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TRACK-1 過去からの呼び声 4

 部屋中に飾られた、星や動物のモチーフのオーナメント。真っ白なクロスが敷かれたテーブルの中心には、ミニバラとライラックをふんだんに生けたフラワーベース。それを囲むように並べられた料理からは、食欲を促すいい匂いが漂ってくる。

 上座に座るのは本日の主役であるマリー。今夜の彼女は、袖口と裾に細かなレースをあしらった、よそ行きのワンピースを着ている。目鼻立ちのくっきりとしたマリーに良く似合ったコーディネートである。彼女を取り巻いている三人の少女らは、マリーの晴れ姿を誉め、ご馳走に舌鼓を打ち、楽しそうに笑い声を上げていた。

 

 その様子を、祖父アーチボルト・ジェンセン氏は、にこにこ顔で見守っている。自慢の顎ひげを撫でつけながら、目に入れても痛くない孫の幸せそうな光景を、静かに眺めているのだった。

 共働きの両親――息子夫婦――は、二人そろって海外出張中だ。出張先でも家を空けがちになるため、マリーは祖父母のもとに残ることになった。年に数回、会えるか会えないかも分からない両親に代わり、ジェンセン老夫妻は手塩にかけて育ててきた。

 マリーは、親に会えず寂しい、と口に出すことはない。だが、寂しくないはずはないのだ。それを耐える孫がいじらしく、また哀れでもある。

 両親からの誕生日プレゼントは、今朝届いた。それが今着ているワンピースである。プレゼントを目にした時のマリーの喜びようときたら、小さな太陽のようだった。


 あらかた料理が食べられてしばらくの後、キッチンからバースデーケーキが運ばれてきた。運び手はアルフォンセである。

 少女たちはテーブルに置かれたケーキに、瞳を輝かせた。雪のように真っ白な生クリームがたっぷりと塗られ、イチゴやベリー、オレンジが山のように盛られたケーキは、アルフォンセとマリーの祖母ミセス・ローナの手作りである。

 バースデーソングを歌い、マリーがキャンドルの炎を消すと、拍手が送られた。

 ケーキを切り分けるために、一旦キッチンに戻す。その間少女たちは、各々持ち寄ったプレゼントを、マリーに渡した。

 マリーは、受け取ったプレゼントを開け、歓喜の声を上げた。そうしながらも、ちらちら時計を見ていることに、アルフォンセは気づいていた。

 エヴァンが来るのを待っているのだ。

 彼の〈パープルヘイズ〉での仕事が終わるのは午後九時。そのあとに、もう一つの仕事が急遽舞い込んでこなければ、真っ直ぐにアパートへ帰ってくるだろう。


「気にしてるわね、時間」

 ケーキにナイフを差し込みながら、ローナは言った。

「そわそわしちゃって。九時にならないと仕事は終わらないのにね」

 ローナは、ふふ、と上品に笑う。

「待ち遠しいんですよ。口には出さないけれど」

 初々しいマリーの態度は、アルフォンセにも微笑ましく思えた。

「そうね、あの子、ちょっと意地っ張りなところがあるから」

 食べやすい大きさに切り分けたケーキを、取り皿に盛っていく。

「近所に住む年上の男の子が初恋の相手、だなんて、よくある話ね。誰にでもあることだわ。私にも覚えがある。あなたは?」

 話を振られたアルフォンセは、少し照れながら曖昧に答えた。

 マリーがエヴァンに特別な想いを抱いていることは、アルフォンセも分かっていた。いつも何かと意地の悪いことを言ってはいるが、咎め立てするほどではないし、仲がいいからこその“じゃれ合い”だと見てとれる程度のかわいいものだ。

 心根の優しいエヴァンに、甘えているだけなのだろう。

「ねえ、アル」

「はい」

「あなた、マリーに遠慮してる、なんてことはないわよね?」

「え?」

 思いも寄らないローナの一言に、アルフォンセは一瞬固まってしまった。ローナはそんなアルフォンセに、いたずらめいた視線をよこす。

「自分では隠してるつもりでしょうけど、マリーはエヴァンが好きよ。祖母の目はごまかせません。アーチーは気づいていないみたいだけれど」

「そうですね」

「たしかに、エヴァンはとってもいい子ね。あんなに性根の真っ直ぐな人は、そうそういないわ。もしマリーをお嫁にやるならああいう人が望ましいけれど、それはあくまで同世代であれば、の話。二人の年齢は離れすぎてる。マリーがどんなに彼を好きでも、エヴァンがいい青年でも、うまくいくとは思えないわ」

 アルフォンセには同意しかねた。妹のようにかわいいマリーのことを思うと、きっぱり頷くことが出来ない。

 そんな心境を見透かしたように、ローナは言葉を続ける。

「エヴァンはあなたが好きなんでしょう。それに、あなたも」

 やはりこの夫人にはかなわない。アルフォンセは苦笑した。

「お互いに好きなのに進展がないのは、ひょっとしたらあなたがマリーのことを考えすぎているからではないかと思ったの。もしそうなら、それは間違いよ。あなたが遠慮しなければいけない理由がどこにあるの?」

 ほっそりとした夫人の指が、アルフォンセの腕に触れる。白くなめらかで、温かい手だ。

 このアパートに引っ越してきてから、何かと気にかけてくれるジェンセン夫妻を、アルフォンセは本当の祖父母のように慕っている。とくにローナは、母親に近いものを感じていた。

 触れているこの手のようなぬくもりで包み込んでくれる優しさは、早くに亡くした母を思い起こさせるに充分だった。

「マリーの初恋は、憧れが昇華したもの。愛とは違う。あなたと彼との間にあるものが愛なら、それは実らせるべきね」

 ローナの視線が、孫娘に向けられる。

「あの子も分かってるのよ、成就するような恋ではないと。だから、あなたが気後れする必要はないのよ」

 にっこりと笑い、ローナはケーキの皿を手にした。

「ずっとそれが言いたかったの。さあ、ケーキを食べましょ」

 夫人が運んだケーキに、少女たちの歓声が上がった。

生クリームたっぷりのケーキをほおばるマリーと、アルフォンセの視線が交わった。満面の笑みをこぼす妹的存在に、アルフォンセも微笑みを返した。

 

 テーブルの周りには、幸せな光景が広がっている。

 誕生日会。プレゼントを持ってお祝いに来てくれた友達。愛する家族。

 自分のために用意されたご馳走とケーキ。笑顔と温もり。

 アルフォンセの脳裏に、懐かしい記憶が蘇る。幼かった頃、同じように囲まれていたことを。

 父と、兄と、そして母と。

 笑いの絶えない幸せな日々だった。何ひとつ不自由することなく、世界で一番幸せな女の子だと信じて疑わなかった。

 病で母を亡くし、忌まわしい事件で父と兄を失った。

 アルフォンセは、一人とり残されてしまった。

 もう一度、あの幸せを、ぬくもりを、取り戻すことが出来るだろうか。

 今度は自分の手で、築き上げることが出来るだろうか。


(彼となら……)


 すべてを失くしたアルフォンセの前に現れた、強くて優しい彼となら。


 新しい、幸せを。


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