2話 パラダイスロスト
十九世紀始めのサイファス・フォルトナーが引き起こした大事件から時代は進み、今や1968年。ここは日本近海にあるかなり規模が大きい島。少女は荒れ果てた大地を歩いて行く。
草木はどこも枯れ落ち、地面にはいたるところに亀裂が。天を見上げれば夜だというのに赤黒く染まっており、思わず世界の終焉を連想してしまう。さらに島の中心部に向かうほど空気がよどみ、気がおかしくなってしまいそうに。もはやこの先に広がるであろう得体のしれない元凶の前に、人としての本能が警報を鳴らしていた。しかし少女は止まらない。世界が混沌に飲み込まれていく中、愛用の槍を片手に島の中心部へと向かう。ここまで来るのに多くの犠牲を払い、ようやくたどり着いた場所。おそらくこの先に今回の騒動の黒幕がいるはず。
そして少女は目にする。黒いドレスを着た二十代前半の女性の姿を。彼女こそ今のレーヴェンガルトの当主であり、この事件を引き起こした張本人なのだろう。
「よくぞここまでたどり着いた! レイヴァースの血筋の者よ!」
黒いドレスを着た女が手を差し出し、どこか芝居がかったようにかたりかけてくる。
「――あなたは……、シャーロット?」
少女は目を見開き、もはや信じられないというように黒いドレスを着た女を見た。
なぜこんなにも驚いているのか。その答えはシャーロット・レーヴェンガルトがとうの昔に死んでいるからだ。いや、そもそもの話、目の前にいるのはかつての宿敵であるシャーロットの姿ではない。見知らぬ若い女性なのだが、少女の直観が告げていた。彼女こそまぎれもないシャーロット・レーヴェンガルトだと。
「――貴様は……。ハハハ! こんなことが起こりようとは! そうかソフィア・レイヴァース! 貴様も我と同じことをやっていたのだな! 会えてうれしいよ! 我が怨敵!」
シャーロットは両腕をバッと横に広げ、愉快でたまらないと笑う。
そうなるのも無理はないだろう。なぜならすでに死んでいる自分ソフィア・レイヴァースが、今こうしてレイヴァースの血族の少女の身体を借りて現れたのだから。
「それにしても、まさかこんなとこにまで邪魔をしに来るとは。本当に貴様の執念は大したものだ」
シャーロットはあきれながらも、賞賛の言葉を送ってくる。その口調はまるで旧友との会話を、懐かしむようであった。
「レーヴェンガルトの計画はここまでです。長年の因縁共々断ち切り、すべてをおわらせましょう」
「――すべてをおわらせるか……。ハハハ、無理だよ、ソフィア。なぜならここから始まるのだ! 世界は魔法使いの世界に、いや、サイファスが望んだ創星術師の世界へと書き換わる。その先には秩序など存在せず、あるのは混沌だけ。人々は星詠みの力を求め、己が欲望のために戦う戦場とかす!」
シャーロットは天を見上げながら両腕をかかげ、声高らかに宣言を。
まるでこの先の世界の幾末を予言するかのごとく。
「ただ、貴様らレイヴァースは本当によくやったよ。本来ならサイファスが引き起こした星の祝祭、そして我らレーヴェンガルトの手によって、世界はとっくの昔に魔道へと染まっていたはず。だというのに星葬機構は今にいたるまで、魔法や星詠みの拡散を最小限に抑え続けてみせた」
かつてサイファス・フォルトナーが星詠みを大々的に披露し、世界に多くの爪痕を残した星の祝祭と呼ばれる事件。あれ以降ソフィア・レイヴァースは各国に働きかけ星詠みに対抗する組織、星葬機構を創設した。
これが実現したのもヨーロッパ周辺国が星詠みの危険性を深刻にとらえ、姿を消したサイファスとレーヴェンガルトが率いる創星術師たちを、野放しにしておくわけにはいかないと判断したから。なので彼らを止めようと動いていたレイヴァース側と手を組み、共に星葬機構を立ち上げたというのがことの経緯だ。
