TRACK-6 夜明け前 4
ハイウェイを降りたスポーツカーは、ロックウッドの大通りを行く。車線変更を繰り返し、前を行く何台もの車を追い越した。法定速度はとうに超えている。そのうち警察に見咎められる可能性もあるが、そんなことに構っている場合ではない。警察車両の追跡を振り切るくらい、レジーニは慣れている。
乱暴な運転に周囲の車両からのブーイングを受けながら、大きな交差点の信号を無視して突っ切ったその時。遥か前方に異変が起きた。ネオンに照らされたビルとビルの間から、黒く巨大な物体が、のっそりと現れたのだ。
黒く巨大なそれは、往来の電動車を次々と薙ぎ倒しながら、まっすぐにこちらに向かってくる。人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、あたりは一瞬にしてパニックに陥った。
「すいぶんと大きな出迎えじゃないか」
ハンドルを握るレジーニは、皮肉な笑みを口元に浮かべた。
「くそッ、邪魔しやがって!」
「お前は教会に行け、エヴァン。あれに二人がかりで構っている時間はない」
相棒の言葉に、エヴァンは顔をしかめた。
「一人で相手する気かよ、かなりデカいぞ」
「デカいからどうした。早く行け、手遅れになってもいいのか」
レジーニはエヴァンを見ることなく、速度も落とさず、メメントに向かって車を突き進めている。
エヴァンはそんな相棒の整った横顔をしばし見つめた。そして窓を開けて身を乗り出すと、
「死ぬんじゃねーぞ!」
通り過ぎる対向車線のトラックにハンドワイヤーを伸ばし、夜のロックウッドに舞い上がった。
バックミラー越しに、車の屋根から建物へと飛び渡っていくエヴァンの姿を確認したレジーニは、鼻で笑って軽く首を振る。
「チープな台詞だな。語彙を増やせよ馬鹿猿」
運転を自動モードに切り替え、後部座席に置いた〈ブリゼバルトゥ〉を掴み取り、銃の状態を素早く確認した。
巨大メメントは、勢いを落とさず突進してくる。
レジーニもまた、車のスピードを落とさないまま、運転席のドアを開けた。途端、強風と街の喧騒が押し寄せる。
「まったく、どこまで世話の焼ける。バカップル加減もほどほどにしろ」
メメントとの距離は後わずかだ。レジーニは武器を抱え、ドアから身を乗り出した。
「お前の報酬から端末代と車代差し引くからな!」
最後の一瞬、自動運転を解除し、アクセルを踏んで加速させると同時に、レジーニは車道に飛び出した。落下の衝撃を受身で最小限に抑え、転がりながら迫ってくる後部車両を回避した。
大砲弾と化したスポーツカーは一直線に突き進み、巨体のメメントに衝突。轟音とともに爆発し、怪物を炎の中に包み込んだ。
目を疑いたくなる惨状を前に、周囲から悲鳴が上がる。往来の人々の大半は我先にと逃げ出し、車もまた、レジーニとメメントを避けた。
立ち上がったレジーニは、円盤状の待機形態だった〈ブリゼバルトゥ〉を剣へと変形させ、一方の手に銃を構えた。
愛車は無惨に大破し、メメントとともに業火に包まれている。その炎の中で、愛車ではない別の黒い塊が、もぞりと蠢いた。
その黒い塊が炎の中から這い出てきた。纏わりつく赤炎に、自らが放つ白銀の炎が混じった八本の角を持つ鬼面のメメントは、己を炎上させた小さき人間の姿を認めるや、身の毛もよだつ咆哮を上げた。
キャンピングカーのドミニクたちは、レジーニの指示通りの道順を経て、ロックウッドの街なかに到着した。可能な限りの速度で、コルネリア教会までの道を急ぐ。
「ドミニク、来るわ!」
後部座席側の窓を見ていたロゼットが、緊迫の面持ちで告げる。ワーズワース大学に出現した牛頭と角足の群れが、何台もの車を蹴散らして、こちらに迫っていた。
「オズモント先生!」
ドミニクは運転しながらオズモントを呼ぶ。
「私たちはここで奴らを片付けます。あなたはどこか安全な場所へ!」
自分も残る、とオズモントは言いかけた。女性であるドミニクたちを戦わせ、一人だけ逃げるのは心苦しい。しかし、戦う術を持たない自分に、出来ることは何もない。それに彼女たちはマキニアンだ。オズモントがいることで存分に戦えなくなるのでは、本末転倒である。
