3 ベストキッド
「お前さん、意外にしつこいな」
おじさんはあきれ顔で言った。
路地裏に始まり、壁の隙間、高架下、排水溝沿い、草やぶと続いた追跡の旅は、橋の下の段ボール邸宅で終着を迎えた。「段ボール」という建築素材と「邸宅」という単語との親和性は著しく低いように感じるのだが、それでも、目の前にある家を形容する言葉はそれしか思いつかない。
「それで。お前さん、わしになんの用だ?」
追跡を続ける中で、先ほどとはうってかわって僕の中には断固たる決意が生まれていた。
「お願いします、僕にスリングショットを教えてください」
何で弟子入りなんかを思いついてしまったのかはわからない。正義の味方を気取りたかったわけでもないし、別にそれほど不良に仕返しがしたかったわけでもなかった。ただ、少し、刺激が欲しかっただけなのかもしれない。けれど、僕は弟子入りを決めていたのだ。
理屈ではなかった。
もっとも、それは理屈に合わないことをしたかった、という理屈かもしれないのだけど。
部活動をしていない中学生の日常なんか、びっくりするぐらい何もない。刺激的なことといえば、時折、ゲーセンで古式ゆかしい不良君たちに絡まれることぐらい。中学生だからバイトも禁止。もっとも、そんなことを決められるまでもなく、僕にはその意欲も必要もなかった。
家を空けがちな両親は、お金だけはたっぷり稼いでくれている。ゲーム、マンガ、CDと欲しいものは一通り手に入る。スリルを求めて万引きに手を出すほどバカでもなければ気合いも入ってない。
暇つぶしのオモチャにと、エアガンを買いあさったのが半年前。それにも飽きが来たので、次のちょっと刺激的なオモチャを探していた。
だから、僕はおっちゃんが使った道具の正体をよく知っていたわけだ。
最近は、アイドルグループの名前でも有名な街、その地方都市版。二次元美少女キャラの等身大ポスターが張り巡らされている一帯を通り抜ける。
髪を染めているわけでも無かろうに、青やらピンクやらの生態学上あり得ない頭髪を持つ、頭蓋骨の半分ぐらいは眼球のために穴が空いているだろう美少女たちに心をときめかすことが出来たら、ある意味で僕の人生はもっと充実していたのかもしれない。幸か不幸か、僕は燃えることも萌えることも出来ない人種のようなので、同世代の一部の人間にとっては無限のアリ地獄となるその空間を何の障害もなく通り過ぎることが出来た。
その先に、僕のお気に入りの店がある。
大人のオモチャばかりを集めたお店だ。といっても、Hな意味ではない。危ないオモチャの専門店だ。大型マグライトにつけるトンファーアタッチメント、パッシブ型暗視スコープ、赤外線撮影カメラ、スタンガン。一瞬だけ、すごく実用的のように錯覚するけれど、ごくわずかに理性が戻ってくると、どう考えてもこの日本で使い道がないだろうこんなものという素敵な高額商品ばかりが置いてあるお店だ。
この手の店は、法律のグレーゾーンを生きるプチ無法地帯のように思えるのだが、通ってみると実はそれほどでもないかもしれないと思えてくる。対面販売のお店だけあって、店長さんはちゃんと人間としての良識を備えている。たとえば、未成年の僕には絶対にボウガンを販売してくれない。もちろん、未来の顧客を失わないように取り扱い方法を熱弁してくれるあたりは、さすがはこの手のお店だと感心するけれど。それに比べたら、ネット販売のえぐいことえぐいこと。この間なんか、……いや、話がそれすぎるからやめておこう。ともかく、そのお店にスリングショットは置いてあったのだ。
スリングショットとは、わかりやすく言えばパチンコのことだ。ただ、子供用のオモチャのパチンコと違って、大人が遊ぶために工業的に精度を高めて作ってある。グリップはどっしりとしていて、ゴムをかけるY字の支柱もやや前方に突きだしてバランスをとってある。何より、強いゴムの引きにたえるために、前腕にかける支柱アームの存在が、パチンコとは一線を画すかっこいいフォルムを生み出している。問題は、専用弾を使えば空き缶程度なら貫通する威力を持つこのオモチャで、いったい何を撃てばどう楽しめるのだろう、というあたりにあるわけだが。僕は、今日その答えを見てしまった。
そういうわけで、僕はおっちゃんの持つ道具には強い憧れを持っていたのだ。
「お願いします、僕にスリングショットを教えてください」
