四話 揺れるココロ
薄暗い室内。
時計はまだ、深夜2時を指している。
そんな中、ベッドの横に置いてあった端末が、点滅しながら震えていた。
恐らく何かを受信したのだろう。
ベッドからしなやかな白い手が伸び、端末の画面に触れる。
すると、ぴっという音と共に震えていた端末が停止し、変わりに端末から空中に投影されたバーチャルモニターが現れた。
そのモニターに映し出されたのは、依頼主からのメール。
『A-S、君にやってもらいたいことがある』
それを見て、気だるげにベッドの主は口を開いた。
「了解」
と。
埃舞い上がる廃墟を前に、かの者は任務を果たすため、姿を現していた。
しなやかな白い手には、黒の手袋で覆われており。
銀色の流れるような長い髪は、一つにまとめられていた。
ざくっと、土を踏みしめるのは、黒のベルトで止められたブーツ。
歩くたびに翻るのは、黒のコート。
その腰にはトリガーつきの特殊な剣が2本、取り付けられていた。
月明かりできらりと輝くのは、目元を覆うミラーシェード。
視線を下ろし、黒の手袋が胸元のポケットへと向かう。取り出したのは、先ほど、メールを投影していた端末だ。慣れた手つきで、A-Sは続きのメールを投影させる。
『A-S、君にはある研究所に向かって欲しい。そして、そこにあるアンドロイドを物をいわぬ人形に変えてもらいたい』
「その研究所が、ここということか」
ミラーシェードで顔の表情は窺えない。内容を確かめたA-Sは、端末を仕舞う。目の前の廃墟は、廃墟というには、いささか綺麗過ぎるようにも見えるのは、この建物が崩れていないからだろう。それに、コンクリート建てならなおさらだ。
A-Sは、注意深く周囲を確認しながら、その建物の中へと入っていく。
薄暗い廊下。
いくつもの部屋を抜けていく。
A-Sが暗がりの中、迷わず中に入っていけるのには理由がある。
一つは、既に依頼主からマップを貰っていること。
もう一つは……ミラーシェードに赤外線スコープと同じ機能が備わっていることだ。
問題なく、A-Sは、目的地へとたどり着いた。
『制御室』と書かれたドアを開き、A-Sは中を見渡す。
そこには、いくつもの巨大なポッドとコンピュータが設置されていた。
ポッドからは、僅かながら起動音が聞こえてくる。
「まだ生きているのか。捨てられたとも知らずに……皮肉なことだ」
そう呟き、A-Sはゆっくりとコンピュータの前に進み、電源を入れた。
すぐさま、目の前のモニターにいくつものウィンドウが現れ、状況を伝えてくる。
「依頼通り、か……」
ホッとしたような声色で、A-Sは電源の入ったコンピュータを操作し始める。リズミカルにキーボードを操作する様は、まるでピアノを演奏しているかのよう。
いくつかのコードを入力して、一連の操作を終えた。
仕上げにと、腰のポーチから取り出したフラッシュメモリーを、そのコンピュータに差込み、中に入っているプログラムを起動させる。
画面に浮かぶのは、左から右へと青く伸びていくゲージと。
そして、最後に表示された『complete』の文字。
それと同時に、近くにあるポッドから、回転するフィンがゆっくりと停止していく音が響いていく。ポッドの中をよく見ると、それは人の形をしたロボット。いやアンドロイドがその中に収められていた。
「完了」
役目を終えたフラッシュメモリーを引き抜き、ポーチに仕舞う。
アンドロイド達が止まったのを確認しつつ、A-Sは次々とポッドを開き、そのアンドロイドの背部にあるバッテリーを抜き、地面に置いていく。
「これさえ壊せば……」
腰につけた剣を引き抜き、力を込める。淡い光が剣を持った右手に集まったところで、A-Sは剣の柄の方で、バッテリーを勢い良く叩き付けた。
がしゃんという激しい音と共に、バッテリーは破壊され、崩れていく。
それを、そこにあるアンドロイド分、全て壊していった。
「これで終わりか……ん?」
終わったと思っていたが……しかし。
「これは……まさかっ!!」
A-Sの視線の先にあったのは、既に開かれたポッド。
その中にあるはずのものが、そこにはなかった。
そう。1体だけ、何者かの手によって起動させられていたのだ。
急いでA-Sは、ミラーシェードのスイッチを入れる。
とたんに、ミラーシェードの内側に様々なデータが表示され、すぐにアンドロイドの居場所が分かった。幸いにも遠くにはいない。が、アンドロイドとは別の、サーモグラフィーで反応する熱を持つものが動いているのがわかった。動物ではなく、それは大きさにして子供。
「くそっ、間に合ってくれっ!!」
キインという音と共に、A-Sの体に蒼白い光が集まる。
近くにあった窓に見定めると、A-Sは躊躇なく駆け込み飛び込んでいった。
ばきんと割れる窓。飛び散るガラスの破片。
しかし、A-Sは気にせずそのまま、落下していく。
『地上4階』のビルの上から。
走っていく。走っていく。
限られた月明かりの中、目の前の視界は、絶えず逃げ道を探していた。
「はあっ……はあっ……」
息を切らしながら、なおも走る。
どうして?
思わず、後ろを振り向く。
がしゃんがしゃんと不快な機械音を出しながら、『それ』は、自分を追ってきていた。
『スベテ、マッサツセヨ。イキトシイキルモノスベテヲ、ショウメツセヨ』
何を言っているのか、よくわからない。
だが、これだけは、分かる。
―――これは僕を殺しに来ているのだとっ!!
