内に秘めた狂気
使徒とは戦いの為に生み出された存在である。人々の憧れにして神に選ばれし者というのはあくまでも表面的なものであり、その本質は血生臭く、死に満ち溢れている。つまり、使徒の存在意義はただ一つ。敵を殺せるほどに強くある事だけだ。
転じて、今ジンの目の前にいるソールは彼同様ラグナによって選ばれた使徒である。つまり普通の人間よりも優れた存在のはずだ。しかし、彼の体感として彼女はせいぜいクロウとゴウテンと同程度か少し上の実力でしかなかった。容易く二人が倒されたのは単に『転移』という特殊な技能に対応できなかったからだ。つまり普通に戦えばある程度の善戦を二人も出来たはずだった。
「おかしい。ラグナのお気に入りがこんなに弱いなんてあり得るのか?」
そもそもと、ジンは考える。そもそもこの程度の実力ではとてもではないが使徒として選ばれるはずがない。それならば、ソールは一体何故使徒になれたのか。そんな疑問が彼の頭を過った。
「全く、痛いじゃないか」
突然、彼の背後から声が聞こえてきた。反射的にジンがそちらを向くと、其処には優雅に歩み寄ってくるソールの姿があった。
「……何者だ」
ジンは目を細めて彼女を睨む。
「何者も何も、ソール・クリーガさ。君と同じラグナの使徒にしてアスル様の信徒のね」
アスルの信徒とを自称する、其処にいる彼女は確かに実体である事をジンは理解する。しかし、確かに彼が殺害したソールも実在する存在だった。つまりそれが意味するのは彼女が二人いたという事だ。だがそんな話は街の上役や兵士達の誰もがしていなかった。
「お前がソールだとして、何故生きている? 死体はここにあるのに」
ジンは足元の死体を指差して尋ねた。
「それは私であって私ではない。簡単に言えば私の劣化した同一体といった感じかな」
その表現からジンはすぐに一つの可能性に思い至った。
「つまり、複製体ということか?」
だが、それを聞いたソールの反応は実にあっさりとしたものだった。
「おや、複製体を知っているんだね。ただあんな人形と一緒にしないで欲しいな。あくまでもそれは私の同一体だ。肉体の構成要素から魂、思考に至るまで全てが私と同一存在だ。まだ力の扱いが不完全で性能は私の全力の半分もないけどね」
ソールは残念だとばかりに肩をすくめる。そんな彼女を見て、ジンはさらに表情を険しくさせた。
「完全に同一の存在を創るなんてあり得ない。まして魂までなんて不可能だろ」
「さあね。だけど私はアスル様に選ばれ、直接その御力を頂いたのだ。フィリアやオルフェ、ラグナといった神々の根源にして、世界そのものである彼の方の御力は我々被造物に計り知れるものではないんだろうね」
ジンの知る由もないが、彼女が名を挙げた三柱の神々には確かに魂まで完全に同一である存在を複製する事は出来ない。というよりも僕らに出来るのはせいぜい魂を弄ったり、一つを二つに分けたり、適当な体に入れたりする事だけだ。同一の一を生み出すのは僕らの権能を遥かに超えた、まさに神業と言えるだろう。まあ、それは置いといて。ジンはソールの話を聞いて理解する。
「つまりお前、いや、アスルなら完全なる魂の複製が可能だという事だな」
その力は彼にとって、最も手に入れたい力だ。遺伝子情報さえあれば、苦労はするだろうが複製体を用意する事は出来るはずだ。つまり取り戻す事が出来るのだ。彼女を。
魂は記憶を保存する機能を有している。その事をジンは複製体の姉との戦いでなんとなく理解していた。人の手によって造られようと、そんな事、彼には関係なかった。彼が望むのはただ一つ。シオンを取り戻す事だけだ。それが例え禁忌の術で生み出されたとしても、彼にとってシオンをその手でもう一度抱く事が出来るのならば全てが些事に過ぎなかった。
「その力、俺に寄越せ」
