希望という名の不安
町から戻ったジェラルドファミリーは上機嫌だった。
その夜の夕食を終えて、ハンナは一人後片付けに追われていた。
「おいハンナ!」
エリスの怒鳴り声のような呼びつけにハンナはビクッとした。
「呼ばれたら返事して、さっさときな」
「はい奥様」
「全くどんくさいやつだ。まあいいさ、これはハンナへのお土産だ」
そういってエリスはハンナにそれを投げた。
慌てて拾い上げるハンナ。
「あんたの服もだいぶ古くなってきただろ。それを明日から着な」
ハンナは驚きを隠せずに、ひどく動揺した。
こんなことをしてもらうのは、この家に来て初めてだったからだ。
受け取った服を広げて、ハンナはようやく納得した。
「お前には麻袋で充分だろ。きっとよく似合うぜ。ハハハ」
キースが目を輝かせて嬉しそうに笑った。
ハンナが受け取った服は、腕を通す穴と腰で結ぶ紐がついた、ぼろぼろの麻の袋だった。
「どうした、嬉しくないのかい?人から貰い物をしたら、何て言うんだったかな、ハンナ」
「ありがとうございます。すごく嬉しいです。」
「ハハハ!」
一族一同が声を揃えて笑い声を上げた。
「ほら、いつまでもボーっとせずに、さっさと仕事を終わらせろ」
使用人のロバートが厳しい口調で言った。
大急ぎでハンナは夕食の片付けにとりかかった。
リビングでは、ジェラルドの家族が酒を呑みながらガヤガヤと騒いでいる。
「なあ、ママ。ハンナも、もう一人前の女だ。そろそろ俺が頂いてもいいだろ?」
「止めときな。あんな薄汚れた小娘を抱いたら変な病気もらっちまうよ。娼婦でいいだろ?」
「いや俺は処女の女とやりたいんだ。」
「駄目だ。あいつは、あと一年もしたら、どこぞの金持ちの変態親父に売り飛ばすんだ。あんなガキでも器量だけはいいからね。きっといい金になるよ。いいかいキース、絶対に手を出すんじゃないよ、処女だから高値で売れるんだからね。」
「チッ!分かったよママ」
そんな会話が当たり前のようにハンナに筒抜けであろうがお構い無しである。
ハンナは食器を拭きながら、聞こえないように意識を逸らすことしか出来なかった。
その夜、部屋へ戻ったハンナは横になり星を眺めていた。
「羽を広げて空を翔ぶ鳥になり、あの煌めく星まで飛んで行きたい。きっと素敵な出来事が待ってくれている――」
ハンナの唯一知る歌。どこの誰が作ったのかも知らない、幼い頃に母に教わった歌を、ハンナは毎晩、口ずさむ。
身体は疲れきっているのに、なかなか寝付けなかった。
夜空を見つめていると意識が少しずつ遠のきかけ、夜の空に自分が溶けだして一体化していくような感覚になり、やがて眠りについた。
それから、ほんの少しの時間が経過した真夜中、ハンナは「ゴトッ」と、いう音に反応して目を覚ました。
暗がりの中、目を凝らして見ると、天井の穴からスルスルと梯子らしきものが降りてきた。
そして、その梯子を誰かがギシギシと音を立て降りてくる。
ハンナは息を飲み、様子を伺う。
次の瞬間、その人影はハンナに覆い被さってきた。
そして、顔をヌッと近付けてくる。
「声を出すなよ。すぐ終わるから。いいな!」
その声がジェラルド家の長男キースだということは、すぐに分かった。
ハンナには何が始まるのか想像がつかない。
キースは鼻息を荒げてハンナのスカートの中に手を突っ込んできた。
「やめて!」
ハンナは精一杯の抵抗を試みたが力では敵わない。
更にキースはハンナの胸を鷲掴みにして唇を近付けた。
ハンナはバタバタともがき、その勢いで手がキースの喉元に当たった。
「ゴホゴホ!てめえ!」
なんとかキースの腕をすり抜けたハンナであったが、どうやら彼を本気で怒らせたようだ。
恐怖に我を忘れてしまったハンナは、この部屋にある唯一の置物の花瓶を持ち上げると、それをキースの頭目掛けて力一杯に降り下ろした。
ガシャン!「ぎゃあ!」
花瓶の割れる音とキースの叫び声で我を取り戻したハンナは、急に冷静になった。
彼女の頭の中に、昼間の小鳥が鮮明に甦る。
「強くならなくちゃ。生きる為に。」
そして気がつくとハンナはキースが使った梯子を上り、その梯子を引き上げて、もう一度外にかけ直した。
小屋を脱出したハンナは無我夢中で走った。
途中、何度も躓きながら走り続けた。
月の明かりだけを頼りにどこまでもどこまでも。
やがて空が白くなり始めた。
気がつくとハンナは見たこともない風景の中にいた。
「ここは……どこかしら」
辺りをキョロキョロと見回すと、小さな建物が見えた。
そこは、どうやら駅のようだった。
ハンナは幼い頃よく両親と汽車に乗っていたので、それがすぐに駅だと理解できた。
丁度、制服に身を包んだ初老の男性が駅前を掃除していた。
ハンナは恐る恐る近付き、
「あの、汽車はいつ来ますか?」と、尋ねた。
初老の駅員は、「すぐに来るさ。どこまで行くんだい?」
ハンナは少し考えて、
「このお金で、どこまで行けますか?」
それは両親と離ればなれになる際、母親がこっそりと少しのお金を持たせたものだった。
そのお金をハンナは誰にも見つからないよう、いつも肌身離さず何年も大事にとっておいた。
「それだけあれば、『ネクロシティー』まで行けるよ。この国で一番大きな街だ」
初めて聞く名前の町にハンナの心が少し踊った。
「おっ!来たぞ。」
駅員の声に反応して、見てみると、確かに汽車がモクモクと煙を吐き出しながら、近づいてくる。
ハンナは、その汽車に乗ることを決意した。
希望の汽車だ。
自由への小さな期待と大きな不安がハンナの小さな心に渦巻く。
一歩を踏み出すより他にない。
それしか今の彼女に進むべき道はないのだから。
二話目も読んで頂きありがとうございます。
三話目もよかったら読んで下さいm(__)m