vs原初の神1
【……ふむ、それはなぜだ?】
アスルは無表情のまま、ジンに尋ねる。そこには先ほど一瞬だけ見せた感情の起伏の様なものは見られなかった。
「あんたが自分でした事なのにそれを俺に聞くのか?」
【それはどういう意味だ?】
その質問を聞いて、ジンは右手の親指で自分のこめかみをトントンと突いた。
「あんた、俺の精神を支配しようとしていただろ。生憎、俺に精神攻撃は効かないんだ」
先ほど話を聞いている際に、妙にアスルに対して好意的な感情を抱いていた。否、抱かされていたのだ。それに気づけたのは事前に、いざとなれば即座に戦闘に入れるように、短剣の機能を発動させていたおかげだった。彼の精神は『治癒』と『維持』の権能によって、正常な状態に復元したのだ。
【……なるほど、どうやらそのようだな。残念だ】
いささかも残念という気持ちが見えないが、アスルは肩をすくめた。
「交渉時に精神を支配しようとする奴の言葉なんて、信じられるはずがねぇ」
ジンは両腰から短剣を引き抜いて構える。交渉は決裂したのだ。
【我は別にお主と戦いたい訳ではない。操ろうとしたのも、駒を手に入れるには、それが最も合理的だっただけよ】
無表情のアスルが少し面倒そうな顔を浮かべる。
【だが、まあ、仕方ない。いずれにせよ、体の機能を試すのは必要な事だ。お主に付き合ってもらうとしよう】
そう言うと、アスルは結界に右手を触れようと近づける。途端に稲妻が彼の腕を焦がそうとする。しかし、アスルはその稲妻を受けても一切顔を変える事なく、そのまま掌を結界に付けて、握りつぶす。パリンという音が周囲に響き、結界がガラスのように割れて、消え去った。
「ふっ!」
二人の間にあった薄い膜が消え去ったと認識する前から、ジンは踏み込んでいた。直後、彼が切り上げた左手に持った短剣がアスルの掌から前腕の中程までを切り裂いた。
続けてそのまま振り抜いた左手の短剣を空中で逆手に持ち替えてその右肩に突き立てようというイメージを頭の中で描いている最中に、ジンは違和感に気づく。いくら力を込めても前腕から剣を振り抜けないのだ。文字通り皮一枚が彼の剣を防いでいる。
「くっ!」
それを認識したジンは、すぐさま後ろに後退し、剣を引き抜く。すると瞬く間に、アスルの腕が修復した。そのまま残っていれば、剣ごと相手の体に飲み込まれていたであろう。5メートルほど離れた位置で二人は対峙する。
【この身を傷つけるとは、なかなかの業物の様だな。あの世界の鉱物で作った武具か。なるほど、我が生み出したものならば、我の力を宿していると言えるな。だからこそ、この身を傷をつける事が出来るという訳か】
なんの痛痒も感じていない、相変わらずの無表情で、アスルはジンの武器を分析する。
「そういう事だ」
ジンはそう短く答えると、またしても一気に駆け寄ろうと脚を動かす。アスルの能力が不明な以上、距離を取って戦うのは愚策だった。そもそも離れればあの大火力の攻撃が待っている。
それを見たアスルが文字通り右手を伸ばしてくる。5メートルの距離を一瞬で詰めるその腕の攻撃をジンは踏み込みながら僅かに顔を横にずらして回避する。しかし、それを予測していたアスルはジンの頭を後ろから刈り取ろうとするかのように、その手を鎌へと変形させて引っ張る。ジンの速度よりも速く、鎌は背後から彼の首に迫る。だが、ジンはその攻撃を既に知っていた。
【叡智】の権能が彼にもたらすのは一瞬先の未来だった。アスルの筋肉の動き、呼吸、わずかばかりの癖、そうしたものから考えうる多くの可能性の中で、最善なものを瞬時に【権能】が込められた剣と繋がった彼の脳が判断する。結果として、彼は体を僅かに下げただけで、その攻撃を回避する。