秋の職場体験学習で叩き込まれた、背筋まっすぐ角度45度の超丁寧版お辞儀、をこれまでになく完璧に決めてみる。けれど、おっちゃんの返事は冷たい。
「なんでワシがお前に教えなきゃいかんのだ?」
何でだろ~う。手をくねらせて踊ったら、教えてくれるだろうか。ちょっと考えて、いいことに気がついた気がした。
「あの、この場所、秘密にしたいんですよね?」
「ん?」
「いや、その、家のことです。ここに僕がついてこれないように頑張ってたじゃないですか? 知られたくないんだろうな~、って思っちゃって」
「まぁ、な」
土地の不法占拠、が問題なのかどうかわからないけれど、おっちゃんは初めてちょっと困った顔を見せた。
「僕、場所覚えちゃったんですよね」
「それで?」
「たとえばですね、さっきのヤンキーとか、おっちゃんに会いたいんじゃないかな、とかちらっと思ってみたりしまして」
僕は、ちょっとでも交渉を有利に進めようとがんばってみた。
「お前、ワシを脅迫する気か?」
一気におっちゃんの放つ空気が変わった。変化は、わずかに目が細く、声が低くなっただけ。でも、全身から威圧感がにじみ出ている。サー、っと顔面の血が引いていく音が聞こえた気がした。
「ご、ごめんなさい、違います、全然、全くちっともそんな気はありません。ただ、その、スリングショット、教えて欲しいな~、と思ってるんです」
高速で細かく首を左右に振るのは、否定のためか恐怖のためか。悪気はないことを全身でアピールしてみる。
おっちゃんは、やれやれ、といった風に首を振った。
「……お前さん、どうしても技を習いたいのか?」
一瞬、言葉が理解できず固まってしまう。それから、今度は高速で縦に首を振った。
「なら、ワシの言うことに従えよ?」
「はい、もちろん。お金くれという以外なら何でも」
「お前なぁ、身銭切らん奴は何も身につかんぞ」
どうも、僕の答えはおっちゃんの気に召さなかったようだ。おっちゃんの冷たいため息が痛い。
「まぁ、いいさ。ワシもガキから金を巻き上げる趣味はないし。ちょっと待ってろ」
そういって、おっちゃんは段ボール邸宅の中に消えた。すぐに戻ってきて、僕に一冊の本を渡す。って、ちょっと待て、これって。
「こいつを描いてこい」
おっちゃんが僕に渡した本には、女の人の裸がたくさん載っていた。
「描いてこいって、え、どれを」
思わず、声がうわずる。もちろん、男子たるもの中学生ともなればエロ本を見たことがないわけじゃない。それどころか、ちゃんと本棚の使いもしないギター教本の間とか問題集の間に隠してある。ああ、定番のベッドの下はすぐばれるからダメだ。やっぱり、木を隠すには森の中じゃなきゃ。いや、威張ることではないんだけれど。
「どれでもいいさ、お前さんの気に入った奴をだよ」
「気に入った奴って……」
裸の姉ちゃんが、僕にウィンクしてる。思わず目をそらす。
「なんだ、なるべく無難な路線をと思って『テラ美人』にしといたんだが、あれか、盗撮系の『ニャアニャア投稿写真』にしとくか?」
「いや、そうじゃなくて!」
「こいつはまいった、お前さん、その年で熟女趣味だったか、待ってろよ、いいのがあったはずだ」
「違う、違いますって、そうじゃなくて!」
駄目だ、会話が噛み合ってない。
「何で、何で絵なんか描かなきゃいけないんです? それもエロ本の?」
「お前さん、何でもするって言ったじゃないか」
「言いましたけど、でも……」
「お前さんな、『カラテキッド』って映画しらんか? ほら、ぞうきんがけとかペンキ塗りとかしてると、実は空手が強くなっていた、っていう修行があってだな」
「知りませんよ!」
「有名だぞ、最近、香港のアクションスター主演でリメイクされとったな」
「知りませんって!」
そうか、とおっちゃんは深いため息をついた。
「実は、エロ本を見つめることで、知らないうちに精神の奥底が磨かれて、何事にも動じない心が身に付く、とか思えたりしないか?」
「思えません!」
はぁ。
今度は僕がため息をついた。僕は、やっぱり、何か大きな勘違いをしていたのだろう。こんなおっちゃんに、何を期待してしまっていたのだろう。もういいや。そう思って、引き返そうとしたときだった。
「見る訓練にはもってこいだったんだがなぁ」
ボソッと、残念そうにつぶやく声が聞こえた。
今、なんか言った?
