エピローグ
気がつけばそこは白い空間だった。ジンはすぐにそこがかつてラグナと邂逅した場所であったことを思い出した。立ち上がって周囲を見渡す。だが記憶にある通りそこには彼以外何も存在しなかった。ぼんやりとさっきまであったことを思い出そうとする。
だが意識に靄がかかっているため、なかなか思い出すまでに時間がかかりそうだった。ふと自分は死んだのだろうかと思う。何かと戦っていたはずだったからだ。
『ジン君、どうだい? あれが四魔人だ。君が倒さなければならない最悪の内の一体だ』
後ろから突然かけられた声に驚きつつも振り向くと、そこにはラグナが立っていた。その姿は以前見た時と変わらず、黒い髪に黒い瞳、そして男か女かわからない中性的な、人とは思えない魔的な美しさを持つ少年だった。
「ラグナか、久しぶりだな」
『あれ? あんまり驚いていないんだね。自分がどうしてここにいるか覚えているかい?』
「いや、なんか頭の中に靄がかかっているみたいで、うまく思い出せないんだ。俺は死んだのか?」
『いいや、まだ生きているよ。ただ肉体に負荷がかかりすぎて、死にかけている状態ではあるけどね』
「そうか、それじゃあなんで俺はここにいるんだ?」
『……ジン君はさっきまで魔人と戦っていたんだよ。そのことで僕から色々君に謝っておきたいことができたから、こうして君にまたこの空間に来てもらったんだ』
「謝りたいこと?」
『うん、僕が気が付かなかったせいで、あの魔人が結界を越えてしまった。そしてそのせいでマリアとミリエルは死に、君もウィルも瀕死の重傷を負ってしまった』
その言葉を聞いてジンは一気に何があったのかを思い出す。醜悪な笑顔。見下した表情。怒気を孕んだ時の悍ましさ。そして何より、濃厚な殺意に当てられた時の死を覚悟させるほどの恐れ。それらを思い出し、毛穴という毛穴から一気に汗が滲み出す。
『本当は僕もなんとかしたかったんだけど、結界にちょっと力を使いすぎちゃって動けなかったんだ』
白い空間でラグナがそうジンに告げた。
「どういうことだ?」
『君も知っているだろう? あのレベルの化け物は父さんが張った結界をそうやすやすと越えることなんかできないって。だから僕はそっちに力を割かなければならなかったんだ』
心の底から悔しさを滲ませ、うつむきながらラグナは話した。どうやら彼は結界を張り直すことに尽力を上げていたらしい。ジンはしばし沈黙したのちにラグナに尋ねた。
「マリアは、マリアはここにいないのか?」
『ああ、残念だけど彼女の魂はもう天界に向かってしまった。もうここに呼び出すことはできない』
それを聞いてジンは目を瞑る。様々な感情が頭の中をよぎる。だが何よりも強く彼の心を縛り付けたのは、最後まで彼女を『母』と呼ぶことができなかったことだった。
「……何か、マリアから俺とウィルに伝言を残していたりしないのか?」
『一つだけ、君とウィルに伝えてほしいと言われた伝言があるよ』
「それは?」
『「今までありがとう、いつまでもずっとあんたたちを愛し続けているよ」』
その言葉をラグナは『マリア』の声でジンに告げた。閉じていた彼の目から大粒の涙が溢れ出した。
『ジン君本当にすまなかった。僕と父さんがもっとしっかりしていればこんなことは起きなかったのに……』
ラグナの言葉に、しかしジンは何も答えることができなかった。また家族を、大切な人を失った喪失感が彼を苛んだ。そんなジンを見つめつつ、
『君に教えなければならないことがある……』
そう重苦しい声でジンに呼びかけた。
次に目が覚めるとジンは自分のベッドに寝ていた。夢の中でラグナと話したことを一つ一つ思い返していた。すると彼の横から声が聞こえて来た。
「よう、起きたかジン。」
ベッドの脇には、身体中に包帯を巻いた、真白い髪と髭を生やしたウィルが椅子を置いて座っていた。その容姿はまるで一気に数十年の月日が流れたようであった。顔に刻まれた深い皺の数々や、やせ細り枯れ枝のようになったその肉体からは、ジンの知るウィルの面影はどこにもなかった。また彼の右腕は二の腕から下が無くなっていた。痛々しい白い包帯がそこに巻かれていた。
「調子はどうだ?」
自分よりも重傷に見えるウィルにジンは大丈夫だと告げた。
「そうか。そんなら良かったよ」
ウィルは悲しみを含んだ、疲れたような笑顔をジンに向けた。そんな顔を見たジンはハッと思い出した。
「ねえマリア、マリアは!?」
叫ぶようにウィルに尋ねる。
「………もう燃やしちまったよ」