それ以降星葬機構は魔法や星詠みに関する情報を隠ぺいし、世界中に魔道を広めようと暗躍するレーヴェンガルトの計画を妨害し続けてきた。結果、世界を魔法使いの世界にしようとするレーヴェンガルトと、星の祝祭が起こる前の本来あるべき世界を目指すレイヴァースが戦う、世界の構図が生まれたのだ。
「だがしょせんはそれも、時間稼ぎに過ぎない。サイファスがあの場所にたどり着いた時点で、すべてが手遅れだ。世界は奴の思惑通りに浸食され、魔法使いの因子はどんどん加速していく。この程度で終わりはせん。一度乱れた歯車はさらなるひずみを生み、どこまでも狂うのだから……」
そう、かつては魔法を使える素質のある人間は、世界人口の一割程度だった。しかしサイファスが最後に去ったあの日から、今にかけて急増。もはや三割にまで膨れ上がっていったのだ。しかも調査の結果、この数は今後さらに増えていくと予想されていた。
こうなったのもすべては、サイファスがあの場所に向かうのを止められなかったため。それさえなければ事態はここまで深刻なことにならなかっただろう。
「――だがまだ足りんのだよ。サイファスのシナリオは貴様たちによって、停滞させられているせいでな! ゆえに我が手を貸し、この歪みをさらに強固なものにしてやる! そもそも奴の計画は甘過ぎたのだ。どうせやるなら世界の規律を一気にくつがえすほどの劇薬をもって、事をなすべきだった。そう、星の祝祭みたいに大陸だけではなく、この我のように世界すべてを舞台にしてな!」
シャーロットは腕をバッと横に振りかざし、うったえてくる。
なんと今世界中で魔法使いや創星術師が生まれ、大混乱に陥っているのだ。それもこれもレーヴェンガルト側が一斉に魔法や星詠みの知識をばらまいたため。テレビや、ラジオ、大都市の大通りでの布教などその方法は数知れず。今も世界中で拡散していた。このことでの問題は、魔法を使うにあたる条件。そう、魔法は素質があり、行使する方法がわかれば誰でも使うのが可能ということ。ゆえに素質がある者がレーヴェンガルトの策により使い方を知った瞬間、新たな魔法使いが生まれてしまう。そしていきなり魔法という力を得てしまえば、力に酔いしれ暴走する恐れが。
実のところ魔法使いが暴走するのは、そこまで問題ではない。彼らにはまだ同じ魔法で対抗できるゆえに。ならば問題はなんなのか。答えは魔法使いなら、基本誰でも星詠みを行使することができるという事実だ。しかも一度星詠みの力に手を出した者は、魔法の素質が高くない限り高確率で暴走する。かつての星の祝祭で暴走し、世界中に多くの爪痕を残した彼らのように。
よって今の世界の状況はまさしく最悪。興味本位に魔法、そして星詠みに手を出した者がいたる所で暴走し破壊をまき散らしているのであった。
「――まあ、さすがにここまでの規模を起こすには、神代の助力があってこそだったが」
クスクスと意味ありげに笑うシャーロット。
星の祝祭後もサイファスと共に行動していた神代。彼らはこれまでも自身の悲願のため裏で暗躍していたが、どうやら今回の件にも絡んでいたらしい。
「シャーロットはサイファスに踊らされているだけです。彼が星の祝祭で生み出した星詠み。あれが最後にたどり着くのは、あなたが思っているような生易しいものではない!」
これまで星詠みに手を染め、人生を狂わせてしまった者たちのことを思い出す。
そう、あれは人が手を出していいものではないのだ。レーヴェンガルトがなにを思って求めているかは知らないが、その果てにあるものがまっとうであるはずがない。第一ソフィアは星の祝祭以降のサイファスとの戦いで知ってしまった。彼がなにを企み、星詠みを生み出したのかを。
「知っているさ、なにもかも! そう、知った上でここにいるのだ! 今は奴に踊らされているだろうが、最後に勝つのは我らレーヴェンガルトだ! サイファスを出し抜きすべてを手に入れてみせる!」
