ミケとアラン
鉄製の扉が開かれると、淡く灯されたランプが、ゆらゆらと揺れた。
そこから流れ出す、楽しげな音が一気にハンナ達を包んだ。
一室だけの部屋は、さほど広くなく、そこには愉快に音を掻き鳴らす男と女が一人づつ居るだけだ。
女性は優雅に踊るようにしてヴァイオリンを弾き、男性は弾むような音色をピアノで奏でている。
一通り演奏を終えた二人は手を上げ、
「よっ、ネイロ」
「珍しいね、ネイロがここに来るなんて」と、言った。
女性は、ネイロより少し年上に見えた。
赤色の、ど派手なジャケットを上手に着こなし、テンガロンハットから伸びた金色の長い髪が、緩くウェーブ状に癖がついている。
ハンナは、かっこいい綺麗な女性だと思った。
そして、もう一人の男性は、今にもはち切れんばかりになった、薄手の淡い空色のカーディガンを羽織っている、縦にも横にも大きい男性にハンナは圧倒された。
「紹介する。こっちがミケだ。」
ネイロは、先ず女性を紹介し、続けざまに、
「んで、こいつがアラン。二人は兄弟だ」
「ちなみに私が姉だ。」
「僕が弟。」
「アラン、当たり前だろ。いちいち説明すんな!」
「ご、ごめん」
「それで、そっちの子は?」と、ミケは苛立つように言った。
「ハンナだ。」
ハンナは驚き、ネイロを見た。
「こいつらなら大丈夫だ。信用できる。」
その言葉にハンナも納得した。
それは自分が信用するネイロの言葉だったからである。
「よろしくな。」
「よろしくね。ハンナ。」
「よろしくお願いします、ミケさん、アランさん。」
一通り挨拶を済ませてから、ネイロは二人に事情を包み隠さず話した。
「なるほど。ジェラルドか……」
「ああ、それでお前達に頼みがある。ハンナを守ってやって欲しいんだ。」
ミケは驚いた顔で、
「守るって、どうやって?」
「守るっていっても四六時中ってわけでは、ないから安心してくれ。」
「じゃあいつ?」
と、不思議そうな顔でアランは聞いた。
ネイロは、自分が政務局の試験に合格し、実務についた時を想定して二人に頼んだ。
それは、週に一度の歌を、この先も続けさせたい、というネイロの想いからだった。
そして、その気持ちをネイロは素直に二人に告げた。
「ハンナは駅前で歌を唄っているのか。」
「それは偶然。僕達も週に五日は、あそこで演奏してるんだ。きっと、僕達が通ってない日にハンナは歌っているんだね。」
「ちなみに、そこでは『ソラ』って名乗っているんだけどな。」
二人を信頼しているネイロは、そのことについても話した。
「ソラ!?」
「ソラ!?」
ミケとアランは同時に声を上げる。
「僕、知ってるよ。ソラっていう、凄く歌が上手い子がいるって、最近話題になってるからね。」
「そうそう。私も聞いてるよ。あんたがソラだったのか。」
ハンナは、なんだか照れくさくなった。
「そ、そんな私、全然上手なんかじゃないです。」
「みんな上手いって言ってるよ。一度聴いてみたいな。」
ミケは興奮したように言った。
「是非、そうしてくれ。ただし一週間後、駅前広場でな。」
ネイロの提案にミケとアランは少しガッカリした様子をみせたが
「分かった。一週間後が楽しみだ。」と、ミケは了承した。
その帰り道、ハンナはネイロに、
「あのネイロさん。今日はありがとうございました。」と、礼を言った
「私、あの場で歌ってくれって言われてたら、きっと上手く唄えなかったと思います。」
それを聞いたネイロは別段、驚きもせずに、
「分かってるよ、そんなこと。」と答えた。
「あの広場で大勢の前で歌を唄うのは、ハンナじゃない――ソラだ。」
ハンナは驚いた。
実のところ、そう感じていたのは、自分自身であったからだ。
上手く表現できないが、確かに大勢の前で歌を披露する自分は、いつもの自分とは異なる人格だ、とハンナは以前から思っていた。
その人格が「ソラ」と、いう名前を得て確立されたのだ、と。
そして、それを行うには心構えと集中力を高める必要がある。
なので、当然ながら突然に歌を唄って、といわれても、まだ発展途上のハンナには、なかなか難しいこと、なのである。
そのことをネイロも承知していたからこそ、ミケには一週間後という約束をしたのだ。
その後、しばらく二人は、無言で歩いていた。
すると、突然ネイロが、「なあ、ハンナ。ちょっと頼みがあるんだけど……」と、切り出した。
「はい、私で出来る事なら、なんでも。」
ネイロは、言いにくそうに、ぼそぼそと喋りだした。
「無理なら断ってくれて構わないから」と、最初に話してから、続ける。
「もし俺が試験に合格したら、家で……その……歌を聴かせてくれないか?」
それを聞いたハンナは、可笑しくなって笑った。
「なんで笑うんだよ。」
ネイロは顔を赤らめている。
「だって――真剣な顔で言うから、どんなことだろうって……そんなことだったら、いつでもいいですよ。」
「ほ、ほんと?」
「はい。」
「約束な。」
ハンナは頷き、
「頑張ってくださいね。」と、ネイロを応援した。
そして、ネイロも力強く頷き、それに応えようと心に誓った。
一週間後。
夕陽の中を、細い影と太い影がパン屋の扉の前に現れた。
扉を開け、中に入った二人は元気に声を上げる。
「さあ、ソラ。行こうか。」
「迎えにきたよ。」
ミケとアランは、ハンナの姿を見つけ、手を上げた。
ハンナとネイロは早目に準備を済ませ、二人を待っていた。
「今日も大丈夫か――ソラ?」
「はい。」
四人は並んで、くだらない他愛話しを、しながら駅前広場を目指し歩いていく。
まだ辺りは昼間の暑さが、抜けきれずにいた。
陽が完全に沈むまでは、まだ時間が掛かるだろう。
その間の僅かな、何でもない一時でもハンナにとっては、大事な時間だった。
そして、今この瞬間の些細な幸せを実感していたのであった。
ありがとうございました(*^^*)
次回も宜しくお願いします。