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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

殺人相手取捨選択についての考察

作者: satuki

殺される人間と殺す人間がいる。

大抵、被害者側は可哀相だという人間が多い。

しかし、殺された側には2通りのパターンがパッと思いつく。

一つ目は、何の理由も関係もなく殺される場合。

二つ目は、被害者側に殺されるきっかけがある場合である。

後者の場合、良くも悪しくも、加害者との接点がある。

交際していた相手だとか、ストーカーをされていた、メールでのやりとりがあった、いじめられていた、仲が良かった、通勤途中によく見かける、駅のホームでよく目が合う等々、考え出したらキリがない。

良くも悪しくもという言葉に含まれている内容物は数え切れないほどある。

ものすごく薄い接点でも、加害者側になんらかの影響を与えていることに違いはない。

中には、なんでそんなことで、と思うものも沢山ある。

それはテレビで放送されている被害者家族の言葉や警察が取り調べた内容でも推し量れる。

それはほんの表層だとは思うのだが。

ただ、殺す側からしてみれば、どんなに些細でも繋がりがあり、動機として成り立ってしまうのかもしれない。

そこに被害者家族からの恨み辛み、復讐心が反射してくることなど眼中にないのだろう。

しかし、殺される人間が当たり前のように毎日放送されているからと言って、殺されていい人間であるとは限らない。

殺された側からすれば、そんな人に目を付けられるなんていい迷惑だ。

ただ、一辺倒に「被害者は可哀想だ」なんていう言葉を使ってはいけない。

被害者家族にしてみれば、そんなん関係あるかと言いたいでしょう。

この文章で伝えたいのは、悲しめばいいってものではないということだ。

「もしかしたら」と思うところが少しでもあるのなら、冷静になった後、加害者との関係を洗ってみるのもいいかもしれない。

もしかしたら、被害者側の生活環境、付き合っているコミュニティーの中に、なんらかのトラブルがあるかもしれない。

もしかしたら、調べている最中に、ものすごく見たくない情報が出てくるかもしれない。

そういうことを調べた後でも、悲しむのは遅くないと思うのだ。

これは加害者に慈悲をかけて下さいというような文章ではありません。

ただ、殺された側に思うところがあったから記述した文章である。

もしも自分がその立場になったら、とてもそんなことは言えないのだろうけれど、だから今この感覚を大切にしたいと思うのだ。


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