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TRACK-5 白闇の狂気 9

 空より降臨せし黒き巨影は、たくましい馬の胴と鎧騎士の上半身を持つ異形だった。

 シェドの背後にそびえるそれは、放つ気配からメメントであると分かった。だが、その完璧ともいえる形態と圧倒的存在感は、これまで対峙してきたあらゆるメメントを、ことごとく凌駕している。屍骸を苗床にして誕生した怪物――メメントというカテゴリーに当てはめるには、それはあまりに異質すぎた。

 エヴァンは、これまでにない感覚をもって、異形の騎士を見上げた。メメントへの敵対心とも、人知を超えたモノへの畏怖の念ともつかない、それでいて己の内深くを揺さぶる何か。この感覚をどう言い表せばいいのか、エヴァンには分からなかった。

 ただ。

 この異形に対しても、かすかながらに既視感がある。

 それだけは、分かった。

 

 

 剣が腹を貫通しているにも関わらず、シェドは何事もなかったかのように、その場に立ち続けている。シェドは前面に突き出た刃を右手で握り、いともたやすくへし折った。そうして左手を背後に回し、剣の柄の方を引き抜いた。

 完全に貫かれたシェドの胴体には、猫の目のような赤黒い痕跡が残った。が、痛ましい傷痕はたちまち塞がり、もとの白い肌が蘇った。

 シェドは折れた剣を投げ捨てた。すると剣は、地面に落ちる前に、主である騎士の方へ飛んで行った。騎士の手中に収まった剣は、元の形状にすっかり戻っていた。

「トワイライト、またじゃましにきたの?」

 呆れた表情のシェドは、うんざりだと言いたげにため息をついた。

「おまえはざこがりしてればいいんだよ。これはぼくとエヴァンだけのことなんだからさ」

 トワイライト、と、シェドはそう呼んだ。その呼び名がついているメメントは、この世に一体だけである。

「ひょっとして、あれは……トワイライト・ナイトメア、なのか?」

 現存するメメントの中で最強とされる個体だ。目撃例は少ないものの、存在そのものは〈異法者ペイガン〉の間では広く知れ渡っている。

 エヴァンの呟きを聞いたシェドが振り返り、困ったように肩をすくめた。   

「しつこいんだよこいつは。ずっとぼくをおいかけてるんだ。なんでだかわかる? ころそうとしてるんだよ。だめだよね?」

 マキニアンはメメントを屠るために在る。敵を倒そうとするのは、メメントにしてみても当然だろう。いくらシェドが狂気に囚われているとはいえ、メメントにとっては天敵以外の何者でもない。

 だが、シェドは「ずっとおいかけてる」と言った。これはどういう意味なのだろう。

 トワイライト・ナイトメアは、シェドという固定標的を追い続けている、ということだろうか。そんなことがありえるだろうか。

「ぼくにだって“アダム”になるしかくがある。“つぎのアダム”には、ぼくとエヴァン、いきのこったほうがなるのに、“アダム”はぼくを“つぎのアダム”にしたくないんだって。だからトワイライトは、ぼくをじゃまするんだ。そんなのってひいきだよね」

