◇02 公平な誇り (フェア・プライド)
【国境・王国側丘】
見事なまでに調律の取れた人間が横隊になり、青と白の盾に身を隠しこの丘に迫ってくる。
整然と歩みを進める横隊は、自分の味方である地平線を埋め尽くす青と白の軍団を背にして、言葉にできない圧力を丘の上の俺達にかけてくる。
周りを見渡すと、老年騎士と共に無数の視線が俺に突き刺さる。
これをどうしろと?
恐らく戦わなければならないのだろうが、どうして自分が戦わなければならないのか。
まったく立場が理解できない。
丘の始まりまで迫った敵を見る。
白と青の軍装はさほど汚れておらず、金の縁取りは陽光に煌めいているようにも見える。
敵の兵は自信に溢れ、この柔らかくしっかりしない足場さえも、踏み固めて関係ないように見える。
目の前の塹壕に潜んでいる兵が槍を抱きながら俺を見ている。
「相手の顔が見えないから不安になっているんですよ」
「自信のある顔をしてください。隊が崩れます」
この老騎士は幼子に言い含めるように、ゆっくりと話す。
その鋭い眼は迫りくる敵からひと時も話さない。
俺も同じようにする。
迫りくる敵を見ても、どこか非現実な感じがして、恐ろしくはならない。
どう見ても分の悪い戦い。
どうみても俺達は、丘の下へ進出してきた敵兵と同じくらいか、それ以下しかいなかった。
それに比べて敵は、進出してきた兵を除いても、平原を埋め尽くすほどいた。
どんなに頭を回転させても掴めない、自分の存在の方が怖かった。
老騎士は少しため息をつくと、俺に解説を始めた。
「敵を十分に引き付けて突撃を誘い、この並んで立っている横隊でしっかり受け止める」
「敵は我々の横隊に気を取られるから、この壕に潜んだ槍兵の奇襲は成功するでしょう」
「そして後列の剣士隊の反撃」
俺は黙って老騎士の説明を聞く。
「何とも男子にあるまじき汚い戦い方ですが……」
俺の作戦なのか?
その悪態を無視して質問を続ける。
「剣士隊の後ろの弓兵は?」
「後退する兵を狙撃する為に温存です」
「この横隊が突破されるか、中隊長が死んでしまったら意味はありませんがね」
俺がまだ呆けていると思っているのか、老騎士の挑発的な言葉が続く。
その通り、俺はまだこの状況に馴染めていなかった。
「ありがとう。状況はつかめたよ」
「しかし、正々堂々と戦って死んでしまったら、何も意味はないだろ?」
「少なくとも誇りと名誉は穢れません」
「そうかもしれない。でも俺は生きていたい。周りにいる兵もそう考えるんじゃないかな」
俺は心の底からそう思った。
今ここで死んでしまったら、俺は何もわからず死んでしまう。
ただ、俺が何者かを知る為には、ここで戦い抜かなければならない。
すなわち人殺しをしてでも自分は生き抜く。
この作戦は、そんな俺が考えた方法なんだろう。
人殺しは本当に嫌だが、この作戦には親近感が沸いた。
俺の性格そのものだ。
戦気というものがあるのだろうか。
丘を登り迫ってくる敵の圧力が張り詰める。
丘を登る準備をする為か、横隊の後ろに兵が並び、一斉に弓を構える。
すかさず、俺の後ろにいた兵の一人が、盾を俺の頭上にかざす。
「ありがとう」
その兵に笑顔を向けると、ほっとしたような顔を浮かべて何度も頷く。
老騎士が差し出した盾を受け取って、体を隠す。
「ありがとう」
そして放たれた矢が雨の様に降ってきた。
盾によって弾かれた矢が雨のような音をあげる。
ただし、それはとても重く、俺を殺そうとする矢だった。
「中隊長の考え方を怯懦と呼ぶのは間違いなんでしょうな。戦い方も時代も変わったという事でしょうか」
「ご主人様。いよいよです」
先頭を進む敵の将校が、剣を天に向ける。
一斉に盾の壁が開き、槍を持つ敵兵が姿を現す。
そしてこちらに向かって振り下ろした。
天を揺るがすほどの雄たけびが丘を駆け上がってくる。
「ご主人様。貴方の事は私がお守りします」
老騎士は金属が触れ合う音をさせながら、剣を鞘から抜く。
