スタンピード
くだらないことを話しながら少し小高い丘を越え、しばらくして小川についた一行は早速上着を脱いで水に飛び込んだ。暑さで気だるい体に冷たい水は心地よかった。6人は川で泳いだり魚を釣ったり、その魚を焼いて食べたりと何時間も遊んだ。
やがてだんだんと日が傾き始めたので彼らは帰ることにした。
「いやぁ遊んだな」
レックスの言葉に皆が頷く。
「うん! 楽しかったね」
「やっぱ暑い日の川は気持ちいよな」
「ジンも気分転換できただろマジで」
「ああ、おかげで随分スッキリした気がする」
笑いながらジンは答えた。マリアがわざわざ連れ出してくれたことの意味がわかった。
魚籠に釣った魚の残りを入れて、帰り支度を始める。軽く談笑しながら腰に武器を携えたところでそれは聞こえて来た。
「————————————————————————!!」
突如として響いた叫び声がする方向に一斉に目を向ける。森の奥からゆっくりと獅子の頭とヤギの体、毒ヘビの尾を持つ化け物が歩み出て来た。怪しげな光を灯しながら、6つの目が彼らを見据えてくる。
「キ、キマイラだと!」
「う、嘘だろ、こんなところに出るようなやつじゃないじゃん!」
「ど、どうでもいいよ、早く逃げなきゃ!」
6人は武器以外のものを放置して走り始める。だが河原に敷き詰められた砂利のせいでうまく走ることができない。そうこうしているうちにキマイラが彼らのすぐ後ろに接近して来た。
「急げ!」
殿として最後尾を走るレックスとジンが叫ぶ。
「うわっ!」
前方を走っていたラルフが砂利に足を取られて、バランスを崩して転ぶ。
それを予期していなかったレックスとジンが、彼の横を通り過ぎてしまう。
「「ラルフ!」」
2人が挙げた声に前を走る3人が思わず振り向く。そしてラルフのすぐ後ろにまで迫っているキマイラを視認する。
「ラルフ! 早く立て!」
「後ろ後ろ!」
「逃げろ!」
ラルフはすぐさま立ち上がって走りだそうとするが足を捻ったのか、右足を引きずっている。ズシンッ、ズシンッとキマイラの足音が耳に響いてくる。慌てて逃げようとしているラルフは、しかし焦りすぎてしまったのか再び転倒してしまった。そしてついにキマイラが彼に追いつく。
「ひっ!」
真っ青な顔になってぎゅっと目を瞑り、小さな悲鳴をあげる彼に向かってキマイラの凶悪な爪が伸びてくる。
「——————————————————————!」
だがそれは彼には届かなかった。予測していた痛みが来ないことを訝しんだラルフが恐る恐る目を開けると、目の前に息を切らしているジンがいた。彼が元いた場所には、強烈な踏み込みでできたのであろう、穴があいていた。
キマイラがヨロヨロと起き上がる。彼の闘気を纏った本気の蹴りを喰らった体には、ダメージが蓄積されていることが容易に見て取ることができた。特に直接蹴られたヤギの頭の方は、項垂れたままピクリとも動かなかった。その横についている、もう片方の獅子の目はその威力に怯えるどころか激しい怒りの炎を宿していた。
もうこうなってしまっては戦う以外にこの場を逃れる方法はないだろう。ただあの時の森の主に比べれば体も小さく、それほどタフでもないだろう。スピードも見る限り大したことはなさそうだ。てこずるかもしれないが今のジンなら簡単に倒せるレベルの魔獣である。
ジンはちらりと後ろを一瞥してラルフの様子を素早く確認する。特に目立った外傷はなさそうだった。そう判断すると一つ大きく深呼吸した。体に新鮮な空気を巡らせ、覚悟を決め、そして気がついた。その後ろから新たに2体キマイラが現れたことに。
「マジかよ……まだいたのか……」
「こんなんじゃ死んじまうよ!」
「皆! ラルフを担いで、急いで村に戻って大人を、マリアを呼んできてくれ!」
「ジ、ジンはどうするんだ⁉︎」
