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TRACK-6 夜明け前 3

 白い少年は、華奢な体躯からは予想もつかない強い力で、いともたやすくアルフォンセを組み伏せる。いくら必死で抵抗し逃れようと試みても、それは無駄な足掻きにしかならず、少年を大いに嘲笑わらわせるだけだった。

「あ、あなたは誰なの?」

 他人の部屋に無断で、音も気配も立てずに侵入する者など、不審者以外にありえない。それが、自分より年下とおぼしき相手であろうと、だ。

 何よりも、この眼が語っている。鮮やかでありながら禍々しさを漂わせる赤紫マゼンタの瞳が、この者の内を満たす狂気と毒を、如実に物語るのだ。

 ――怖い。

 少年に見つめられるだけで、薄い氷の膜に全身を覆われたように、寒気が襲ってくる。

「ぼくはシェド。おねえさん、おなまえは?」

 名乗った少年は細い指先で、つ、とアルフォンセの頬を撫でた。その指は、およそ生命活動を維持出来ているとは思えないほど、ひどく冷たかった。寒気と恐怖で、背筋に鳥肌が立つ。

「なまえ、きいてるんだけどなあ」

 頬から顎へ、顎から首筋へと、指先が伝っていく。

「こたえられないの? こえがでないの? じゃあ、そんなやくにたたないのどはいらないよね」

 首の中心に、シェドは指を突き立てて、ぐっと押した。喉仏が圧迫され、痛みとともに苦しみが襲う。

「ア、アルフォンセ……」

 掠れた声で答えると、シェドはにこりと笑った。

「へえ、いいなまえだね」

 答えに満足したのか、シェドは喉から指を離した。今度は首筋に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。アルフォンセはされるがまま、耐えるしかなかった。