どうして、こうなった?
答えは簡単だった。
この日本で起きたロボット達の暴走事件。
数人の尊い命が散ってしまったが、あれからもう何年もの月日が経っていた。
危険区域だって、それだけ経てば安全なはずだと、友達はそう言っていた。
だから、肝試しをしたのだ。
幸いにも、小さな体なら通れる場所があった。
そこを通り抜け、危険区域にある何かを取ってきて帰ってくる。
それだけでよかったのに。
「はあっ! はあっ!!」
もう、足も息も限界に近かった。
それでもなお、アンドロイドが子供を襲わなかったのは、その遅さと射程の短さだろう。アンドロイドの持つ武器は、レーザーソード1本のみだったのだから。
けれど……それも唐突に終わりを告げる。
「うわっ!!」
限界に達した足がもつれ、転倒してしまったのだ。
―――死にたくないっ!! 誰か、助けてっ!!
折りしも、あの時起きた事件を再現するかのような状況に、幼い子供は助けを求めた。
声に出ない心の叫びが。
「たす」
擦れた声が、途絶えた。
何かが激しくぶつかった音が聞こえた。
それは子供に与えられたものではなく、もっと別の。
「大丈夫か、少年!」
ふわりと、銀色の長い髪が流れる。
「あ……」
子供は見た。
黒いコートを着た何者かが、アンドロイドに体当たりをして、壁に打ち付けたのだ。
そう、そこに現れたのは、ミラーシェードをつけたA-S。
子供を背にしながら、2本の剣を引き抜いた。
月明かりを受けて、刃が煌く。
「なら逃げろ! 今すぐにだ!」
そう言ってる間にも、壁にのめり込んだアンドロイドは、むくりと体を起こし、こちらに近づこうとする。
『マッサツ、テキハマッサツ』
だが、子供は動けなかった。
腰が抜けたのと、転倒した際に怪我をしてしまったのとで。
それにいち早く気づいたA-Sは、子供を一瞥して、すぐさまアンドロイドへと視線を切り替えた。
「動けないなら、そこから動くなっ」
「わ、わかったっ!」
子供の声を聞いて、A-Sは行動を開始する。
―――まずは、少年からアンドロイドを遠ざけるっ!!
駆けながら両手で剣のトリガーを引いた。すると、剣の刃にレーザーが帯びる。
アンドロイドのレーザーソードを、クロスした2本の剣で受け止め。
バチバチと火花が散った。
「へえ、やるじゃないか」
とたんに、A-Sの両手が蒼白く輝き、凄まじい力でアンドロイドを跳ね除けた。
激しくまた壁にぶつかり、左手が衝撃ではじき飛んだ。
だが、レーザーソードを持つ手は、壊れていない。
「しぶといな……そろそろ幕引きとしようか」
―――さっさと仕留めなくては、後ろの少年に被害が及ぶ。
そう判断して、ぐっと足に力を込めて、駆け出した。
蒼白い光は、A-Sの足、いや体中に帯びていった。
人とは思えぬスピードで、アンドロイドに飛び掛かる。壁を蹴り、遠心力を乗せて、勢い良く、アンドロイドの首を刎ねた。
それでも動くアンドロイドの心臓。胴体部分にある動力源に2本とも刃を突きつける。
「お前も仲間と共に眠れ、この地で」
左右に斬り広げるかのように、大きく切り裂くと、やっとアンドロイドは動きを止めた。
「これで、17人目……」
そう呟いて、A-Sは子供に声を掛けようと振り向いたが、既に彼は気絶してしまっていた。
危険区域の外。
A-Sは、子供をそこに横たわらせた。
「君を救えてよかった」
ミラーシェードで隠されていない口元が、僅かに綻ぶ。
優しく子供の頭を撫でて、A-Sはそっと立ち上がった。
長居は無用。
「それに、僕はこの子の英雄になる気はない」
本音も混じる一言が思わず口をついて出た。
ふと、歩き始めたA-Sの胸元が、小刻みに震える。
端末だ。
どうやら、何かまた届いたらしい。
歩きながら、端末を取り出し、画面を表示させる。
『A-S。初めてアギトに目覚めた君を見込んで、頼みたいことがある。我々の所に来ないか?』
そのメールの文面にA-Sは眉を顰めた。
「また叔父様か。アドレス変更したのに、このアドレスも感づかれたか……」
と、A-Sの視線が止まる。同時に足も止まった。
『魔導課の一員として』
「魔導……課?」
そういえば、日本で起きた事件により、新たな課が設立したと聞いたことがある。
まさか、それが魔導課なのだろうか?
止められなかった、日本の事件を棚に上げて、また何かをしようとしているのだろうか?
しばらくA-Sは思案していたが、メールを返信モードに切り替えると、片手で素早くメールを打ち込み始めた。
『人をデートに誘うなら、もっと言葉を選ぶべき。だけど、もし素晴らしいオペラを上演する予定があるのなら、その特等席を用意して。オブサーバーとしてなら、考慮する』
そう入力して、返信を送る。
送り先の名は、井伊明仁。
それを確認して、A-Sは端末を胸ポケットに仕舞った。
「見させてもらうよ、魔導課がどんなところかを」
明け始めた空を見上げながら、A-Sは楽しげに口元を緩めた。
これから始まることの期待か、それとも……。
A-Sは、両足に蒼白い光を灯すと。
そのまま高速でその場を走り去っていった。