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1 おっちゃんが教えてくれたこと。 

少し古い作品ですので、スリングショット(パチンコ)についての法律や、条例知識は、現在では変わっている可能性があります。


 風速1、8m/秒。微風。気温22度。距離15m。

 問題ない。いける。


 僕の目は目標の中心3cm四方だけをとらえているにもかかわらず、無意識のうちに周辺視野にうつる情報の全てを処理している。

 視界の端に「獲物」が姿を現した。


 だらしなく着崩したブレザー。ワックスで逆立てた金色の髪の毛。両耳はおろか、鼻と舌にまで突き刺さったピアスは、もしかして感染症もアレルギーも恐れない勇者の証なのだろうか。

 見事なまでに完璧にわかりやすいヤンキー君、あんたが今日の獲物だよ。あのときの借りは返す。


 奴が目標に接触するまであと2m。

 何気なく壁にもたれかかる僕の位置は死角になっている。大丈夫、気付かれていない。

 

 深く息を吐き出すと、横隔膜を下げゆっくりと息を吸い込む。呼吸を止め、気配を消すとともに肉体の振動も消し去る。これより約90秒、僕は蛋白質で出来た石像へと変わる。

僕は軟質ゴムの弾を挟む指先にわずかに力をこめた。


 獲物が、目標に到達し汗をぬぐった。気温22度。人体に快適とされる範囲の温度ではある。しかし、先週まではコートを来ていてもおかしくなかった時期であることを考えると、さぞ喉の渇きを覚えていることだろう。呼吸がやや荒くなっていることがみてとれた。


 獲物はブレザーのポケットに右手を入れる。

 石像の僕は、無造作に左手のグリップを目標に突き出した。

 

 獲物が、ポケットから出した右手を目標に近づける。

 僕は、右手を引き絞り、親指の第一関節を頬に軽く添える。直系9mm強の球状の特殊軟質弾をつまむ右手の親指と人差し指の先を頂点として、左手のグリップから延びるY字の支柱へとつながる2本の強化平ゴムは完璧な二等辺三角形を描いている。その二等辺三角形を垂直に二等分線する不可視の直線は、「目標」へと正確に届いている。ただしくは、目標の4cm上。15mの距離は、この弾にとって短い距離ではない。 

 

 獲物の右手が銀色の円盤を目標に送り込む。1枚目。まだだ。まだ早い。

 獲物が中指をずらし、掌中の2枚目を送り出して、銀色を指先でつまみ上げる。それを、横に倒し、目標に……入れた。

 いまだ、と思考することなく、その瞬間に僕の右手は親指と人差し指の拘束を解き放っている。


 獲物は、そのまま硬貨を投入した右手をスライドさせ、目標から任意のブツを選択しようとする。奴の視線は、ガラスケースの中に向けられていた。青い地に白い波模様の入った円柱。ああ、喉が渇いているなら、そのスポーツドリンクが欲しいよな?

 だが、まさにその瞬間、僕の狙撃が完了する。


 パチン、とプラスチックを叩く音が起きる。続けて、ピ! と甲高い電子音が響いた。


 突然の出来事に獲物は動きを止めた。そりゃそうだ、奴はまだボタンを押していない。


 ガトン。 

 200グラムほどの重量物が目標の内部より吐き出される。

 奴はおそるおそる、といった風で膝をかがめ、商品を取り出した。

 

 自販機から取り出した生温かすぎるブツを見て、奴が動きを止める。


 おしるこ。


 どのような開発経緯で商品化され、一体どこの誰が好きこのんで購入するのか、凡人には理解不能な、冬季限定・推定不人気街道を驀進中の謎商品。


「おしるこ」

 ぜんざいの一種、または名称ちがい。

 主としてこしあんのものをさす。漢字表記では「お汁粉」。


 甘く、べたつき、喉に張り付くけれどかろうじて液体状のドリンク。ラインナップの入れ替えを怠る業者の怠慢により、そのミステリアス・マテリアルは春の陽気の中に取り残されていた。発汗による水分不足に陥った体でスポーツドリンクを求めたヤンキー君の手に、日本伝統のホット・スイーツが握られている。


 表情の消えた奴の顔は、現実を理解できていないことを示している。数秒後に、その顔は驚愕に変わった。

「あぁああ!?」


 任務完了。

 ざまぁみろ。僕は素早く左手のスリングショットを折りたたみポーチにしまうと、ゆっくりと歩き出す。何気なく、自然に。

 望んで通いたいわけではないけれど、いいわけを作ってまで休みたいほど嫌なわけでもないから惰性で登校する中学生のように完璧な何気なさを保って、僕の足は交互に動いていく。


 鉄則、現場からの撤収は目立たないこと。わかってますって、師匠。


「誰だぁ、こんなふざけた真似した奴はぁ!」

 獲物の驚愕のベクトルはそのまま怒りに転化されていた。


 フハハハハ、愚か者よ、教えてやろう、僕だよ、僕!


 なんて正々堂々と名乗り出るわけないだろ?

 誰もいない路上で絶叫する金髪ピアス君の間抜け面をじっくりと観察する誘惑に打ち勝って、僕は安全に撤収した。

 もう、あのときとは違うんだと、心を昂ぶらせながら。

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