「アルフォンセって、いいにおいがする。それに、エヴァンのにおいもする」

 エヴァンの名を聞き、アルフォンセははっと息を飲む。

 顔を上げたシェドは、至近距離でアルフォンセの瞳をじっと覗き込んだ。

「きみがエヴァンのつがい・・・?」

「え……?」

「エヴァンはきみをつがい・・・のあいてにえらんだんだね」

「何を言ってるの……?」

 アルフォンセの問いかけに、答えは返ってこない。シェドはただ悠然と見下ろし、魔性の笑みを浮かべる。

「エヴァンがえらんだのなら、ぼくのつがい・・・にもなれるってことだ」


        *


 アルフォンセとの通話を終えてからも、エヴァンはしばし余韻に浸っていた。

 耳に心地良い彼女の声を、何度も頭の中で反芻する。彼女の声を聴くだけで、心は満たされた。これまでそうやって、何度救われたか知れない。

 必ず帰る。必ず。

 この先どこへ行っても、何が起きても、必ずアルフォンセの元に帰る。

 彼女のいる場所こそ、守るべき安息の地なのだ。

 エヴァンはキャンピングカーの中に戻り、礼の一言を添えて、借りた携帯端末エレフォンをレジーニに差し出した。

 車内では、これからどうするかを、レジーニとドミニクを中心に話し合っていた。

 レジーニが携帯端末を受け取ろうとしたその時、呼び出し音が鳴った。画面にはアルフォンセの名前が表示されている。

 お前が取れ、と相棒が手振りで示したので、エヴァンは再び携帯端末を耳に当てた。

「アル? どうかした?」

 声をかける。が、返事はない。かすかな吐息が聞こえるので、電話は確かに通じているのだが。

「アル?」

 もう一度名前を読んだ。すると返ってきたのは、くくく、というくぐもった笑い声だった。

 瞬間、エヴァンの首筋に冷たいものが走った。この声は、明らかにアルフォンセのものではない。

 アルフォンセの端末を、何者かが勝手に使っている。それはすなわち、アルフォンセの身に、よからぬ事態が降りかかったということだ。通話を切った直後に。

 怒りの電流が全身にみなぎる。

「誰だ、てめえ」

 誰何の声は、爆発寸前の怒りをどうにか抑えたために、低く震えた。

 エヴァンの異変に気づいたレジーニたちが、何事かと色めき立つ。

「さっさと答えろ、誰だ」

 スピーカーの向こうの笑い声が大きくなった。

『エヴァン、おこってるの? へええ』

「シェド……!」

 端末を握る手に力がこもる。みし、と音がして、機体の表面が窪んだ。

 シェドがアルフォンセの側にいる。考えたくない最悪の事態だ。一瞬にして脳裏に悪夢がぎった。彼女は無事なのか。もしも。

 もしもすでに、彼女がシェドの手にかかって――。

『おこるくらい、このひとがだいじなんだね。ふーん』

 シェドの口調は軽く、それがエヴァンの神経を更に逆撫でした。

『アルフォンセって、いいにおいがするね。やわらかいし、かみだってきれいだ』

「アルに触るな。彼女は無事なんだろうな」

 シェドの体温のない手が、アルフォンセに触れている。考えただけではらわたが煮えそうだ。

『あんしんしなよ、まだいきてるから。ころしやしないさ、きみがしんだらぼくのものにするし』

「てめえ……」

『かえしてほしかったら、ぼくのところにおいで』

「どこにいる。ぶちのめしに行ってやるから待ってろ」

 嘲笑の声が、一層高くなった。

『ぶちのめすってなに。ころすっていいなよ。ほら、ぼくをころすってさ、いってよ』

「うるせえ、居場所を言え」

『いわない。おしえない。じぶんでさがせばいいじゃん。できるよね』

 楽しんでいる。シェドは、エヴァンやアルフォンセを、あらゆる命を手の中で転がして遊んでいる。手中で弄び、好きなようにいじる。怒り、恐怖、悲しみ、どんな反応を見せようが、遊びを更に面白くする要素にすぎないのだ。

 そして遊びに飽きたら、シェドは簡単に壊してしまうだろう。

『さがしてごらんよ、まっててあげるから。いったよね、ぼくにできることはきみにもできること。ぼくがきみをさがしたように、きみもぼくをさがしてごらん』

 笑い声を残して、通話は一方的に終了した。

 何も聞こえなくなった端末を、だらりと下に垂らす。こみ上げてくる激情を抑えきれず、震える手の中で、携帯端末エレフォンは紙屑のように潰れた。

「今のは誰だ、エヴァン。アルに何があった」

 レジーニは、壊された自分の端末については触れず、そう尋ねた。

「アルがシェドに捕まった」

 吐き捨てるなり、粉々に砕かれた携帯端末エレフォンを放って、エヴァンは外に飛び出した。

 キャンピングカーの屋根に昇り、眼下に広がる街並みを見下ろす。薄闇の中に沈む街には、ネオンの星が瞬き始めていた。吹きつける風に、パーカーのフードと髪が揺れる。

 この街のどこかで、アルフォンセがシェドに捕らわれている。今すぐにでも助けに行きたい。怖い思いをしているに違いない。傷つけられてはいないだろうか。アルフォンセに何かあれば、絶対にシェドを許さない。

 不安と憤怒に心が乱される。だがエヴァンは、努めて冷静になろうとした。

 相棒の見方は正しい。エヴァンは一つの強い思いに支配されると、もうそのことしか考えられなくなる。然るべき準備も整わないうちに、オズモントの抱えた事情を知っていたら、後先考えずに飛び出していただろう。それがいい結果を招くかと言えば、必ずしも是ではない。