ジンは呟く様に言う。どうやって力を奪えばいいかなど、彼は知らない。だがそんな事は彼にとってどうでも良い事だった。突然降って湧いた希望を目にして、彼は冷静な思考が出来なくなっていたのだ。
「ん? なんといったのかな?」
そんな彼にソールが聞き返す。そして次の瞬間、彼女は横から強烈な衝撃を受けて吹き飛んだ。なんとか空中で姿勢を整えて、衝撃がした方を向くと、20メートルほど離れた其処には黒い闘気と稲妻に覆われたジンがいた。彼の目からは理性の光が失われていた。
「はあああああああ!」
裂帛の気合いの声とともに彼の体から闘気が吹き出す。その圧力に地面が耐えきれずヒビが入る。大気が力の波動に怯えて揺れる。半径5キロに存在する全ての動物達は身の危険を感じて逃げ出す。
「……これは想像以上だね。完全に力を使いこなせていない状態の私にはまだ分が悪そうだ」
そう呟いてソールはその場から退避する為に『転移』しようとする。だが獣となったジンはそれを許さなかった。自身の術の発動を感じた瞬間にすでにソールの腹部に膝がめり込んでいた。アスルによって創り直された彼女にとって、本来ならば感じないはずの凄まじい激痛を前に、思わず顔を歪める。若干浮かび上がった彼女の背中にジンは肘を落とす。あまりの衝撃にソールは地面に這いつくばる。だがジンの追撃は続く。彼女が揺れる頭で彼の攻撃に備えようと動き出す前に、ジンの蹴りが彼女の右肩を砕く。
「ぎゃああああ!」
ソールの悲鳴が辺りに響き渡る。またしてもあり得ないはずの痛みで意識が覚醒する。そんな彼女に理性が消え失せたジンが飛びかかる。
「寄越せ、寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ!」
取り憑かれたようにジンは彼女をひっくり返すとその腹の上に乗って顔を殴り始める。一撃一撃が必殺の拳を、ソールは必死になって体を闘気で包んで防御する。さすがは神に選ばれた使徒、彼女はその攻撃の威力をいくらか抑える事に成功する。だが所詮は其処までだった。
ジンの拳は徐々にソールの闘気の膜を越え、確実に彼女にダメージを与え始めたのだ。彼女は自分の命が間も無く潰える事を知って恐怖する。アスルによって再生され、変異した精神を持つはずの彼女でさえ、死を覚悟する程の黒い暴力だった。そしてそんな精神状態で強固な闘気の膜など張る事は出来なかった。
「や、やめ……!」
そんな声も虚しくジンの拳は無慈悲にも振り下ろされた。たった一撃で右目が破裂する。次の一撃で左目に折れた骨が食い込む。さらには顔が文字通り陥没し、顎は砕け、歯が飛び散る。そして、その側から肉体が修復し、また破壊される。もはや彼女に意識は無かった。感じないはずの痛みを前に彼女は意識を手放したのだ。
「寄越せ寄越せ寄越せ寄越せぇぇぇぇ!」
だが狂気に包まれたジンはそれに気づかない。間も無く彼女が死ぬ事を理解していない。彼自身にも、何故彼が其処まで暴走しているのか分からない。「力の権能」の象徴である『黒気』が彼の精神を蝕んでいる事に彼は気づかず、只々破壊衝動に包まれ、拳を引き上げて振り下ろそうとした所で、二人の間に光の壁が創られた。
それでジンの動きが一瞬止まった隙に、彼を左右からゴウテンとクロウが取り押さえる。さらに彼の体がそれ以上動かせない様に彼を押さえ込む二人ごと縄のような光がグルグルと巻き付き、彼らを動けなくさせた。
「邪魔だ! あいつの力が、あいつの力さえあれば!」
「落ち着け馬鹿野郎! このままだとあの女が死ぬぞ! それでも良いのか!」
ゴウテンがジンに向かって叫ぶ。だが、理性を失ったジンは無理矢理拘束から抜け出ようと体を動かした。
「いい加減に……しろ!」
そんな彼に向かってゴウテンは思い切り頭突きをする。顔面に彼の硬い頭が直撃したジンはその威力によって意識を刈り取られることとなった。




