大団円
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁ!」
そう叫びながらシオンは飛びかかると、右拳を的確にジンの頬に叩き込んだ。
「ぐはっ!」
ジンは突然の行動に思わず反応が遅れ、そのまま地面を転がった。そんな彼に彼女はズンズンと歩み寄ると、そのまま馬乗りになってジンの顔目掛けて何度も拳を振り下ろした。
「なんで! 自分の! 赤ちゃんを! 殺そうなんてするんだ!」
「がっ、ごはっ、ぐっ、うぐっ!?
「なんで!」
もう一度振り下ろしてきた彼女の拳をジンは漸く掴む。
「放せっ!」
シオンはジンに向かって怒鳴る。だがジンはそんな彼女を見て笑った。
「は、ははは、はははは、信じてたぜ。お前はあんな奴に呑まれる女じゃねえってな」
その言葉にシオンはピタリと動きを止める。それから不思議そうに周囲を見回して、自分の体をぺたぺたと触って感触を確かめた。
「僕、表に出てこれた……」
シオンは目を丸くして呟いた。そんな彼女の腕を引っ張る。
「きゃ!?」
小さく可愛らしい悲鳴とともに、寝たままのジンの胸にポスンとシオンが覆い被さる。ジンは彼女を強く抱きしめた。
「ははは、心配させるんじゃねえよ馬鹿……」
「……うん。ごめん」
胸に耳を当て、ジンの心音を聴きながらシオンは涙をこぼす。
「なあ、どうして教えてくれなかったんだ?」
「え?」
「子供が……俺達の子供が出来たってさ」
その質問にシオンはしばし沈黙してから恐る恐る口を開いた。
「……だって、お前は子供、欲しくなかっただろ? 家族なんてお前の目的を考えれば足枷にしかならないだろうし。育てる事だって出来ないだろ?」
ジンはそれを聞いて、彼女から視線を逸らし、空を見上げた。
「あー、まあ……な。俺も正直欲しいなんて思ってなかった。せっかくお前と一緒になれたのに、子供が出来たらお前は絶対その子の方を俺より構うだろ?」
小さな子供の嫉妬の様な言葉に、シオンは笑ってしまった。
「あはは、なんだよそれ。そんな事考えてたのか。でも、まぁ、ジンの言う通りかもな。こんな大きい赤ちゃんの面倒なんて僕には無理だ」
「はっ、違いない。俺もくだらねえ嫉妬だとは思う。だけどさ、子供が出来たって知るまでは本気でそう思ってたんだ」
「……じゃあ、今は?」
シオンはジンの胸から体を上げて、彼を真正面から見つめる。
「すっげえ嬉しい。こんな不甲斐無い俺を父親にしてくれて、ありがとう。これから生まれてくる俺達の子供も、お前も大好きだ」
「……そっか。えへへ、そっか」
もう一度シオンはジンの胸にポスンと収まった。しばらく無言の時間が流れる。だが二人の心は幸せに包まれていた。やがてジンがシオンを抱きしめたまま、彼女に尋ねた。
「……なあ、どうやって助かったんだ?」
「それは……」
シオンは直前までの事をジンに話す。
「……そうか、姉ちゃんが」
ナギの魂がまたしてもジン達を救ってくれたのだ。いつもいつも彼女は彼の代わりに絶望を背負ってくれる。だが全てが終わった今、今度こそ彼女は消えたのだろう。
「うん。ナギお姉さんはこの子と僕の恩人だ。あの人のおかげでジンとこうしてまた会えた」
「そう……だな。ああ、そうだ」
弟である彼の為なら命すら惜しくないと考えてくれる優しい姉だった事をジンは思い出す。そんな彼女に何も返せなかった事を、心の底から不甲斐なく思うと同時に彼女のためにも、自分はシオンと子供と共に幸せにならなければならないという決意を固く心に刻んだ。
「じゃあ、お前の中にはもう法魔の魂は無いのか?」
「無い……と思う。お姉さんが言ったように、力が大きく欠けている感じがする。なんか体のどこかにぽっかり穴が空いたみたいだ」
シオンは黒いドレスの上から胸を押さえる。
