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24皿目 タルト・タタン  道徳観の違う下級魔族の娘

「た、助けてください! お願いします! 勇者に追われているんです!」


 青い顔をした娘が執事の腕を掴む。秋色に染まる邸の庭に、娘の声が響いた。

 恐らく魔族なのであろう。比喩の類ではなく、耳の先の尖った彼女の肌は、絹のように滑らかでしっとりと青い。


「そういうことなんだ。魔物の住処に隠れると、何処に逃げても勇者が押し入って来てね。この際人間の住処に匿ってもらおうと思ったんだ」


 黒い山羊の角を頭に生やし、燕尾服に身を包んだ青肌の青年が娘とは対照的に落ち着いた笑顔で言った。

 邸の庭に住み着いた夢魔(インキュバス)のレーヴだ。執事とは友人であり、よく一緒に朝食を共にする。


「それで、この邸ですか?」


 勇者とは、光の神の神託を受けて特別な力を持ち、魔王を倒さんとする者たちのことだ。

 それが押しかけてくるとなると、主に迷惑がかかってしまう。

 執事がやれやれとばかりにため息をついた。


「彼女は悪い魔物ではないよ。人間だって殆ど手にかけたことが無い筈だ」


 レーヴはフォローを入れるが、魔物の基準での良い悪いはあまりわからない。


「エルザですっ! 何でもしますっ!」


 魔族の娘は、あいも変わらず必死だ。

 エルザと名乗った娘は、レーヴの知り合いの下級悪魔(レッサーデーモン)なのだそうだ。

 代々、聖なる剣を封じている家系で、ある洞窟の奥にある扉に魔法の鍵をかけ、聖剣が勇者の手に渡らないようにしていたらしい。


 ある日、扉の魔法の鍵を所持していることが勇者に知られ、こうして追い回されているのだと言う。

 しかし、先祖代々続く職務を放棄することも出来ず。勇者に見つかり次第、当れば即死するような魔法の束が飛んでくるので、彼女は命からがら逃亡する生活を送っているという話だ。


「毎晩、サキュバスの真似事だってします! お望みなら、使い魔(ペット)にだってなりますから、どうかお助けください!」


 胸に下げられた金色の鍵をチャリチャリと鳴らし、娘は執事の腕に必死にすがる。


「サキュバスの真似事は、私がするから駄目だよ」


 角の生えた青年が執事にぱちりと目配せをした。

 夢魔と仲が良いのは確かであるが、そんな心当たりは無い。


「そ、それなら、卵料理を食べる時とか、服を脱いで椅子になります!」


 まるで最近、何処かで聞いたことのあるような話だ。


「椅子は、間に合っております……」


 執事は苦笑する。


「見た目と雰囲気を人間のように真似ることはできますか?」


「に、人間に化けるのは得意です!」


 エルザは頭の上でパチンと指を鳴らすと、長袖の肌着(シュミーズ)を身に纏った金髪の少女の姿へと変わった。


「後は、人間の娘の雰囲気に……えいっ!」


 少女が頭の上で指を鳴らした。


「いかがですか?」


 金髪の少女が今度はふふんと鼻をならす。


「やるものだね。これは人間の娘以外何者でもないよ」


 夢魔が腕を組んでふむむと感心する。

 執事に違いは分からなかったが、恐らく人間の娘の雰囲気になっているのだろう。


「勇者には見破られたけど、普通の人間には分からないはずです」


 長袖の肌着(シュミーズ)の裾をくいくいと引き、『どうですか? 』と得意そうな笑みを浮かべる。


「人間とは、堕落に快楽を覚えるものだと父から聞き及んでいます。お望みなら、この姿でどのようにでもいたします!」


「恋人のようにベッドの上で(もつ)れたり……それとも、母親のように乳房を吸わせながら魔物の童話をお聞かせしましょうか?」


 さっきの訴えかける雰囲気とは打って変わり、長袖の肌着(シュミーズ)の裾を膝上にたくし上げて小悪魔のような笑みを浮かべる。

 恐らくこれが、悪魔流の交渉術なのだろう。

 しかし、執事の心を揺るがすには、これは的を外した交渉であった。


「主に迷惑をかけるわけにはいきませんが、友人の頼みを無碍(むげ)にすることもできません」


 執事は、はあと短く息を吐くとネクタイを締めなおした。


「外はお寒いでしょう。まずは温かいお茶でもいかがですか?」


 執事は整った貌でにこりと微笑むと、二人の魔族を客間に案内するのだった。




「紅茶と、タルト・タタンです。」


 客室に通された二人の魔族の前に、熱い湯気の昇るティーカップと焼き菓子が置かれる。

 タルト・タタンは失敗から生まれた焼き菓子だ。

 レンゲ=フランベルジュがまだ前世【宮崎はるお】だった頃の世界の話になる。

 ホテルを経営していたタタン姉妹がバターと砂糖でリンゴを炒めていたところ、長く炒めすぎてしまった。

 失敗を取り返そうと、リンゴの入ったフライパンの上にタルトの生地をのせ、そのままオーブンへ入れたのだ。

 焼けた頃にフライパンを出してひっくり返してみると、ホテルの客に出しても良いようなデザートができあがっていたというエピソードである。

 姉妹の失敗から、新たな伝統菓子が誕生したのだ。

 その後、タルト・タタンは高級レストランの固定メニューに加えられ、世界中に広められることとなるのである。

 焼き色のついたアプルの実から、芳しくバターが香る。


「これは美味しそう! いただきますね」


 アプルの実のぎっしりと詰まったキャラメル色の焼き菓子は少し苦味の利いたビターな味わいであった。


「なんて大人な味わい」


 ビターな苦味とアプルの酸味が素敵なひとつのmariage(マリアージュ)となって口に広がる。


(この【たると・たたん】というお菓子、凄い!)


 エルザはタルト・タタンをほむほむと一生懸命に口に運んだ。

 レーヴも焼き菓子を口に運ぶ。


「甘いお菓子はあまり得意ではなかったけれど、これは良いね」


 タルト・タタンの程よい甘味と苦味は、レーヴを唸らせるほどとても上品なものであった。


「この酸味は、さっぱりとした紅茶とも合う」


 夢魔は紅茶を一口飲むと、熱い息をふうと吐いた。


「先ほどの、話の続きなのですが……」


 紅茶を口に含み、タルト・タタンの余韻に浸り惚けるエルザに執事が言う。


「流石の勇者も、人間の街で魔法は撃たないでしょう。いつまでお手伝いできるかは分かりませんが、お助けしますよ」


 執事は白い手袋の右手を差し出す。


「ありがとうございます!!」


 まるで神に感謝をするように、エルザは差し出された白い手を大きな喜びでぎゅうと握り返した。


「その代わり邸の中では、人間の姿での生活をお願いします」


 執事は悪戯っぽく左手の人差し指を口に当てると軽く目配せをした。

 こうして邸に新しい使用人が増えたのである。

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