 シェドはゆっくりと、トワイライト・ナイトメアの方に向き直った。

「すごくむかつくから、ここでいなくなっちゃえよ」

 両者が動いたのは同時だった。



 エヴァンが見届ける中、シェドとトワイライト・ナイトメアは上空に飛び上がった。

「なんなんだ、あいつら」

 見上げるも、その姿はすでに、肉眼では捉えられる距離を越えている。

その時、建物の裏側の方から、誰かがこちらに向かって駆けてくるのに気づき、エヴァンは反射的に身構えた。

 が、近づいてくるのがよく知る人物だと分かり、エヴァンは緊張を解いた。

 片手に〈ブリゼバルトゥ〉を持つ相棒――レジーニである。彼の後ろには、オズモントの姿もあった。

「レジーニ、先生。何でここに?」

 駆け寄る相棒とオズモントに声をかける。レジーニは首を振って応えた。

「それはこっちの台詞だ。お前こそ、今まで何をしていた? 連絡がつかないかと思えばこんな所にいて、どうなってる」

「そんなの俺だって聞きてーよ。こっちも訳分かんねーことばっかりで、何がなんだかさっぱりだ」

「エヴァン」

 オズモントが、レジーニとの間に割って入る。

「トワイライト・ナイトメアを見なかったかね」

「ああ、あいつならシェドと上空に……って、先生。なんでその名前知ってんだ?」

 オズモントが口を開くより先に、レジーニはエヴァンの背中を押した。

「僕らには積もる話があるが、今はメメントの方が先だ。ドミニクたちが加勢してくれている。手早く片付けるぞ」 

 


 

 降り注ぐ瓦礫をなんとか避け、視界を遮る粉塵をかき分け、アッシュグレーの髪の男――アンドリュー・シャラマンは身を隠しながら走った。

 途中出くわしたメメントは、クロセスト銃で倒した。彼は訓練を受けた兵士でも裏社会の住人でもないが、最低限身を守るために、銃の扱い方だけは習得した。銃を向ける相手はメメントだ。人間を相手にはしたくない。だが、やむを得ない状況に立たされた時の覚悟は出来ている。

 シャラマンは、出来るだけ周囲が見渡せる場所を求めて走っていた。倒壊する大学舎本棟の屋上は危険だ。探した末、本棟よりやや離れた旧学舎の屋上へと駆け上がった。

 旧学舎の屋上からは、本棟を含む大学全体がよく見える。そこでシャラマンは、目当ての光景を目にすることが出来た。

 白い小さな人影と、怪しい黒光を放つ馬の胴を持った異形の騎士。両者が激しい空中戦を繰り広げている現場だ。

「シェド=ラザ……生きていたとは」

 シャラマンは、片手の中にある小型の計測器を握り締めた。ある信号を測る装置で、シャラマンが造ったものだ。シーモア・オズモントの元を訪ねた時、計測器は強いノイズ音を発した。数値は異常な高さを示していた。この数値から推測される対象物は、ごく限られている。その限られた中からシャラマンは、最も考えたくない可能性――シェド=ラザの出現を察した。

 シェド=ラザ。全てのマキニアンの中で、最強クラスの能力を備える者だ。しかし、あまりに強すぎるため、その存在は闇に葬られた。

 彼が生きている可能性に、シャラマンは驚きはしたものの、同時に納得もした。

 シェドの生命力の強さは異常だ。たとえ。

 たとえ、粛清廃棄の執行者が、ラグナ・ラルスであったとしてもだ。

 そもそもラグナの状態は、完全なものではなかった。人格矯正によって、彼を支配下に置こうとした計画は、かえって彼を不完全な状態に陥らせただけだ。

〈イーデル〉も〈SALUTサルト〉も、命令を忠実に遂行する、強力で都合のいい兵器を手にしたつもりになっていたようだが、それは大いなる間違いである。

 シャラマンは上着のポケットからデジタルスコープを取り出し、覗き込んだ。

 ディスプレイに映し出されるのは、シェドとトワイライト・ナイトメアとの、人智を超えた凄まじい戦いだった。

 両者とも流星の如き超高速を誇り、その動きは肉眼で捉えるのが困難だ。ぶつかり合うたびに空気が振動し、反動波が周囲に拡散する。強力な反動波によって暴風が吹き荒れ、窓ガラスや建物の外壁が破壊される。うっかり影響圏内に入ってしまった人々は、紙切れのように弾き飛ばされた。

