TRACK-6 夜明け前 8
シェドの奇しき哄笑が月下に響き、それとともに二つの光が閃く。
左右双方から襲い掛かるシェドのブレードを、エヴァンは真正面で受け止めた。三つのブレードが絡み合い、激しいスパークが生じる。
エヴァンは受けたシェドの剣をひねって流し、脇への反撃を狙った。突き上げたエヴァンの剣を、素早く体勢を変えてかわすシェド。そのまま弾き返し、懐に踏み込んで、超高速の連続突きを繰り出す。
風さえ生み出す凄まじい剣戟に、エヴァンは懸命に応戦する。シェドの動きに合わせてブレードを操り、左のグローブでも受け止め、払い流した。
シェドのブレードを大きく弾いた時、左の〈レーヴァティン〉に炎を纏わせ、アッパーを叩き込む。シェドはそれを後ろに跳び退ってかわし、すぐさま身をかがめて、ブレードを下から突き上げた。
エヴァンは即座に仰け反って避け、〈レーヴァティン〉のブレードを地面に突き立てた。剣を軸にして飛び上がり、シェドの後ろに回り込んだエヴァンは、ブレードを引き抜きざま身体を回転させ、背後からシェドの胴に叩きつけた。
弾丸の如く吹き飛ばされたシェド。落下するより早く地にブレードを刺し、自力で止まろうとした。
その勢いがまだ生きているうちに、エヴァンはシェドを追いかけ、今度はこちらの剣戟を浴びせた。
エヴァンは、自分は剣技が苦手なのだと思い込んでいた。実は〈イフリート〉にも、ブレードスペックが組み込まれている。しかしその思い込みと、打撃戦の方が得意だという自信のため、使用することはほとんどなかった。
だがいまや、光学兵器のブレードを巧みに駆使し、シェドに肉迫している。攻撃力、スピード、反応、身のこなし。あらゆる動作が互角となっていた。
「こンのおおお!」
シェドは悔しそうな言葉を、しかし楽しげな口調で吐きながら、エヴァンの攻撃に耐え、反撃を試みた。一方的にいたぶる立場から対等になったというのに、悔しがるどころか、更に戦いを楽しんでいる。
シェドは跳躍してエヴァンから離れると、光学ブレードを消した。代わりに彼の長い袖から、ベースボールほどの大きさの球体が、いくつもこぼれ落ちた。
球体の表面に四つの刃が出現し、回転しながらエヴァンに向かって飛んでいく。雨霰と降る刃の球を、エヴァンはブレードで叩き落とし、グローブで殴り返した。
かわされた刃の球は、地面に落ちるや否や爆発した。あちこちで巻き上がる爆煙をかき分けるも、更に刃の球が降らされる。
「ノック練習なら球場でやれってんだよ!」
エヴァンは追加の球を、ブレードの腹で次々に打ち返した。打ち返された球は、シェドの光学ウィップでバラバラに切り刻まれ、爆発霧消した。
あたりに爆煙がたちこめ、視界を奪う。灰色の煙の幕の向こうから、光の鞭が飛び出し、うねりながらエヴァンの身体を八つ裂きにしようと襲い掛かった。密林の大蛇の如く牙を剥く幾本もの鞭を、エヴァンは剣で打ち払った。
シェドの光は再びその形状を変え、今度は先端に巨大な球体の提がったフレイルとなった。
シェドは細い身体を大きくしならせ、力任せにフレイルを振り回す。エヴァンは唸りを上げて迫るフレイルを受け止めたが、重量に耐えかね、後方に吹き飛ばされた。背後の壁に激突する寸前、空中で一回転し、壁に足をつけて跳ね返った。
その動きを読んだかのように、フレイルの巨大な球体が、エヴァンの真上に落ちようとしていた。
エヴァンは左のグローブにパワーを溜め、拳の周りにエネルギーの塊を纏わせた。輝く力が何層にも巻きつき、凝固していく。光の鉄拳を、勇ましい吠え声を上げながら、フレイルめがけて突き出した。
鉄拳とフレイルが激突し、嵐のような衝動波が発生した。雄叫びを上げ続けるエヴァンは、渾身の力をもってフレイルを押し戻す。フレイルは光の塵となって砕け、星屑のように散って消えた。
押し戻されたシェドの足元には深い溝が掘られ、衝撃の凄まじさを無言のままに表す。
足元の溝を見たシェドは、乾いた笑い声を上げた。
「すごいやエヴァン。すごいよ。ぼく、とってもたのしい!」
「俺は全然楽しくないね」
言葉とともに、口の中に入ってしまった砂を吐き出す。
「凄くない。楽しくない。お前はこんな力を、遊び感覚でふるってたのか!」
怒りの声を上げると、シェドはまったく悪びれず、眉を吊り上げ肩をすくめた。
「ぼくにちからがあるのはぼくのせいじゃない。きみにちからがあるのも、きみのせいじゃない。かってにあたえられたもの。だけど、もらったものならぼくのもの。じぶんのものをすきにつかって、なにがいけないの」
