18皿目 トムヤンクン 絶対に堕ちない女騎士
「魔法の料理にて一口で至福の彼方だと?」
信じられないという顔でカサンドラは聞き返す。
「ああ、そうだ」
頬に傷のある歴戦の勇士を思わせる騎士は、静かに頷いた。
カサンドラは国王に使える騎士だ。
その美貌から、麗騎士とも呼ばれ、宮廷貴族の娘達からの人気も高い。長い金色の髪を後ろで一本に編み上げ、パニエを入れない質素にも見えるシンプルな長スカートを腰に纏い、上着の袖には、彼女のトレードマークである赤い薔薇が刺繍されている。
カサンドラは、絵に描いたような真面目な武人であった。
三十四歳を迎える今日まで、趣味は肉体の鍛錬一筋。一度も恋に落ちたことは無く。また、言い寄られて靡くこともただの一度すら無かった。
付け入る隙すら見当たらない彼女は、昔から同僚達の話の種になっていたのだ。
曰く『不落のカサンドラ』、曰く『不敗の赤薔薇』。絶対に堕ちない女騎士は、名誉とも不名誉ともとれぬ二つ名を欲しいままにしていた。
執事レンゲ=フランベルジュが宮廷で異国の料理を振舞って一ヶ月。
宮廷では新たな噂話が広まることとなった。あの女騎士がこの料理を食べたらどうなるのだろうか。
「恋に興味は持たぬが、料理には夢中になるかもしれない」
「いいや、カサンドラは花にも酒にも興味など持つまい」
「そんなはずは無い、国王すら気に入った料理だ。きっと人生の喜びを見出すだろう」
「是非、見てみたいものだな」
退屈を持て余す貴族達は面白がり、『魔性の料理』を食す『絶対に堕ちない女騎士』はすぐにもセッティングされることとなったのである。
「お待たせいたしました。
トムヤンクンです。」
余興として用意された食事の間に料理は運ばれてきた。
席に一人だけ着いたカサンドラを、貴族達が少し離れた所から見守っている。
美しい貌の執事がカサンドラに料理を配膳した。
トムヤンクンと言われた紅玉のように赤いスープは、小さな壷に入れられ給仕された。
(ほう、スープが壷に入っているのか……たしかにこれは変わっている。)
「では、いただこうか」
スプーンで一口掬い口に運ぶ。
「うっ……これはっ! 」
辛い!
そして突き抜けてゆく酸味に、まるで百面相のように口をすぼめるカサンドラ。
観衆の貴族達がどよめく。
「なんだ? あの表情は?」
「美味いということなのか?」
スープを飲み込むと、焼けるような辛味と酸味が、尾を引いた炎のように喉の奥に落ちていった。未知なる感覚がカサンドラの胃袋を仄暗くときめかせた。辛味と酸味が旨味となって、強敵から重たい一撃を貰ったように、ずしりと胸の奥に残るのだ。
(くふぅ……これは、胃袋に効くな!)
具として入れられた、淡白で弾力のあるシュリンブもキノコも歯ごたえが良く、スープの味に息の合った相槌を打ってくる。またたくまに壷のスープは空になった。
(莫迦なっ! 食べ終えたばかりだというのに、食欲が増してゆくだと!)
「如何でございますか? カサンドラ様」
執事が伺った。
「これだけでは……その、まだ味がわからん!……くっ、おかわりだ!」
頬を朱に染めて言う。
気位の高いカサンドラには、衆知の面前でのおかわりは気恥ずかしかった。それにこの美味を、理由をつけてでももっと堪能したかったのだ。
「おお、カサンドラがおかわりをしたぞ!」
「恐らく、赤いスープを気にいったのだろう!」
興味深そうに観覧していた貴族達もまた、沸きあがった。
赤いスープの満たされた新たな壷が再びカサンドラの前に置かれる。
この日、カサンドラは3杯のスープを飲み干して満足し、オーディエンスの貴族達も、そんなカサンドラの威勢の良い食べっぷりに大いに満足したのであった。
そうして満ち足りたカサンドラは、幼き日、藁束の上で遊んだことを思い出していた。
突き抜けた辛さと酸味に満足した向こう側には、雲にでも乗ったようにふわふわとした良い気分が待っていたのだ。
いったい何時ぶりであろうか。こんな気分になったのは……
(ふむ、悪くない。『魔法の料理にて一口で至福の彼方』とはこういうことであったか。)
恐るべしは、この素晴らしいスープであった。カサンドラは人生の中で、この味を忘れることはないだろう。
(また今度、この執事に頼んで作って貰うか)
こうしてカサンドラは食事を愉しむということを覚えたのである。




