十四話 委ねられたセンタク
魔導課に戻った井伊を待っていたのは、二人の客。
「さてと……嬉しいことに会いたい客が二人、か……」
一人は国崎。少し前に目をつけていたウェイカーの一人。
そして、もう一人が久我原。これからの作戦に無くてはならない一人でもある。
ただ、久我原に関しては、既に待たせている状況で、これからまた幾分遅れたとしても問題ないだろう。
問題があるのは、国崎の方だ。
やってきたのは、偶然。しかも、ここを逃せば、次に会える保障はない。
「すまんが、久我原にもう少し遅れると伝えてくれないか? 用事を済ませたら、すぐに行くと」
車を降りた井伊は、ここでジョナサン達と分かれ、能見達のいるロビーへと向かった。
「ご苦労様、能見、新垣。そして……国崎君と言ったね」
「総監っ」
能見と新垣が姿勢を正すのを見て、井伊は、その手で敬礼は不要と示した。
その様子を訝しげに見ているのは、フィグネリアを連れた国崎。
「はい、そうですが……」
「弾丸を受けたといっていたが、大丈夫なのか?」
「あ、はい。お陰さまで怪我はないです」
「そうか、それはよかった。では、これからちょっといいかね? できれば、二人っきりで話したいんだが」
フィグネリアに向ける視線に、国崎は気づいた。
「フィグネリア、少し話があるそうだから、邪魔にならない所で待機してもらえるか?」
『はい。ここでお待ちしております、亮平様』
軽く礼をして、フィグネリアは下がる。
それを見て井伊は、国崎を連れて、自分の仕事場である警視室へと向かった。
「さて、改めて自己紹介をしようか。私はここの警視庁総監で、魔導課を立ち上げた井伊明仁だ。どうぞよろしく」
握手を求める井伊に、国崎は戸惑いながらも、握手を交わす。
「国崎、です。国崎亮平……といいます」
「能見の話によると、君はウェイカーだそうだね」
「……」
黙ってしまった国崎に井伊は気にしない素振りで続ける。
「無理に言わなくていい。敵に情報を与えるというのは、敵に弱点を教えるようなものだからな」
食べるかと取り出したのは、あのメークフード。
「あ、ありがとうございます」
受け取りつつも、国崎はそれに口を付けようとはしなかった。
「でだ。今、魔導課は、ウェイカー大募集中な訳だ。特に君のような若者の可能性を買っている。もちろん、社会保障や福祉等も完備させてもらうよ。給料も弾むぜ」
にっと笑みを浮かべる井伊だったが、次の国崎の言葉に。
「お断りします」
それにと、前置きして。
「ついでに言うと、新垣さんにもそう言われました」
「新垣、グッジョブ。けど、なんでまた、この話を断るんだ?」
「……言いたく、ありません」
真剣な二人の視線が交錯する。
最初に息をついたのは、井伊だった。
「まあ、人それぞれっていうからな。仕方ない。今回は諦めるか」
「……その、話はそれだけ、ですか?」
「ああ、用事があるなら帰ってもいいぞ?」
「で、では、帰りますっ。失礼します!!」
逃げるように去っていく国崎を見送って、井伊は手元にあったメークフードを開いて齧る。
「ありゃ、一筋縄では行きそうにないな」
ばりっとまた、乾いた乾パンの音が、部屋に響いた。
チカチカと点滅するのは、A-Sの愛用している端末だ。
「それで、僕に行けだって? 面倒な事ばかり押し付けようとする」
メールを確認して、乱暴にその文面を消した。
そして、顔を見上げた。
そこは国崎が居を構えるレトロなアパートメント。
ミラーシェードのスイッチをつけると、A-Sはゆっくりと、その中へ入っていく。人が居るはずのそこは、誰も居ないかのような廃墟が広がっていた。A-Sはその奥にある階段を勢い良く駆け上り。
『何用ですか?』
かきんと、金属音がぶつかる小気味良い音が響いた。
ふわりと、銀色の長い髪と、無機質な髪が揺れる。
「国崎はいるか?」
『そういうことでしたら、きちんとチャイムを鳴らしていただかないと困ります』
チンっという弾かれる音と共に、二人は距離を取って、地面に降り立つ。
「見えるところに置いておいてくれないか。廃墟といっても過言ではないぞ」
2本の剣を腰の鞘に戻し、A-Sがそう告げた。
『最近は物騒ですから。あなたの家もそうではないのですか?』
「……人形にしては、良い反応をする。名を聞いてもいいか?」
メイド服を着た少女は、ふっと笑みを浮かべ。
『名を聞くときは、自ら名乗るべきでは?』
A-Sも思わず笑みを零した。
「そうだったな。僕はA-S。井伊総監に頼まれて話をしに来た。君の主人はここにいるか?」
メイド服の少女が口を開こうとしたとき。
「言わなくてもいい、フィグネリア」
奥から現れたのは、一人の少年。そう、国崎だ。
『はい、亮平様』
国崎に言われ、フィグネリアと呼ばれたメイド服の少女が下がる。
「まだ諦めてなかったんだ、あの人」
ため息混じりに国崎が零すと。
「総監はしつこいぞ」
