別れ
一瞬感じた痛みに顔を歪めるも、ジンは怯まない。その痛みなら既に知っている。腕を抑え、痛みに堪えつつ、切り飛ばされた腕に闘気を回し、血を強引に止めた。
左腕は空中に浮かび、流れる様にレトの所へと飛んでいくと。彼女の小さい手の中に収まった。レトはそれにかぶりつく。ムシャムシャという咀嚼音が空間に響き渡る。
「美味いかよ?」
【ああ、久々に喰らった強者だ。美味いに決まっている】
皮肉を言ったジンに答えつつ、口元を血で汚しながらレトはあっという間に腕を喰い終わった。
【それに無神術が扱えるなら、腕一本ぐらい元に戻すことは容易だろう?】
かつてレヴィと初めて対戦した時に、奪った腕をノヴァが無神術で復元させた事があった。無神術が創造と破壊を扱う術である以上、奪われた腕は復元できるとレトは知っていたのだ。
「残念ながら俺はそこまで無神術を巧く扱えねえんだよ」
その言葉にレトは目を丸くする。
【そうか、それはフィリア様に対して悪い事をしてしまった。ノヴァにどやされるな】
後悔した表情をするレトに隙ができる。ジンはその一瞬で一気にレトに肉薄した。
【む?】
そのまま彼女の顔面に、残った右拳で思いっきり殴りつける。のけぞった彼女の襟ぐりをもう一歩踏み込んで風の鎧を『龍麟』によって受け流しながら、器用に掴むと、一気に引っ張り体勢を崩す。そしてがら空きになった腹部に膝を打ち込む。
【がはっ!】
苦悶する彼女の首をしっかりと掴み、ジンは何度も何度も膝蹴りを食らわせる。レトが吐き出した血がジンに掛かっても、彼は気にしない。それからパッと首から手を外すと、よろけた彼女の顎に向かって下から蹴り上げる。レトが宙に浮かんだ。そこに、ジンが地面を蹴って飛び上がりながら右足で後ろ蹴りを放った。レトが横に吹き飛びかけた瞬間に高速で地面に着地すると、軸足を強引に逆に回し、着地したばかりの右足で今度はこめかみに向けて膝蹴りを放つ。一度めほどは威力はないが、それでも最大限まで強化された一撃だ。体重の軽いレトにはあまりにも重い攻撃だった。そのまま彼女は床を転がり、ボロボロの壁に激突し、壁が砕けた。
しかしジンの攻めは終わらない。吹き飛んだレトをすぐに追いかけると、彼女の左足首を右手で掴み、引っ張り上げる。空中にふわりと浮かんだ彼女の顔に目掛けて、凶悪な蹴りを放った。バキッという骨が砕ける音が辺りに響く。それからパッと手を離すと。だらんとした首の彼女の腹部に向かって、正拳突きを放った。レトはそのまま再度吹き飛ばされて、破壊された壁の中に埋れた。
それを確認して、漸くジンは荒い呼吸をつき、右腕だ左肩を掴みながら、地面に右膝をついて、レトの方を睨む。
『おかしい。なんでこんなに疲れているんだ?』
ジンは自分の状況に疑問を覚える。確かに大技を連発したが、それでもここまで疲れるほど、ジンは柔な鍛え方はしていない。しかし、今は立ち上がるのも辛いほど疲れている。気を抜けば闘気が解けて切り飛ばされた左腕から再び血が溢れ出すだろう。
【全くもって素晴らしい攻撃だ。だが核を攻撃しなかった事だけは頂けないな】
そう言いながら起き上がるレトの首はダランと横を向いている。一目で完全に首が折れているのが分かるが、その表情には痛みも何もない。さらに徐々に首が元の位置に戻り始め、ついには完全に元に戻った。ボキボキと音を鳴らしながら、首を軽く回し、それからジンの方を見た。
「あぁ、やっぱりか」
ジンの顔には疲労の色が濃く現れるが、なんとか立ち上がった。魔核を破壊しなければ、魔人を倒す事は出来ない。しかしジンの今の体力では破壊するための術を放てるか分からない。せいぜい小さな『黒球』1発が限界だ。だが彼女の体のどこに魔核があるか分からないため、無駄撃ちができない。本来ならばある程度体力を奪って足を止めてから確実に放つつもりだったのだが、異様な疲労から完全に計算が狂っていた。
【随分と疲れている様だな。まあ当然か。『龍麟』をあれほど使いながら術を放ち続けていれば、そうなる事は目に見えている】
「ちっ」
その言葉にジンは舌打ちをする。いきなり実戦で扱うにはこの新しい力は負荷が大きすぎたという事だ。使わざるを得ない相手だとしても、もう少し早くそれに気がついていれば、いくらでも戦い方はあっただろうが、そんな事にすら気がつかないほど彼は状況が見えていなかったのだ。
【まあ良い。この調子で鍛えれば、少しはフィリア様を楽しませる事が出来るだろう。しかし、面倒だがその腕を治さないといかんな】
レトはジンの腕に向かって右手を向けた。その瞬間、レトの足元の瓦礫が形を帯の様に変化させて、その体を縛った。
「俺たちを忘れてんじゃねえ!」
いつの間にか背後から接近していたアレキウスが身動きできないレトを上下に風の衣の上から切り裂いた。
【なに!?】
真っ二つにされたレトが顔を後ろに向けると、肩で息をしながら、片腕で大剣を振り下ろそうとするアレキウスがいた。
