カムイの記憶3
今年度最後の更新です。
来年もよろしくお願い致します。
ハルとの逃亡生活は2年ほどだ。最重要機密を握っているハルを国王は手放す気がなかった。追手と出くわす度に戦闘を重ね、儂もハルも疲弊していった。そんな中で、大体逃げ始めて一年と少しが過ぎた頃にハルが妊娠した。なぜそんな危険な状況でと思うかもしれないが、まあ、一夜の過ちというやつだ。
それから数ヶ月、儂らは身動きを制限された。ここで、ハルの力の一端を儂は知る事となった。ハルに残された巫女の力は極僅かだった。しかし神からのお告げを聞く力だけは最後まで残っていた。
その神の名はラグナといった。アカツキ王国はこの世界の創世記に記されていない、三番目の神を信仰する変わった国だったのだ。ラグナは安全な場所、追手の位置をハルに夢の中のお告げという形で伝えていた。儂らはその通りに動き、難を逃れ続けた。
「ラグナ様はいつも私達を見守ってくれているの。だから精一杯感謝して、生きなきゃね」
よくハルはそんな事を言っていた。神の善性というものを信じていなかった儂は話半分に聞いていたがな。だってそうだろう? 神に善意があるのなら、何故このような不完全な世界を創り上げたのか? 人が人を憎み、傷つけ、殺す。悪意は消える事なく広がり続ける。それを良しとする神に人間を思いやる優しさがあるとは到底思えなかった。
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逃げ始めて間も無く2年が経とうとしていた頃、出産が近くなり、ハルは完全に動けなくなった。儂らはラグナのお告げに従って、深い森の奥にあった洞窟に隠れ潜んだ。追手からの追跡はもう数ヶ月なかった。諦めた訳では無いだろうが、儂らを見つけられていないようだった。そう思い、儂は油断した。
その日、儂は精がつくものをハルに食べさせようと洞窟を抜け出した。時間にして僅か2時間ほどだ。だがそれが間違いだった。
洞窟の中には人の気配がなかった。儂はゾッとして、辺りを探し回った。だがハルはどこにもいなかった。何時間も辺りを探して、ようやく洞窟の近くに生えている木に書き置きが残されていた事に気がついた。そこには一言、「アカツキ王国に来い」とだけ書かれていた。
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2年ぶりにやってきたアカツキ王国の王宮で、儂は地獄を見た。国王は完全に狂っていた。何事もないかのように謁見の間に通された儂に、国王は穏やかな口調で話しかけてきた。儂はハルに合わせてくれと懇願した。そんな儂を小馬鹿にするように国王は人の頭が入る程度の大きさの木箱を兵士に持って来させ、儂の前に置かせた。
木箱はじんわりと赤く染まり、中からは血と生臭い匂いが漂ってきた。吐き気を催しながら、儂は震える手でその箱を開けて中を覗いた。それは正しく絶望だった。
窪んだ目の奥にはかつて見た光を携えた美しい瞳は無く、ポッカリと穴が空いていた。鼻は削ぎ落とされ、骨が見えていた。片耳は無く、ふっくらとした唇は切り取られ、僅かに残った歯が剥き出しになっていた。艶やかな髪は欲望の掃き溜めにされたのか、汚れ、不快な匂いを発していた。目のあった所や口の端からもドロリと白い液体が垂れていた。
それでも儂にはそれが彼女である事が分かった。
呆然とする儂をニヤニヤと笑いながら、国王は言った。
「使い古された割には中々の具合だったぞ。おい、あれを持って来い」
そうして家来が持ってきたのは人の皮で出来た何かだった。それを足元に敷かせて、その上に足を置いた。
「朕の命令を聞き入れず、国家機密を抱えて国外に逃亡し、他国に漏らした事は重罪だ。挙句、朕の物であるその体を勝手に平民に許して子供を作り、神聖な一族の血を汚した事、万死に値する。よって、その罪の重さを踏まえて拷問をした上で、首を切り落としたが、何か問題でもあったか?」
儂は震える声で、子供の事を尋ねた。
「子供? ああ、あの忌み子ならば今頃魔獣の餌になっているであろうな。全く高貴な我々の血にお前のような塵芥の血が入るなど、穢らわしい」
それを聞いた瞬間、儂の意識は弾け飛んだ。
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気がつけば王宮の中は血に塗れていた。命ある者は老若男女問わず、儂の目の前にいる一人を除いて誰もいなかった。それはハルから聞いた、新たに生まれたという姫巫女の皮を被った「何か」だった。
【やあ、カムイ。こうして会うのは初めてだね】
まだ2歳であるはずの姫巫女は到底考えられない程理性的に話しかけてきた。
「……お前は何だ?」
【あはは、僕を見て、「誰」ではなく、「何」と聞くのか。君は本当に面白いね】
その小馬鹿にするかの様な態度に、儂は不快感を覚えた。それで、怒りのままに、いつの間にか手にしていた刀でその首を斬り飛ばそうとした。だが刃は薄皮一枚斬り裂く事が出来なかった。儂は驚愕して後方に飛び、距離を取った。
【全く、こんな幼い子の首を斬ろうとするなんて、なんて酷いんだ。君をそんな風に創った覚えはないよ】
その言葉を聞いて儂は悟った。目の前にいる「何か」が神であるという事を。そして、どの様にしてかは分からないが儂の今までの生に大きく関わっているという事を。
「お前は……お前は一体何なんだ!」
【もう理解しているだろう? 僕はラグナ。君の愛しい愛しい奥さんが仕えていた神であり、君を創造し、その人生を設計した者さ】
そう言ってラグナは軽薄そうに笑った。
「儂を創り、設計しただと?」
ラグナの言葉を儂は上手く理解できなかった。だってそうだろう? 今までの苦しみは目の前にいる神によって作為的に引き起こされたと突然言われたのだ。とてもではないが受け入れられなかった。
【ああ、衝撃的な話で、中々受け入れづらいかもしれないが、君にはどうしても覚醒してもらう必要があったんだ。そして、君が今使う力を手に入れる為には精神に強い衝撃を与えなければならなかったんだ】
そうしてラグナはなぜ儂が今まで苦しみ続けてきたのか、その訳を説明し始めた。それはここまで旅してきたお前ならもう理解しているだろう。神話の時代から続く神々の争いを終わらせる為だとか、四魔と対峙する為だとか、勇者を打倒する為だとか、そんなくだらない話だ。
儂はそれが真実なのか、嘘なのか、判断できなかった。それが理解出来る程の学はなく、愛する者を喪失した事で生じた虚無感で何も考えたくなかった。
【……まあ、そんな感じで、君には僕の権能【領域】を与えたのさ。あれ? 聞いている?】
何もかもが馬鹿らしくて持っていた刀の刃を首筋に当てた。
「どうでもいい。ハルも子供も失った。これ以上生きていたくない」
少しずつ力を込めると、皮膚が切れて血が溢れ出した。恐怖はなかった。ただ早く楽になりたかった。
【まあ、待ちなよ。君の子供ならまだ生きているよ】
そう言うとラグナは何もない空間から、まだ臍の緒がついたままの子供を出現させた。その子供が本当に儂の子なのか。その時点ではまだ分からなかった。だが儂はその命に縋るしかなかった。
結局儂はラグナの要望を受け入れ、神々が繰り広げる喜劇に参加する役者になった。子供を守るために。ハルが生きた世界を終わらせない為に。




