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ソラとネイロ

ハンナが決意した告白をネイロとゲンマは静かに聞いた。

両親が実はまだ田舎の方にいること。

借金が原因でジェラルド家の使用人になったこと。

そして、そこを逃げ出したこと。

この時のハンナの心境は、とても複雑であった。

先の見えない状況に小さな心臓は押し潰されそうだった。

自分が、したことが間違いだったかもしれない。

両親を裏切ったのかもしれない。

そして目の前にいるネイロとゲンマにも嘘をついた自分をハンナは己で責めた。

そして、

「私は、ジェラルドの家に戻ります」と、二人に言った。

「……ハンナ……これまで辛かっただろう。」

涙するハンナをゲンマは抱きしめた。

「ごめんなさい……ゲンマさん。」

「戻ることは、ない!」

そう言ったのは、ネイロだった。

「でも――」

「うるさい。絶対に戻ることは許さない!」

ネイロは不機嫌に、そう言った。

「そうだよ。お前は、ここにいればいい。そしてもう少し時間が経ったら両親に会いにいけばいいんだ。」

「本当に?」

「もちろんだ。ねえ、坊っちゃん。」

「ああ。」

ハンナは心の底から安堵した。

本当は出て行きたくなんかないのだから。

そして二人に嫌われる覚悟も出来ていただけに、その緊張感は、ぷつりと切れた。

その瞬間、ハンナは泣き崩れた。

その傍らには、ハンナが泣き止み落ち着くまでゲンマが寄り添い、ネイロは、それを見守っていた。



「しかし、よりによってジェラルドとはな……」

ハンナが落ち着き三人は、お茶を飲みながら丸いテーブルを囲んでいた。

「あ、あのジェラルド家を知っているんですか!?」

ゲンマの一言にハンナは驚きを隠せなかった。

「まあのう。あいつらの悪評は、この街でも有名なんだ。」

「そんな……」

ハンナは、自分の世界の狭さを思い知って愕然とした。

これまでは、こんなに遠くの街まで来たのだから、大丈夫だと安心しきっていた自分が情けなく感じた。

「評判だけではない。年に数回は、この街にも現れては何かしら問題を起こしているんだ。皆、困り果てている。」

「……そんな」

「ハンナ。しばらくは、駅前で歌うのを控えなさい。」

ハンナは悲しそうな表情で頷き、

「あの……私、本当に、ここに居ていいのでしょうか?もしかしたら迷惑かけるかもしれない――」

「いいって言ってるだろ!」

黙って聞いていたネイロは、苛立った様子で声を上げた。

それを宥めるように「坊っちゃん。」と優しくゲンマは言った。

「分かってるよ!まったく正務局は一体なにやっているんだ!」

ネイロは机を叩き立ち上がり、

「少し散歩してくる。」と、言って出て行ってしまった。

「ネイロさん……」

「気にしなくていい。坊っちゃんはハンナに怒っているわけじゃないんだ。」

「それは、分かっています。」

「そうか。だったらいいんだ。」と、ゲンマは安心したように笑顔を見せた。

「さあ、今日はもう休みなさい。また明日から頑張ってもらわないと、いけないからね。」

ハンナは頷き、もう一度「ゲンマさん。ありがとう」と、言ってから部屋へ戻った。


ハンナがベッドに横になり浅い眠りに誘われかけた時だった。

こんこん!と、いうノック音にハンナは「はっ!」と、目覚めた。

「は、はい。」

「入るぞ。」

返事を待たずして入って来たのはネイロだった。

「お前晩飯まだだったろ、これ食えよ。」

そう言って机の上に置いた。

「すいません。そんなことまでして頂いて。」

「気にするな。それより少しは、すっきりしたか?」

「……はい。」

「するわけない、か。」

ネイロには、ハンナの気遣いがよく分かった。

「そうだ!明日歌いに行こう。」

「えっ?でもゲンマさんは当分控えるようにって。」

「ゲンマは、心配性だからな。ハンナ、お前はどうしたい?」

「行きたいです。」

「そうか。好きなんだな、歌うことが。」

「はい。歌っている時の私は、なんだか私じゃないような不思議な気持ちになるんです……なんていうか別の人になったような感じなんです。」

ネイロはハンナが言ったことを、頭の中で整理して考えてみたが、よく分からなかった。

「そうか。とにかく歌いたいんだなハンナは。」

