12皿目 ポトフ ベジタリアンな夢魔
「やぁ、初めまして執事くん。私の名はレーヴ、夢魔だ」
執事は驚愕した。驚き、目を見開いて、思わず口をポカンと開ける。
しかし、それはむりもないことであった。
目の前の黒猫が突然、一糸纏わぬ青い肌の美青年に変身したのだ。
青年は頭に黒い山羊の角を生やし、青い蝙蝠の翼と、矢じりの先のようなものが付いた長い尻尾が生えていた。
魔術か何かの効果だろうか、腰の辺りだけぼんやりと靄がかかって見える。
「お初にお目にかかります。レンゲと申します」
面食らいはしたが、落ち着いて笑顔を作ると執事も挨拶をした。
美しい満月が煌々と邸の庭を照らし、青く美しい青年の影を作る。海よりも深い藍色の髪を夜風になびかせ、にこやかに青年は言った。
「驚かせてしまってすまない。いつも、美味しいご飯をありがとう」
そうなのである。黒猫に餌をあげようとしたところだったのだ。
最近舘の庭に黒猫が住み着いた。まだ小さいが、冷たい黒曜石のような雰囲気を持つ不思議な黒猫だ。
執事は昼に夜に、食事で余った野菜や肉の切れ端を、軽くソテーして猫に与えていたのだ。
いつしか黒猫は執事が庭に出ると前に現れ、その柔らかな肢体を執事に擦り付けるようになっていた。そして今夜は、黒猫は美青年となったのである。
「しかし、君は美しいな。湧き上がる好意を禁じえないよ」
一糸纏わぬ青色の美青年が両手を広げて好意を表す。
「ありがとうございます」
裸体の青年に軽くお辞儀をする。 同性ではあるのかもしれないが、やはり目のやり場には困る。
「おや、気になってしまうかい? 私は夢魔だから裸が制服なのだけれど……」
頭の上でパチンと指を鳴らすと、夢魔は執事と同じ燕尾服に身を包んだ。青く長い髪は、頭の後ろで質素に束ねている。
背中の蝙蝠の翼と長い尻尾は隠れているが、山羊の角は生やしたままだった。夢魔のアイデンティティなのかもしれない。
夢魔は好みの異性の姿で現れるのが常である。
衣服を真似ることなど朝飯前なのだ。
「どうだろう? 君のように似合っているだろうか?」
執事がいつもするように、胸に手を当て、笑顔で一礼して見せる。
「お気遣いありがとうございます。とても、お似合いですよ」
執事も笑顔で一礼をして見せた。
「よろしければ、邸の客間にいらっしゃいませんか? 今夜は何か、お作り致しますよ」
「いいのかい?」
嬉しそうに手袋の裾を引いてはめ直す夢魔。そうして黒髪の執事は、青髪の執事を邸に招き入れるのだった。
「――というわけなのだよ」
紅茶を一口啜ると、厨房で調理をする執事の横から、夢魔は語りかけた。
調理をする姿を見たいという夢魔の希望で、厨房で紅茶を嗜むこととなったのだ。
夢魔はこの人間の世界に来たばかりなのだと言う。そしてこの邸がとても居心地の良い雰囲気をしているのだと付け加える。
本来、淫らな夢を見せて精気を吸うのが夢魔の食事である。しかし彼は、庭で給される野菜ソテーなどから摂っている野菜の精気のお陰で、あまり人の精気は吸っていないのだという。
淫らな夢の精気よりも、野菜ソテーの精気の方がさっぱりとしていて口に合うのだそうだ。意外と彼はベジタリアンな夢魔なのかもしれない。
「もう一煮立ちさせたら完成です」
エプロンを纏った執事が言う。厨房で調理する。レンゲが作っているのはポトフだ。
炒めたアリーオを水鍋に入れ、腸詰、オニーオ、セロリィ、ロレルの葉、そしてキャロトとパテトにキャベジを煮込み、塩で味を調えるこれは、この世界でも一般的な煮込み料理だ。
今回は貴重品の胡椒を少し効かせている。
「うん。良い香りだ。これは食欲をそそられるね」
ふわりと漂うポトフの香りに、夢魔は鼻をひくりと動かす。
「そこのテーブルを使おう。君の分も持っておいでよ? 一緒に食べよう」
皿に盛られたポトフを夢魔は近くのテーブルに運んだ。普段、野菜の皮むきなど下ごしらえに使っているテーブルと椅子だ。
「さぁ、食べようじゃないか」
二人の執事は向かい合って座り、ポトフをスプーンで啜った。
「おぉっ! これは美味い! 」
口の中に野菜の旨味が広がる。スープを吸った腸詰の軟らかな味わいも堪らない。
「ポトフというのはとても美味しいね! 気に入ったよ」
ほふほふと熱いパテトの熱を口から逃しながら夢魔は言う。
「気に入って頂けましたら何よりです」
執事も熱いパテトをほふほふと頬張る。そうして満足するほどポトフを食し、二人は食後の紅茶を嗜むのだった。
「食事というものがこんなにも、素晴らしいものだとは思わなかったよ。是非とも、次は人間に生まれたいものだ」
インキュバスジョークでおどけ、上機嫌に紅茶を啜る夢魔。
「是非、ポトフを食べに、またいらして下さい」
「それはありがたい。そうさせて頂くよ」
黒い執事の誘いに、青い執事は喜んだ。テーブルに置かれた黒い執事のカップが空になる。
「今度は私が淹れよう」
夢魔はティーポットを握ると黒い執事のカップに熱い紅茶を注ぐ。
「ありがとうございます。レーヴ様」
「友人のようにレーヴと呼んでくれ、レンゲ」
ウィンクをする青い執事。
「ありがとう。レーヴ」
黒い執事も嬉しそうに前に置かれた紅茶の注がれたカップに指をかけた。
紅茶を注ぎ合う二人の執事のお茶会は、夜も更けるまで続くのであった。