 相棒はいつも「頭を冷やせ」と言っている。熱く煮えたぎった猛進思考から一歩離れ、冷静に客観的に事態の全体像を“眺めろ”と。

 自分の性質たちとして、そんな知的行動は困難であるとの自覚はある。だが今は、その困難な方法を採用しなければならない。

 アルフォンセを救う糸口を見つけるには、今、冷静さこそが必要なのだ。



 ――ぼくにできることは、きみにもできること。


 ――ぼくがきみをさがしたように、きみもぼくをさがしてごらん。


 無慈悲なまでに無邪気なシェドの声が、脳裏に響く。

 シェドと同じ能力が、自分に備わっているなどと思いたくない。だが、それがアルフォンセを救うために必要な力であるなら。

 受け入れよう。

 彼女を救い、守れるなら。


 エヴァンは目を閉じ、風に身を任せた。頭の中に第九区の街を描いて、自分の意識が街全体を見下ろすようにイメージする。

 水晶を磨くように、心を研ぎ澄ませ、曇りを払う。街のどこかに潜んでいる白い少年と、愛すべき彼女の姿を思い浮かべる。

 すると唐突に、意識が強く引っ張られた。抵抗せず意識を任せる。イメージの中の街並みが、猛スピードで過ぎ去っていく。

 やがて、ビルとビルの間にひっそりと建つ、寂れた外観の教会の上空に、エヴァンの意識は到達した。

 尖った灰色の屋根の上に、エヴァンは浮かんでいる。

 この屋根の向こうに――。


 目を開ける否や、キャンピングカーから飛び降りた。そこには、エヴァンの行動を訝しんだ仲間たちが待っていた。

 針で刺すような視線を感じ、そちらを見る。ユイの背後に隠れ立つロゼットが、秀麗な眉をひそめ、じっとエヴァンを見つめていた。

「エヴァン、あなた、何したの?」

 ロゼットが静かに放った一言は、エヴァンの心臓を跳ね上げるに充分な威力を有していた。彼女の高い感知能力が、エヴァンの中で作用した何かを感じ取ったのだろうか。

 少女の問いには答えられない。エヴァン自身、自分が何をしたのか分かっていないのだ。

 だが、目指すべき場所は掴めた。今はそれが何より重要だ。

「アルとシェドの居場所が分かった」

 短く、それだけを告げる。

「乗れ」

 真っ先に動いたのはレジーニだ。エヴァンがどうやって居場所を特定したのか、その方法を問いただすことなく、急ぎ足で愛車に乗り込んだ。

 レジーニの行動姿勢に、ドミニクたちも続く。ドミニクはエヴァンに向かって一度だけ頷くと、ロゼット、ユイ、オズモントをキャンピングカーに乗せた。

 エヴァンも急ぎ、相棒のスポーツカーの助手席に乗る。自動シートベルトが締まると同時に、レジーニは愛車を発進させた。

 

 

 レジーニの黒いスポーツカーは、その性能を遺憾なく発揮し、暮れなずむハイウェイルート61を、弾丸の如く走り抜ける。速度と機動性おいて劣るキャンピングカーは、かなり後方からついてきていた。

 目指す場所は、グリーンベイの隣区ロックウッド。今は誰も住んでいない、区が管理しているコルネリア教会だ。 

レジーニは片手にハンドルを、もう片手に携帯端末エレフォンを握っていた。先ほど一台をエヴァンに壊されたが、彼は万事に備え、常に二台の端末を所有しているのだった。

「ドミニク、よく聞くんだ」

 通話の相手はドミニクである。

「この時間帯のルート61はかなり混む。君らの車で抜けるのは難しい。この先のジャンクションからルート13に乗り換えて、二つ目のゲートで降りろ。そのまま直進すれば、エヴァンが言っていた教会のすぐ近くに出る。妨害に気をつけろ。僕らは先に行く」

『了解』

 通話を終了させたレジーニは、彼らの会話を上の空で聞き流しているエヴァンを横目で見た。

 エヴァンはずっと黙っていた。アルフォンセの身を案じる気持ちと、彼女を巻き込みかどわかしたシェドへの怒り。そして、彼女たちの居場所を探り当てた、自身の秘められていた能力に気づかされたことへの、不安。それらがない交ぜになって、エヴァンの口をつぐませていた。 