そう言いながら、A-Sは国崎の方に向かって近づいていく。
「で、今度はあんたが俺に言いに来た?」
「察しが付いてたか。それは好都合。だけど、僕が言いたいのはそんなことじゃない」
首を傾げる国崎に向かって、A-Sは続ける。
「そんなことじゃないって、じゃああんたは……」
「ここに二つの道がある。一つは光に照らされて、安全が保障されている道。もう一つは、見るからに険しく危険な道だ。国崎、君ならどの道を選ぶ?」
そう尋ねられて、国崎は困惑する。A-Sの言った言葉を図りかねているかのように。
「そ、そんなの決まってるじゃないか。好き好んで危険な道を選ぶ者はいない」
「ああ、そうだな。それも一つの選択」
だから何を、と言い掛ける国崎にA-Sは。
「だがな、国崎。僕は『どちらの』とは聞いていない。『どの』道を選ぶかと聞いたんだ」
「……?」
「安全が保障された道を歩きたくなければ、そう言えばいい。危険な道を歩きたくなければそう言えばいい。どちらも選びたくなければ、第三の道を選ぶのも、それは君が選んだ選択だ」
「……何を言っているのか、分からない」
A-Sはふっと口元に笑みを浮かべる。
「魔導課に所属せずとも、力になる方法がある。僕がそうだ」
「………」
「一つの見方で物事を考えるな。柔軟な思考が新たな道を生み出す……僕はそれを言いに来た」
「……てっきり、誘いに来たのかと思った」
思わず国崎は本音を零した。
「さっき、おじ様から……いや、井伊総監から連絡を貰っていたからな。一度、断られたと」
「なら、なんで、俺を誘わないんだ? 新垣って人も誘ってきたってのに」
「ならお前は、僕が誘えば、魔導課に来たのか? 来る訳がない。その気がないんだからな」
「………」
「だから、僕のような立場もあるということを教えに来た。入りたくなければ、入らなければいい。協力したければ、協力すればいい。お前のやりたい事をやれ。だが」
そこで、A-Sは言葉を区切る。
「そこにお前の意思がなければ、意味はない。それを忘れるな」
A-Sはそれを言って、帰ろうとする。
「お、おい、もう良いのか?」
国崎が呼び止めるが。
「ああ、誘っても来ないやつを誘っても意味はないからな。……機会があれば、また会おう」
後ろを振り向くことはなかったが、手を振ってA-Sは立ち去っていく。
その様子を国崎が手を伸ばして止めようとするが、結局、声も掛けずにそのまま見送っていた。
能力を使って、A-Sは駆けてゆく。
「まさか、早苗のフィグネリアがいるとは……思わなかった」
ゆっくりとスピードを落とし、通常の人の歩く速度へと変えた。
胸の奥がずきりと痛む。
「あんな反応を返すのは、フィグネリアにしかできないから……」
ちゃりと首から鎖が零れた。そこに落ちるのは、銀色に輝くペンダントヘッド、いやロケットだ。その中には写真が収められるようになっているそれを、A-Sは少しの間握り締め、そして、服の中へと戻した。
呼び起こされる遠い記憶。
―――あなたが私の主人ですか?
―――私はあなたのことが好きです。ですが、あなたを愛することは、難しいでしょう。
―――に、逃げて……くだ、さい……。私がまだ、正気でいられる間に、遠くへ……行くのです!! お父様とお母様と、共にっ!!
―――私はあなたのことをずっと思っていました。きっとこれが……。
「何を考えているんだ、僕はっ」
溢れてくる記憶を吹っ切るかのように首を振る。
「もう、いないんだ。父さんも母さんも……エルアトスもっ」
「ああ、君の傍に居た者は誰一人いない」
突然の声に、A-Sははっと顔を上げた。
逆光で誰だかわからないが、これだけは分かる。
彼は―――敵だ。
しかし、A-Sが行動を、いや能力を発動させる前に、彼は事を成していた。
「しまっ……」
突然、首筋を殴られて、A-Sはそのまま気絶する。
意識が遠のく中でそれを聞いた。
「君は井伊を誘い出す贄になってもらおう……」
かちゃりと、カップを置く音が、やけに部屋に響いた。
『良かったのですか、あの方を見送ってしまっても』
「……良いんだよ。それに用事は済ましたって言ってたし」
フィグネリアが用意したコーヒーを飲みながら、国崎は先ほど、A-Sが言っていた事を思い出していた。
「第三の道、か……」
コーヒーに映る自分の顔を、思わず覗き込む。
『これからどうなさるおつもりで……』
そうフィグネリアが言い掛けたときだった。
『!! 亮平様』
「フィグネリア、どうかしたのか?」
何かを感知したフィグネリアに国崎が心配そうに問いかける。
『井伊総監から連絡です。先ほど訪れたA-S様が、何者かに攫われたと』
「何だってっ!?」
国崎は驚き立ち上がる。その手にコーヒーカップがあることを忘れてしまう程に。
勢い良く、コーヒーカップが割れ、コーヒーが地面を汚していった。
まるで、これから更なる闇が覆い隠そうとしているかのように、じわりじわりと……。