料理店
ストラティオから聞いた父の話はジンの予想を遥かに超えていた。それとハンゾーがなぜ彼の父親を毛嫌いしていたのかもなんとなく理解できた。最も期待した弟子が自分の仕える姫と末娘を連れて何処かに消えたのだ。しかも何も告げずに。
「まあ、そりゃあ怒るよな」
結界装置に術を込めながらジンは呟く。ストラティオの話を聞いてから既に2日経った。それでも彼は気がつけば顔も知らない父親の話を思い出していた。常識の埒外のような才能。人を惹きつける魅力。豪放磊落な性格。何をとっても自分とは全く異なっていた。
ジンに才能はない。与えられた力を才能と呼ぶのならば確かにある。だが彼にはそれを十全に生かせる感覚や勘などといったものが欠けている。努力では誤魔化せない部分が著しく足りていない。経験によって改善できるかもしれないが、その経験すらまだまだ十分ではない。
また、彼は物事にこだわり続け、固執する傾向がある。ハヤトのように自由人な気質も備えていない。何もかもが彼とは違っていた。ストラティオの話によると、ハヤトはジンよりも2歳ほど年上だったそうだ。だがその強さは今のジンを遥かに超えているように感じられた。結局、ジンは能力に恵まれただけでそれを活かせない単なる子供に過ぎない。それが歯痒かった。そんな事を考えていると、ふらりと意識が一瞬途切れた。
「っと、取り敢えず今日の分はここまでにするか」
手元にある7つの結界装置を見る。今の彼に出来る最大値は1日に7つの結界装置を作る事だった。
「これだって、ミコトだったらこんなものに頼らずに結界を張れるんだろうなぁ」
カムイ・アカツキの血を濃く引いている彼女は結界のスペシャリストだ。大きさの問題はあってもジンが強化の権能で補佐すれば簡単に結界を張る事が出来るだろう。それでもジンはミコトを頼ろうとは考えなかった。無神術を使えば長距離で連絡する事が可能な『水鏡』や『氷鏡』といった術を扱えるのに。
「こういう所がみみっちいんだろうな」
幸いな事にミコトやゴウテン、コウランといったアカツキ勢に『水鏡』を扱える術者はおらず、その役はハンゾーが担っていた。つまり現状連絡はジンからしか出来ない。その術の特性上、相手との精神的なリンクを作る必要があり、互いの許可がなければ連絡しようにも術は発生しなかった。そのおかげでジンはこうして一人姿をくらませる事ができたのだ。
「さてと、少し休むとするか」
ジンはそう言って立ち上がろうとする。すると案の定力の使いすぎによる強い立ち眩みに襲われるのだった。
〜〜〜〜〜〜〜
研究都市ウーインのアカデミーにあるイブリスの研究部屋の一つから出たジンはそのまま街に出て食事をしようとアカデミーの長い廊下を歩いていた。すると向かいから狐人の女性エコール・ルターが二人の部下を引き連れて歩いてきた。
「あら、ジン様。今日の分は終わったみたいね」
エコールはニコニコと笑いながらジンに話しかけてくる。エコールは混血であるミコトよりも少しだけ狐のような顔つきをしていた。正確に言うと口元に左右に3本ずつ髭が生えていたのだ。だが、やはり半分だけとはいえ同じ種族だからだろうか、妙にミコトに似ているように感じた。年齢は恐らく70歳ほどで、髪は白く染まり、頭頂部付近に生えた耳も腰から伸びた尻尾も白くなっていた。顔には年齢によるシワが刻まれていたものの、若い時から美人だった事が一目で窺えるほど、今でも品が良く、美しかった。
「はい。まだまだ先は長いですけどね」
「今からご飯かしら?」
外は既に暗くなり、時間は8時を過ぎていた。
「ええ。街まで行こうと思います」
「あんまり根を詰め過ぎないようにね」
「分かりました」
「あ、それとお店に行くなら『狐屋』がお勧めよ。場所はアカデミーを出て歩いて5分ぐらい。門の前の大通りをまっすぐ進んで左手にあるわ。とってもおいしいお揚げの料理が揃ってるの」
ニコリと笑ってエコールは店の紹介をしてくれた。
「へぇ、それじゃあ今日はそこに行ってみます」
「ええ、感想は今度聞かせてね」
「はい。そうだ、その前に調査団がどうなったか教えてもらえますか」
会議の直後に10人からなる調査団が派遣される事となったのだ。既に2日が経っているので、もう帰っていてもおかしくない。