「わかった」
渋々ながら頷いたオズモントは、ドミニクと運転を交代した。
三人の女性マキニアンは、走行中のキャンピングカーから勇猛果敢に飛び降り、メメントの大群に向かっていった。
オズモントはしばらくキャンピングカーを運転し、戦いの現場から充分に離れた路地に入って停車した。
車を降り、来た方向をじっと見やる。この状況では妥当な手段だったとは言え、やはりドミニクたちを残してきたことに、後ろ髪を引かれる思いだ。
だが、戻ったところで足手まといになるだけだ。オズモントはため息をつく。枯れた老体に出来ることは、たかが知れている。
息子バートルミーの成れの果てであるトワイライト・ナイトメアを追い求め、長い間社会の暗がりをさ迷い続けてきた。息子が怪物へと変じてしまった、その理由と意味を知るために。
その目的がやっと果たされ、かつての我が子を目の前にしたというのに、このていたらくはどうだろう。解決のために出来ることが何一つないではないか。
若き仲間たちは、その身を挺して戦っている。彼らより長く生きているというだけで、何の手助けも出来ない立場が歯痒い。
せめて銃だけでも扱えれば。
オズモントは自分の無能さに、かさついた手を握り締めるしかなかった。
(せめて)
現状に嘆くばかりでは、本当に何も進まない。オズモントは歩き始めた。
戦えないのならせめて、気の毒なあの子を。
アルフォンセ救出には、あのシェドという狂気のマキニアンが立ちはだかる。エヴァンは奴との戦いを避けられないだろう。アルフォンセが捕らわれたままでは、彼も能力を発揮出来ず、苦戦を強いられてしまう。
彼らが戦っている隙に、アルフォンセだけでも助けられれば。
マキニアン同士の対決の空間に踏み込むなど、正気の沙汰ではない。巻き込まれるのが関の山と、オズモント自身分かっていた。だが、何もせずにはいられないのだ。この廃れた命一つで、仲間たちが少しでも、ほんの少しでも優位に立てるなら、惜しむことなく捧げよう。
オズモントは決意を胸に、教会へ向けて駆け出そうとした。
その背に、
「待ってください」
何者かが声をかけた。振り返るとそこには、アッシュグレーの髪の男――アンドリュー・シャラマンが立っていた。
シャラマンは血の気のない顔で、ひたとオズモントを見据えている。
「この先に向かうのは危険です。教授、安全な場所へ逃げるべきです」
「ご忠告痛み入る。だが、それは出来かねる話だ」
「行って何になりますか。彼らの戦いに巻き込まれれば、ただでは済みませんよ」
「では君は何故ここにいるのかね」
オズモントに問われたシャラマンは、青白い顔色のまま、決然と答えた。
「私は、見届けなければなりません。彼らの行く末を」
「マキニアンの生みの親としてかね、シャラマン博士。それともエヴァンの養父として?」
オズモントの言葉に、シャラマンは動じなかった。
「どちらでもあります。オズモント教授、能力を行使する彼らの前に、我々はなす術はありません」
「だが、知人がかどわかされているのだ。それでも黙って隠れていろと?」
いつになく声を荒らげ、オズモントはシャラマンに詰め寄った。
「君ならば面識があるのではないか? かつて君とともに〈イーデル〉を支えていたフェルディナンド・メイレイン博士の娘が、シェド=ラザに捕らわれている。メイレイン博士と私は旧友だ。友の忘れ形見を、どうして助けに行かずにおれよう」
そう告げると、シャラマンは表情を強張らせた。
「フェルディナンドの娘と……エヴァンが?」
「そうだ。だから私は行く」
オズモントはきっぱりと宣言し、俯くシャラマンを残して、再び歩き出そうとした。
すると突然、後ろから手を引っ張られ、オズモントは蹈鞴を踏んだ。左の手首にひんやりとしたものが纏わりつき、カシャっという小さな音が聴こえたかと思うと、オズモントはその場から動けなくなってしまった。
彼の手首に電子式の手錠が嵌められ、キャンピングカーと繋げられたのだ。
「な、何をする!」