シャーロットはドンっと胸をたたき、自身の野望を歌う。
彼女はあのサイファスさえも利用しようとしているのだ。その悲願は当然看過できるものではないはず。おそらく世界にこれまで以上の災厄を、振りまくことになるだろう。
「させません! ここであなたを討ち、その野望を打ち砕く! そしていづれは……」
ゆえにソフィアは自身の愛用の槍を、シャーロットに向け言い放つ。
「ハハハ、不可能だ。たとえ我を滅ぼすことができても、その先に貴様の勝利はない。すでに歯車が回ってしまった以上、この狂ったロンドは終わらん! 亡霊の貴様ごときでは決して止められんよ」
彼女の言う通り、ソフィア・レイヴァースには難しいかもしれない。だがソフィアには一つ希望があった。
「確かに私では無理かもしれません。ですがいづれ我が血族がこの狂ったサイファスのシナリオをおわらせ、世界に秩序を取り戻すでしょう」
そっと胸に手を当て、万感の思いを込めて告げる。
「ハハハ、なるほど、それなら貴様らの願いは決して叶わんよ。なぜなら我らレーヴェンガルトの血族が、いづれこの悲願を実現するのだからな!」
するとシャーロットが腕を勢いよく前に突き出し、言い返してきた。
たとえ自身が滅びようと、自分たちの血族がいづれ夢を継ぎ悲願を達成するのだと宣言し合う二人。勝つのは己が血族だと。
「さあ、そろそろ始めるとしよう! ソフィア・レイヴァース!」
「ええ、私の命に代えても、あなたを討ちます! シャーロット・レーヴェンガルト!」
そして二人は最後の死闘を繰り広げるため、己のすべてを懸けてぶつかった。
レーヴェンガルトが引き起こした大事件から数日後、ボウシを深くかぶった一人の男がその中心地となる場所に立たずんでいた。
空は赤黒い雲に覆われており、植物は枯れ果てて地面にはところどころに亀裂とクレーターが。辺りにはだれもおらず、静寂に包まれていた。この場所でレイヴァースの当主とレーヴェンガルトの当主がぶつかったのである。勝負の行方はレーヴェンガルトの当主が討たれることで、決着が着いたらしい。だがその時の傷が致命傷となり、レイヴァースの当主もこの事件を収束に導いたあと、息を引き取ったというのが事の顛末だ。
「レイヴァース、レーヴェンガルトの当主も共に死にましたが、まだおわりはしない。なぜなら彼らの血族は、まだ途絶えていないのだから。きっと彼女たちの意志を引き継ぎ、また戦いを繰り広げるのでしょう」
ここからあの血族たちがどういった展開を見せるのか、非常に興味深かった。彼らはいわば世界の光と闇。ゆえにぶつかるのは必然なのだ。
「さて、すべてはシャーロットとの計画通りに事は進みました。これによりサイファス様の計画はまた加速する。フフフ、ここから忙しくなってきますね」
男は今後のことをみすえて、思いをはせる。
「そうでした、ソフィア、シャーロット。最後に一つ言っておきます。最後に勝つのはレイヴァースの血族でもレーヴェンガルトの血族でもありません。そう、我ら神代の血族です。キミたちにはわるいのですが、我らの悲願を実現させてもらいますよ」
去り際に、不敵な笑みを浮かべ宣言しておいた。
彼女たちがこの話題で盛り上がっていたため、思わず自分も参戦したくなったのだ。その当の本人たちはもうこの場にいないのだが。
「では、かつての戦友たちよ。今は安らかに眠ってください。フフフ……」
男はかぶっていた帽子をとり、静かに一礼する。不気味な笑みを浮かべながら。
そう、かつてソフィア・レイヴァースやシャーロット・レーヴェンガルト共にサイファスのそばにいた、神代時雨が。
プロローグ 完
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