入寮日
試験に合格したことが分かってから一ヶ月が経った。その間にジンはマティスに試験の結果を報告しにスラムに向かい、それから様々な必需品を買い揃えた。そしてついに入寮式の日を迎えた。
「今までありがとうございました」
「はいはい、これから大変だろうけどしっかり頑張んだよ」
「はい!」
早朝、ジンは『歌う林檎亭』の前でアンナに挨拶をしていた。これから学園に向かうのだ。そのため彼はすでに制服に身を包んでいた。制服は濃紺色の立て襟のジャケットで、前面部には金色のボタンが縦に2列、四つずつ等間隔で並んでいる。袖にも同様の金色のボタンが三つずつ並んでいる。ズボンは明るいグレーと黒のチェックの模様だ。激しい動きにも耐えられるようにしっかりとした生地で仕立てられている。
制服を着た彼の両手や背には今後必要になる衣類や筆記具、武器のメンテナンスに必要なものなど様々な物を入れたカバンなり袋なりを携えていた。
「それじゃあ行ってきます!」
「はいよ、また今度遊びにおいで」
「ありがとうございます!」
アンナに見守られながら、ジンは意気揚々に学園に併設された寮へと向かった。
入寮式は小さな催し物だった。合格者のうち、寮に入るのは150人にほどだという。残りの者は貴族や、親が騎士団所属で街に家がある者たちであり、通学組だそうだ。
ジンは式が始まるまで緊張から辺りをキョロキョロと見回したり、席についてから貧乏ゆすりをしたりとしていたため、周囲から奇異の目で見られていた。人生の半分以上をエデンで過ごしていたため、同年代の、それも人間に囲まれるというのはジンには初体験であったのだ。
しかし入寮式は非常に退屈なものであった。学長からの挨拶や、寮生の心構えなどを延々と語られているうちにジンはいつの間にか眠ってしまっていた。
「おい、いい加減起きろよ」
「ふがっ!」
突然右肩を揺らされて、ジンの意識は覚醒する。そちらに目を向けると緑色の短髪の少年がジンを見下ろしていた。
背丈は170センチ半ばのジンと比べて10センチ以上低い。その肉体は針金のように痩せている。声はやや高めで顔はまだあどけなさを残しつつも、黒縁の丸い眼鏡をかけており、賢そうな、しかし神経質そうな雰囲気を醸し出している。また非常に色白であることも相まって、見るからに貧弱そうである。
「もう式は終わったぞ。これから食堂で立食パーティーがあるらしいから移動だってよ」
「ああ、ありがとう。えっと俺の名前はジンだ、よろしくな」
「何のんきなこと言ってんだ! 早く立てよ、さっさと移動しなきゃなんねぇんだよ。後俺の名前はナザルだ、よろしく」
ジンがのんびりとしていることにイライラしているのか、早く動けと言いつつもしっかりと名前を教えてくれる辺り、律儀な少年であるようだ。
「分かった分かった、今動くって」
ジンは座席から立ち上がると他の生徒たちの流れに従って歩き出した。ナザルはジンが立ち上がったことを確認するやいなや、スタスタと歩き去っていた。
ノロノロと歩いていると既に他の生徒たちは遥を前方に歩いていた。それをのんびり追いかけていると、向かい側からジンの方に向かって歩いてくる青年がいた。銀色の短く刈り揃えられた髪と、切れ長の目の奥に光る、濃緑色の瞳が印象的な貴公子然としたハンサムな青年だ。身長はジンより少し上だろうか。よく鍛えられていることが立ち振る舞いから判断できる。
「ああ、まだ残っているやつがいたのか。もうパーティー始まるぞ」
「はい、さっき聞きました」
「ははは、さてはお前、式の間寝ていたな?」
「すいません。その……」
「いいっていいって、俺も退屈すぎて途中まで寝ていたからな」
「すいません。学長の話とかあんまりにもその……えっと、在校生の方ですよね」
「おいおい、もしかして俺の挨拶も聞いてなかったのかよ。まあいい、俺はここの学園の代表生に選ばれているアスランだ。よろしくな、それでお前は……」
「あ、ジンです。こちらこそよろしくお願いします」
「ジンか、もしかして東の方の出身か? ここらじゃあんまり聞かない名前だし」
「はい、東のメイスっていう小さな町から来ました」
「へぇ、それじゃあ結構遠かっただろ。メイスっていやぁ、こっから馬で一ヶ月ぐらいの距離だろ?」
「知ってるんですか!? 今まで誰かに言っても誰も知らなかったのに」
「まあな、俺は趣味で休暇の度に色んなところを巡っているからな。1年ぐらい前にそこに行ったよ。もしかしたらどっかで会ってたかもな」
ジンは一瞬焦る。確かに一度立ち寄りはしたがそれもほんの数日である。ウィルから聞かされて事前知識は持っていたものの、具体的な質問をされれば答えに窮するかもしれなかった。
「はは、そうかもしれませんね」
背に汗をかきながらも、笑顔を作って答える。
「おっと、悪いな、呼び止めちまって。まあこれから色々大変かもしれんが、この学園も結構面白いから3年間しっかり楽しんでくれよ。あ、ただ遊びすぎて進級試験は落とすなよ。落ちたら即退学だからな、毎年それで数十人落ちてんだ。俺の学年なんてもう100人もいねえよ」
「うっ、テストは苦手なんですよね」
「ははは、脅しておいてなんだが、まあ頑張れよ。何か問題があったら寮監室に来な。テスト勉強から、いいサボり場までしっかり教えてやるからよ」
人懐っこそうな笑顔を向けるアスランにジンも自然と笑みが浮かんでいた。
「はい、その時はよろしくお願いします」
