憎悪
「ぐっ、あああああ!」
レヴィがその痛みに悲鳴を上げる。ジンはその声を無視して、全力の拳を放った。執拗に迫り来る攻撃に業を煮やしたレヴィは口から黒炎を吐き出した。
「くっ!」
それに驚異的な反応を見せたジン距離をとって回避する。だが完全には避けきれず、炎が服を焦がす。もはやボロボロになった上着を邪魔だとばかりにジンは脱ぎ捨てた。
「っ!」
シオンはジンの様子を見て驚愕する。幾度も強引に再生を繰り返したためか、皮膚はそこかしこが引き攣れている。そして何よりも目立つ身体中に走る禍々しい黒い龍の文様。とても自分がよく知るジンには見えない。
「シオン、逃げろ!」
それでも彼の言葉に込められた、その優しさは変わらない。心の中でシオンは葛藤する。彼の願いを反故にして手助けをするべきか、従うべきか。だがすぐに結論は出た。
『もしかしたら僕は邪魔になるかも知れない。それでも!』
ただ逃げるだけの少女に成り下がるなど、自分で自分が許せない。だから踏み出す。覚悟は決めた。圧倒的な恐怖を乗り越え、シオンは力を解放した。彼女の周りを金色の粒子が舞い散る。
「はああああああ!」
風が吹き荒び、石舞台でかろうじて息をしていた者達を外へと追いやる。これで少しはジンも戦いやすくなるはずだ。そしてそのままシオンは四属性保持者としての本領を発揮した。
炎が、水が、風が、土がレヴィに襲いかかる。
「ダメだシオン!こいつに術は!」
龍の魔人であるレヴィは術に高い耐性を持っている。そんな彼に術で戦うのは愚策であった。接近する法術を見てレヴィは嗤う。
「かはっ!これはっ!?」
だが次の瞬間、彼の体に次々とシオンの術がぶつかり、レヴィは予想外の痛みに呻いた。ジンはその光景に驚愕する。レヴィに法術、特に炎系は効果が薄い。なぜならその肉体を龍の力が包んでいるからだ。その上、黒炎を吐くようにレヴィは炎に強い親和性を持っていたはずだった。しかし目の前の現実は彼の予想に反していた。
「まだまだ!」
追撃とばかりにシオンは次々と術を放つ。たまらずレヴィは距離をとった。だが高々数十メートル離れた程度、シオンにとって誤差の範囲である。なぜだかはわからないが自分の術は相手に効果がある。それならばとシオンは何もないはずの空間に水の虎を生み出して、レヴィにけしかけた。
高速で接近する『水虎』はそれでもレヴィにとって躱すのは容易い。しかし跳躍しようと足に力を込めようとしたところで、足が地面からいつの間にか飛び出ていた石に固定されていたことに気がついた。どうやら『水虎』に意識を向けさせられた隙にやられたのだろう。
その一瞬の遅れでレヴィの腹を『水虎』の爪が引き裂いた。あたりに血飛沫が飛ぶ。
「ぐああああああああ!」
臓物がずるりと腹からこぼれ、その痛みにレヴィは吠え声をあげた。
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「すげえ」
「あ、あれなら勝てるんじゃねえか?」
「そ、そうよ。絶対勝てるわよ!」
恐怖に怯えていたはずの観客も、眼下で繰り広げられる死闘にいつの間にか目を奪われていた。圧倒的な強者を一人の少女が追い詰めている。その事実に彼らの瞳に希望の光が灯った。
「シオン……」
「シオンくん、ジンくん」
「頼む、勝ってくれ」
「…………」
テレサ達は祈るように囁く。先ほどジンが獣のように変化した時には驚愕したが、今はどうやら冷静さを取り戻しているようだ。
眼下ではジンとシオンが共闘を始めていた。二人の連携はどんどんレヴィを追い詰めていく。その光景に人々の期待は否が応にも高まり、裏切られた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
シオンが放つ術の合間にジンは接近し剣を振るう。さすがのシオンも強力な術を使おうと思えば、力を溜めるのに時間がかかる。その間彼女は無防備になってしまう。だから自然とジンは自分の役割を理解した。
「クソがっ!痛えじゃねえか!」
