TRACK-6 夜明け前 1
警察の特殊機動部隊が現場に到着した頃、ワーズワース大学を襲った惨劇は、ようやく終結を迎えようとしていた。
本棟学舎のほとんどは破壊されてしまい、多くの重軽傷者が病院に運ばれたものの、幸運にも死亡者はいなかった。
襲撃事件の首謀者は誰なのか、事態の収拾に当たったのは誰なのか。
多くの人が、おぞましい怪物の襲来という、荒唐無稽な証言をしている。だが、その証言を裏付けるであろう、怪物の死体はどこにもない。
更には、馬の下半身を持った鎧騎士が構内を颯爽と駆け抜け、怪物どもを倒していった、という者も少なからずいるのである。
おまけにその異形の鎧騎士と空中戦を繰り広げていたという、白い人影の目撃証言もあるのだ。
まったく理解を超えた出来事に、警察も頭を抱えるしかなかった。
また、怪物の群れと戦う、五人の男女の目撃談もある。この五人とやらは、すでに構内から姿を消しているらしく、見つけ出すことは出来なかった。
もう一人、ひっそりとその場を去った人物がいる。
しかし、混乱に包まれた事件現場において、小柄な老人が姿を消したことに気づいた者はいなかった。
大学のある通りから離れた小高い丘の上に、キャンピングカーと黒いスポーツカーが並んで停車している。西に傾きかけた太陽が、二台を熱く照らしていた。
さほど広くないキャンピングカーに、六人が集まっている。エヴァン、レジーニ、ドミニク、ロゼット、ユイ、そしてオズモントだ。
キャンピングカーはドミニクたち女性陣のもので、彼女らの長年の居住空間であり、移動手段であった。
エヴァンたちは、ベッドやソファ、棚など、空いた所に各々腰掛け、互いの顔を見合っていた。
「さてと、今回の出来事、一体どこから話し合えばいいかな」
車内の隅に腕組みして立つレジーニが、口火を切った。
「それぞれの状況から話していきましょう。関わり方が違うようですし」
ドミニクの提案に、レジーニは頷いた。
「そうだな、それが一番早い。なら、僕から話そう」
レジーニは、ネルスン運河沿いでママ・ストロベリーと会っていた時に、ヴォルフから連絡を受け、ワーズワース大学に急行したという。その時ヴォルフから、エヴァンがいなくなった上に携帯端末が店に置きっ放しなので連絡がつかない旨を聞いた。
「エヴァン、なんで突然店からいなくなった? メメントが大学に現れたと、誰から聞いた」
「俺にも分かんねえよ。気がついたらあそこにいたんだ」
「説明になってないぞ」
「んなこと言われたって本当なんだもんよ」
そう言う以外になかった。エヴァンは、店先で見た子どもの幻については伏せておくことにした。話したところで信じてはもらえないだろう。エヴァン自身、未だに理解不明なのだ。実在したのかどうかも分からない子どもに手を引かれ、気がつけば瞬間移動していたなどと、どう説明すれば信じてもらえるものか。
「まあ、その点については保留にしましょう。では私の方ですが」
ドミニクは図書館におり、ロゼットからの連絡で、メメントの急襲を知ったと言う。
「図書館? アルの所か? なんでお前がそんなとこに」
エヴァンは咎めるように片眉を吊り上げ、ドミニクを追及した。
「ただ彼女と話がしたかっただけです。私がいじわるをしに行ったとでも思っているのですか」
「思ってる」
頷くエヴァンをドミニクは、脛への一蹴で黙らせた。
脛を抱えて悶絶するエヴァンを尻目に、次はユイが口を開いた。
「ボクらは運良く行き合わせたんだ。ロージーがメメントの気配を感知したからね。ボクらだけじゃ手に負えないからって、すぐにドミニクに知らせたんだ」
ユイとロゼットが大学付近を散歩していたことが、結果的に早急な事態収拾へと繋がったのである。
ユイの後には、オズモントが厳かに説明を始めた。
「メメントが出現する直前、私の元を一人の男が訪ねてきた。彼は私に、エヴァンが眠っていた凍結睡眠装置のことを訊いてきたよ」
全員の視線が、一斉にエヴァンに向けられた。
「その男は前日、ファイ=ローも訪ねている」
と、レジーニ。
「ローは〈パンデミック〉跡地から装置を掘り起こした本人だ。だから、まず始めにローを訪ね、次に装置を解除した先生の所へ行ったんだ」
「そいつ誰だ? なんで俺が入ってた装置のことを?」
脛を蹴られたダメージから回復したエヴァンは、思いも寄らない事実に、怪訝な表情を禁じえなかった。
