三十五話 脆い平和
「お、兄貴ー。遅すぎるぞー」
新垣が武道館の前に着くと、そこではポニーテールの少女が嬉しそうに笑みを浮かべながら右腕をブンブン振っていた。
「うるせぇよ、こちとら塾通いで忙しいんだから。……で、その様子だと勝ったのか?明日菜」
「当然」
そう言うと少女……明日菜はジャージのチャックを一気に下ろし、服の下に隠していた隠していた金色のメダルを見せつけた。
この日本で新垣 明日菜は、名前を知らないのは幼稚園に入れない年齢の子供と来て間のない外国人ぐらい、と言っても過言ではないほどの選手であった。年齢制限によりオリンピックには出れないが、来るべき時になれば絶対的エースになる、とマスコミから注目を浴びていたからである。
「本当に同学年相手じゃ話にならないな」
「そんなことないよ、ワンサイドゲームなんて出来るわけないし。運だよ運」
「でも結局圧倒的差で勝ってるんだけどな」
「なんか言った?」
「うんにゃ、何でもない」
適当に話を切り上げて新垣が駅のある方へと歩こうとすると、明日菜は自分の腕を新垣の腕に回しくっついてきた。
「……おい」
「いいじゃんいいじゃん? こんなの若いうちだけなんだから。微妙そうな顔しないで受け取っといた方が良いと思うよー?」
新垣は歳を取ってもお前のブラコン体質が抜けそうな気がしねぇよ、と内心毒づいていた。
そしてそのまま2人は最寄り駅の改札へと向かうエスカレーターに乗った。すると後ろに下がった明日菜は不思議そうに尋ねた。
「あれ? 父さん達の所にはいかないの?」
新垣兄妹の両親は警察官であり、今回の大会の警備を任されていた。おそらく武道館の周りをうろついていれば低確率ではあるが、話すことぐらいはできたであろう。
しかし新垣は表情一つ変えずに首を振った。
「そんなことしたら父さん達に迷惑だろ、どうせ後で合流できるんだし。そんなことよりお前の着替えの方が重要だ、そんな格好で入れてもらえるわけないだろ?」
そう新垣が言うと明日菜は見るからに嫌そうな顔をした。
「はぁ……。出来れば家で食べたいんだけどな」
「無茶言うな。お前の優勝祝いだけならともかく、今日は父さん達の結婚記念日なんだから」
「わかってるよ。だから今日の祝勝会を断って待っていたんじゃん」
電子パスで目の前の改札を通過し、そのままちょうどホームに滑り込んできた電車に乗り込む。大会が終わって少し経ってから来ていたからか、いつもより一緒に乗り込む人の数は少なかった。
予約していたかのごとく、2席続いて空いていた席に座るとゆっくりと扉が閉まり電車が動き出した。
電車内に何ヶ国語もある次の駅のアナウンスが流れ始める。しかしほとんどの乗客は全く興味を持たず、手元のスマートフォンや本に集中していた。それは新垣達も一緒であった。
そして気がついた時にはいつもの駅について、いつものように降り、そしていつものように家に帰る。それが人々の日常である。
この日もそうなるはずだった。
しかしその普通は唐突に消え去った。
金属がぶつかりあったような甲高い音と共に車体が大きくよろめく。横の壁に当たったことで横転はしなかったが、それでも立っている乗客がなぎ倒されてしまうには充分だった。
今の衝撃のせいか、うめき声があちこちから聞こえる車内の照明が落ちた。光が満ち溢れる日常を送っていた人々にそれが恐怖をもたらすことは当然のことであった。
「あ、明かり、明かりは⁉」
「さっさとドアを開けろ! 手動のやつはどこだ!」
「スマホでレバーを探せ!」
スマートフォンによる明かりがちらほらと怒声と悲鳴が響く車内をうろつく中、ロックを解かれた扉がゆっくりと開かれ始めた。
小さな隙間から俺が俺が、とばかりに次々と人々が飛び出して行く。そんな中、新垣は青い鳥が目印の投稿サイトを慌てて開いていた。
そこには次々と恐ろしい内容がリアルタイムで記されていた。
「クレーンがめちゃめちゃに腕振り回して人々をなぎ倒してる」
「警察のやつが無差別に発砲」
「○○のガソリンスタンドが機械の暴走で爆発、消防の機械もおかしくなってる」
「やばいしぬたすけて」
「兄貴! さっさと私達も出るぞ!」
