TRACK-1 過去からの呼び声 2
誕生日とは。
人が、この世に生まれ出でた日のことであるという。
毎年訪れる誕生日は、めでたい記念日としてパーティーを開き、家族や友人たちに祝ってもらう日なのだという。
「マジか」
分からないことはまず自分で調べろ、と相棒に厳しく“躾”られていたエヴァンは、インターネットで“誕生日とは何か”を調べた。そこで、初めて知る事実に衝撃を受けた。
誕生日は、誰しもに必ずある記念日である。老若男女人種の関係なく、すべての人間にだ。ところが。
「俺、誕生日知らねえんだけど」
エヴァンは現在二十二歳。十年間の眠りは計算に入らないから、間違いはないはずだ。
だが〈SALUT〉所属時代、エヴァンの誕生日がいつなのか、ということを、誰も教えてくれなかった。そもそも「誕生日」というものがあることすらも、教えられなかった。
人は一周年ごとに歳をとる。自分は生まれてから二十二周年経ったから二十二歳なのだ。エヴァンの“年齢の概念”は、そういう定義だった。
一周年迎えて歳をとるその日が、すなわち「誕生日」だったのだ。
「俺が生まれた日って、いつなんだろ」
歳をとる正確な月日を、エヴァンは知らない。〈SALUT〉で訓練漬けの日々を送っているうち、いつの間にか一年が過ぎていたので、いつの間にか歳をとっていた。
「俺、次にいつ歳をとるんだ?」
ひょっとしたら、自分でも気づかないうちに、すでに二十三歳になっているのかもしれない。
何故誰も教えてくれなかったのだろう。
エヴァンは孤児である。〈SALUT〉に引き取られる以前は、孤児院に入れられていたはずだが、そこから誕生日などの個人情報は入手しなかったのだろうか。
これはとても大事なことなのではないのか。なんといっても。
「誕生日ってお祝いしてもらえるんじゃんか。パーティーやってプレゼントもらえるって? 俺の二十二回分のケーキとごちそうとプレゼントはどこに行ったんだよ」
一年に一度のめでたい日なのに、自分だけ祝ってもらえないのはずるい。
誕生日でもなければ、祝われることなどないというのに。
「理不尽だ! 俺だってプレゼントもらったり、うまいもんやケーキ食いてえ!」
子どものように駄々をこねる。
無駄に歯噛みしていると、あることに思い至った。
「あれ。明日がマリーの誕生日ってことは、何かプレゼント用意しなきゃなんねーんじゃね?」
誰かに何かを贈ることなど、今までなかった。ましてや年頃の少女へのプレゼントなど。
どんなものを選べばいいのか、皆目見当もつかない。
シャワーを浴びることも忘れ、部屋中をうろつきながら、懸命に考えた。
考えたが、さっぱり分からない。
と、その時。天啓の如き閃きが起きた。
「女の子のことは女の子に訊け」
頼れる女神は一人だけである。
テーブルの上の携帯端末を引っつかみ、電話をかけた。
呼び出し音がしばらく続き、出ないかな、と思った矢先に繋がった。
『はい、もしもし』
子守唄のように耳に優しい声が、スピーカーから聴こえてきた。耳から入ってきた幸せが、全身を巡り脳を震わせる。
「やあアル、ちょっと訊きたいことがあるんだけどさ」
電話の相手は、向かいの部屋に住むアルフォンセ・メイレインだ。エヴァンにとっては、この世でもっとも大切にするべき宝。最愛の女性である。
まだ“友達以上恋人未満”という仲なのだが。
『訊きたいこと? ごめんなさい、勤務中の私用電話は禁止されてるから、手短にしてもらえる?』
アルフォンセの口調はひそやかだ。エヴァンは「しまった」と額を叩く。思いが先走って電話してしまったが、彼女は仕事中なのである。アルフォンセは図書館司書だ。静寂が求められる職場である。
「ごめん、うっかりしてた」
『ううん。それで、訊きたいことって?』
「明日マリーの誕生日だってんだけど、アル知ってた?」
『ええ、お誕生日会に呼ばれたわ』
「そっか。それでさ、プレゼントが必要なんだろ? マリーに何をやればいいのか分かんなくて。女の子って、何が欲しいんだ?」
『うーん、そうね』
アルフォンセはやや沈黙したあと、答えた。
『よかったら、一緒に選びに行きましょうか? 私の仕事が終わるまで待っててくれるなら』
アルフォンセの申し出に、エヴァンの胸が高鳴る。
「いいのか!? 待つよ! 待つ待つ! お願いします!」
『そう? じゃあまた連絡するね。後で会いましょう』
通話が終了した途端、エヴァンは天井に拳を突き上げた。
これはデートと認識して間違いないだろう。思いがけない展開に、エヴァンは興奮を抑えきれない。
二人でプレゼントを選び、そのあとはどこかで食事をしよう。食事が済んだら、夜景の綺麗な場所で並んで歩くのだ。
ムードに満ちた空気に押されて、二人の距離が縮む。自然と絡み合う指と指。緋色の目と深海色の目。
「今日こそ、キスまで……ッ!」
妄想に現を抜かすエヴァンは、くるくる回りながらバスルームへ向かい。
顔面をドアに強打した。
この時期は日没時刻が遅い。夕刻になっても太陽が地平線に落ちる様子はなく、陽射しは日中並みである。
グリーンベイの市立図書館の前。午後五時の閉館時刻になり、利用客が帰って行き、入り口にロックがかかる。
図書館が一日の役目を終えて休息に入るのを、エヴァンは向かいの通りのカフェテラスで見守っていた。パラソルの陰下にいるものの、防げているのは直射日光だけだ。湿気を帯びた暑さは、ウールのように肌にまとわりついている。
飲み干したアイスコーヒーのグラスに残る氷を、口内で転がしながら、エヴァンは今か今かと待ちわびた。
図書館が静まって十分ほど経過した頃、ほっそりとした人物が姿を見せた。離れていても、その姿を目にするだけで胸は高鳴り、気持ちが高揚する。通行人は大勢いるが、彼女を見間違えるなどということは絶対にない。
彼女は、通行人の波に混ざって歩道を渡り、こちらにやって来る。エヴァンは慌てて立ち上がり、グラスを店に返却して駆け出した。
彼女がこちら側に到着したところで、二人は落ち合った。
「ごめんなさい、お待たせして。暑かったでしょう?」
アルフォンセは清楚な微笑みで、エヴァンを見上げた。母なる海のような深い青の瞳に見つめられ、エヴァンの心に花嵐が巻き起こる。
ボブカットの髪は、陽光を浴びて天使の輪を戴く。日焼け跡のない白い肌に、薄紫色のふんわりとしたワンピースがよく似合っていた。
「平気平気、ぜんぜん待ってない。仕事お疲れ様」
エヴァンが労いの言葉をかけると、アルフォンセは柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。それじゃあ、行きましょうか」