がむしゃら
この作品は「第三回・文章×絵企画」参加作品です。
まうす様のイラストに文章をつけさせていただきました。
http://12021.mitemin.net/i239340/
俺は「我武者羅」勤勉の神。
今じゃ、こうして売り込みでもしないとやっていけないのさ。
昔は、「福の神」より位は上だったんだがね……。
最終電車に駆け込んだ俺の向かいで、お構いなしに眠り込む男がいた。
俺はじっくり男を観察した。生活感の感じられない不思議な男は、呼吸の音すら聞こえない。この男を「死体」だと言われても信じてしまう気がした。
と、その時、男のネクタイをまるで馬の「手綱」のように持ち、一人の「紳士」が俺の前に「ぽわん」と現れた。
「なんだこいつは……」
突然、その紳士は俺に話しかけた。
「この男は、もともと何もできない、何も生まない、役立たずだ。しかしだ、
今のこいつは大金持ちになった。まあ、それも、俺の指図どおりに動いただけだがね」
その男は金持ちに違いない。男の持ち物のいくつかは、俺が「財布」の中身と相談して、断念したものだった。俺の顔をじっくり見て、紳士は俺の心を見透かしたようにこう言った。
「望むなら、お前も金持ちにしてやろう、少し見返りが必要だがね」
いい暇つぶしになるというもんだ、俺はこう答えてやった。
「俺を金持ちにか、難しいぞ。その見返りとは何だ?」
「そうだなぁ人生の三分の一は『睡眠』だと言う。コーヒ、ガム、洗濯バサミに果ては覚醒剤。人は眠らないと死んでしまう生き物、簡単なことさ、色んな方法で『睡眠』を削った者だけが結局のところ大金を手に出来るのさ」
「なるほど、一理ある」
「だがね、身体は休まなければならない。そこでだ……」
俺はその話に乗っかった。
まだ真夜中と言うのに、騒々しい街中を駆け抜ける。その軽自動車には荷物がぎっしり積み込んである。雑居ビルの並ぶ歓楽街、バーへ「おつまみ」の配達だ。
深夜に配達するこのビジネスは、ママさんたちには好評だ。一応食品だし、ママも朝はなるたけ遅く出勤したい。人とはやはり「眠りたい」のだ。
それでも、俺の体は今までと変わらない。いや、以前よりも前日の疲労が残らなくなった。それは気のせいではない、実にその紳士の言った通りだった。
「簡単なことさ。おまえが寝ている間、貸して欲しいものがある。それを貸してくれればいいのさ」
「貸す?」
「お前の魂だよ」
どうやらその紳士は寝ている男の魂を借りてここに現れたらしい。
「ほう、なかなかお前は察しがいい。教えてやろう、このネクタイは今、彼の魂を絞りだしているのだよ」
この紳士は俺の心に入り込み、こう話を続けた。
「もちろん、お前の体は眠っているわけだから疲労はない。稼いだ金も、俺が得た知識もお前のものになる。どうだ?」
「どうやら悪い話じゃ無さそうだ、何が欲しい?」
「お前の一番嫌いなもの、それをお俺に差し出せばいい」
「嫌いなもの?」
「喜怒哀楽のうちの一つさ、まあ大抵は怒りか哀しみだがね」
ともかく、俺は「哀しみ」をその紳士に差し出すことにした。
ある店で、会社の上司と出くわしたり、そのバーのホステスが会社の事務員だった事もあった。そのうち会社をクビになると思いきや、遅刻もせず仕事をしている俺のことを上司は評価してくれ、いつの間にか大きなプロジェクトを任される始末だ。深夜の俺の仕事振りに惚れたホステスが意味深な合図をくれたりして、おかげで結構楽しんだりもした。ほどなく深夜のデリバリーは「ムーンライト・キャブ」として、法人化して新入社員も抱えた。任されたプロジェクトは「新ベイエリア」の開発だ。これには、バーのママさんとの強力なパイプが役立った。
「富めるときも、貧しきときも、健やかなるときも、病めるときも……」
俺は社長の娘婿になった。そしていつしか、金よりも妻や子供、家族を大切にする男になっていた。俺の預金通帳はもう久しく見ることがない。しかし相変わらず、深夜の俺は働いているのだろう、深夜の記憶と通帳残高が何よりの証拠だ。
紳士のことも長年忘れかけていたある日の事だ。娘が小学校から下校中、何者かに誘拐された。身代金は10億、今の俺にとっては、はした金だ。それで娘が戻ってくるなら、わざわざ警察に連絡するまでもない。実際、そのくらいなら取り引き銀行の頭取がすぐ用意するだろう。犯人は金を受け取り、そして娘は翌朝、下校途中の川原で全裸の死体で発見された。
俺の怒りは頂点に達した。深夜の仕事で運んだ荷物の中に、覚醒剤があったことから「組織」との繋がりのあった俺はすぐさま娘の仇を見つけだし、自分の指で拳銃の引き金を引いた。
読経の中、殺しても飽き足りない犯人への怨みがこみ上げる。何故娘が殺されなければならないのだ、娘が何をしたと言うのだ。俺は今にも叫び声をあげてしまいそうだった。ふと見ると喪服の妻は何も言わず涙を浮かべていた。
俺は、愕然とした。俺は……、俺は泣けない。不憫な娘に「泣いてやる」ことすらできないのだ。
「嫌だ、今俺が欲しいのは愛しい娘への『涙』なんだ」
紳士の声が聞こえた。
「払い戻しは、これから二十年間休みなく働いてもらうことになるが……」
「いいとも、涙を返してくれるなら」
あれから二十年、末娘も彼氏を連れてくる歳になった。会社は潰れてしまい、残った土地にマンションを建て、一階のコンビニエンスストアを妻と一緒に経営している。24時間営業だが、交代でさすがに眠り、毎日のように「泣きながら」期限切れの商品を処分している。
紳士が神だったのか、それとも悪魔だったのか今もわからない……。
「がむしゃら」は実は、今書き溜めている作品にも登場します。