暗い世界
空の向こうから不快な目が我に向けられる。世界の何もかもを己が玩具として捉えている、何よりも唾棄すべき存在だ。この結界さえなければ、この束縛さえなければ、この身が完全であるならば、今すぐにでも排除しに行きたい所だが、残念ながら今の我にはその力がない。
【まあいい、所詮は手慰みで創ったもの。壊れた所で何も問題はない】
我が生み出したモノが破れた事を知り、驚きはしたものの、そこまで期待はしていなかった。それよりも今の世の戦士がどの程度の実力なのかを測る事が出来たのは重畳だ。そんな事を考えていると空から声が頭に流れ込んでくる。
【あれ? 力を分け与えたみたいだったけどいいのかな?】
【あの程度、分け与えたというほどの事ではない】
我はその声に応える。すると空の向こうにいるその忌むべき者は驚いて息を呑んだ。
【うん? もしかして僕の考えが伝わっている?】
【何を言う。そんなもの当然だろう?】
【へぇ、さすがは原初の神だね。能力が僕達とは隔絶している。僕らは人間の考えている事なら分かるけど、他の神の考えなんて父さんやおばさんにも読み取れないのに】
何を当たり前の事を言っているのか。我は全てを作りし原初の存在。お前達は我からすれば神などではない。
【所詮お前達は我とラーフの被造物に過ぎない。お前達が被造物である人間に出来る事を、なぜお前達の創造主である我がオルフェやフィリア、そしてお前に出来ないと思う?】
【なるほどね。まあいいさ。これからあなたの元に来るのは僕の最高傑作だ。まだまだ弱いけど、精一杯楽しんでよ。なんてね】
そんな無邪気な声が伝わってくる。
【……全く、いつまで経ってもお前は歪んでいるな】
その声にラグナとやらは何も言い返さなかった。
【ふむ、まあいい。さてと、それでは少しばかり遊んでやるとするか】
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結界の一部をミコトに解除させ、その隙を通り抜けたジン達は警戒しながら恐る恐る遺跡に入った。
「奴は長距離攻撃能力を持っている。注意して進むぞ」
ジンはミコト達に声をかける。それを聞いて彼らはコクリと頷いた。
「それじゃあ、行くぞ」
そうして踏み出した瞬間、ジン達の足元に光の陣が現れた。
「ちっ、罠か!」「な!?」「え? え?」「ジン様! ミコト様!」
ジンと同様にゴウテン、ミコト、クロウはそれぞれ目を丸くする。唯一光の陣に触れていなかったクロウが咄嗟にジンとミコトに手を伸ばす。しかし、その手はギリギリ届かず、却ってクロウの行動を理解したゴウテンはタックルするようにミコトにぶつかった。ミコトが衝撃で思わず悲鳴を上げた瞬間、クロウ以外の3人がその場から忽然と消失した。
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目を開けるとそこは遺跡とは違う、何もなくわずかな光が空から差しているだけの寒く暗い世界だった。呼吸すらもまともに出来ないほどの重圧感と、あたりにはたゆたう無数の光の球。そして遠くからは悲鳴が聞こえてくる。
「なんだ。ここは?」
ジンは思わず呟いた。周りには他の3人がいない。光の陣によってどこかに転送されたのだと彼は推測する。
「別の空間? アスルが創ったのか?」
真っ先に彼が思い至ったのはラグナが彼を招集するあの白い部屋だ。しかし、彼の目の前にあるのは部屋ではなく世界だ。薄暗い中でも彼が今いる空間は広大である事を肌で感じていた。
「とりあえず動いてみるしかないか」
ジンはそう言って無神術を発動して人の頭ほどの大きさの火の玉を素早く生み出す。
「あれ?」
その際、彼は微かに違和感を感じる。しかしそれがなんなのか分からない。
「今は考えても仕方ないか。とにかくどこに行ってみようか」
彼が見て左の方には無数の光る球がゆらゆらと向かっている。一方で右の方からは多くの悲鳴が響いてくる。
「声が聞こえるって事は人がいるって事か? なら一先ず右に行ってみるか」
初め感じた重圧感はいつの間にか感じなくなっていた。むしろ体が馴染んだのか体の内から力が湧いてくるようだった。
「何が何やら」
そんな事を言いながら、ジンは悲鳴のする方へと歩き始めた。
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しばらくして彼の目に入ってきたのは絶望の世界だった。