「安心して指揮をお取りください」
既に敵兵の顔が見て取れる。
本能を爆発させ、理性を蛮性に変え、普通の人間でも殺人鬼に変える空気。
もう自分の記憶に拘っている場合じゃない。
殺さなければ殺される。
蛮性は俺にも伝染し始めた。呼吸が荒くなる。
死にたくない。死にたくない。人殺しは嫌だ。でも死にたくない。
「いいか貴様ら! 剣を汚さずにこの戦いを終えたものは! この私が切り捨ててやる」
老騎士の怒声があたりに響く。
頃合いという事か。
「構え!」
俺も剣を抜いて、天に掲げた。
俺は生きていたい。
「構え!」
俺に倍する音声で、老騎士が復唱する。
その命令は、木魂のように復唱伝達が繰り返される。
身を晒し圧力に耐える横隊は、盾の中から体を出して槍を構える。
壕の兵は立膝に態勢を変えて、短く切り落とした槍を斜めに構える。
後列からは剣を抜く音が聞こえた。
そういう事か。
俺の立場が少しはわかった気がする。
蛮性は俺だけではなく、味方の兵すべてに伝染しているようだ。
「生き残るぞ!」
俺は思わず叫んでしまった。
余計な事を言ったかと一瞬思ったが、その思いをかき消した。それが余計だ。
こちらの構えを見て、敵の顔に気迫が漲る。
気押されれば、それで生は終わる。生を諦めた事になる。
もう二呼吸。
再び無音の世界に入る。
命令を発したかどうかはわからない。
敵の投げた槍が俺の頭を掠めていく。
すべてがスローモーションに見えた。
俺と共に直立する横隊が、敵と接触する一呼吸前。
「突け!」
シュラーの号令と共に、塹壕の兵が槍を突き出した。
敵は俺達目の前の横隊に気を取られていた。
槍が敵の軍服を貫き、勢いを失って躓いた敵は倒れこみ、体重によって更に深く突き刺さる。
斜めに構えた槍は、槍尾が壕の壁に突き刺さり完全に固定され、敵の墓標になった。
目の前で崩れゆく敵兵は、俺を驚愕の目で見つめたまま、視界から消えた。
「横隊! 突け!」
壕の槍を逃れた敵兵に、無数の槍が突き刺さる。
「剣士隊! 敵を倒せ!」
無数の槍を身に受けた敵兵が、俺に向かって剣を振り下ろそうとする。
血と涎の混じった液体を口から溢れさえ、見開いた目は血走っていた。
そしてその敵兵の頭が剣によって縦に砕かれる。
俺の後ろから、突撃した剣士が振り下ろした剣だった。
種類の違う蛮声が敵を押し包んだ。
塹壕に落ちた敵兵は、頭を割られて絶命する。
地に立つ敵兵は、槍と剣によって切り刻まれた。
それでも僅かに生き延びた敵兵が丘を駆け下りていく。
「弓隊! 構え! 狙え! 打て!」
既に戦意を失った敵兵の背に、無数の矢が突き刺さる。
※
ほんの僅かな時間だった。
ほんの僅かな時間で、あの自信に溢れ、輝いていた敵兵は全て地に伏せた。
白地に青の制服は、黒と赤に染まり、全て踏みにじられた。
戦勝の高ぶりが丘を包み、周りの兵も肩を抱き合っている。
中には折れた槍を見つめているものもいた。
「終わったか……」
特に剣をふるった訳ではないのに、胸が苦しい。
命令すらもしなかったから、俺はただ立っていた事になる。
人殺しをしなかった、この戦争に参加しなかった安堵感などはなかった。
俺の作戦で、目の前で無数の人間が死んだ。
「ご主人様。大勝利ですな」
「敵は1,000位でしょうか。1個大隊全滅です」
老騎士の満面の笑顔が俺に向けられる。
「こちらは21人損害が出ました。重傷者は5名。それぞれの隊長が慈悲を下しました」
「正面に布陣した敵の連隊は4個大隊」
「その内1個を失いましたから、無謀な突撃はしてこないでしょう」
「時間が稼げます」
よほど嬉しいのか、言葉がとても多かった。。
重い鎧を着て剣を振るったのに、息一つ乱れていない。
その鎧からは血が滴っていた。
「戦えば当然そうなるか……」
「教えてくれてありがとう」
敵は1個大隊。そして俺は中隊長だから、多分味方は中隊規模。
敵の方が数は多かったという事か。
中隊が何個で大隊なんだ?