「そうか……じゃあ、本当に終わったんだな」
「うん。そうみたいだ」
ジンとシオンはまた向かい合って笑った。
「さて、そろそろ起きようか。ハンゾーを供養してやらなくちゃ」
ジンの言葉にシオンは頷き、彼から体を離した。
「僕も陛下の様子をちょっと見てくる。レトが散々痛めつけていたから。あの人はまだこの国に必要だ」
そう言うとシオンは少し離れた所に倒れ伏しているイースの元へ、ジンはハンゾーの剣が落ちている所へと向かった。
「ハンゾー。約束、守ったぞ」
剣を拾い上げてそう呟く。ハンゾーと共に戦ったとは思えないほど刃毀れ一つ無い細く美しい片刃の剣だ。アカツキでは『刀』と呼ぶのだと彼から聞いた事がある。そしてハンゾーは刀が剣士の魂であるとも言っていた。しょっちゅう武器を壊すジンを軽く責めていたのを思い出す。
「お前の魂は必ず国に連れて帰ってやるからな」
ジンはその場で黙祷する。崩れ落ち、砂となったハンゾーには墓に入れるための肉体が残っていない。近くに落ちていた鞘を拾い上げ、それに刀身を収めた。それからイースの側にいるシオンの方へと駆け寄る。
「様子はどうだ?」
「うん。気絶はしているけど肉体的には問題なさそう。元に戻す術が使われた直後でよかった。そうでなければ死んでいたはずだ。ただ……」
「精神がどうなっているかはわからないか」
「うん。あんな目にあってまともでいられる方が凄いと思う」
ジンはシオンの言葉で、先程までイースの身に降りかかっていた絶望を思い出した。
「とりあえず、治療院に運ぼう。下手に何かしない方がいいだろう」
「うん、分かった」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ふう」
ルースは流れる汗を拭った。彼の足元には白い翼が生えたキマイラの首が転がっていた。すぐ近くにはその身体が力無く倒れていた。
「やったな!」
ルースは後ろで支援してくれていたアルトワールに向けて親指を立てて笑う。アルトワールは若干疲れている様だったが、気怠そうにルースを一瞥するとさっさとマルシェが待つ演習場に戻っていった。
「はっ、相変わらず連れねえな」
幼馴染の態度に苦笑しながらも、彼女の後に続いた。街の方ではまだ戦闘音が聞こえていたが、その数は徐々に少なくなっていた。
「ジン、無事に戻って来いよ……」
必死になって誘拐された恋人を探し回っていた友人を思って呟き、演習場に入ると、マルシェがアルトワールに抱きついて泣いていた。それを見て、ルースは彼女を守れた事を誇らしく思いながら、彼女達の方へと足を向けた。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「お疲れ様」
テレサは大量の白い翼を持った化け物達を倒してきて、若干疲れた様子のアスランを労うようにお茶を差し出した。彼は先ほど戻ってきて、アレキウスの訃報とイースの容体を聞いたばかりだったが、イースの代わりにするべき政務を始めていた。今回の事後処理を早急でする必要があるためだ。
「ありがとう」
恋人兼婚約者であるテレサに感謝しつつ、先行していた救援部隊から届いた報告に目を通す。
「喜べ。君の幼馴染は無事だそうだ」
「ほ、本当!?」
その言葉を聞いてテレサが身を乗り出す。豊かな胸がアスランの目の前に強調されて思わず彼は頬を染めて目を逸らした。
「あ、ああ。今父上に付き添って治療院の方に行っているらしい。1週間も誘拐されていたからついでに検査も受けているそうだ。まだしばらくかかるだろうから行ってあげるといい」
「うん! ありがとう!」
テレサはアスランの右頬にキスをすると、物凄い勢いだ駆け出した。アスランは恋人のスキンシップに顔を赤らめ、頬を押さえながらも苦笑した。
〜〜〜〜〜〜〜