オズモントは首を振る。
「名乗りはしなかった。装置についてはしらを切ったのだが、すると今度は、私がトワイライト・ナイトメアを追っている理由を訊いてきたのだ。それは彼も同様だったらしい。トワイライトを追う理由が自分と一致しなければ手を引け、そう言われたよ」
「ちょっと待った!」
エヴァンは慌ててオズモントを制した。
「先生がトワイライトを追ってるって、それどういうことだよ?」
言葉と同時に、目でも問いかける。ドミニクたち女性陣も、顔を見合わせていた。マキニアンでも〈異法者〉でもないオズモントが、最強クラスのメメントを追いかけているのは不可解だ。
オズモントはため息をつき、レジーニを一瞥する。視線を受けたレジーニは、軽く頷いて応えた。
「私がなぜ、君らの協力者になったか。交換条件だ。トワイライト・ナイトメアと呼ばれるメメントを探し出す代わりに、こちらは必要な情報を提供する。私のコネは、まあ、それなりに有用なものだよ。だから取引は成立した。
トワイライト・ナイトメア。あのメメントの元の姿は、私の息子バートルミーだ」
十年前のことである。
その夜、オズモント一家三人は、夫婦の結婚記念日を祝うために外食に出かけていた。
馴染みのレストランでディナーをとり、一人息子バートルミーからプレゼントをもらい、シーモア・オズモントは幸せの只中にいた。
だがその幸せは、理不尽にも奪われてしまったのだ。
自宅への帰り道、一家は四人の強盗に襲われたのである。
人目につかない路地に連れて行かれた彼らに、強盗は銃を向けた。最初に狙われたのは妻ヘイリーだった。妻を助けようにも、オズモントもバートルミーも取り押さえられていて動けなかった。
強盗の一人がヘイリーのバッグを物色し、金品類を漁った。そして用が済むや、再び銃をヘイリーに向け、安全装置を外し、引鉄に指をかけたのである。
その時、バートルミーが暴漢を振り切り、母を狙う男に突進した。バートルミーは銃を奪おうとして、男と揉み合いになった。
――母さん、逃げて!
バートルミーが声を上げた次の瞬間。
甲高い破裂音が響き渡り、バートルミーはその場に倒れた。息子の身体から大量に流れ出る血を見て、ヘイリーは泣き叫んだ。
その妻は、別の強盗に撃たれた。
妻と息子が無情にも殺され、しかしオズモントは、ただ見ていることしか出来なかった。
銃を持った強盗が、ついにオズモントにその凶器を傾ける。オズモントは目をつむらず、涙に濡れた目で、悪人どもを睨み上げた。この恨みは決して忘れない。死後の世界に行っても呪い続けてやる。死を覚悟すると同時に、オズモントはそう誓った。
異変が起きたのは、彼が撃たれるまさにその直前である。
倒れ伏したバートルミーの身体が、激しく痙攣し始めたのだ。
息子が生きていた。予想もしない奇跡が起き、喜びに包まれたオズモントだったが、その歓喜は一瞬にして打ち砕かれた。
オズモントの目の前で、バートルミーの身体はこの世のものとは思えない形状に変化したのである。
黒い鎧を纏った上半身に、たくましい馬の胴体。首は無く、兜を片手に持ち、大振りの剣を携えていた。
まるで殺された息子の怨念が具現化したようだった。恐ろしく、だがどこか神々しさを漂わせる姿に、オズモントも強盗どもも圧倒された。
異形の鎧騎士へと変貌したバートルミーは、腰に提げた剣を抜き、自分を撃った男をまず斬り裂き、胴を二つに引き千切った。
そして、逃げようとした残りの三人をまとめて捕らえると、母の遺体も抱え上げた。
オズモントはバートルミーの名を呼んだ。しかし鎧騎士は、父親の声に反応を示すことなく、強盗たちと母の遺体とともに、いずこかへと姿を消したのである。
「その後、遠く離れた雑木林の中で、強盗たちのものと思しき“残骸”が発見された。だが、妻の遺体は見つからず、バートルミーの行方も分からなくなった」
淡々とした口調で、オズモントは語る。その声色の中に、様々な感情を閉じ込めて、あふれ出すのを必死で堪えている。エヴァンには、そう見えた。
「私は一時期、精神科に入院させられた。当然だ。息子が怪物に変じ、強盗たちを皆殺しにしたなどと、一体誰が信じるというのだろう。妻子を目の前で殺されて精神を病んだ男の妄想を、真に受ける者などいはしない。だが私の精神は健全だった。私が見たのは事実。実際に起きた現実だ。退院した私は、その日から息子を――バートルミー・オズモントだったものの行方を追い始めた」