「おう、そんじゃあな。俺はこれから学長のところに行かなきゃいけねえんだ」
「あ、ごめんなさい。時間大丈夫ですか?」
「まあ大丈夫だろ、あの爺さん時間に適当だからな。じゃあな」
「はい、それでは……あ! すいません、食堂ってどっちですか?」
いつの間にか周囲には誰もいなくなっていた。アスランは苦笑しながらジンに食堂までの行き方を教えてくれた。
食堂は広いホールであった。そこでは既に新寮生たちがグループを作って歓談していた。所々に先輩の寮生たちがおり、彼らに混じって談笑している。
「しまった、あぶれたなぁ」
ジンは思わず顔をしかめる。どうやら彼がアスランと話している間に自己紹介などは終わっていたらしい。いきなり友人関係の構築につまずいた。そこで先ほど少し話をした、ナザルを探してみる。すると彼は同じように眼鏡をかけた4人ほどの生徒たちのグループを組んでいた。遠目から見ても全員知的な雰囲気を醸し出している。そのためなんとなく近寄りがたい。ジンは彼を頼ることを諦めた。そして今度は自分と同じように周囲に馴染めていない者はいないかと辺りを見回してみる。
そして見つけた。もう何度も顔を合わせて見知った仲になった少女を。彼女はいつものパンツルックではなく、驚くべきことにスカートを履いている。ジンと同じジャケットを羽織り、ズボンの代わりに同じチェック柄のスカートを身につけている。
彼女の周囲には多くの少女や少年たちがいて話しかけている。遠目からはジンが見たこともないような笑顔をシオンは浮かべているが、何処と無く疲れているように感じられた。彼女の性格を考えるとこの状況は非常に面倒なはずだ。特にあの男嫌いの少女が、男子生徒たちと談笑していることに驚いた。
それを物珍しそうに観察していると、ふと彼女と目があった気がした。そのためジンは思わずシオンに向けて軽く手を振った。それに彼女は気付いたのか、周囲の生徒たちに何か一言声をかけてから、いつもの狂犬のような態度とは違う凛とした立ち振る舞いでジンの方へと向かって来た。
「よう、お前も寮だったのか」
「ちっ!」
顔をしかめながら舌打ちをしてくるシオンにジンは苦笑いする。
「会って早々舌打ちすんなよ、つーかお前って貴族じゃなかったっけ?」
「うるさいな、いいからちょっと付き合え」
シオンはジンの腕を掴んでグイグイ引っ張っていき、食堂の外に出た。そして近くにあるベンチにドサっと腰を下ろした。膝上10センチほどのスカートがその衝撃でふわりと浮き、飾り気のない白い下着が見えた。いつもパンツルックのためか、無造作に足を開いている。
「おい」
「なんだよ?」
「いや、パンツ見えるぞ」
「は? ……っ!?」
一瞬惚けた顔をしてからすぐに顔を真っ赤にして、足を閉じてスカートを押さえた。
「……見たのか?」
「少し……」
ジンは素直に答えた。その言葉を聞いてシオンはおもむろに立ち上がってジンの頭を殴ろうとしたが、彼は軽くそれを避けた。
「忘れろ! それか殴らせろ! それか死ね!」
「いや、俺も見たくて見たわけじゃ……」
「ぶっ殺す!」
しばらく取っ組み合いをして、お互いに疲れたためベンチに腰を下ろした。今度はしっかりと自分がスカートであることを意識しているようだった。
互いに沈黙したまま数分の時が流れる。ジンはだんだんその空気に耐えられなくなって来た。
「……それで、お前って貴族だよな。なんで寮に入ったんだ? 街に家あるんだろ?」
「……お父様……父の方針だよ。見識を広めるには様々な人間と触れ合ったほうがいいんだってさ」
どうやら彼女はイメージに反して、家では父親のことをお父様と呼んでいるらしい。
「へぇ、変わっているな、お前の親父さん。確かこの国の宰相なんだろ?」
「ああ」
そしてまた沈黙が立ち込める。
「……ところでさっきのやつらも貴族なのか? お前みたいに寮から通う感じで……」
「……ああ、あいつらは貴族の中でもあんまり家格の高くないやつらだ。だから街に別宅がないんで寮に住むんだ。まあ中には多分僕とのコネクションを作りたくて親から強制的に入れられた奴らもいると思うけど」
「いつもと雰囲気が随分違ったじゃねえか。あんな笑顔初めて見たぞ」
「ちっ、僕だって家の付き合いとか考えなきゃいけないんだよ。面倒でもお父……父の立場とか色々あるしな」
「へぇ、貴族って色々大変なんだな」
「まあね」
三度沈黙が流れ、ジンがまた話しかけようとしたところでシオンは立ち上がって右手を上げて思いっきり伸びをした。
「まあなんだ。さっきは助かったよ。囲まれてうんざりしてたんだ」
「なんだ、もう戻るのか?」
「うん、これでも一応貴族だからな。色々と面倒臭い付き合いをしなくちゃいけないんだ」
「ふーん、まあ頑張れよ」
「はは、言われなくても頑張るって」
シオンはそう言って不意に無邪気な笑顔をジンに向けた。ジンはその顔に驚き言葉を失った。今まで見て来たむすっとした顔とは違い、彼女の笑顔は思わず胸を締め付けられるほどに可愛らしかった。突然彼の心臓が高鳴った。
「お前はまだここにいるのか?」
すぐに笑顔からいつもの表情に戻して尋ねてくる。
「お、おう、もう少ししたら戻るよ。じゃあな」
「ん? ああ、じゃあな」
ジンの反応に一瞬不思議そうな顔をしてから、シオンは片手を上げて食堂の方へと向かって行った。
「……なんなんだよ、一体……」
未だにドクドクと早鐘を打つ胸を押さえて、彼女の背中を見つめながらジンは呟いた。