「な、なんだよこれ……」
高台に登った彼の眼下には正しく地獄が広がっていた。鬼のような何かに多くの人々が苦しめられていた。否、殺されていた。それなのに殺害された者はすぐに復活し、次の責め苦に絶望の声を上げている。
圧死、縊死、餓死、斬死、絞死、焼死、衝撃死、溺死、震死、窒息死、中毒死、墜落死、凍死、爆死、病死、服毒死、刎死、轢死、撲殺死。
見えるだけで様々な死に方で人が殺され、再生し、また殺されていく。鬼に食われた人間はその鬼が排泄した糞尿の中から再生していた。食われたとしても終わりではないという事だ。
「ここは……地獄なのか?」
かつて姉から御伽噺として聞いた地獄の風景が目の前に広がっていた。すえた匂いと血と臓物の匂いが百メートルは離れている彼の鼻に届いてくる。不快感にえずくもなんとか耐える。
「とにかく、ミコトとゴウテン、クロウを探さねぇと」
この世界に彼らがいるかは分からない。だがいるならば早く合流しなければならないと彼の本能が告げていた。
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目覚めるとミコトは自分の腰にしがみついているゴウテンが目に入ってきた。
「い、いい加減離れなさい!」
そう言って、ゴウテンを強引にどかした彼女はすぐによく分からない重圧感に襲われる。そして同時に体の内からどんどん力が抜けていくのも。
「こ、これ、まずっ!」
ミコトはすぐに自分の体とゴウテンの体に結界を張る。それと同時に結界によって辺りが薄く輝き、周りが先ほどよりも見やすくなる。そこで漸く、一息をつき、周囲を見回して目を丸くした。
「どこなの、ここ?」
先ほどまでとは全く違う、寒くて薄暗く荒廃した世界にポツンとゴウテンと2人きりになっていた。近くには無数の光の球が揺蕩い、遠くから悲鳴が聞こえてくる。
「ゴウテン、ゴウテン、ねえ起きて」
顔を歪めて呻いているゴウテンの体を揺する。その様子は普通とは違っていた。
「ねぇゴウテン!」
そこで彼女はゴウテンが胸を抑えている事に気がついた。
「ごめん、少しめくるよ」
ミコトがゴウテンのシャツを捲ると、そこには5センチほどの謎の黒い丸のようなものが胸の辺りに刻まれていた。それは少しずつ彼の体に広がっている。
「な、何これ?」
それを見てミコトは混乱する。そこでゴウテンが弱々しく目を開けた。
「……ミコト様?」
「あ、起きた! 大丈夫なの!?」
ゴウテンは頷くとゆっくりと顔を歪めながら立ち上がった。
「ええ、どうやら呪いか何かを受けたみたいです。でも、動く事は可能です。今どんな状態か、わかっている事があれば教えていただけますか?」
それを聞いてミコトは自分が起きてからの事を説明する。
「……これからどうするの?」
「そうですね……クロウは分かりませんが、恐らくジンはここにいるはずです。あいつと合流する事を目指しましょう」
「でもどうやって? ここがどこかも分からないのに」
「一先ず、この声のする方に行ってみましょう。薄気味悪いですが、何か情報を得られるかもしれません」
「わ、わかった」
ゴウテンに手を差し伸べられたミコトはそれを掴んで立ち上がる。
「ここ、どこなんだろうね……」
「分かりません。ただ碌でもない所だというのは間違い無いでしょうね」
今も耳に響いてくる悲鳴に気圧されながらも、2人はその声のする方へと歩き出した。
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一時間ほど歩いた所で、彼らの目に小さな明かりが見えてきた。それを頼りに近付いてみると、その明かりは徐々に大きくなり、やがて焚き火である事が分かった。そしてその焚き火の前に1人の女性が暖を取っていた。長いフード付きのローブを羽織り、そのフードを目深に被っているので顔も見えない。ただし、その体型はすごく肉感的である。彼女はミコトとゴウテンに気づき目を丸くした。
「あら、この荒野に肉体を持った存在がやってくるなんて、珍しいわね」
ゴウテンはそんな彼女を警戒して、ミコトを隠すように前に立つ。
「あなたは?」
眼鏡の奥から鋭い視線を向けると、女性は宥めるように優しい声でゴウテンに話す。
「安心……は出来ないわよね。こんな世界じゃ。私は……そうね。X夫人とでも呼んでもらおうかしら」
顔の見えない女性の口の端が楽しげに上がった。