【くっ!】
レトが術を放とうと右腕を左脇の下へと回そうとする。だがそれを岩の帯が束縛して妨害した。
「はああああああああ!」
裂帛の気合いと共にアレキウスが剣を斜めから振り下ろした。
「うおおおおおおおお!」
そのまま、アレキウスは器用に片手で大剣を振り回し、どんどんレトを小さくしていった。ついには体を何等分にも切り裂くと、胸の中央部に隠れていた少し小さめの魔核が現れた。
「はああああああああ!」
それに斬りかかろうとして、アレキウスの剣が止まった。後ろから誰かに掴まれたのだ。
「やばい! 避けろ!!」
ジンが叫んだ直後、凄まじい轟音と共に、アレキウスの右腕に衝撃が走った。それと同時に骨の折れる音が響く。地面を転がるアレキウスはそのままレトの動きを封じていたウィリアムに激突した。粉塵を巻き上げながら痛みに呻く二つの声が響いた。
【真剣勝負を邪魔するな。忌々しい】
ジンの目の前では、岩を纏っていた腕がぷかぷかと浮かんでいた。切り飛ばされた腕がまるで意志を持ったかの様に空中を動き出すと、アレキウスを殴り飛ばしたのだ。そしてそのままレトは回復し始め、あっという間に元に戻った。
【むう、服がボロボロになってしまったではないか】
そうレトが言う様に、服は切り裂かれ、もはや裸同然の姿になっていた。だがレトがパチンと指を鳴らすと、黒い煙が彼女の体を覆い、次の瞬間には黒のドレスへと変わっていた。
【さてと、邪魔が入ったな】
再びレトはジンの方へと顔を向ける。だがそこに彼はいなかった。
【なに?】
レトがジンを探そうとして、後ろを振り向こうとした瞬間、
「うおおおおおおおお!」
背後からジンが叫びながらレトに向かって小さな『黒球』を放った。レトの体に着弾したそれは彼女の魔核の周辺に当たると一気にその部分を削るかの様に吸収し始める。
【くっ!?】
レトは咄嗟にその部分を風法術で分離し、急いで距離を取ることに成功する。そして顔を『黒球』の方へと向けると、どんどん収束していき、完全に見えなくなった。だがそこにはいるはずのジンがいなかった。
「こっちだ!」
レトがその声で振り返ると、ジンが目の前で右手を振りかぶって殴りかかろうとしていた。咄嗟にレトはその腕を水の球体を作り出して固定する。『龍麟』は解除されていたのか、彼の体からは紋様が失せており、その術は弾かれることなく、ジンの腕を拘束することに成功した。水圧で一気に腕が潰れる。だがジンはそれを気にせずもう一歩踏み込むと、無くなったはずの左手を、レトの魔核のある胸部の中央に突き入れて、そのまま体内で掴む。
【なに!?】
「これで終わりだああああああ!」
【まっ!?】
レトの言葉を無視してジンはそのまま魔核を握りつぶした。アレキウス達がレトへと襲いかかった時、彼の作戦は既に始まっていた。密かに移動しながら失っていたはずの左腕の再生を始め、それと同時に右手に『黒球』を創り出す。それからアレキウス達が魔核を露出させた事を確認した彼はどこにそれがあるかを記憶した。そしてレトに生まれた一瞬の隙をついて『黒球』を放った。だがその攻撃が成功したかしないかを確認せずに、ジンは再度走り出し、レトの裏を取ると、魔核のある胸部中央に向かって殴りかかった。当然ながら、レトは魔核を守ろうと動く。しかし彼女は半身のジンで隠されていた左手がそこから伸びてくるとは思っていなかった。突然の事に一瞬虚をつかれた彼女に、ジンは止めを刺したのだった。
【まさか、あれがはったりだったとはな】
口から血を吐き出しながら、レトが力なく言う。体が徐々に崩壊し始める。
「ああ、再生は散々訓練したからな」
アカツキでの修行で、彼はノヴァが見せた再生を訓練し続け、漸く成功させた。ノヴァの様に一瞬では出来ず、時間はかかる上に非常にエネルギーを使うが、それでも彼には余程ひどくなければ治す事が出来る様になっていたのだ。
【……これで、終わりか】
レトが呟く。既に体の半分以上が光となって消え去っていた。
「ああ」
「ごめんね。また苦しめちゃって」
その声の質の変化にジンは一瞬目を丸くし、涙がこぼれた。
「こっちこそ、ごめん。また姉ちゃんに多くの人を殺させてしまった」
「うん。でもジンならきっと止めてくれるって信じてた」
「……ああ。だって約束したから」
「うん。だから……ありがとう。今度こそ、本当にさよならだね。
「ああ」
「だから、もう一つの約束も守ってね」
どんな事があっても負けない事、そしてどんな時でも笑っている事、それがナギと交わした最後の約束だった。
「ああ、姉ちゃん、絶対に守るよ」
溢れる涙をゴシゴシと腕で拭って、ジンは強引に笑う。それを見て、ナギは嬉しそうに微笑みながら、
「いつまでも、愛しているよ」
と言って、光の粒子となって空へと消えていった。
ジンは空を見上げて泣きながら見つめ続けた。
「俺もだよ。姉ちゃん」
彼の呟きは誰の耳にも届くことはなかった。