とにかくそれでも圧倒的に敵の方が数は多いという事……か……。
「いえ、その……。感謝します、ご主人様」
俺の感謝に戸惑っているのか?
老騎士が俺から視線をずらして、地面を見ている。
まあ、いいか。今は他に考える事がある。
「ご主人様。勝鬨を」
「勝鬨はあげない。普通それを行うのならばそれを行わない」
シュラーの顔が曇る。
「しかし兵隊に自信を与えないと」
「生き残るためだ。何が起きているのかわからなければ、更に時間が稼げる」
シュラーがしばらく俺を見つめていると、少し頭を振る。
「わかりました……」
「お前ら、中隊長殿のお言葉を聞いたな」
「生き残るために勝鬨はない。伝えて回れ」
シュラーの後ろに控えていた兵士が散らばる。
これが記憶のある俺の初めての決断で行動だった。
そして決断できた事実は、俺を次の行動に移すハードルを下げた。
俺は更に残っている兵士に告げた。
「弓兵。 矢を回収しろ」
「横列。敵の剣と盾を回収だ」
「ご主人様! それは盗賊のやる事です! 貴方が命令すべきことではない!」
俺の右腕をつかんで、シュラーが口を挟む。
口調は怒気に溢れているが、俺をまっすぐ射貫くその目は、懇願するような色をしていた。
周りの兵が固唾を呑んで俺達を見つめている。
「随分酷い格好になったな」
「返り血とかすり傷は戦の誉です」
「まだまだこの丘は血と命を吸い込む」
「そしてそれは俺たちの命であってはならない」
「しかし、盗賊の真似をして、敵の誇りを穢すなど、騎士だけではない! 貴族がする事ではありません!」
シュラーの声が震えている。
名誉。誇り。
このシュラーが生きていた世界。
ロマンチックな騎士の世界。
「部下たちの中に、どうして鎧を付けていないものがいる?」
「お忘れになりましたか? 撤退の最中、原隊からはぐれた間抜けを片っ端から編入した事を」
「だとしたら。彼らにも生き残る機会を工面するのが、指揮官の役目だろ?」
「俺たちは生き残るんだ。もちろんお前も」
「やれ」
俺が指示を出すと部下たちが丘を下り始めた。
俺は死にたくない。
しかし敵を殺さないと生き残れないのだったら、最大限の努力はしなければならない。
部下が生き残る事で、俺が生き延びられるのだったら、一人も死なないように努力するだけだ。
シュラーは何か言いかけるが、目を伏せて諦める。
唇が震えていた。
「ご主人様」
「貴方は誇り高きノイシェーハウ家の義子なのですぞ」
「ノイシェーハウの名はなくとも、ご主人様。貴方様はアクティム・ヴァシュリンガー」
「立派な領家の一員なのです」
「お母上を悲しむような行動は、これから謹んでくだされ」
………………。
なんだって?
………………。
アクティム・ヴァシュリンガー?
「どうか、どうかそれを忘れないでください」
………………。
………………。
俺の名前は………………。
………………。
………………。
岬 統也じゃないのか?
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次回 連隊長
2016年05月06日15:00公開予定
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