獣
レヴィはその変化を興味深そうに観察していた。
「へえ、僕の力を取り込むとそんな風になるんだ。面白いね。今度誰かにやってみようかな」
だがその言葉はジンには届かない。彼はすでに意識の大半を持って行かれていた。だから今ジンにあるのは目の前の敵を殺すという衝動だけだった。
「かああああ!」
突然ジンはその場で口を開くと大きく仰け反って、口から炎の塊を放った。黒いその炎は、かつてレヴィがジンを燃やしたものと全く同じ炎だ。レヴィは驚いて飛び退る。
「あはは、なるほどなるほど。僕の力も使えるんだ」
レヴィが避けたと認識するかしないかのうちに、既にジンは駆け出していた。そして持っていた黒い短剣で突きを放つ。かつてないほどのスピードに直前までの戦いに目が慣れていたレヴィも対応が追いつかない。だがそれでもジンの攻撃はレヴィの龍鱗を突き破ることは出来なかった。
カウンターとばかりにレヴィはジンに蹴りを放つ。技を放った直後のはずのジンは、しかしそれを回避する。人間離れしたその動きにレヴィは瞠目する。
「あはは、すごいすごい。今のを避けるんだ。それならこれはどうかな?」
今度はレヴィが接近し貫手でジンの心臓を狙う。凶悪な爪がジンの体に突き刺さる前に、驚異的な反応速度でジンはその手を片手に持っていた短剣で切り上げて方向をずらす。その勢いを止まらず、レヴィの手はジンの頬を切り裂いた。だがジンはそれを無視してレヴィの首元に噛みつき、噛み千切ろうとする。
レヴィは伸ばしていた腕を素早く引き戻しながら横に薙いで、ジンの頭を横から殴りつける。たいして力の入っていないはずのその拳に、ジンは吹っ飛ばされる。だが強引に地面に短剣を突き立てて、ガリガリと石舞台を削りながら威力を消すと武器を手放し矢のように飛びかかった。四つん這いになりながらレヴィに襲いかかる姿は……
「まるで理性を失った獣だね。まだ僕のこと認識できてる?」
レヴィは襲い来る攻撃を回避しながらジンに話しかける。
「—————————————!!!」
その言葉への返答は、もはや彼が人間ではないということを主張しているようであった。舞台に落ちた肉片を蹴散らしつつ何度も何度もジンはレヴィに襲いかかる。それをことごとくレヴィは回避し、受け流し、反撃する。呪いに魂を捧げてなお、その力には圧倒的な差が存在していた。
レヴィの拳がジンの腹部に深くめり込み、その体を宙に浮かす。
「がはっ」
肺にたまっていた空気が一気にあふれた瞬間に、レヴィはジンの顔面を思いっきり蹴り飛ばした。凄まじいスピードで吹き飛ばされたジンは、また壁に打ち付けられる。追撃とばかりにレヴィが一瞬のうちにジンに接近すると、再びその拳をジンにぶち込んだ。バキッという骨の折れた音が鳴り響く。
「———————————!!!」
ジンの悲鳴のような叫びが周囲に轟く。だがそれを無視するかのようにレヴィは何度も何度もジンを殴りつける。一発一発が凄まじい。どんどんとジンは壁に埋め込まれていく。
「そぉれ!」
おまけとばかりにジンに蹴りを叩き込むと、レヴィは距離をとった。遠目から見てもジンが死にかけていることがわかる。夥しいほどの血があたり一面に飛んでいる。
「退屈だなぁ。せっかく面白くなるかと思ったのに。意識飛んじゃってるんだもん。確かに身体能力は向上したけど、それだけじゃん。そんなんで勝てると本当に思ってたの?だとしたら哀れを通り越して笑えるね」
獣になったことで、ジンは今まで鍛えてきた技術を全て失った。それは同時に唯一彼が持っていたレヴィへの対抗手段を失ったことと同義である。つまらなそうな顔でジンを眺めた。
「はあ、まあサンドバッグとしては合格かな」
レヴィは溜息を吐いた。ジンが急激に再生を始め、動き出したからだ。人間とは思えないその回復は、折れた彼の骨を強引につなげ、破裂した内臓を修復し、失った血液を増幅した。その様はまるで時を巻き戻しているかのようだった。
「面倒くさい」
レヴィが呟くと同時にジンが飛びかかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