「俺はこいつを食い止める!」
「でも……」
「早く行け!」
まごまごしているヨークたちに喝を入れる。守りながら戦うのには慣れていなかった。だから最初に逃げることを選択したのだ。1匹ならよほどヘマしない限り大したことはないだろう。だが3匹なら話は別だ。彼が1匹に気を取られているうちに他の2体がヨークたちに襲いかかる可能性がある。
そんなことを考えているジンを警戒しつつ、キマイラたちはじりじりと寄ってくる。
「俺も手伝うぜジン」
レックスが彼に近づいて言ってくる。レックスはあの戦い以降、時折ジンの家に来ては、同じ氷神術使いであるマリアに教えを請うており、今では大人顔向けの技量にまで達していた。戦力としては十分である。
ジンは自分の後方、ラルフたちがいる方を確認する。どうやら魔獣たちはこれで打ち止めのようだ。だが途中でどうなるかわからない。こんなところにキマイラが現れるという異常事態だ。森の中で何かが起こっているのかもしれない。彼らは武装しているとは言え、実力はかなり低い。ゴブリン2、3匹程度なら危なげなく倒せるだろうが、もしオークやトロールなどが襲ってくればひとたまりもないだろう。
「いや、レックスはあいつらの護衛についてくれ。こっちは俺1人でも大丈夫だ」
「だけどよ!」
「余裕だって、俺は森の主まで倒してるんだぜ? ただのキマイラにやられるわけねえよ」
「……本当だな?」
「くどいって」
心配そうな顔をしてくるレックスを見て笑う。思えばいつの間にかトカゲ面の彼の表情がわかるようになっている。あの時の自分では考えられなかった。まさか自分を半殺しにした相手と仲良くなるとは。それが少しおかしかった。
「ふん、わかった。先に行って待ってるからちゃんと追いついてこいよ」
「ああ、あいつらをよろしく頼むぜ」
「おう、任せろ!」
それを聞いたレックスはふんっ、と鼻息を一つして踵を返して、ラルフを背負って、少し離れたところにいる3人と合流し、砦に向かって走り始めた。
そちらに少し意識をむけつつ、再度キマイラたちを見据え、素早く状況を分析する。3体のうちどれが一番強いか、弱いかを順番付けする。先ほどジンが蹴り飛ばした個体はその中で体が一番小さく(それでも体長は2メートルほどあるのだが)、ついで一回り大きい個体、そしてそれよりもさらにもう一回り大きい個体だ。どうやらこの一番大きなキマイラがこの中で最も強いようだ。
それを即座に判断した彼は、まず一番体が小さく、尚且つ弱っているキマイラに向けて走り出した。複数体の敵と戦う時の鉄則としては、ウィルから、ボスからではなく雑魚から倒せと言われていた。ボスをすぐに倒せずに時間がかかると、その間に他の個体に襲われるからだそうだ。最悪の場合、ボスと相打ちもできず3体とも生き延びてしまう可能性がある。だからこそ少しでも長く足止めするためにまず雑魚から狙えということらしい。
腰から抜いた短剣を両手に持ち、10メートルほどの距離を一瞬にして詰める。
「だらぁぁぁぁ!」
闘気によって強化された右腕から振り下ろした短剣は、剣閃を残しながら小キマイラの左頭、獅子の左眼を切りつける。
「———————————————!」
苦痛に泣き叫ぶ小キマイラに追撃で、右眼を狙ってもう片方の剣を振り下ろすが、すんでのところで首を動かして躱してきた。そのまま剣は小キマイラの首筋に突き刺さった。キマイラが苦痛から体をよじる。それに巻き込まれないようにジンは素早く剣を引き抜くと後退した。
後ろに控えていたキマイラたちが駆け寄ってくるのが見える。それを確認したジンは鼻から大きく息を吸い、深く吐き出して両手に握る剣をしっかり握り、全身を巡る力を感じ取る。そしてウィルに教わった通りに武器を構え、足に力を込めて強く蹴り出した。
黒い閃光がキマイラたちに襲い掛かった。