ああ、とエヴァンは肩を落とす。この少年には何も通じない。理屈も、常識も、倫理も、何もかも、彼からは遠くかけ離れてしまっているのだ。
(そうだな)
エヴァンは胸の内で頷いた。
(お前は悪くないのかもしれない)
シェドが剣を振りかざし、笑いながら斬りつけてくる。エヴァンは応戦しながら、心の中で語りかける。
シェドは、その出自の一切が謎に包まれている。孤児なのか、捨て子なのか、誰も知らない。
彼が一体いつ〈イーデル〉に連れてこられたのか、誰も知らない。
そんな彼は、幼くして細胞置換技術による特殊強化を施され、しかもあらゆる戦闘術を備えさせられ、マキニアンとして生まれ変わった。
強すぎる力は、やがて人格や人間らしい感情を崩壊させた。これらはすべて〈イーデル〉のエゴによるものだ。シェドもまた、ある意味では犠牲者なのだろう。
だが。
(それでもお前は間違ってる)
「なにがまちがいなの」
エヴァンの心を盗み見たかのように、シェドが言った。
「ぼくは、ぼくがいきるいみをまっとうしてるだけ。ぼくのやくめをはたそうとしてるだけ。きみとおなじ。なにがちがうの」
「お前のことは、ちょっとだけかわいそうだとは思うよ。ちょっとだけな」
二人が交える剣の勢いは、空圧だけで周囲のものを破壊するほど、凄まじいものへと加速していった。
彼らの周りにあるもので、原型をとどめているものは、もはや一つもない。
「お前がそんなに強くさせられなかったら、結果はきっと違ったんだろう」
「俺もひょっとしたら、お前みたいになってたのかもな」
「もうなってるよ、エヴァン」
「ぼくらはおなじものなんだよ」
――違う。
空気を斬り裂くような鋭い音を鳴り響かせて、エヴァンはシェドの一撃を受け止めた。
咆哮を上げて弾き返す。シェドの身体は、紙のように吹き飛ばされた。
「俺は、俺だ!」
〈レーヴァティン〉の右腕、光学ブレードを消す。次の瞬間、両腕が同時に変形を始めた。
炎の魔人の豪腕を、猛り狂う真紅の竜の顎が飲み込み、一体となる。
金色の業火が竜を覆い、灼熱の息吹を舞い上げる。
光とともに織り上げた、炎の巨人の赤き鉄拳。
二振りの光学ブレードを翼のように広げたシェドが、雄叫びを上げて飛び込んで来た。
剣が斬り下ろされるその瞬間、エヴァンは右の腕を振りかぶり、大きく踏み出して拳を突き出した。
拳と剣が衝突し、大気を激しく揺るがした。雷鳴のような轟音が響き、空気に亀裂を生じさせる。
獣のように轟く咆哮を、喉の奥から迸らせ、エヴァンはすべての力を放出し、シェドの剣を砕いた。
砕かれた反動で、シェドの身体は再び吹き飛ばされた。絶叫を上げ続ける白い身体は、〈レーヴァティン〉の光に飲み込まれた。
やがて光が収まり、夜の闇と静寂が、押し寄せるように戻ってきた。
〈レーヴァティン〉の力が炸裂したその場所は大きく陥没し、無数の亀裂が刻まれていた。
シェドの姿は、どこにもなかった。
――終わった。
声なく呟いたエヴァンは、重いため息を深く吐いた。全身から力が抜け落ち、〈レーヴァティン〉が解除され、両腕は元の姿を取り戻す。
途端、ダムが決壊したように脱力感が押し寄せてきた。立っているのも、腕を上げるのも辛く、視界にはたちまち霞がかかる。
倒れそうになったエヴァンは、しかし、寸でのところでなんとか耐えた。まだ力尽きるわけにはいかない。最後になってしまったが、一番大切な役目が残っている。
エヴァンは教会の壁にもたれかかりながら、足を引きずるようにしてのろのろと進んだ。
外から聞こえていた激しい物音が止んだので、アルフォンセは不審に思い、耳を澄ませた。
静かだ。風に弄ばれる草木の囁きしか聴こえない。
壊れた教会の入り口で、何かが蠢いているのに気づき、アルフォンセはドキッとした。
蠢くものは人影だった。よろめきながらこちらに近づいてくる。人影が近づくにつれて、輪郭がはっきりしてきた。
人影の正体が分かったアルフォンセは、息を飲んで檻にしがみついた。
「エヴァン!」
おぼつかない足取りでこちらにやってくるエヴァンは、目も当てられないほどボロボロになっていた。全身に傷を負い、衣服も破れて汚れ、流した血で赤黒く染まっている。
痛ましいその様に、アルフォンセの目から涙が零れ落ちた。こんな姿になるまで戦っていたなんて。
やっとアルフォンセのところにたどり着いたエヴァンは、ぶつかるようにして鉄の鳥籠にすがりついた。アルフォンセはエヴァンの手に自分の手を重ね、顔を近づけた。エヴァンの呼吸は不規則で浅かった。
「エヴァン……」
名を呼ぶと、彼は疲れた顔に精一杯の笑顔を浮かべ、ゆっくりと頷いた。