手錠は暗号により、しっかりとロックされている。本体も頑丈で、ちょっとやそっとではどうにも出来そうにない。
「オズモント教授、あなたの気持ちはよく分かります。ですが、やはりあなたをこのまま行かせるわけにはいかない」
「シャラマン博士!」
シャラマンが後ずさる。逃がすものかと、オズモントは自由な右手を伸ばした。しかしその手は虚しく空を掴んだだけだった。
オズモントを残し、シャラマンはいずこかへと姿を消した。
夜闇に染まったロックウッドの空を、エヴァンは疾く翔ける。マキニアンの俊足をもってビルの屋上を突っ切り、凄まじい跳躍力で建物と建物の間を跳び移る。
往来の人々が上を見たとしても、その姿はほんの一瞬視界をかする程度で、よもやビルとビルとを人が跳び移っているなどとは思いもしないだろう。
建物を一棟移動するたびに、シェドの存在が近づいているのを感じた。ドミニクやユイ、ロゼット、そしてあのサイファーに対しては、これほど強い“繋がり”を感じたことはない。同じマキニアンでも彼女らとシェドとは、否、シェドとエヴァンとでは、何かが違うのだ。
認めたくはないが、これが事実なのだと今なら分かる。自分とシェドとの間には、他の仲間たち(マキニアン)にはない繫がりが、確かにある。
シェドの口にした“アダム”とやらが、おそらくは鍵になるだろう。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
今もっとも大切なことは、アルフォンセを救う、ただそれだけだ。
幾つもの建物を越え、その度にシェドの気配が強くなる。やがて前方に、槍の如く尖った八角屋根が見えてきた。コルネリア教会だ。
教会手前のビルから大きく跳躍し、八角屋根に向けてハンドワイヤーを飛ばす。先端が屋根瓦に固定され、エヴァンの身体は振り子のように大きく弧を描いた。
教会の壁と窓が迫る。エヴァンは両足を真っ直ぐに揃え、勢いのついた状態で窓に突っ込んだ。
ガラスが割れ、窓枠が折れ、破片が宙を舞う。エヴァンは最初に目に止まった、積み上げられたベンチの山の上に着地し、一気に地上へと飛び降りた。
真正面に、鉄の鳥籠があった。
籠の中に閉じ込められた小鳥が、今にも泣きだしそうな顔で、エヴァンを見つめている。
「アル!」
「エヴァン!」
彼女の姿を見るなり、エヴァンはほっと安堵のため息を吐いた。と同時に、再度怒りがこみ上げてきた。あんな鉄の籠に閉じ込めるなど、絶対に許せない。
鉄の鳥籠の上に、白い影がゆらりと立つ。白影は羽根のように空中に身を躍らせると、音もなく軽やかに降り立った。
白い髪の隙間から、赤紫の双眸が怪しく光る。
「いらっしゃい」
自宅を訪ねてきた友人に対するように、シェドは気楽に声をかける。まったく緊迫感のないその態度には、己の力への絶対的な自信が、ありありと表れていた。
「アルを解放しろ。お前の目的は俺と戦うことだろ。彼女を巻き込むな」
「んー、まきこんだのはぼくじゃなくてきみだとおもう」
シェドはいたずらっぽく笑い、人差し指を顎に当てた。
「俺が?」
「だって、あのおねえさんをつがいにえらんだのはきみだろ? それってどういうことかわかる?」
「ツガイ? また訳分かんねーこと言ってんな」
エヴァンが顔をしかめると、シェドはおかしそうに声を上げて笑った。
「いまにわかるよ。つがいをえらぶってことがどういうことなのか。あいつらにばれないようにするといいよ。ばれたらどうなってもしらないからね」
「お前に心配されることなんか、一つも無ェよ! さっさとアルを自由にしろ!」
怒りは募る一方だ。冷静さを持たなければならないと分かっていつつも、シェドの人を食ったような態度には、怒りを覚えずにはいられない。
エヴァンは捕らわれたアルフォンセの方を向き、元気づけるように大口で笑ってみせた。
「アル、ちょっと待っててくれな。すぐ出すから」
そう声をかけると、アルフォンセは何度も頷いた。
もう一度笑ってみせてから、すぐに表情を引き締め、シェドに向き直る。
「こいつをぶっ倒してからな」