そうして、怪物退治を請け負っているという裏家業者の存在を知った。
オズモントは、一般人にとってかなり危険な橋を何度も渡りながら、裏家業者に仕事を斡旋している“窓口”――ヴォルフ・グラジオスへと辿り着いたのである。
「それで、ヴォルフに取引をもちかけたのか?」
エヴァンの言葉に、オズモントは頷いた。
「バートルミーを見つけ出すためなら、私はどんなことでもやる覚悟が出来ていた。ヴォルフという男に出会えたのは、幸運としか言いようがない。彼が私の話に耳を傾けてくれたからこそ、今がある」
「それで、僕に話が回ってきたというわけだ」
と、レジーニ。
「お前、先生の事情知ってたのか?」
「当然だろ」
「ママは?」
「もちろん知ってる」
「なんで俺にだけ黙ってたんだよ!」
自分だけ蚊帳の外に置かれていたことが面白くないエヴァンは、子どものように顔をしかめた。だが、レジーニはいたって冷静である。
「トワイライトに関する情報は、極めて少なかった。どこから手をつけるか模索中だったというのに、お前に話せば無計画に飛び出しかねないだろう」
「うっ」
反論出来ない。
「オズモント先生、あなたの事情は分かりました」
ドミニクは、老人の目を覗き込むように見つめた。
「ですが、トワイライト……息子さんを見つけ出すことが、仮に出来たとして、どうなさるおつもりでしたの? メメントを元の生物に戻すことは出来ませんのに」
「承知の上だよ。私は、知りたかったのだ。なぜ私の息子が怪物に変じたのか。なぜバートルミーが選ばれたのか。その理由を」
オズモントはその場にいる全員を、ゆっくりと見渡した。
「偶然か否か、事件があったその日は、彼の〈パンデミック〉と同じ日だった。〈パンデミック〉はメメントの生態に大いなる影響をもたらした。その影響がバートルミーにもあったのか。メメントの原因であるモルジットの、いかなる働きによって、屍骸のメメント化が決定するのか。
メメント化には法則がある。あるメメントの変異情報を受けて、別のメメントが変化する。〈影響変異〉だ。だが、変異情報の影響を与えもしなければ受けもしない、特殊なメメントが存在する。トワイライトもそのうちの一体。メメントの生態は、我々が思っている以上に複雑だ。私はその謎を解き、息子がメメント化した理由を知りたい。ただ、それだけだ」
老生物学者の語りは、静かで厳かでありながらも、聞く者の内面奥深くに届くほど、明確で強固な意志を感じさせた。
シーモア・オズモントは、怪物と戦うために強化された戦闘員でも、猛者の集う闇の中を生き抜いた裏社会の住人でもない。そんな彼がただひたすら、恐るべき異形へと変貌した我が子の真実を追い求め、ここまで突き進んだのだ。
どれほどの覚悟をもって、裏社会と関わってきたのだろう。細く小柄なオズモントの横顔を、エヴァンは複雑な思いで見つめた。
「あの男が、トワイライト・ナイトメアを追う理由は分からない」
一時の間を空けて、オズモントは続けた。
「その正体がバートルミーであり、私の息子であることなど、私の元を訪れた時点では知らなかっただろう。ひょっとしたら彼もまた、トワイライトの正体を探ろうとしていたのかもしれん。トワイライトの正体を、彼の近しい誰かではないかと考えていたのではないだろうか」
「その男のことだが」
オズモントの言葉が区切られたのを見計らい、レジーニは口を開いた。
「ストロベリーが調べてくれた。名前はアンドリュー・シャラマン。マキニアンの諸氏には、聞き覚えがあるのじゃないか?」
その名を聞いて、まず大きな反応を示したのはドミニクだった。
「アンドリュー・シャラマンですって!?」
ドミニクは腰を浮かし、エヴァンを凝視する。彼女の視線の意味が汲み取れないエヴァンは、レジーニと彼女を交互に見た。
「エヴァン、彼に関する記憶も無いのですか?」
「あ、ああ……」
「彼は〈イーデル〉の最上位研究者の一人。クロセスト開発者であるフェルディナンド・メイレイン博士とともに、〈イーデル〉と〈SALUT〉の発展に貢献された重要人物です。
〈イブリディエンス〉――細胞置換技術を確立させた方です。私たちマキニアンの生みの親であり、エヴァン、お前の義理の父親ですよ」