「ごめん、遅くなった」
頬を伝い、顎の先から落ちる涙を拭うことなく、アルフォンセは首を横に振る。
「今、出すから」
言うなりエヴァンは、ありったけの力を振り絞って、鉄の鳥籠をこじ開けにかかった。普段の、元気とパワーみなぎる彼なら、このくらいの鉄棒を捻じ曲げるなど、わけのない作業である。しかし満身創痍の今、作業は彼に残ったわずかな体力を、急速に搾取していく。
力を込めるあまり、あらゆる傷口が更に開いて、血が滲み出る。
「やめてエヴァン! そんな身体で動いちゃだめ!」
これ以上見ていられなくて、アルフォンセは泣きながら訴えた。このまま続ければ、確実に生死に関わる。
「きっともうすぐレジーニさんたちも来てくれるわ。それまで休んで、ね?」
だが、エヴァンは聞き入れなかった。アルフォンセの言葉を無視し、作業に没頭する。
鳥籠が曲がった。エヴァンは片足も檻に引っ掛け、叫び声を上げながら、残りの力をもって一気に押し広げた。そしてついに、アルフォンセが充分通れるだけの幅を、確保することが出来た。
使命を全うしたエヴァンは、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
アルフォンセは、彼が開けた脱出口から鳥籠を飛び出し、エヴァンの側に駆け寄った。
「エヴァン!」
力尽き、ぐったりと目を閉じているエヴァンの頭を抱え、服の裾で顔の血や汚れを拭く。
何度も何度も名を呼び、頬をさすった。
やがてエヴァンは、ゆっくりと目を開けた。緋色の瞳に、アルフォンセの泣き顔が映る。
「エヴァン、ねえ、大丈夫だからね。もうすぐみんなが来てくれるから。大丈夫、大丈夫よ」
この声がエヴァンに届いているのか、アルフォンセにはもう分からなかった。
エヴァンの片手が重そうに持ち上がり、アルフォンセの頬に触れる。アルフォンセはその手を握り締め、愛おしく口付ける。
かさかさに乾いたエヴァンの唇が開いた。
「あ…………る」
一瞬、笑ったように見えた。
緋色の眼差しが閉じられた。
アルフォンセの手をすり抜けて落ちた腕は、ぱたりと地面に倒れ、そのまま動かなくなった。
「エヴァン……?」
名前を呼んでも応えはない。
頬を撫で、身体を揺さぶっても、何の反応もない。
「いや……」
誰かの足音が聞こえる。こちらに向かって走ってくる。だがアルフォンセは足音に構わず、エヴァンだけを見ていた。
アルフォンセの反対側に、足音の持ち主が片膝をついた。レジーニだ。
レジーニはエヴァンの手をとって脈を測り、呼吸を確認した。
それから。
その手をそっと、エヴァンの胸に置いた。
アルフォンセは、真正面のレジーニを見上げる。彼は碧眼で相棒を見つめ、視線を、つ、とアルフォンセに移し、かすかに首を振るのだった。
その意味を受け入れたくなくて、アルフォンセもまた、激しく首を振る。
「嫌よ、そんなの、絶対に嫌」
「アル」
「いや!」
いつの間にか、ドミニク、ユイ、ロゼットが駆けつけていた。ドミニクは青褪めた表情でエヴァンを見つめ、二人の少女は互いに身を寄せ合っている。
それでも構わず、アルフォンセはエヴァンの名を呼び続ける。
「エヴァン。ねえ、目を開けて。お願い。エヴァン。エヴァン」
「アル、もうよせ」
レジーニは静かにたしなめた。アルフォンセは聞く耳を持たない。ただひたすら名前を呼ぶ彼女を、誰も止めることが出来なかった。
「まだ間に合う」
ふいに男の声がして、全員がそちらに注目した。アルフォンセも、ゆっくりと顔を上げる。
近づいてくるのは、アッシュグレーの髪の男だった。
「シャラマン博士!」
彼を知るドミニクが、驚いて声を上げる。シャラマンは彼女に頷いてから、アルフォンセとレジーニ、そしてエヴァンを見た。
「だが、急がなければならない。すぐにどこか、安静に出来る場所へ移すんだ」
「助かるというのか?」
疑わしげなレジーニの冷眼を、シャラマンはしっかりと受け止める。
「私を信じてくれ」
「ならば私の家へ」
そこへもう一人が加わった。オズモントである。
「ここから一番近いのは私の家だ。さあ、早く」
移動は速やかに行われた。シャラマンの電動車で、シャラマン本人とエヴァン、アルフォンセ、そして鍵を預かったレジーニが、先行してオズモント邸に向かった。
残ったオズモント、ドミニク、ユイ、ロゼットは、乗り捨てたキャンピングカーを回収し、後を追った。
欠けた月の投げる冴えた光に、荒野と化した教会が照らされる。
白い死神の前に倒れた黒き使徒の亡骸は、いつの間にか消えており、そこにはただ、激闘の傷痕が残るのみ。