「おっちゃん、今の、よく聞こえなかったんですけど」
「いや、何でもないって。そうか、お前さん、わしの修行はできんのか。仕方ないな」
「今、『見る訓練』とかなんか言おうとしてませんでした?」
「ん、いや、言ってないぞ。裸を見てきっちりと絵を描くことが出来たら人体の構造が把握できるようになる、とか、距離感をはかるのにも見る訓練が必要だ、とか全然言ってないって」
言ってない。そんなこと、さっきは絶対に言ってない。
畜生、おもしろそうじゃないか。
「あの、その、エロ本描くの、ちょっと抵抗があるんですけど、もうちょっと他の修行ありませんか?」
「お前さん、無理するなよ? 嫌ならやらなくてもいいんだぞ」
「いえ、やらせてください。一度決めたことはやらないと、男じゃないです」
自分でも、何でこんなことに必死になっているんだろう、とは思うのだけど、なぜだか完全におっちゃんのペースに載せられていた。
「そうか。じゃあ、とっておきの奴を教えてやろう」
そういっておっちゃんはニタリと笑った。『にやり』、ではな『ニタリ』、としか表現しようのない笑い。見たことはないけど、猫がネズミを押さえつけたときはこんな感じなんじゃないか? 今更ながらに、後悔が忍び寄ってくる。
「コレだ。コレを描け」
おっちゃんは、小さな箱を僕に渡した。
勢いで受け取ってしまってから、中を見る。言葉が出ない。
箱の中には、白く細長い物体が連なっている。
丸い球状の物体に穴が2つ、そこから伸びる小さな物体が一筋のラインをつくる。途中から両側に細長いライン。これって、あれですか?
白・骨・死・体。
「あの、コレ、本、もの?」
「ワシに偽物買うだけの甲斐性なんかないわな。キジバトはたくさん撃ったからなぁ」
おっちゃんは、遠くを見た。物理的な距離だけではなく、何か違う遠くを見ていた……。
しまった。
エロ本を持ち歩く中学生なら、ただのスケベだけど。白骨死体を持ち歩く中学生だと、その、通報されませんか?
「見本はコレだ」
固まっている僕に、おっちゃんは1枚のスケッチを渡した。
そこに描いてあったのは、鉛筆で描かれた見事な骨格図だった。図鑑のように正確に描いてあるということではなく。濃淡の付け方が上手いとか、そういうことでもなくて。
何というか、「キジバトそのもの」がそこには描かれていた。
躍動感溢れる2枚の翼。一つ一つの指の骨が筋肉をまとい、風切り羽根を支え、風を受けるかのように力強く自在に動くかのようで。その翼の筋肉を支える胸骨。全てを司る頭脳を納める頭骨。かつては命を持って大空を舞い飛ぶ翼持つ鳥の存在理念がその骨格スケッチにはあった。
「すごい」
思わず、感嘆の声が漏れた。同時に、不安が巻き起こる。
「僕に、出来るの?」
我ながら情けない言葉がもれる。出来るよ、大丈夫だよ。そういって欲しかった。でも。
「出来るかどうかはお前さん次第さ、ま、泣き言を言ってる間は出来んがね」
じゃぁな。そういっておっちゃんは段ボールの宮殿に消えていった。
河原に、僕は1人取り残された。
遮るもののない空間を風が吹き抜ける。ダンボール住宅のホームレス氏に救いを求め、白骨死体をもって立ち尽くす中学生。正直、ひどくみっともない絵面だと思う。
出来るかどうかはともかく、やるしか、ない、か。カバンからシャーペンとノートを取り出し、鳥の死骸とのにらめっこが始まった。
*
苦心の末の力作が出来た。
「出来ました。見てください!」
けれど、おっちゃんのダメ出しには容赦がなかった。
「お前さん、嘘を描いてる」
30分かけて仕上げた力作は、一顧だにされなかった。
「嘘じゃないよ、ちゃんと描いたよ」
下手だ、と言われるのは仕方ない。自分でも上手いとは思えなかった。それでも、一生懸命描いたのに。美術の時間でもこんなにまじめに描いたことはなかったのに。それを『嘘』だなんて言われるのは辛かった。
「あのな、一生懸命描いたことを誉めてほしけりゃ誉めてやるさ。だが、お前さんは嘘の線を描いてる。ワシは、こいつを描け、といった。お前さんが描いてるのはこいつじゃない。お前さんの頭の中にあるガイコツさ」
決めつけられて、ちょっとムッとしてしまった。
「どこが違うんですか?」
「見てみりゃいいさ。同じだったら違いは見えんはずだ。違うとこが見えてくりゃ、違うんだろ」
それはその通りだけどさ。もうちょっとポイントを教えてくれたっていいだろうに。
不満を抱きながら自分のノートを見る。白骨死体を見る。もう一度ノートを見る。
う、ん……、違う。
なんか、こう、全体的に違う。微妙に、というか根本的にというか、違う。ゴム長とブーツぐらい違う。違うんだが、どこがどう違うかわからない。
これは、あれか。その、何がわからないかもわからない、って奴だ。
しばらく、僕は鳥の骨を見つめていた。
どのぐらいそうしていたのだろう。
ポン、と肩を叩かれて顔を上げると、辺りは薄暗くなっていた。
「今日はもう遅い。お前さん、とりあえず帰んな」
とりあえず、ということは、また来てもいい、ということだろうか。僕はおっちゃんの言うままに家に帰ることにした。
スーパーサイヤ人に絡まれ、路地裏を探索し、白骨死体とにらめっこ。なんだかいろいろありすぎた一日だった。布団に入れば、あっという間に眠りにおちた。