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4 Let it be.




 結局、僕は学校が終わると毎日おっちゃんの段ボール邸宅に通っていた。

 通い出してわかったことだが、段ボール邸宅は、文字通り段ボール「邸宅」だった。段ボールの家は意外に暖かい、とかいうけど、そういうレベルじゃない。おっちゃんの家は、表面を段ボールでコーティングしてあり、一般的なブルーシート+段ボール建築「青い自由の家」風ホームレス住宅に偽装しているものの、中身は別物だったのだ。


 一歩中に入れば、そこは下手なワンルームマンションを上回る規模の快適居住空間に仕上がっていた。廃材を拾ってきただけだ、といいはるが、どこぞの住宅展示場をそのままもちこんだようなフローリングの床に、断熱材を挟み込んだ壁。どこの配線からちょろまかしてきたのかわからない電源。水道に至っては、ゴムホースどころかきちんと配管がされている。どうやって引いてきたのかと問いつめたら、「道路工事をやっていたときにちょっと忍び込んでな」と笑っていた。流石に、トイレだけは近所の公園にでかけるものの、生活排水は、そのまま川に流せばいい。呆れたことに、シャワーまでつけているようだった。電気に上下水道完備の掘っ立て小屋ってなんなんだ?

 道理で、おっちゃんからはその道の人が放つという悪臭が感じられないわけだ。おっちゃんは、トレードマークであるシミの浮いた化繊ジャンパーを着替えてひげを剃ってしまえば、多分、町中を歩いていてもホームレスだと絶対に気付かれない。それどころか、スーツを着ていたらどこかの重役さんにだって見えるかもしれないぐらい貫禄を感じさせるときもある。

 けれど、普段は相変わらずスリングショットでキジハトやらカモを仕留めては、焼き鳥を作っているか、拾ってきたらしい戦利品のエロ本やらマンガやらを眺めてはにやにやしている毎日を過ごしている。少なくとも、僕にはそう見えた。


 僕はといえば、相変わらず、スリングショットは教えてもらえていない。河原に腰を下ろして骨のスケッチを続けていた。吹き抜ける風が身にしみる。

 ただ絵の腕は、自分でも驚くほど上達してきたと思う。だんだんと、おっちゃんの指導も具体的になってきた


「嘘は描くなよ。本当に、そこにそんな線はあったか? 光で同化していて、そこの線は見えないはずだぜ」

 あった、ような気がするけど……、ない、か。

「ごちゃごちゃしてる部分、と考えるからごちゃごちゃに見えてしまう」

 だって、ごちゃごちゃしてるんだもん。

「全体を見ながら、部分をよく見てみろ」

 同時に2つなんて無理……。

「比率を正確にはかれば、位置関係がつかめる。そいつの拇指と人差し指の関係はどうなってる?」

 どうなってるんでしょう?


 けれど、少しずつおっちゃんの言いたいこともわかってきた。

 確かに、これは絵の修行ではなく、眼の修行だ。見ていないものは描けない。描けないということは見ていない。いや、見えていないのだ。きちんと見えるようになれば、頭の中にその形が、大きさが、正確に再現されるようになる。

 ノートを半ば使い潰す頃には、罫線を利用して、大まかに寸法が採れるようになってきた。あれだ、絵を描くときに画家がよく鉛筆を立ててなんかしてるけど、あれってかっこつけてるわけじゃなくて、比率をはかってたんだ。

 そういうことがわかってきたころにはシャーペン1本ではどうしようもないから、美術セットに入っていた4Bや2Bの鉛筆を引っ張り出して使うようになっていた。


 2冊目に入る頃には、大きさや形だけでなく、色や光の加減まで見えるようになってきた。


 3冊目に入ろうとしたとき、おっちゃんに止められた。

「どうせ罫線を当てにするなら、正確な方がよかろう。こっちを使え」

 切り取り式のレポート用紙の束がクリップバインダーに挟んである。レポート用紙には淡い青い線で緻密な方眼が印刷されている。A4サイズの製図用の方眼ノート、か。確かに、大学ノートよりはずっと描きやすそうだけど。こんなの、普通使わないよな。それに、スケッチブックじゃないんだ。