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「もう少しでバジットに着くぞ、急げ!」
レックスの声に従うようにそれぞれ足を今以上に早めていく。
やがて見えてきた小高い丘を一息で登りきったところで先頭を走っていたラビが立ち止まった。
「うそ……だろ……」
「おい、どうした?」
唐突に立ち止まったラビに追いついたザルクが彼に声をかける。それに対してラビは無言で前方を指差す。ザルクがそちらに視線を向けると、目の前には魔獣たちが砦を囲むように蠢いていた。千は超えているだろう。
「ス、スタンピード……」
かすれそうな声でザルクが囁いた言葉をようやく追いついた、ヨーク、レックス、ラルフは聞いた。
「馬鹿な!」
「どうしてこんなことに⁉︎」
「見て! 西から、西から流れてきてるよ!」
ラルフがヨークに負ぶさりながら指をさす。4人がラルフのいう方向に目を向けると、西から次から次へと魔獣がなだれ込んできているのが見えた。さらに奥の方を見ると筒煙が濛々と立ち上っている。少なくとも10000匹はいるかもしれない。
「マジでどうするんだよこれ!」
「どうするって、どうにかして砦の中に入るしかないじゃん!」
「そうだよ、ジンくんのことをマリアおばさんに伝えないと!」
「でもどうやって入るんだよ! あんな中を抜けるなんて無理だろ!」
ヨーク、ザルク、ラルフ、そしていつもは口数の少ないラビでさえ声を荒げている。早く中に入ろうにも彼らの力量では数分と持たないだろう。
「お前ら落ち着け!!」
そんな彼らをレックスが一喝する。皆がその声に反応しておし黙る。
「今やんなきゃなんねえのはまず状況を確認することだ。慌てんのは最後まで考えて本当に何にもできないときだ。そうだろ!」
レックスの発言は彼らを落ち着かせることに成功した。渓谷での経験から、彼は冷静であることの重要性を深く理解していた。
「そ、それじゃあ一体どうすればいいの?」
ラルフがおずおずとレックスに尋ねる。
「まず今の現状の確認だ。ジンは川原でキマイラと戦っている。そんで俺たちのうちラルフは怪我、俺たちも走ってきたせいで疲れている。このことから強行突破は不可能に近い。つーかそもそもあん中を突っ切ることができるほどの実力がねえ。あとは……街の様子だな」
そう言ってレックスが空中に氷のレンズを作り出し、街の方に向ける。
「それは?」
「【遠見の氷晶】って技だ。これを使えば遠くからでもなんでも見える。つまり風呂でもなんでも覗き放題ってわけだ。さて……」
ニヤリと冗談を言うレックスに周囲は少しだけ安堵する。緊迫した状況の中でレックスがより一層頼もしく感じられた。
「……おい、大丈夫だ! まだ魔獣どもは砦の中に入ってねえ! 門ががっちりしまっている。あと多分常駐の兵士たちが壁に登ってくるやつを攻撃しているみてえだ。この調子ならまだしばらく保つはずだ」
レックスはレンズから顔を話すと、自分が見た砦の様子をラルフたちに詳細に伝えた。それを聞いた彼らは少し安心してため息を吐いた。
「それじゃあこれからマジでどうするんだよ?」
「このまま様子を見るだけか?」
「いや、まだ保つってだけだ。お前らも見えるだろ、あの西から来ている大群がよ」
レックスが親指で彼の後方を指す。確かに魔獣たちは増え続けている。撃退はしているものの微々たるものである。
「でもそれじゃあどうすりゃいいんだ?」
「うん、僕たちに何かできることがあるのかな?」
「……ジンを待つのか?」
「ああ、そうだな。だがその前に……」
レックスはそう言って浮かんでいたレンズを再び覗き込み、
「おいピッピ、いるか?」
と言った。しばらくすると小さなタキシードを着た、羽の生えた妖精がレンズの中に現れた。