「うおおおおおおお!!! シオンンンンン!!!」
検査を終えて個室でジンと過ごしていた彼女の元に、グルードが顔を鼻水と涙でグチャグチャにしながら部屋に駆け入ってきた。普段のきちっとした見た目とはかけ離れ、何日も着ているかのようなクタクタになったシャツを身につけている。
「お父……」
シオンが父親の方に顔を向けると、彼はシオンをキツく抱きしめた。
「よかった。本当によかった!」
号泣しながら何度も彼女に頬擦りする。無精髭がシオンの頬に当たる。
「あ、あはは、お父様、痛いです」
そんな彼をシオンも抱きしめながら笑う。
「……シオン君の部屋ってここ?」
「みたいだな」
「……」
「早く入りましょう!」
途端に部屋の外から騒々しい声が聞こえてきた。たった1週間会っていないだけなのに、妙にシオンは懐かしく感じる。
「失礼します。ああ、シオン!」
「失礼しまーす。あ、ほんとだ!」
「……します」
「失礼します!」
テレサに続いてマルシェ、アルトワール、ルースが部屋に入ってきた。
「みんな!」
グルードに放してもらい、シオンはテレサとマルシェ、アルトワールと抱き合った。一方ルースはジンに歩み寄り、ニッコリと笑いながら拳を突き出してきた。
「やったな相棒」
「ああ」
その拳にコツンと拳を打つけてジンも笑う。
「そっちも随分活躍したみたいだな」
ルースの服はそこかしこが化け物の返り血で赤く染まっていた。
「あー、まあな。こっちも化け物が大量に出てよ。まあそっちよりは大変じゃなかったかもしれねえけどな。何せ、敵の本拠地に行ったんだろ?」
「まあな」
そんな事を話していると、マルシェ達がはしゃいでいるのが聞こえてきた。
「怪我はない? お腹の子供は?」
「うん、大丈夫。この子も僕も無事だよ」
シオンはテレサに頷く。
「よかったー。そう言えばジン君には話したの?」
マルシェの質問にシオンは照れ臭そうに頬を掻いた。
「い、一応」
「なんて言ってきた?」
「嬉しいって、二人とも大好きだって言ってくれた」
その言葉にアルトワールまでキャアキャアと黄色い声をあげる。
「全く、再会したと思ったらいきなり子供だもんな。なんつーか、本当に生き急いでる感じがするぜ」
ルースが彼女達の会話を聞いて、ジンの背中をバシバシ叩いた。
「ははは、うるせえ」
そんな彼の太ももを、ジンは軽く蹴る。
「それにしても本当に綺麗なドレスだね。ジン君からもらったの?」
シオンの着ているのは体のラインが見えるタイトな黒いドレスだ。背中の部分が大胆にも大きく開かれており、セクシーさを強調している。月のない夜の闇よりも暗いそのドレスは、見る者を魅了する魔性の美しさを兼ね備えていた。商人の娘であるマルシェはふと気になって軽い気持ちで尋ねた。
「ううん、これは……」
シオンはそのドレスについて、誰が造ったのかを説明しようとした。
「あれ?」
その時、ジンは違和感を強く感じた。
『何かがおかしい。何か見落としている? あのドレスが問題なのか? あのドレス……』
次の瞬間、雷が落ちるように彼の頭の中で一つの疑惑が生み出された。ドレスは法魔が力を使って生み出したものだ。通常、術を使って生み出されたものは、生み出した者が死んだ場合、力を失って跡形もなく消え去る。そしてシオンの話では既に彼女の中にその力は残っていない。残っていないはずだ。それなのに未だに彼女がその服を着ている事が何を意味しているのか。
「そんな……まさか……」
ジンがそう呟いた時、マルシェの腹にシオンの手が突き刺さると、そのまま背中側まで貫通した。
「え?」
マルシェが驚いて目を見開き、ゆっくりと自分の腹部を見下ろす。
「ごぼっ」
そして血を吐き出した。シオンは心底楽しそうに目の前の少女を嘲笑い、自分の口元に飛んできた血をペロリと舌で舐めた。