「勝てるのか?」

 と、レジーニ。

 すぐには答えられない。今の力であのシェドに勝てるかどうか、正直なところ、エヴァンには自信がなかった。

 常に前向きに、自信を持ってメメントと戦ってきたエヴァンだが、シェドの力は、これまでの相手と比較するに値しないほど強い。勝てる、とはどうしても言えなかった。 

 だが。

「勝つ」

 負けるつもりは毛頭ない。

 必ずアルフォンセを救い出してみせる。どんなことになっても。


        *


 高い高い教会の天井を、神像の上に立って見上げる。八角形の天井は先端がかなり鋭く、現代いまでは珍しい木製のはりが剥き出しになっている。その梁の向こうの外を見透かすように、シェドはじっと見上げていた。

 真白きおもては無表情だったが、しばらくして、ふっと笑みを浮かべた。

 瞳にたたえた狂気の光は、いまだ衰えていない。だが、わずかに見せたその笑みには、どこか穏やかな喜びが含まれていた。

「よくできました」

 彼の意識がここを探り当てた。ついさっきまであそこに彼がいるのを感じていた。彼が“こちら”に少し近づいた。シェドにはそれが嬉しかったのだ。

 シェドは視線を地上に戻した。礼拝堂に整然と並べられていたベンチは、すべて両脇に寄せて積み上げられている。設置物がなくなって開けたその場所に、今は巨大な鳥籠が置かれていた。

 置かれていた、というのは正しくない。幾本もの鉄の棒が、円を描いて地面に突き刺さっており、先端に向かって曲げられている。交わった先端は絡み合い、蓋の役割を担う。その形が、鳥籠のようなのだ。

 鉄の鳥籠の中には、ほっそりとした鳥が閉じ込められていた。

 アルフォンセは突き立てられた鉄の棒を握り締め、押したり引いたりして、揺るがすことが出来ないか、ずっと試していた。だが鉄の鳥籠は強固に組み立てられており、非力な彼女では髪の毛ほども動かすことは出来ない。

「よしなよ、まめができるよ」

 神像からひらりと飛び降り、音もなく着地したシェドは、自らが造り上げた鉄の鳥籠に歩み寄った。

 アルフォンセはシェドから逃れようと、反対側に移動する。怯えているくせに、その怯えを隠そうと、必死で冷静な表情を保とうとしているのが、シェドにはおかしくて仕方がない。

「きみをとりかえしに、もうすぐエヴァンがくるよ」

「エヴァンが……」

 美しい顔が、苦痛を与えられたように歪む。

「あなたの目的は何なの? どうして彼を追い詰めるの?」

「ぼくはやくめをはたそうとしてるだけ。だれにだってやくめがあるだろ?」

 ふふ、とシェドは笑い肩を揺らす。

「ぼくかエヴァンか、どちらかきめなくちゃいけないんだ。つよいほうがいきのこる。つよいほうのしそんがはんえいする。そうでないとせかいはつづいていかない。いままでも、ずっとそうだったろ?」

 言いながらシェドは、鳥籠から少しずつ離れていった。五メートルほど離れた所で足を止め、右手を天井に向けて、すっと伸ばす。

 それに呼応し、教会内の影が生き物のように蠢き、シェドの背後に集結していった。影は膨張し、シェドの身長を超え、やがて体積は祭壇の神像に届くほどまでになった。

 膨らみきった影は、輪郭かたちを成し始める。それは針金のように太く硬い体毛に覆われた、筋骨隆々の体躯を持ち、全身から白銀の炎を立ち昇らせた八本角の鬼であった。ワーズワース大学に現れたヘッドバスター以上の大きさだ。

 その巨体とおぞましい風貌にアルフォンセは恐怖し、青褪めて口を両手で覆った。

 メメントを背後に従えたシェドは、くすくすと笑いながら、そんなアルフォンセを見やる。

「あなた、まさか……メメントを操って……?」

 その問いに、シェドは答えるつもりなどない。アルフォンセが怯え、震えるのが、ただただ愉快なだけだった。


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