TRACK-6 夜明け前 7
変わり果てたコルネリア教会のすぐ近くに建つビルの一棟、その四階の空き部屋に侵入したシャラマンは、窓に張りついて外を見守っていた。
ここからだと教会の様子がつぶさに観察出来る。シャラマンは床にコンピューターを広げ、シェドとトワイライト・ナイトメアとの戦いを、しっかりと記録していた。
エヴァンが倒れ、動かなくなったところも、辛い思いを振り切って見届けた。
エヴァンのバイタル値は、依然として最低数値を示している。放っておけば確実に死に至る。
助けに向かいたいところだが、シャラマンはギリギリまで耐え忍ぶことを決めた。
エヴァンを信じるしかないのだ。
「頼む、エヴァン。頑張ってくれ」
彼がこのまま力尽きてしまったら、何もかもが終わってしまう。
シャラマンには、いるかどうかも分からない神に、祈り続けることしか出来なかった。
トワイライト・ナイトメアが、ついにその膝を折ってから間もなくして、エヴァンのバイタル値に変化が起きた。急速に正常値に戻ったのだ。
強張っていたシャラマンの口元が、思わず歓喜に緩む。
同時に、シェドの出現を予測させた計測器にも、不可解な数値が叩き出された。彼ら特有の信号――生体パルスの数値である。
波長はシェドのものと似ているが、パターンが違う。一瞬ラグナ・ラルスの目覚めを疑ったが、思い直した。ラグナが目覚めたのなら、パターンは“アダム”の生体パルスに近かったのだ。
シャラマンは大急ぎで、現在のエヴァンのコンディションを調べた。そして導かれた答えに、安堵の表情を浮かべる。
状態はまだ完全ではない。だが、求めていた状態に近づいてはいた。
半覚醒であれど、トワイライトとの戦いで体力を消耗したシェド相手ならば、倒せる可能性はある。
シャラマンは計測器を握り締め、期待と祈りを込めて、教会の戦いを見守る。
「〈レーヴァティン〉起動」
*
真紅のグローブが、かすかな機械音を立てて変形していく。燃える炎の色はそのままに〈イフリート〉の面影を残しつつ、ドラゴンの頭部と剣が融合したかのような勇壮な形状へと、その形態を変える。
更に、ドラゴンの口からは、光輝くブレードが現れた。シェドの使用する光学ブレードと同じものだが、より長く、より鋭利な形状である。
カモフラージュの〈イフリート〉と連結し、本来あるべきものとして、その姿を現した。
〈レーヴァティン〉。
記憶とともに封じ込められた能力を、何度も拒絶し、認めなかった真の力を、彼は自らの意思で呼び起こした。
立ち上がり、〈レーヴァティン〉を起動させたエヴァンを見たシェドは、楽しげな笑い声を上げて、背を仰け反らせた。
「やった! やったよエヴァン! やればできるじゃないか! そう、そうだよ、それこそきみなんだよ!」
「シェド」
エヴァンは踏み出す。さっきまでの身体の痛みが、なかったことのように失せていた。身体のどこを動かしても、痛みは感じない。
だが、これが一時的な現象であることを、エヴァンは理解している。〈レーヴァティン〉起動による身体能力上昇に伴う、瞬間的な鎮痛作用だ。
この戦いを終え、〈レーヴァティン〉を解除した途端、元の肉体に戻る。それも、〈レーヴァティン〉によって更に体力を消耗した状態で。
その時の生死は、自分でも予想が出来ない。
けれど。
(生きる)
彼女が待っているから。
「終わりにしようぜ」
遊びに誘われた子どものように、笑い狂いながらシェドが突っ込んでくる。両腕を光学ブレードに変え、甲高い声を上げてエヴァンに振り落とした。
シェドの動きが見える。あんなに追うのに苦労したのに、今はさほど驚くほどでもない動作のように思えた。
エヴァンは〈レーヴァティン〉の牙を、下から救い上げるようにして、シェドのブレードを受け止めた。
刹那、金属同士が激しくぶつかり合うような高い音が鳴り響いた。次の瞬間、両者を中心にして、目に見えない力の波紋が発生した。波紋は瞬く間に広がり、範囲内に突風を巻き起こす。空気が戦慄き、ネオンの明かりをちらつかせた。
*
ビルの中のシャラマンは、コンピューターを睨み、波紋現象の実態を調べた。
計測器が許容量を超えんばかりに、激しくわめく。はじき出された答えは、範囲こそ狭いものの、十年前の〈パンデミック〉に次ぐとんでもない数値だった。
「生体パルスの相殺だ」
シャラマンはコンピューターから顔を上げ、窓の外に見入った。
崩れかけの教会内、鉄の鳥籠に一人取り残されたアルフォンセだったが、何もせずじっとしているわけではなかった。
破壊された設置物の破片のうち、手近な所に転がっていた鉄の棒を拾い上げた彼女は、それを籠牢獄に打ちつけていた。
突き立った鉄の檻の一箇所だけでも折り曲げることができたら、その隙間からすり抜けることが出来ないだろうか、と考えたのだ。
自分がふがいなくも人質にとられているために、エヴァンに精神的な負担をかけてしまっている。あんなにたくさんの怪我を負って、血を流して、ふらふらになって、それでも彼はシェドに立ち向かっていった。もうやめて、と叫びたくとも、怖くて声が出なかった。自分のせいで、これ以上エヴァンが傷つくのは耐えられない。
(何も出来ないままなんて嫌)
持ちなれない重さの棒を必死に抱え上げ、何度も檻を叩く。鉄と鉄がぶつかり合う鈍い音が、壊れた教会に響いた。