 ふと、思いついたことがあって聞いてみた。


「おっちゃん、画家じゃなくて、設計関係の人だったの?」

 まぁな、というおっちゃんの答えを聞いて、しまったと思ったが遅かった。

 いつもは、ちょっと怖い顔をしたりすることもあるけど、基本的にへらへら笑っているおっちゃんが、その時は、確かに寂しそうな眼をしていた。


「……ふん、お前さんに気を遣わせるようじゃ、ワシもまだまだだな」

 そういって苦笑しながら、おっちゃんが僕のところに仕留めた鳥を持ってきた。


 うわ、また撃ってるよ。

 昼飯の焼き鳥用なのだろうか、おっちゃんはキジバトをその芸術的な腕前でよく仕留めていた。最初は野蛮だと引きまくっていた僕も、今ではすっかり慣れ、時々ご相伴にあずかっている。


 おっちゃん曰く、スリングショット狩猟は違法ではないぞ、とのことだった。気になったので僕も調べてみた。確かに、スリングショット狩猟は違法ではない。ただし、合法でもない。

 狩猟に関しては、「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」とかいうのがあって、あれはダメこれはダメ、あれをするならこれをしろ、とかそういうことがたくさん書いてある。古い、古~い法律らしい。狩猟をするなら、基本的に決められた道具で、決められた場所で、決められた時期に、決められた種類の動物を捕まえてね、ということのようだ。

 で、決められた道具というのは、基本的には銃・網・罠だ、ということになる。逆に、釣り針や弓矢、爆弾は使っちゃだめらしい。釣り針は、なんとなくわかる。専門用語では半矢っていうらしいけど、猟が中途半端に失敗(成功?)して、鳥とかのクチバシに釣り針がかかってたら、そりゃよくないよね。弓矢も同じ理由らしい。やるなら確実にやれ、ということか? ボウガンによる矢ガモ騒ぎとかを考えると、確かにわからんでもない。だからといって、爆弾でドッカ~ンはやっぱりダメ、というこだそうだ。


 そして、おっちゃんの理屈だと、「『使ってはいけない道具』にスリングショットなんて書いてないだろ? だから大丈夫、大丈夫!」とのことなのだが。それって、石を投げちゃダメといわれて砂を投げつける小学生の発想じゃないのか?

 もともと法律は、こんな命中精度に欠け、威力も(狩猟用にしては)低い道具の存在を想定してない。実際、普通ならスリングショットなど実用的に狩猟に使えるものではない。有効実用射程はせいぜいが10mかそこらなんだから。だけど、このおっちゃん、無意味に腕がいいからなぁ。


 余計なことを考えていたので、おっちゃんの言葉を聞き漏らしかけた。

「そろそろいいだろう。こいつを描いてみろ」

「こいつって、キジハトを?」

「そうだ。ただし、こいつの中にある骨を描いてからだ」

 出た。また無理難題を。


「見てろ、こういう風に描くんだ。貸してみろ」

 おっちゃんは、僕の手から方眼ノートをバインダーごと受け取ると、手慣れた勢いで模写をはじめた。実際におっちゃんが手本を見せるのは、これが初めてだと思う。

 最初に丸や四角をかいて全体のあたりをとる。それからおっちゃんは見えないはずの骨を克明に描き出した。

 そうだ、確かに、このキジバトの中には、そういう骨があるはずだ。

 毎日毎日骨とにらめっこしていた僕にも、レントゲン写真のようにその骨は見えた。

 骨を書き上げたあとは、あっという間におっちゃんは鳥の輪郭をかいて肉付けを終え、羽根をかきあげた。多分、5分とかかってない。

「ま、こんな感じだ。オレ達は画家になるわけじゃないからな。骨格を消す必要はないんで、そのままでいいぞ」

 こりゃまた難題だ。そう思ってため息をついたとき、追い打ちがきた。


「お前さんにくれてやるのはその1羽だけだぜ。腐るまでに描けるようになれよ」

 僕は目線を動かすことなく鳥とノートを同時に見たまま猛然と練習を始めた。



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