 さながら、白き死神と黒き使徒との戦いだ。この世のものならざる存在を前に、人間は対抗しうるすべを持たない。逃げるより他ないのだ。

 シャラマンは、死神と使徒との戦いにおののきながらも、スコープに内蔵されたレコーダーで、その戦いの一部始終を録画していた。

「トワイライト・ナイトメア……」

 スコープから目を離し、シャラマンは異形の騎士の呼称を呟く。メメントとしては美しく均整のとれた怪物を、彼は複雑な心持ちで見つめた。

 シェドが現れるなら、トワイライト・ナイトメアは必ず追ってくるだろうと、彼は読んだ。だから、自分と同じくトワイライト・ナイトメアを探しているというオズモントに、覚悟があれば待つよう進言したのだ。

 本来ならばメメントとの関わりを持つはずのない一介の生物学者が、なぜメメントを、しかもトワイライト・ナイトメアを探しているのか。シャラマンはその答えに見当をつけている。だが、もしその見当が正しかったとしたならば、それはシャラマンの考えを覆す結果となる。

 自分はどちらの答えを欲しているのだろう。シャラマンには分からなかった。

 トワイライト・ナイトメアは、ある原理に従って行動している。その行動原理こそが、のメメントを特殊たらしめんとするものであり、これから起ころうとしていることの裏づけとなるものであった。

 トワイライト・ナイトメアがシェドを追うのは、彼を“アダムの継承者”にさせないためだ。

 よってそれは、結果的に――。

 シャラマンは再びスコープを覗き込み、周辺を見回した。ディスプレイを拡大させる。

 倒壊した学舎前の広場で、五人の若者がメメントと戦っていた。

 一人はスーツ姿の男で、蒼く輝く氷のクロセスト剣を携えている。あのクロセストは、なかなかの上等品だ。似たようなクロセストが〈SALUT〉の所蔵にあったはずだが、裏ルートに流れたものを改良したのかもしれない。

 他三人は、シャラマンのよく知る女性だった。

 ドミニク・マーロウ。〈処刑人ブロウズ〉屈指の戦闘能力を持つマキニアンだ。三連式浮遊砲台を自在に操り、メメントを豪快に葬っている。彼女は頼れる存在だ。無事でいてくれて本当によかった。

 残る二人の女性――少女もまた、それぞれの能力を遺憾なく発揮して戦っている。シェン=ユイにロゼット・エルガー。最後に見た時はほんの幼子だったのに、立派に育ってくれたようだ。ドミニクに保護されたのは幸運だった。

 そして。

 拳に赤い炎を纏わせた金髪の青年――エヴァン・ファブレル。

〈レーヴァティン〉ではなく〈イフリート〉を使用している姿に、シャラマンは安堵した。先日彼が働いている店に様子を窺いに行ったが、こちらのことは分かっていないようだった。

 それでいい。シャラマンは小さく頷く。今はまだ、思い出さなくていい。

 シャラマンは上空にスコープを向けた。トワイライト・ナイトメアが、シェドを抱かかえるようにして押さえ込んだ。暴れるシェドをものともせず、宙を蹴って大きく跳躍する。

 白い死神と黒い使徒は、そのまま風に流されるように姿を消した。

「やはり遠ざけたな」

 トワイライト・ナイトメアは、シェドとの戦いに決着をつけず、その場を離れることを選択した。

 エヴァンから引き離すためだ。

「守っているのか、不完全な彼を」

 シャラマンはスコープから目を離し、静けさを取り戻した空を見つめる。

 トワイライト・ナイトメアの行動原理が、“アダム”の意思に基づくものであるのなら、劣悪なメメントどもを狩るという行為には確かな意味がある。

 そして、エヴァンを守るような行動をとることにも、意味がある。

 だからシャラマンは、のメメントの正体を察し、それを信じて追い続けてきたのだ。

 しかし、オズモントが現れたことで、シャラマンの推測は覆されるかもしれないのだった。  

「トワイライト……ではないのか……?」

 

 

 シャラマンと同じように、上空に顔を向けている人物がいる。

 オズモントは、悪魔のような白い少年と異形の騎士が去っていった空を、ただただ見つめ続けた。

「バートルミー……」

 老人は名を口にしたが、その声はロウソクの火のように儚いものだったので、吹きつける風の中に溶けて消えてしまった。


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