だが、いくら叩き続けようと、アルフォンセの細腕では、檻を曲げることは出来なかった。とうとう手がしびれて、持っていた棒を取り落としてしまう。涙がとめどなく溢れ、アルフォンセはへたり込んだ。
不意に、何かの息吹を感じて、アルフォンセは顔を上げた。周囲を見渡すが、誰かが教会に入ってきた様子はない。
「何かしら」
導かれるように視線を上げる。壊れた窓の外に、欠けた月が浮かんでいて、澄んだ白銀の光を地上に注いでいた。
「エヴァン?」
バルバーの脅威の拳が、レジーニの身体を砕こうと振り回される。レジーニは出来る限り余分な動きを控えて、バルバーの攻撃を避け続けた。
避けては斬りつけ、かわしては斬りつけを繰り返し、何とか片腕を氷漬けにして斬り落とすことには成功した。
しかしながら依然として、敵は体力の衰えを見せず、猪突の勢いを保ったままだ。
対するレジーニは、長期戦には慣れているものの、さすがにこれだけの大物を相手にするとなると、これからのペース配分を考えなければならなかった。
「まったく、とんだタダ働きだ!」
氷の機械剣をバルバーの足首に振り下ろしながら、レジーニは毒づいた。
足を斬られたバルバーは、怒りを倍増させて、レジーニに牙を剥く。
反撃に備え、レジーニが身構えたその時、突如バルバーが巨体をよじって悶え始めた。八本角の頭を振り回し、乱杭歯の隙間から唾液を垂れ流し、地団駄を踏んで道路を揺らす。
「なんだ……?」
メメントの奇妙な行動に、冷静沈着なレジーニも、怪訝な表情を浮かべずにはいられなかった。
急に苦しみ始めたのはどういうことか。これまで与えてきた攻撃のダメージが蓄積されていて、一気に効力を爆発させたのだろうか。レジーニはその推論を、すぐに跳ね除ける。それは考えにくい。
バルバーは雄叫びを上げながらのた打ち回り、膝を折って地面に這いつくばった。急激に弱っている。
何が起きたのか事情は飲み込めないが、この機を逃す手はない。レジーニは、よくぞ頭を近づけてくれた、とばかりに〈ブリゼバルトゥ〉をバルバーの片目に突き刺した。
瞬間、メメントが更なる絶叫を、喉から迸らせる。レジーニは具象装置の出力を上げ、〈ブリゼバルトゥ〉から冷気を放出させ、バルバーの頭部の半分を氷漬けにした。そして機械剣を振り上げると、凍った頭部は音を立てて割れ、頭蓋と脳もろとも砕け散った。
バルバーの巨体がどうっと倒れ、たちまち分解消滅が始まった。異臭の蒸気が立ち昇り、メメントの肉体が消えていく。
バルバーを襲った異変が何だったのか、レジーニには見当もつかない。だが、お陰で長期の苦戦を強いられずに澄んだのは確かだ。
「シェドの影響、か?」
だとするなら、教会での戦いに、何か異変が起きたのだろう。
敵は倒した。先を急ごう。
駆け出そうとしたレジーニだったが、地面に何かが落ちているのが目に入り、足を止めた。
バルバーの肉体が消滅した場所に、それは落ちていた。近づいて拾い上げる。
「これは……」
中指ほどの大きさで銀色、細い双円錐形の物体だった。見覚えのあるものだ。
「なぜこれが」
この物体は、ある男の消息とともに、闇の中に消えたものと思われていたのだが。
レジーニは拾った物体を内ポケットにしまった。これについて考えるのは、今夜の騒動を片付けてからだ。
いち早く異変に気づいたのは、ロゼットだった。
ロゼットは突然強い気配を感知し、メメントを屠る手を止め、教会がある方向を振り返った。
彼女はまた、目に見えない衝撃の波紋が、こちらまで広がってくることにも気づいた。だが、それから逃れるには遅すぎた。ロゼット、ユイ、ドミニク、そしてメメントの群れに、波紋が押し寄せる。
波紋はロゼットたちマキニアンには、何の影響も与えなかった。ただ、風が吹きつけたような気がしただけだ。
ところが、波紋を浴びたメメントどもは、急に奇声を発しながら、もだえ苦しみ始めたのである。胴を震わせ、全身を掻き毟り、地面に倒れてのたうち回った。
「な、なんだよ! こいつら、どうしちゃったの!?」
不可解な出来事に、楽天家のユイも驚かずにはいられなかった。三人は少しずつ後退し、一箇所に集まって、この奇妙な現象を見守った。
やがてメメントたちは次々に倒れ、動かなくなった。そして一体また一体と、分解消滅し始めたのである。
「どうなっているのでしょう、これは……」
長い間メメントと戦ってきたドミニクでさえ、こんな現象を目の当たりにするのは初めてだった。とどめも指していないうちに、勝手に苦しんで滅んでいくなど、一度だってなかったことだ。
「エヴァンよ」
ロゼットの呟きに、ドミニクとユイは顔を見合わせた。
「エヴァンが何かした。でも、何をしたのかは、私には分からない。それより」
白百合の髪を揺らし、ロゼットは義姉と義妹を省みた。
「教会に急ぎましょう。エヴァン、保たないかもしれない」
オズモントが何度目かに振り下ろした石が、ようやく電子手錠を破壊した。手錠が壊れた瞬間、勢い余って手首まで打ってしまった。激痛に顔を歪めるも、オズモントは歯を食いしばって耐えた。
壊した手錠の欠片を払い落として立ち上がった老人は、迷うことなくコルネリア教会に足を向けるのだった。




