エピソード4 【古の詩】 その五
足元の穴の下に白く輝く木の枝のようなものがあるのはわかるのだけど、それ以外は真っ暗で見通せない。
そこから唐突にディアナが顔を出した。
「うわっ! と、大丈夫? ディアナ、ケガはない?」
「キュー!」
僕の問いにディアナはにっこりと笑ってみせる。
ハルはわかっているのかわかっていないのか、ディアナの髪に戯れはじめた。
「不思議、下は明るいの」
「え?」
言われて、僕は思わず床から木の枝のようなものへと足場を移動すると、水面に顔をつけるような感じで下を覗き込んだ。
上から見て真っ黒だった穴の中は、顔を入れてみると明るかった。
それも人工灯の光とか外光が入っているとかという感じではなく、青い水の中のような不思議な光だ。
上と下との境に抵抗感がないのでよけいに不思議な感じがする。
「飛べるのなら降りてみるか」
マサ先輩がバサリと、青い宝石で作られたかのような鮮やかな羽を広げ、床を蹴った。
上から見るとまるで闇色のプールに飛び込んだように見える。
「下はかなり広い通路になっていますね。この一見木の枝のように見えるのは、下まで降りる階段として使えるっぽいです」
「なるほど、巻角の一族はわずかなとっかかりでも平気で足場にできる平衡感覚の優れた一族だからな。ハシゴ代わりにこういうものを作ったのか。というか、これはあれだな、図書館の壁と同じ素材だな」
「え? これ岩塩なんですか?」
そんな風にこの通路の入り口? 出口? らしき場所について検証していると、マサ先輩が戻ってくる。
「通路は一般的な種族の大人が横に三人ぐらいは余裕で並んで歩けるぐらいの幅がある。片方は行き止まりで片方は奥に続いている。どうする?」
「行く以外ないだろ」
「まぁそう言うと思ったけどね」
と言うことで、僕達は枝のようなハシゴを伝って通路に下りた。
正直角なしである僕にとって、このハシゴはかなり使い辛いものだったのだけど、僕以上に厳しかったのがカイだ。
半大鬼であるカイは、自分の体格に対して華奢に思えるこのハシゴが折れるのではないかとの不安で、下りるのを嫌がったのだけど、部長が「状態固定されているから大丈夫だ」と、説得することでなんとかおっかなびっくり下りることが出来た。
まぁ確かに、普通だったらカイの体重を支えきれるような太さじゃないもんな、あの枝っぽいハシゴ。
「不思議ですね。どうやってこの光が発生しているのかとか、上から見えないのはどうしてかとか、いろいろわからないことだらけだ」
「巻角の王が得意としたという魔術だろうな。これはいよいよそれらしくなってきたんじゃないか?」
部長が地図を確認しながらそんな風に言う。
「と言うと?」
「街の顔役どののご依頼の品だ」
「なるほどね」
問い返したエイジ先輩の言葉に答える部長に、美空先輩がうなずく。
「魔法を使えない人が魔法の書物を持っていても仕方がないものね」
「そういうことだ」
部長は全員が揃ったのを一瞥すると、そのまま洞窟の最初のほうと同じ並びを指示して通路を進んだ。
しばらく通路を進んだところで、ディアナが唐突に声を上げた。
「止まって!」
「ん?」
全員がディアナを注視する。
瞬間、ディアナは僕のほうをチラリと見ると、困ったように切り出した。
「この先にいくつも変な風に魔力が動いている場所があるの。嫌な予感がする」
「またあの落とし穴のような仕組みがあるってことか」
部長はディアナの言葉に考え込むと、僕とディアナに視線を向ける。
「う~ん、本来ディアナくんはうちのサークルの部員じゃないし、高等生ですらない。だから彼女に危ない真似をさせる訳にはいかない」
「当然だ」
部長の言葉に美空先輩がうなずく。
でも、この部長の言い方ってそう出来ないってことだよね。
「しかし、ディアナくんに魔力を察知して貰わないと全員を危険に晒す可能性がある」
「なら引き返すべき。ここまでの調査結果をその街の顔役って人に渡せば、自分たちで後はなんとかするでしょ」
「う~ん、それは……」
美空先輩の言葉は正論である。
僕達の気持ちとしては最後まで僕達が調べたいし、その魔法とやらも見てみたい。
でも、危険があるのなら無理をするべきではない。
当然の話だ。
まぁ部長は一人でも進みたいんだろうけど。
「ディアナ」
僕にとって高等部のサークルよりもディアナのほうが大事なのは当たり前のことだ。
だからそんなことで悩む必要はない。