明日菜が新垣の腕を引っ張る。それで画面の中の世界から戻された新垣は慌てて頷いてケガを負って出遅れた乗客達と共に車内から出た。
すると電車が向かっていたのと反対の方向から悲鳴と何かが潰されている嫌な音がした。
「に、逃げろ! 機械が、襲い……」
先ほど出て行ったと見られる乗客らしき悲鳴が中途半端に途切れる。それと同時に赤い光がいくつも暗闇の中に現れた。
嫌な予感がした新垣は咄嗟に明日菜の腕を掴むと走り出した。
「あ、兄貴! いたい! 早い!」
「うるさい! 今はとにかく走れ!」
そうしている間にも背後からは人々の断末魔と肉が潰れる音が聞こえていた。
次の駅のホームにたどり着くと、閉まっているはずのホームドアが開きっ放しになっておりそれなりの身長があれば登って入れるようになっていた。もちろん奥には緊急用の階段もあったのだが、そんな物を使おうと思う余裕は今の新垣にはなかった。
「明日菜、引っ張ってくれ!」
「う、うん!」
明日菜が頷くと新垣は明日菜の体を持ち上げてホームに入れた。そして明日菜はすぐに振り返り新垣の腕を掴んで引き上げた。
そしてそのまま階段を駆け上がる。改札の電気も消えており色々な荷物が落ちていて不安定な足場をスマートフォンの明かりを頼りに進んでいき、逃げ惑う人々に押されながら2人は地上へとたどり着いた。
そこは数分前とは違う、別物のような日本だった。
周りの建物からは煙が上がり、命令通りに動くはずの機械が命令を無視して動き、人々を襲い殺していく。
黒色の道路は赤い血で染まり始めていた。
2人とも言葉を失ったが、そこで立ち尽くしていれるだけの猶予は無かった。そこでぼけっと立っていれば暴走する機械の次の標的になってしまうからだ。
2人は本能的に機械が入れないような路地が多いであろう住宅街のある方へと駆け出していた。
「な、なんで、これ、映画の撮影⁉」
「そんなわけないだろ!」
周りで起きている異常な事態に混乱しながら走る。すると体格の差で少しずつ新垣と明日菜の間に距離が生まれ始めていた。
その時、突然地面が大きく揺れた。
そして新垣が走り抜けていた道を舗装していたアスファルトが音をたてて崩れ落ちた。
それは容赦無く、後方を走っていた明日菜の足元を襲った。
「あ」
「あ、明日菜!」
新垣が叫びながら伸ばした手は、明日菜には届かず。
明日菜は何が自分の身に起きたのか理解していない、呆気にとられた表情を見せながら割れた地面の暗闇へと消えていった。
新垣はしばらくそこで腕を伸ばしたまま固まり、ふらふらと糸の切れた凧のようにその場に膝をついた。
「そんな、明日菜……?」
別の道を選んでいれば、自分が明日菜の手を引いていれば、明日菜を先に走らせていれば、今の事故は防げたのではないか?
様々な可能性と後悔が走馬灯のように新垣の脳内を駆け巡る。そして次に彼を襲ったのはどうしようもない自分に対する怒りだった。なぜ今起きているおかしな状況を知っておきながら、それに対する対策を考えなかったのか。
全てが結果論でしかないのに、新垣は自分を責め続け、そしてぶつけようがない怒りを自分の中に生み始めた。
そんな中、いつの間にか現れていたマンブレードが彼の後ろを取り、ゆっくりとスローモーションのように赤く血に染まった腕を新垣に向かって振りかぶる。
頬を伝わる涙を拭わず、何も映さない虚ろな目で新垣は暗い穴を見つめる。
そしてマンブレードは新たに1人の少年の命を奪うべく、その腕を振り下ろした。
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「新垣、新垣!」
「はっわ⁉」
新垣が意識を取り戻すと、そこには厳しい表情を見せる能見の顔があった。
「全く……。もう着いたわよ準備しなさい」
「あ、はい……」
機械兵が多く格納されているというタレコミが入った建物に向けて能見とジョナサンが車内から降りる。そんな2人を横目に、新垣は右手で自分の目を覆った。
(久しぶりだな、あんな夢見るなんて……)
暗闇の中で浮かんできた自分の妹の顔と、今朝の花瓶を投げつけてきたA-Sの顔がかぶる。
「A-Sと明日菜が似てるからってか? バカか俺は……」
新垣は失笑しながら自分自身の頬を思いっきり引っ叩くと、軽く舌打ちして車を降りた。