身体中が痛い。苦しくて苦しくてたまらない。なぜ自分はまだ生きているのだろうか。また強引に体が動き出す。自分で自分をコントロールができない。頭の中に響く声が自分を支配する。
『憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い』
目の前の敵が憎い、殺したいという気持ちが心を覆い尽くす。なぜ自分は目の前の少年にこれほどの殺意を抱いているのだろうか。わからない。ただただ憎い。ただただ殺したい。
また体が動き出す。ぐちゃぐちゃになった内臓が、千切れかけた四肢が、バラバラになった骨が再生する。死にそうなほど痛いのに、それでも止まってくれない。何度も何度も壊され、治り、壊され、治り、その度に途轍もない痛みが体を駆け巡った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
激しい戦闘音にシオンは意識を取り戻した。朦朧とする頭であたりに目を配り、一気に覚醒した。化け物と少年が殺し合っている。赤い髪をなびかせた少年は禍々しい怪物を翻弄している。圧倒的な実力を見せつけ、その怪物をいたぶっている。怪物は瀕死の重傷を負ったかと思えばすぐに復活し、少年に襲いかかる。きっとこれが何度も繰り返されてきたのだろう。
怪物にはもはや彼の面影はない。だがシオンにはその化け物が誰なのかすぐにわかった。間違えるはずがない。
「ジ…ン……」
痛みをこらえてよろよろと立ち上がる。きっとあの少年がジンの中にあった闇なのだろう。あんな化け物になってまで殺そうとしているのだ。自分には想像もつかない何かが二人の間にはあったのだということは容易に想像できる。
だがそれでも、彼女の心は締め付けられるように痛む。あまりの光景に、あまりの悲しみに、あまりの哀れさに。何度壊されても挑むその様は、見ているシオンの心が痛む。
「ジン…ダ…メ…」
初めは喉の奥からなんとか声を出して。
「ジン、ダメ…」
必死になって声を出そうとして。
「ダメだっ、ジン!」
持てる限りの力を振り絞って叫んだ。これ以上彼が傷つく姿を見ていられなかった。見ていたくなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
誰かの声が聞こえる。誰だろう。大切な何かだった気がする。でなければこの声を聞いてこれほど苦しくならない。身体中を蝕む痛みより、この泣きそうな声を聞くだけで心が掻き毟られ、引き裂かれそうになる。
頭の中にふと誰かがよぎる。喧嘩っ早い誰か。優しいくせに不器用な誰か。人のために命をかけられる強さを持った彼女。誰よりも愛おしいと思った少女。自分の命をかけてでも守りたいと思った、シオン。彼女の名を思い出した瞬間、ジンの意識が覚醒した。
素早く状況を確認する。身体中が痛むが動けないほどではない。頭の中に溢れる憎しみはなんとか抑えられている。とにかくどこにシオンがいるか一刻も早く確認したかった。そして気がつく。レヴィが彼女の方へと顔を向けていることに。
また失うかもしれないという恐怖に髪が逆立つ思いで、狂ったように駆け出して、レヴィに殴りかかった。
背後からの突貫にレヴィがため息を吐いてから、無造作になぎ払おうとしたところでジンの動きに技が現れる。先ほどまでの無謀な突撃ではなく、冷静にフェイントをかけてレヴィを釣ると、渾身の力を込めた拳でレヴィを殴りつける。
「かはっ!?」
レヴィは突然の動きの変化に対応できず、ジンの拳を腹部に直接打ち込まれる。呪いと無神術によって強化した肉体による攻撃はついにレヴィに届いた。
「うおおおおおおおおお!」
その一瞬をジンは見逃さない。怒涛の攻撃でレヴィを吹き飛ばす。すぐさま追撃を加えようと、いつの間にか落としていた短剣を走りながら回収し、勢いをつけてレヴィに突きを放つ。それはレヴィの皮膚を突き破り、そのままジンは斬り上げた。苦痛に嘆くレヴィの咆哮が響き渡った。