ジンの質問にたいして、しばし逡巡したのちウィルは言った。
それを聞いたジンは吠えるように泣いた。最後に立ち会うことすらできなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一頻り泣いたのち、落ち着いたジンは杖をついて歩くウィルとともに居間に移動した。そこにはヴォルクとティファニアが座って二人を待っていた。
「ジン君!」
ティファニアがジンの姿を確認すると彼に駆け寄って、抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね……」
どれほど泣いていたのだろうか、その目は既に赤く腫れ上がっている。そしてジンに謝罪の言葉を発し続けた。間に合わなかったことに対して、守ることができなかったことに対して、そしてマリアたちを救うことができなかったことに対して、彼女はジンとウィルに謝罪をし続けた。
「別にティファニア様のせいじゃないですよ」
自分を抱きしめ、泣き続ける彼女を、ジンは無機質な目で見下ろし、歪んだ笑みを浮かべ突き放すように言った。とにかく今の彼にはその優しさが煩わしかった。
「ティファニア様、少し落ち着いてください。ジンも病み上がりなんです。椅子にでも座らせてゆっくりさせて上げましょうや」
そんなティファニアにヴォルクが声をかけた。ようやくその言葉を聞いて花をすんすんと鳴らしながらティファニアは先ほどまで座っていた席へと戻った。
「それで……今何をしてたの?」
ジンは席に着いたウィルを含め、ヴォルクとティファニアに目を向けて尋ねた。
「情報の統合と整理ってところだ。辛いだろうがお前にも聞きたいことがある」
そう言ってヴォルクはレヴィについてジンに様々な質問をしてきた。ジンはそれに対してゆっくりと思い出しながら、ボソボソと答え続けた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「何と言うのか、想像以上だな」
ジンの話を聞き終わったヴォルクがそう呟く。ティファニアはようやく落ち着いたのかウィルの様子を見ている。ウィルは座った状態でも苦しそうに息をしていた。時折右腕が痛むのか小さく呻いている。ジンはそちらに目をやる。
「ウィル、大丈夫?」
無機質な瞳の中にわずかに心配の感情が宿る。
「はっ、正直良いとは言えねえな」
ウィルは肩をすくめて力なく笑った。
「ティファニア様、ウィルの状態はどんな感じなんですか?」
その問いにティファニアはウィルに目を向ける。ウィルはそれに対してどうぞとでも言うように顎をしゃくった。それを見て一つ頷くと、彼女は話し始めた。
「はっきり言って、なぜ生きているのかがわからないわ。体内にある生命エネルギーも極わずかだし、身体中はボロボロで、もうまともに戦うどころか生活することすら難しいわね。いつ死んでもおかしくないし、もし生きることができたとしても、長くて一ヶ月ってところね」
それを聞いてジンは絶句する。自分の想像以上にウィルは今回の戦いでダメージを負ってしまったのだ。だがティファニアはまだ話を続けた。
「ただ……今すぐに治療をすれば少なくても数年は生きながらえることができるはずよ。その場合は私の国に来てもらう必要があるけど」
「そ、その場合はどれぐらい生きられるんですか?」
「そうね……少なく見積もって5年、長くて、それも奇跡が起こって10年ってところかしら。でもその代わりずっと痛みと戦い続けることになるわよ」
その言葉を聞いてジンは黙った。ウィルには可能な限り生きてほしい。だがそれは彼に痛みに苦しみ続けろと言うようなものである。ジンには答えが出せなかった。
「俺は、この話を受けるつもりだ」
そんなジンをまっすぐ見つめて、ウィルは断言した。
「それに、まだ俺はお前を鍛えなきゃいけないしな」
そして明るく笑った。その痛々しい姿は以前のウィルとかけ離れていた。だがその笑顔だけは以前と同じものであった。
「うん……うん……」
ジンはその言葉に涙を流しながらウィルの残った手を握りしめた。
レヴィには敵わなかった。だが必ずこの復讐をする、絶対に殺してやる。そう彼は強く胸に誓った。時間は限られている。何年かかってでもレヴィを殺す。だがそれはウィルが生きているうちにしなければならない、ジンはそう思った。こうして彼らはティターニアへと向かった。ウィルは生きるために、そしてジンはレヴィと次に戦う時まで、可能な限り強くなるために。
そうして、それから5年程の月日が流れた。