ついには彼の剣がアスルに届きそうな所で、アスルは戻りきっていない右手の代わりに左手を突き出し、光の壁を張る。一目で強固だと分かるそれに、ジンは思い切り両手に持った双剣を振り下ろす。光の壁と激突した事で金属同士がぶつかったようなキンという高い音が響く。それと同時に、剣がぶつかった所が少しだけ膨れあがる。
「やべっ!」
即座に右に飛んだジンの横を巨大な火柱が通り過ぎた。僅かな熱の動きを予知する事で、見事に何が次に来るのかを、ジンは把握出来る。ただし把握出来る未来は脳の処理能力の限界により僅か1秒にも満たない。それでもたったそれだけの時間が彼の強さの段階を一段上へと引き上げる。
右足が地面に触れたと同時に、ジンは一気に身体能力を【強化】の権能で10倍まで向上させる。彼の踏み込みの威力に耐えきれず、大地がひび割れる。そのまま、アスル張った壁を横から抜けて、そしてジンは渾身の一撃で、上から右手に持った短剣を振り下ろしてアスルを斬り裂く。先ほどとは異なり、その一閃はアスルの腕を容易く斬り飛ばした。
「しっ!」
ついで、ジンは左手に持った短剣を逆手に持ち替えて、アスルの肩口に深く突き立て、素早く引き抜く。すると金色に光る血液が辺りに飛び散った。それを確認したと同時にジンは素早く距離を取る。直後、アスルから飛び散った血液が無数の針へと変化して彼に向かって飛来する。それを後方に宙返りしながら回避したジンは10メートル程の距離をとって、相手の出方を窺う。
【ふむ。この身をここまで傷つけるとは。下等生物の割に、中々やるものだ】
だがアスルは表情一つ変えない。突然、右腕の切断面から金色の血液が生物のように蠢き出して、ウネウネと伸びる。そしてそれは地面に落ちていた切り落とされた右腕の切断面に繋がり、巻き戻すかのようにその腕を元の位置へと戻す。アスルは軽く右手を握ったり開いたりして、神経がつながっている事を確認する。さらに斬り裂かれた肩口も同様に金色の血液が縫い糸の様に切断面を繋げた。
「はっ、ダメージは無しって事か」
未だ目の前にいる原初の神は完全に復活していない。それなのに、既に驚異的な力を有している。
「早まったかな」
ジンは思わず苦笑する。しかし、彼はそれと同時にアスルと戦える事をありがたく思う。
「まあ、クソ神どもを倒す為の試金石としちゃ、丁度いい」
そうして、改めて体の前に2本の短剣を構えて、冷静にアスルの動きを観察する。
【来ないならば、今度はこちらから行くぞ】
その言葉の通り、アスルがピクリと右肩を動かす。その次に何が起きるのかを瞬時に予知したジンは、上空に飛ぶ。直後、アスルの腕が上がり、それに従うように半径数十メートルに渡る大地が根こそぎ引っくり返る。危うくその場にいれば岩盤が裏返る攻撃に巻き込まれる所だった。
だが同時に、ジンにとってもこの攻撃はチャンスであった。近くに浮かぶ岩石片をアスルに向かって蹴り飛ばす。それはアスルが張った光の壁に防がれるものの、ジンは続け様にいくつもの岩石片を飛ばし、アスルの視線を空へと誘導する。その直後、アスルの背後に『転移』し、彼の胸を貫いた。
「こいつはどうだ?」
そのまま、思いっきり上へと短剣を斬り上げて、アスルの頭を二つに分ける。そして離れ様に、切断面を権能で【強化】した炎で燃やす。アスルはその場でヨロヨロと彷徨き、地面に倒れる。それを見てもジンは相手の動きを冷静に観察する。不完全とはいえ、敵は原初の神だ。一つ油断すれば容易く屠られる事だろう。
【中々どうして、戦いとはこうも面倒なのか】
案の定、アスルは立ち上がる。胸から頭は二つに裂けているのに、どうやって声を出しているのか不明だったが、瞬く間に炎が鎮火すると、焼け焦げて炭化したはずの顔が次の瞬間には既に元に戻っていた。
「はっ、神は不死身ってか」
ジンはそれを見て吐き捨てるように呟いた。