でも、ディアナの意思を無視してことを決めるつもりもない。
「ディアナはどうしたい?」
「先へ行ってみたい、けど……」
ディアナは僕の顔を見た。
そこには強い不安がある。
ディアナは自分の心配は全くしていなかった。
僕が傷つくことの不安? いや、それもあるかもしれないけど、少し違う気がする。
ディアナがこの都市に住むようになってからずっと気になっていたことがあった。
それはディアナがびっくりするぐらいおしとやかだったことだ。
もちろんディアナはもともと優しい気質の女の子だ。
だけど、小さなころに里を飛び出して僕たちの住む街まで来るという冒険をしでかし、僕と一緒に夜の小学校の校舎の屋上に侵入するぐらい、ある意味おてんばな女の子でもあった。
そして、誘拐犯に敢然と立ち向かうような強さもあった。
だから僕は最近のディアナに不自然さを感じていたのだ。
もしかして、無理をしているんじゃないか? って。
「ディアナにとってこの先は危険を感じるような場所?」
ディアナは少し目をすがめるようにして通路の先を見ると、首を振った。
「何かあるのはわかる。でもおそらく私にとっての危険ではない」
「ディアナは平気だけど僕達は危ないってことか」
「うん。それと……」
ディアナがモジモジとしだした。
なにそれかわいい。
「私なら、罠があっても解除できるかも、しれない。でも、あの、そうするとイツキに嫌われてしまうかも」
「え? 僕がディアナを嫌うことはないよ」
ディアナの懸念に僕はそう答えた。
途端にディアナの顔が真っ赤になる。
空間全体が青いせいで、ちょっと顔色が悪い人のようになってるけど。
「うぉっほん!」
僕らの後ろにいたカイがわざとらしい咳払いをした。
「お前ら人前でいちゃつくのはやめろ。全くこれだからシーズン関係ないやつは」
「お前もシーズン関係ないじゃないか! ブーメランだぞ!」
あと種族的特徴をあげつらうのは差別だ。
まぁそういう意味ではカイは自分自身も差別しちゃってるんだけどね。
角なしと同じように大鬼にも特に恋のシーズンはない。
鬼族はフリーシーズンなのだ。
「あ? 俺はカノジョいねえから!」
「自慢するようなことじゃないだろ」
「自慢じゃねえよ!」
僕らが意味のない言い争いをしていると、部長からストップがかかった。
「ハイハイ、子どもたち。じゃれ合うのはやめて注目!」
「子ども扱いやめろや自主留年生!」
カイの口調が先輩に対するものではなくなった。
しょうがないね、部長相手じゃ。
「ディアナさん。僕たちは君に決して無理強いすることはないよ。でも君自身が後悔するような決断はおすすめしない。人は思うがままに生きるべきだからね」
「部長は思うがまますぎます」
美空先輩がすかさず茶々を入れる。
僕はそっちは放って置いて再びディアナに向き合う。
「部長はああだから気にしなくていいけど、言ってることは僕も同意だ。ディアナが後悔しないようにして。僕は何があってもディアナを嫌ったりしない」
なぜ嫌えるだろう。
愚かな僕を守るために辛い思いをした彼女を。
手酷い裏切りをした僕を決して責めなかった彼女を。
むしろ僕は彼女に頭を垂れて、命を差し出すべきと思っているぐらいだ。
いや、そもそも僕は最初から彼女に魂を囚われている。
ひと目見たあの幼いときから、ずっと、僕は彼女に惹きつけられて止むことがない。
ただ、今の彼女、自分を押し殺しているような彼女を見ているのは辛い。
もっと自由に、もっと激しく、燃え上がる炎のように生きて欲しいと思っているのだけど、僕がそれを強要するのは違うと思うから、僕はただ、彼女の決断を待つ。
「私はイツキと一緒に生きる。それはイツキのやりたいことを叶えることでもある。だから」
ディアナはたたんでいた羽を広げて通路の先へと飛んだ。
すると、その通路の周囲から壁が凄い勢いで飛び出した。
「ディアナ!」
「こんなもので私を阻めはしない!」
ディアナはその場でくるりと回転した。
その身を押しつぶさんと迫った壁は途端にバラバラに砕ける。
壁は一箇所だけではない。
次々と襲いかかる壁という圧倒的な暴力は、しかし、ディアナという竜人の力の前に砕け散るしかない。
「なるほど、稼働部分は固定されていない。つまり破壊可能ということだ」
白い壁が青い光の中で次々と砕けていく、その幻想的でありながら恐ろしい光景に、部長が冷静にそうコメントする声が、やけに場違いに響いたのだった。




