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26皿目 トムヤンクン 2  【死神】のギルバート

「駄目だ。トムヤンクンが食べたくて落ち着かない……」


 その日の朝、ギルバートはベッドの上で膝を抱えて丸くなっていた。

 こうして柔らかなベッドの上で丸くなっていると、トムヤンクンに浮かぶキノコやシュリンブの気持ちになってくるから不思議なものである。


「待ちきれん。これは、いよいよ待ちきれんぞ!」


「むふぅ」と息を吐いて早い登城を決意をする。

 キノコとシュリンブの気持ちを理解した今、成すべきことは一つ。ギルバートは素早くサー(騎士)コートを着込むと部屋を飛び出した。

 今日は異国の料理を作る執事が王宮に登城する日であると、宮廷魔術師から聞き及んでいる。これはもう朝早くから料理を頼むしかない。

 トムヤンクンの魅惑の紅いスープを思い出し、ギルバートは「ごくり」と唾を飲み込む。




 ギルバート=ブリュットは国王に剣を捧げた齢32になる近衛騎士だ。

 鍛錬を重ねる騎士らしく、引き締まった身体に、黒く長い髪は頭の後ろで一つに纏めている。そして、目鼻立ちの整ったその貌には黒い眼帯が着けられていた。

 その双眸が、世間からは物珍しがられる藍と紅のオッドアイであったギルバートは奇異な眼で見られることを嫌がり、20を越えた頃から紅い右眼に黒い眼帯を着けるようになったのだ。

 剣の腕も王国で指折りに入るギルバートは勇猛果敢な武人としても近隣諸国に知られていた。

 黒い眼帯のイメージも相まってか、近隣国では戦場の死神と恐れられ、【死神】ギルバート=ブリュットと呼ばれている。


 そんな武人ギルバートを魅惑した紅いスープ。

 トムヤンクンを知ることとなったのは、同僚である女騎士のカサンドラからであった。

 カサンドラは恋は元より、男にも、酒や料理、菓子といった嗜好品にも一切の興味を持たない武人であった。

 唯一の趣味は日課の鍛錬。そんな真面目なカサンドラがある日を境に王城で好んで食すようになったのが紅いスープ、トムヤンクンである。

 同僚のあまりの変わりぶりに驚き、スープを一口所望したのが始まりだった。カサンドラは不満そうに紅い唇を尖らせたが、一口スープを味わせてくれたのだ。

 以来ギルバートはこの紅いスープの虜である。

 今ならギルバートにも、唇を尖らせたカサンドラの気持ちが良く分かるのだ。

 これは、一口を惜しむほど、それほどまでに人を魅了する料理なのだから。




 ギルバートは登城し、城の入り口に入ってすぐの広間に向かった。

 ここならば執事が登城してすぐに捕まえることができる。

 しかし、広間にはすでに先約がいた。後ろで一本に編み上げた長い金髪に、パニエを入れないシンプルな長スカート。識別の紋章に【赤薔薇】を使う同僚の騎士、カサンドラだ。


「おはようカサンドラ。今日は早いな」


「ギルか。そういうお前も、今日は早いではないか」


((やはり、お目当てはトムヤンクンか。))


 同僚の思惑に二人の騎士は「ふふり」と笑みをこぼす。


「トムヤンクンの執事ならば、もうしばらくだろうな」


 腕を組んで壁にもたれながら、ギルバートは言う。

 いつもは街の神殿の鐘が3時課(午前9時頃)の務めの時を鳴らす頃、執事は登城するのだ。

 トムヤンクンと聞いてか、カサンドラの腹が「きゅぅ」と鳴る。


「……朝食を食べなかったのでな」


 気恥ずかしそうにカサンドラが言う。

 あえて朝食を摂らず、存分にトムヤンクンを食すのが【赤薔薇】の流儀であった。


「ほう、お前もか。私も今日はあれの為に朝食を抜いて来たのだ」


【死神】も腹を鳴らさぬよう強く腕を組んだ。


「あれは、美味いからなぁ」


「たしかにあれは美味い。」


 ごくりと唾を飲み込むと、二人の騎士は笑いあった。

 こうして二人の騎士は城の広間の入り口でトムヤンクンの執事を待つのであった。




    ∽ ∽ ∽


 がたん がたん


 騎士控え室にキッチンワゴンを運ぶ音が響く。


「お待たせ致しました。トムヤンクンです」


 白い雪のような貌の執事が、小さな壷に容れられた紅玉のようなスープをことり、ことりと二人の騎士のついたテーブルに置いてゆく。

 酸味と香辛料の香りを乗せた熱い湯気がふわりと広がった。


「これだ! この香り! 待ちわびたぞ!」


 まるで戦場で好敵手を見つけたかのように【死神】の整った貌の口角が上がる。


「辛い、だが美味い!」


 紅いスープをスプーンで口に運びギルバートは喜びの声を上げる。

 辛味と酸味の合いまったスープが喉を過ぎると、胃の中には火のついたような熱さが走る。


「この酸味が堪らぬのだ!飲むほどに食欲が湧いてゆく」


 カサンドラも何度もスプーンを口に運び、紅玉のようなシュリンブを齧る。

 白い身に美しい紅い縞の入ったシュリンブは、噛むと「きゅう」と歯を押し返した。


「やはりトムヤンクンは至高の料理。身体が求めて止まぬ。おかわりだ」


「ほぅ」と火竜のように熱い息を吐き、執事におかわりを求める。


「こちらも、おかわりをもらおう」


 カサンドラのおかわりにギルバートも続いた。

 この日二人の騎士は4杯づつのトムヤンクンを平らげた。




「食べ終わった後のずしりとした熱い満足感とふわふわとした余韻。まさに、トムヤンクンならではだなぁ」


 満足そうに腕を組み食後に水を一口あおるギルバート。


「まるで天界にいるような夢見心地。これだからトムヤンクンは止められん」


 カサンドラも並んで満足そうに「ふふ」と笑う。


 紅い紅玉のようなスープを大いに堪能した二人の騎士は、午後の鍛錬の時間まで、ふわふわとした不思議な浮遊感を並んで愉しむのだった。


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