レヴィの口調が変わる。あの不快な笑みは消え、怒りのこもった瞳がジン達に向けられた。かつてウィルとともに対峙した時に少しだけ見せた燃え盛るような怒りだ。だが感情が高ぶっているためか隙も多い。
「おいおい、素が出てるぜ」
ジンは自分にレヴィの意識が向くようにあえて挑発する。自分がどうなっても、シオンが目の前の化け物を殺せる術を放ってくれることを信じていたからだ。
「ああ!?生意気言ってんじゃねえカスが!ぶっ殺すぞ!」
「そんなボロボロでぶっ殺せるならぶっ殺してみろよ雑魚が!」
「死ねええええええ!」
その言葉にレヴィの怒りが頂点に達したのかジンに向かって突進する。ジンはすぐにくるはずの攻撃に備えようとして、相手の狙いに気がついた。
「あははは、バーカ!」
レヴィは小馬鹿にしたように嗤い、シオン目掛けて黒い稲妻を放った。
「きゃあああああああ!」
反応すらできない光速の一撃が法術を発動しようとしていたシオンに直撃した。少女の悲鳴が周囲に響き渡る。
「シオン!」
ジンの叫びも虚しく彼女は崩れ落ちた。ジンはレヴィに背中を向けるという愚行を犯してもシオンに駆け寄った。
「…………って………よ」
レヴィが何か言っているが耳に入っても理解できない。地面に倒れ伏した少女を抱き起こすと、其処彼処が炭化しかけている。正直直視できないほどにひどい傷だ。なんとか呼吸をしているようだがすぐにでも治療しなければ、死ぬのは確実だ。
身体中の血液が凍ったかのように震えが止まらない。自分の目の前でまた大切な人の命が失われかけている。
「……どうやら君の力を封じる鍵が彼女みたいだからね。先に消させてもらったよ」
呆然としたジンに優雅に近寄ると、レヴィは彼の顔を軽く蹴りつけた。だがその威力は凄まじく、ジンは弾き飛ばされ、シオンを手放してしまう。よろよろと立ち上がったジンを見てレヴィはため息を吐いた。
「はあ、僕の力を使ってその程度?本当にだらしない。こんなののために父さんも母さんも死んだのか」
「な…に?」
「あれ、聞いてない?父さんが死んだってことを」
「う……そだ」
「うそじゃないよ。ほら、これ戦利品」
そういって掲げたのはウィルが指にはめていた指輪だった。
「あ…ああ…ああああああああああ!!」
ジンは発狂したように叫びながら、右手に力を集中して黒炎の弾をレヴィに向けて放った。
「うるさいなあ」
レヴィはジンがなけなしの力を込めて放ったそれを軽々と弾き飛ばし、接近してジンの腹に拳をめり込ませた。あまりの衝撃にジンは倒れるように膝を落とし、腹を抱える。そしてジンの頭をレヴィは踏みつけた。
「君の弱さは罪だ」
「つ…み?」
ウィルが死んだという言葉が、頭の中でグルグルと駆け巡る。シオンを早く助けなければという気持ちが心を駆り立てる。
「君が弱いから母さんは死んだ。君が弱いから父さんも死んだ。そして、君が弱いから、大切な人が死んでいくのを止められない」
「や…めろ」
ジンを無視してレヴィは右手をシオンにかざした。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
シオンに向けて巨大な黒炎が放たれた。ボロボロの少女の体を黒い炎が覆い尽くす。ただでさえレヴィの放った黒い稲妻で瀕死の状態だったのだ。一目見て致命的であることがわかる。
そんな少女を横目に、レヴィは虫けらを見るような目でジンを見ろした。
「何を勘違いしているのかわからないけど、君には僕と戦えるようになる義務があるんだ。そのために不要なものは今ここで切り捨てろ」
ゆっくりとジンの頭に乗せていた足を退けると、レヴィは観客席をぐるりと見渡した。
「さてと、さすがにお腹が空いたから、誰か食べようかな。まあ先ずは君の大切な子からかな。さすがに燃え尽きて食べられないかね。どう思うジン?」
その言葉を聞いた瞬間、ジンの頭の奥からドス黒い感情が溢れ出す。それは形となって身体中から黒い闘気が吹き出した。禍々しいその闘気は稲妻を携え、ジンにまとわりつく。ゆらりと立ち上がった彼の瞳は暗く濁り、その目にはただ憎しみだけが映し出されていた。




