し上がりください」
にこやかに相手を気遣うようなやさしい笑顔で執事も返す。
「わたくし、気に入りましたの……あいすくりいむも、貴方のことも……」
「お金はいりませんの……当殿の蜂蜜をお譲りしますの」
くすんくすんと執事のハンカチで涙を拭きながら、小さな声ではあるが、ここに蜂蜜譲渡の約束はなされたのである。
「ありがとうございます。セルシア様。」
「代わりに条件がありますの。……月に一度、神殿にお菓子を作りに来て欲しいですの」
月に一度はアイスクリームが食べられる。それに容姿端麗で料理上手な若い執事が菓子を作りに来てくれるのならば、毎日忙しく働く神官の娘達にも良い生き抜きと癒しになることだろう。
「かしこまりました。月に一度、菓子を作りに伺わせていただきます」
そのくらいであれば、休暇の日に済ませることができる。
レンゲも快い返事で返すのだった。
「ところでレンゲ様。光の神の信徒になりませんの? わたくしの付き人としてお迎えしますの」
目の前の優秀な人材を個人的に勧誘をするのもまた、優秀な神官長の務めなのである。
館に戻ってアイスクリームを作り、主人とメイド達の「な、なによこれ!」が収まった後、レンゲは調味料仕込みの続きを始める。
出来上がっているコウジを、水と濃い目の塩を加え撹拌したものと、塩と煮潰した大地豆を撹拌したものにそれぞれ混ぜ込み壷に詰める。
後は週に1度ほどかき混ぜて1年近く寝かせれば完成である。
美味しい調味料作りには時間と労力が必要なのだ。
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