エピソード6 【魔王の宴】その五
拘束された状態で瓦礫に半分埋まっている学生に背後から近づき、驚かさないように声をかける。
「動かずに聞いて。助けに来た。騒がずにじっとしていて」
周囲の空気を抑え、声にわずかに命令を込めて伝達する。
捕まっている学生達は拘束はされていても口は塞がれていない。
ここで悲鳴でも上げられたら大変だ。
読気の技を実戦で駆使して人の気持ちを誘導する。
多人数いっぺんにというのは大変そうに思えたけど、逆に一人を誘導するより楽だった。
これが気の連動、集団意識ってやつか?
師匠に言わせると、気というのは信号のようなものだということだった。
この世界に存在する魂ある全てのものは気によって自分の存在をコントロールしている。
そのコントロールのための通信信号が「気」という存在なのだ。
気は一人一人違っていて、他人と混線したりすることはない。
だけど、発信された他人の気の種類、つまり何を伝達しているのかということは、なんとなくわかるものなのだそうだ。
だから他人の気配に気づいたり、親しい相手の気持ちがなんとなくわかったりする。
そして読気は、乗っ取りに近いことが出来る。
とはいえ、相手が完全に閉じた状態だと難しいのだけど、その人物が周囲や他人についての情報を拾おうとしている状態ならわりあいと簡単に出来てしまうのだ。
師匠が常に戦う前に勝ってしまうのも当然、対戦相手の気持ちや身体のコントロールを、相手が気づかない内に奪ってしまうのである。
相手はなんだかわからないままに戦いを自ら棄権してしまい、勝負にすらならないのだ。
まぁ頭のおかしい師匠の技はともかくとして、僕にもある程度の読気の技は扱える。
その一つが気持ちの誘導だ。
こういう緊迫した場面ではとても助かる技能である。
師匠に感謝。
さて、人質を拘束しているのは、特殊な金属の紐のようなものだった。
単純に巻きつけてあるのだけど、まるで溶接してあるかのようにぴっちりと留めてある。
金属の細い紐を別の金属のテープのようなもので固定してあると言えばいいのか。
見たことがない仕組みで、正直これを外すのは無理な気がする。
犯人達の意識がディアナに向いていることを確認して、捕まっている学生たちの背後から足の拘束をチェックした。
足はテープ状のものが巻かれているだけだ。
外すならこっちだろう。
「があっ!」
ディアナが最も警戒していた魔人を遠くへ弾き飛ばした。
その魔人は、コンクリートの壁にぶつかって、そこにはひびが入っている。
かなりの衝撃だと思われるけど、まだ立ち上がろうとしていた。
さすがは魔人種だ。
そこへひと飛びしたディアナが突っ込み、喉元に手刀を叩き込んだ。
これにはたまらず魔人の男も泡を吹いて沈黙した。
人間って本当に泡を吹くことが出来るんだ。
よく物語で出てくるけど、あれって比喩的表現だとばかり思っていた。
そのディアナを狙って、牙有る者であるらしい金と黒の毛並みの巨体の男が突進した。
しかしディアナはとっくにその相手の動きに気づいていて、くるりと体を回すと後ろ蹴りを入れる。
体格差からは想像出来ないぐらい、男が軽く吹っ飛んだ。
一応腕でガードをしていたらしく、倒れずに持ちこたえている。
その攻防の間に、鱗種らしきガッチリとした体格の男が金属の棒のようなものを取り出してディアナに向けた。
シュンという空気が漏れる音と共に、金属の棒の先が発射されたようだった。
が、その動作の途中でディアナは既に空中で一回転していて、そのまま鱗男の腕を蹴りつける。
「てっ!」
カランと音がして金属の棒が落ちる。
目まぐるしい攻防が続いている。
その間に僕は捕まった学生達の足の拘束を外していた。
「くそっ! おい、そっちの学生を人質に……てめぇ!」
あ、気づかれた。
「そこの角を曲がって大通りに出たとこで治安部隊が検問しているから、そこに逃げ込んで!」
足のテープを外した男子学生に頼む。
「わ、わかった!」
「そうはいく……ガッ!」
うん、こっちに気を取られていたからディアナの攻撃をモロに食らったね。
あれは肩がどうにかなったっぽい。
「君も!」
二人目の女の子も逃がす。
慌てないようにと言い添えることで、彼女の気を少しコントロールする。
パニックを抑えたから冷静に行動出来るはずだ。
あと三人。
このテープ、切れないから剥がすしかないけど、なかなか固いんだよな。
「このガキがぁ」
あ、運転手さん、復活したんだ。
まだ少しふらふらしながらも、長いナイフ状の武器らしきものを手に、首が微妙に曲がっている運転手の男が近づいて来た。
「キャアア! 危ない!」
ディアナの知り合いらしい女の子が叫んだ。
おおう、コントロールが解けちゃったかぁ。
やっぱり恐怖を抑えるのは難しいね。
「おじさん、刃物を持って走ると危ないよ」
躱して、トンと、腕の筋に触れる。
相手の気の流れが少し変わって、武器が手から落ちた。
「あ? ……なんで?」
「首が痛いんでしょう? 休んでないと悪化するよ」
首の後ろに触れる。
途端に男の足ががくりと崩れた。
目が裏返って、酷いいびきをかきながら眠りに落ちる。
どうも悪い体勢で寝ちゃったみたいだ。
「あ、あ、助けて、お母さん」
目をつぶって震えている女の子にもう大丈夫だよと声を掛けようとしたら、彼女はひどく怯えたまま、子どものように母を呼んだ。
その瞬間、ズキリと胸の奥が痛みを感じた。
汚れた狭い檻の中から小さな白い手が力なく伸ばされる。
「ぐっ」
「おい、君、大丈夫か? どこかケガしたのか?」
要救助者の青年から逆に心配されている。
あ、ダメだ、しっかりしないと。
また、助けられない。
ニヤニヤと笑う顔のない影達。
息の出来ない水の中で、ただもがくしか出来ない僕。
たいせつなひとはボロボロの肉のかたまりのように吊り下げられていた。
逃げたかった。とにかくそこから逃げ出したかった。だから、僕は……。
「イツキ!」
ぎゅうと誰かが僕を抱きしめた。
「大丈夫、もう大丈夫だよ。悪いヤツはみんなやっつけたから」
はっと気づくと、意識が周囲を認識した。
長耳の女の子が心配そうに僕を覗き込んでいる。
その隣の男子学生、さっき心配して声をかけてくれた青年は、何かを恐れるように少しのけぞっていた。
僕の胸には朱色がかった鱗を持つ腕が巻きついていて、背中に馴染んだ気配を感じる。
「ディアナ。もうやっつけたんだ。早いね」
「うん」
「あ、ディアナちゃんだ!」
「うん、サクラちゃん、よかった無事で」
大勢の人の気配が近づいて来る。
「こっちです!」
あの学生さんだ。
もう一人の女の子は保護されたのかな?
無事に手の拘束も解いてもらったみたいだ。良かった。
「後は本職の人に任せたほうがいいかな?」
「そうだね。あ、ハルと荷物屋上だけど取ってこようか」
「今変な風に動くと勘違いされるかもしれないから、事情を話してからのほうがいいと思う」
治安部隊の人たちは武器らしきものを掲げながら、倒れている犯人を次々と拘束して回収していっていた。
なんとなく、こっちに対しても警戒している感じがするので、変に動かないようにしよう。
ともかく、みんな無事で良かった。