頷くハンナ。

「よし、じゃあ俺が付き添ってやるから、何も心配するな。」

「えっ!でもネイロさんは、勉強があるじゃないですか。」

「息抜きだよ。息抜き。」

「それに、歌には興味がないって。」

「いいだろ別に。俺は、ハンナの歌を聴いたことがないからな。まあ、とにかく明日、俺と一緒に駅前に行くんだ。いいな。」

「――はい。」


翌日、夕方頃に仕事を終えたハンナを、もう数時間も前からネイロは、勉強を切り上げ待っていた。

ゲンマはそれに気づき、

「一体ハンナと坊っちゃん、どちらが楽しみにしているのか分からん」と、笑った。

「さあ、行くぞハンナ。」

「はい。」


二人は夕暮れの街を無言で歩いて駅前へと向かった。

石造りの橋の上にさしかかった所で急にネイロが立ち止まり、口を開いた。

「この川――リケル川っていうんだけどさ、綺麗だろ。」

それほど大きな川ではない、リケル川は夕陽を浴びてキラキラと目一杯輝いている。

「俺、小さい頃から、よくこの川沿いを散歩してたんだ。特に、この時間は特別で、この真っ赤になった川沿いを歩いてると、嫌なことなんかどこかへ飛んでいってしまう。」

「フフッ。」

「お、おかしいか?」

「いいえ。ネイロさんは、お散歩が好きなんですね。いつもどこかへ出かける時は『散歩してくる』って、おっしゃっているから。」

「俺、いつもそんなこと言ってるか?」

「ええ。」

二人は、そんな他愛のない話しを、しながら駅前の広場へと歩いていく。


駅前の広場には今日も多くの人々が行き交っている。

その、広場のほぼ中央にハンナは進み、ゲンマから貰ったベレー帽を地面に置く。

「ハ、ハンナ……本当に、ここで歌うのか?」

ネイロは、少しなめていた。

ハンナが歌うと言ったのは広場の隅っこの方で二、三人相手に少し歌うくらいだろうと。

「はい、いつもこの場所で歌ってます。」

「こんなに大勢の前で歌えるのか。ハンナ――」

その時、ハンナは既に集中力を高め、ネイロの声が彼女の耳には届いていなかった。

既にハンナを待ちわびていた数人がハンナの前に陣取り始めている。

そして彼女が一声を発した瞬間に辺りの空気が一変したのを、そこにいる誰もが感じた。

ハンナの甘く優しい歌声は、不思議なくらい遠くまで伸びていく。

その圧倒的な雰囲気にネイロは完全に飲み込まれていく。

そして、目の前の少女に、ただただ魅了された。

歌が終わり、

「ありがとうございました。」という、ハンナの声に止まっていた時間が再び動きだしたように、辺りは拍手に包まれた。

気がつくと、周囲には数えきれない程の人がハンナを囲むように溢れていた。

「すごく良かったわ。」

「あなたが来るのを待っていたのよ。」

「やっぱり何度聴いてもいいもんだな。」

ベレー帽の中は、あっという間に銅貨で一杯になった。

中には銀貨までもが入っている。

「あの、君の名前は?」

一人の男性の質問に、他の観客達も興味津々でハンナの返事を待っていた。

「わたし、ハ――」

「ソラだ。この子は『ソラ』って名前だ。」

隣に居たネイロは、慌てる様子で声を上げた。

ハンナは、それが助け船であることを直ぐに理解した。

「皆様、私ソラと申します。宜しくお願いします。」

「ソラちゃんか。いい名前だ。」

「ソラちゃん、また会いにくるわ。」

「もっと聴かせて。」

ハンナはソラという名前を、とても気に入った。

それは、ネイロが付けてくれた、ということに他ならない。


その後、ハンナはアンコールに応え同じ歌を、もう一度歌って、この日は終わりにした。

帰りにハンナの名前を知る、数少ない一人の駅長ロイに事情を話し、これからはソラと呼ぶようにと念入りに頼んだのもネイロであった。


「しかしお前凄いな。うちのパン屋の一日の売り上げよりあるぞ、これ。」

ネイロは両手で抱えたベレー帽に入った、お金を見て感嘆の声を出した。


「これからは、家以外ではソラという名で過ごすんだぞ、ハンナ。」

「はい。あのネイロさん……今日はありがとう。」

「ああ。また行こう。」








今作もお読み頂きありがとうございました。


また次回も宜しくお願いします(*^^*)

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