「残念ながらまだ戻っていないわ。そろそろだと思うのだけど」
「連絡はつかないんですか?」
「それが、何かに妨害されているのか、連絡しようにも出来なかったの」
「戻るのを待つしかないという事ですね」
「ええ、多分明日には戻ってくると思うわ。そうしたらあなたも会議に呼ぶから少し待ってちょうだい」
「分かりました。それじゃあ俺はこれで」
「ええ、ご飯楽しんでね」
そう言うと、エコールは部下を連れて歩き去って行った。
〜〜〜〜〜〜〜
「ここが狐屋か」
エコールの言う通り、狐屋はアカデミーから歩いて直ぐの所にあった。店の看板には狐の意匠が用いられており、狐が小判を持って客を招いているような置物が店の前に置かれていた。
ドアを開けて、中に入る。まあまあの広さの店内は賑わっており、10個ほど置かれた丸テーブルには4人ずつ着いている。その合間を縫って12、3歳ほどの狐人の少女と、17、8になる狐人の少女が酔っ払った客を適度にあしらいながら駆け回って配膳を行なっていた。恐らく姉の方はどことなく既視感があった。さらに店の奥にある厨房は客から覗けるようになっており、そこには40歳ほどの狐人の夫婦が料理を作っていた。
「結構混んでるな」
ジンがボソリと呟くと、12、3歳の狐人の少女が駆け寄ってきた。
「お、おきゃきゅしゃま! あう、噛んじゃった。こほん、お、お客様は、お、お一人ですか?」
緊張した様子でジンに問いかけてきたので、少し苦笑しながらジンは頷いた。
「ああ、直ぐに座れそうか?」
「えっと、えっと、はい! あそこが空いてます!」
ジンの質問に少女は店の中をキョロキョロと見回して空席を発見し、そこを指差した。だがそこには料理の皿が堆く積まれて、放置されていた。
「ああ、お皿片付けてなかった! ちょ、ちょっと待ってて下さい!」
ビュンという音が聞こえそうなほど機敏な動きでテーブルの合間を縫って移動すると、そこに積まれた皿を巧みに持ち上げて厨房まで持っていった。そして軽くテーブルを拭くとジンの下まで戻ってきた。
「さ、さあご案内しみゃしゅ、あう」
舌を噛んだようで少し涙目になりながら、少女はジンを席まで案内してくれた。
「エコールさんからお揚げの料理が美味しいって聞いたんだけど」
「お、おばあちゃんから聞いてきたんですか? それだったらあちらのセットがお勧めです!」
元気よく指差した壁にはお品書きが貼られていた。
「それじゃあ、それをお願いするよ」
ジンがそう言うと、少女は大声で厨房に声をかけた。
「父ちゃん! 特別セット一つ!」
「あいよ!」
すると店の奥から声が返ってきた。
「あ、あのあの、おばあちゃんとは知り合いなんですか?」
店は混み合っているが、少女は興味深そうに尋ねてきた。
「まあ、最近知り合ったんだけどね。それよりもお店は大丈夫なの?」
「はっ! 大丈夫じゃありませんでした!」
少女はそう言うと慌てて厨房に戻り、猛烈に皿洗いを始めた。そんな様子を見て、ジンは思わず笑みを溢した。
「それで、なんか私たちに言い訳はある?」
突然、前の席に座ったフードを目深に被った少女がジンに話しかけてきた。直ぐに彼が逃げようとするのを塞ぐかのように、彼女の左右の席に着いていた同じくフードを被った男達が立ち上がって、ジンが動けないように、彼の両肩を押さえた。
「あ?」
ジンがそう言いながら前のテーブルの少女を睨みつける。
「呆れた。まだ気づかないの?」
そう言って、少女はフードを脱いだ。すると特徴的な耳がピコンと立ち、金色の美しい髪が靡いた。
「ミ、ミコト!? じゃ、じゃあこの二人は……」
ジンが二人に目を向けると、ゴウテンとクロウがいた。
「久しぶりだなぁ、おい」
「お久しぶりです、ジン様」
「な、なんで?」
混乱するジンにミコトは笑いかける。
「取り敢えず、歯、食いしばりなさい」
「へ?」
次の瞬間、ミコトの右拳がジンの左頬に突き刺さった。思わずジンは椅子から転げ落ちる。
「こ、ここは平手じゃないのかよ」
痛みで頬を抑えながらジンが言うと、ミコトはふんと鼻を鳴らす。
「なめんな」
そうしてピシャリと言い切った。




