11皿目 麻婆茄子 紫色の妄想メイド
「こ、この泥棒猫がぁっ!」
紫色の髪を肩先で揺らし、メイドが語彙を荒める。メイドの名前はメーベル。バランシュタイン家に仕える三人のメイドの一人である。
はぁふぅと荒くなった息をお収めつつ、それに手を伸ばそうとする。
「え……どうしたの? 突然」
茜色の髪を後ろで一本の太い三つ編みにしたメイドが突如叫び出した同僚にびくりと驚き、洗濯物を畳みかけた手を止める。
「え? あ、何でもないっ。白昼夢、白昼夢」
「折角洗ったのに、女が触ると穢れるのよっ」
小さな声でぼそりと聞こえぬよう付け加える。
「畳むの全部わたしがやっとくからさ、あんたは先にご飯行っちゃいなよ?」
不思議そうに首をひねる茜色の髪のメイドの手から、執事の白いシャツを受け取ると畳み始めた。
仕事とはいえ、好意を寄せる彼の衣類に他の女が触れる瞬間、メーベルはたまに我慢ができない時があるのだ。
「大丈夫?……昼食までに終わる?」
心配そうな茜色の髪のメイドにウィンクすると、いいから、いいから。と手でしっしと先に行くようジェスチャーを送る。
茜色の同僚が去ったのを確認すると、紫髪のメイドは畳んだ衣類にぱふりと顔を埋めて深く息を吸った。
すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ
意識が飛びかけて我に返る。
「ふぁ? ぉぉぉぉぉ……」
ひっひっふー ひっひっふー
顔を埋め、独自のリズムで呼吸を整えると、不思議と気持ちが安らぎ、身体が活力で満たされるのだ。
メーベルはこの行為に関して、これは仕事に疲労した自分を癒す、一種のパワースポット巡りの様なものだと考えていた。
そうしてメイドはうっとりとした表情で白いシャツを抱きしめるのだった。
この舘では使用人の好物がたまに食事に出ることがある。今日の昼食は麻婆茄子であった。
六つ割りにしたメランザーナを揚げ、刻んだ豚肉とミソ、アリーオ、ジンガー、トガラシィ、ショーユ、砂糖を炒め、百合の根でとろみをつけたそれは、メーベルの好物であった。
料理を作っているのは舘の執事で、定期的に好物が出れば、使用人は喜ぶのではないかとの考えからなのだが、この紫色のメイドはそれを少し違った捕らえ方をしていた。
『お前の好意に気づいている。私もお前を見ているぞ。今日も仕事を頑張れ。』と、そういう執事からのメッセージであると認識していたのだ。
そうこうしていて、他の使用人達に遅れての昼食である。
「いただきます」
フォークでメランザーナを刺し、口に運ぶ。
「おぉん?」
紫のメイドが唸った。
独自の補正が絶世の調味料となっている彼女にとって、この食物は脳をとろけさせる筆舌に尽くしがたい究極の美味であった。
作り手である執事の顔が脳裏に浮かぶ、料理に込められたメッセージを受けとったのだ。
『今日も頑張っているね。応援していますよ。』今日のメッセージはこれであった。
涙がつぅと自然に流れ落ち、両頬を濡らした。
「ふ、ふぐぅっ……ふぅっ」
短い嗚咽を漏らす。
午後も頑張らねばならない。この執事に答える為に。
ぎりりと奥歯を噛みしめると、涙さえ拭わずに、メイドは無言でまりまりと麻婆茄子を食べ進めたのだった。
他の使用人達も慣れたもので、彼女を意に介せずもくもくと食事を続けている。たまに変ではあるが、メーベルは悪い娘ではないというのが他の使用人達の了見であった。
食事休憩が終わると、午後の業務である。
メーベルは、午前中畳んだ洗濯物を各部屋に運んでまわる。
しかしこの業務には彼女なりの部屋を廻る順番があった。
最初は、女主人の部屋からであり、次いで使用人部屋、最後に個室を与えられている執事の部屋を廻るのである。
そうして、使用人の部屋までの業務をを手早く済ませ、執事の部屋をノックする。
執事の部屋に入ると、畳んだ洗濯物を机の上に置き、最後に己の髪をぷちりと一本引き抜いて洗濯物の間に挿しいれる。
これはメーベルが最近編み出したMojoであり、彼女の中で魔よけ(女よけ)の効果が考えられている。
特に最近執事に会いに来る黒い雌狐には油断がならない。魔よけは重要である。
次にベッドメイキングである。
本来、シーツの交換は執事自身が定期的に済ませてしまうので行う機会は少ないが、こうして洗濯物を届けたついでに、同僚のよしみとして整えてやるのである。
ただ、このベッドメイキングにもメーベルなりの拘りがあった。まず、ベッドに入るのである。
すそすそと執事の床に潜り込み、布団に包まる。
微かな執事の香りに包まれることで、まるで執事が自分だけのも物であり、また自分も執事のものであるような幸せな気分に浸れる。
メーベルのパワースポット巡りのその2である。
次いで、枕の上に顔を臥せ、深い呼吸をするのだ。執事の柔らかな黒髪の匂いがする。
こうすることで不思議と安らぎ、活力が漲ってくるのである。パワースポット巡りのその3だ。ただし、これにはもう一つの深い意味合いが込まれている。
自身の匂いを枕に移すことで、床に就いた執事を安らかな夢に誘うというメーベルのMojoだ。
最後にベッドを整えてベッドメイキングは終了するのであるが、ここで彼女は致命的な過ちを犯してしまう。
あまりに寛ぎすぎた果てに、すよすよと深い眠りに落ちてしまったのだ。
「メーベル……起きて下さい……メーベル」
小一時間程して、ゆさゆさと執事に揺すり起こされる。
目を開けると、そこにはよく見知った端正な貌があった。
「……あっ!? ……おはよー?」
自分を揺すり起こす同僚に、紫色のメイドは少し恥ずかしそうに挨拶をする。
「また、私の部屋で昼寝ですか? 休憩は大切ですが、もう少し場所を選んで頂かなければ困ります」
「ごめんね! あんまり眠かったから、つい」
慌ててベッドから降りると、同僚に謝りながらぱぱぱとベッドを整える。
「洗濯物、そこに置いておいたからね」
そういってふわりと笑うと、執事も笑顔で返す。
「ありがとうございます」
これで良いのだ。
執事の部屋を出ると、メーベルは箒を持って邸の庭へと向かう。
次は庭の掃除だ。補給は十分。頑張らねばならない。
次に麻婆茄子が食事で出されるのはいつだろう。
そんなことを考えながら、メーベルは残りの業務に励むのであった。




